長江

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長江
長江三峡
長江三峡
延長 6300 km
平均流量 20.003 /s
流域面積 180万8500 km²
水源 青海省
河口・合流先 東シナ海
流路 青海省・チベット四川省重慶雲南省湖北省湖南省江西省安徽省江蘇省上海
流域 中華人民共和国の旗 中国
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長江(ちょうこう、中国語拼音字母: Chinese-ChangJiang.ogg Cháng Jiāng[ヘルプ/ファイル])は、青海省チベット高原を水源地域とし中国大陸華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川である。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位。

中国国外では、最下流部の異称である「揚子江」(ようすこう、英語: Yangtze River)の名で良く知られる。古語では(こう)。音訳する場合は「長」のみを音訳しチャン川 (Chang River) とすることもあるが、「江」が本来の河川名であることから、(他の中国の河川を「片仮名+川」とする場合でも)チャンチアンとすることもある[1]

青海省のタンラ山脈からチベット高原、四川盆地三峡を経て湖北省宜昌市に至るまでが長江上流(最上流の通天河、四川西部の金沙江、四川東部の川江)、宜昌から江西省湖口県までが中流(荊江)、湖口から上海市の東シナ海河口までが下流(揚子江)にあたる。

その流域には成都武漢重慶などの重要工業都市、上海南京などの商業都市を含む中国の19の省(市、自治区)があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。

世界主要河川の比較
アマゾン川 ナイル川 ミシシッピ川 長江 ヴォルガ川 コンゴ川
長さ(km) 7,025 6,671 3,779 6,300 3,700 4,700
流域面積
(100万km²)
7,0 2,9 3,2 1,8 1,3 3,7
平均流量
(1000m³/s.)
209 2-3 18 32 8 41

名称[編集]

長江流域

上流部は金沙江(きんさこう)またはディチュ河(チベット語: vbri-chu、འབྲི་ཆུ་、「母ヤクの川」)、下流部は揚子江(ようすこう、中国語拼音字母: Chinese-YangZiJiang.ogg Yáng zǐ Jiāng[ヘルプ/ファイル])とも呼ばれる。後者は本来は揚子橋という橋の名前だったが、西洋人により長江全体の名前として誤用された(英語の「Yangtze」など)。

河とは本来固有名詞であり、「河」は黄河を、「江」は長江を意味する。長江南岸の湿潤な稲作地帯は「江南」と呼ばれ、中国大陸南部の東海岸地域は「江東」となる。

流域の地形[編集]

チベット高原(青海省)。青蔵鉄道が上流を渡る

長江流域は中国中部・南部の広い範囲を覆っており、源流から河口の標高差は5,400mに達し、その地形も高原、褶曲山脈、低い山地・丘陵、盆地、平野など多岐にわたる。流域は、西部の高原・高山地区、中部の中山・低山地区、東部の丘陵・平原地区に大きく分けられる。

まず四川省広元市雅安市を結ぶ線から西は高原・高山地区であり、さらに二つに分けることができる。すなわち、水源近くの標高5000mから4000mのチベット高原を流れる地域と、四川省西部の標高5000mを超える褶曲山脈(横断山脈)に囲まれた険しい峡谷を流れる地域である。こうした山地はプレートがぶつかり合っている場所で、地震活動も活発である。

上流の金沙江。雲南省の虎跳峡

湖北省襄陽市宜昌市凱里市より西は中部の中山・低山地区で、さらに三つに分けることができる。北側の四川・陝西・湖北をまたぐ秦巴山脈(大巴山脈など)、南側の湖北・湖南・貴州をまたぐ鄂黔山地、これらに挟まれた四川盆地の三地区である。

宜昌より東は東部の丘陵・平原地区で、さらに三つに分けることができる。北側の淮陽低山丘陵区、南側の江南低山丘陵区、その間の長江中下流平原区である。このほか、様々な平野や盆地にこれらを分けることができる。たとえば武漢周辺の長江と漢水が交わるあたりの江漢平原、湖南省の洞庭湖平原、江西省の陽湖平原、安徽省の巣湖平原、江蘇省の長江デルタなどは本流沿いの地形で、支流沿いには漢中盆地、南陽盆地などがある。

流域の周りは山地に囲まれている。流域の北には崑崙山脈バヤンカラ山脈(巴顔喀拉山脈)、秦嶺山脈大別山脈があり、南には南嶺山脈武夷山脈、天目山脈がある。

各部分[編集]

源流域と通天河[編集]

長江源流、タンラ山脈の氷河

青海省南部には長江の源流とされる三つの川がある。一番の源流(本源)がタンラ山脈(唐古拉山脈)の氷河に発する沱沱河(トト河)、南の源流(南源)がタンラ山脈東部の広大な沼地帯に発する当曲(ダムチュー)、北の源流(北源)が野生生物の多いフフシル山地に発する楚瑪爾河(チュマル河)である。

これらの川は、タンラ山脈の北に広がるチベット高原北東部の地帯の峡谷を流れる。途中で沱沱河は当曲と合流して通天河となり、曲麻莱県の西部で楚瑪爾河とも合流する。通天河は沱沱河と当曲の合流地点から玉樹チベット族自治州の巴塘河口までの813キロメートルの区間である。巴塘河口からは金沙江と名が変わる。

長江の源流については長年考察が加えられてきたが、代に地理学者・徐霞客が金沙江を源流とする論考を残し、さらに代には通天河の存在も知られるようになった。1956年1977年の長江源流域調査により、沱沱河が長江の源流と定められた。

金沙江[編集]

雲南省で南向きから北向きへ180度流れを変える金沙江

金沙江は長江の上流部であり、青海省西南部の玉樹チベット族自治州の巴塘河口から、四川省宜賓市岷江合流点までを指す。全長は2,308km、流域面積は34万平方kmで、落差は3300mに達する。チベット語ディチュ河ワイリー拡張方式のチベット語表記: 'bri chu)と呼ばれる川と部分的に重なる。

岷江と金沙江が合流し長江が始まる地点(四川省宜賓市岷江口)

青海省西部で発した後、南の崑崙山脈へ向かい、青海省とチベット(西蔵)自治区の境界をなすタンラ山脈の北麓を流れ、チベット東部のカム地方を東西に二分している。東経97度、北緯27–37度付近では、中国の行政区分でいう「西蔵」と「四川」の境界となっている。

また四川から雲南にかけての褶曲山脈地帯(横断山脈)では、南東へ流れる金沙江と瀾滄江メコン川上流部)、怒江サルウィン川上流部)がそれぞれ深い谷間を刻みながら平行に流れ、三江併流をなしている。

雲南省の玉竜ナシ族自治県からシャングリラ県(旧称:中甸県)の間では、金沙江は「虎跳峡」と呼ばれる大峡谷を流れている。左岸には哈巴雪山、右岸には玉龍雪山という5000m級の高山がそそり立ち、川の両岸には落差2000mにも及ぶ断崖絶壁が迫っている。

など大きな支流を合わせて流れる金沙江は、山岳部を抜けて四川盆地に入り宜賓市の岷江口で岷江と合流し、長江と名を変える。

川江[編集]

長江中流に面する湖北省宜昌市

宜賓から湖北省宜昌市まで、四川盆地や三峡を流れる長江上流は、四川を流れることから俗に「川江」と呼ばれる。険しい山岳地帯を流れてきた源流部とは違い、宜賓より下流は流れも緩やかになり、船の航行も可能となる。宜賓からは四川盆地の南縁を流れ、重慶市に達する。重慶は南西から流れてきた長江と北から流れてきた嘉陵江が合流する地点に発達した都市であり、四川盆地西部の中心都市として、また大型船舶の終着地点としても重要な役割も果たしている。三峡ダムの建設によって、それまで3000t級の船しか遡上できなかったのが10000t級の大型船舶まで重慶に航行できるようになり、河港都市としての重慶の重要性はより増した。重慶市中心部を過ぎると四川盆地は終わり、両側には険しい山岳が迫るようになる。重慶市奉節県白帝城を過ぎると、宜昌市までの間は瞿塘峡巫峡西陵峡の三つの大峡谷、いわゆる三峡が120㎞にわたって続く。三峡の終点である宜昌市には2012年三峡ダムが完成し、膨大な電力を生み出し流量を調節している。一方で、このダムの完成は景勝地であった三峡の風景を変化させ、また上流に住む140万人の住民は移住を余儀なくされることとなった[2]。この三峡の終点までが、長江の上流域となっている。

荊江[編集]

宜昌から江西省九江市までの長江中流は、古代の荊州(湖北省一帯)を流れることから俗に「荊江」と呼ばれる。荊江は長江中下流の平原地帯を流れるために、川江よりもさらに緩やかな流れになる。古来より要衝として栄えた江陵市を過ぎ、岳陽市で長江本流は洞庭湖に接する。もっとも、江陵付近から岳陽までの間では直接の接点以外にも4本の支流が長江本流から洞庭湖へと流れ込んでおり、洞庭湖に供給される水量の半分は長江から流れ込むものである。このため、洞庭湖は長江の遊水地的役割を果たしており、増水期には通常時よりかなり面積が増大する。一方で、長江上流から流れ込む膨大な土砂と干拓は洞庭湖の面積を縮小させ続けており、現在では通常時は東・南・西の3つの湖に分かれてしまううえ、増水時の面積でも半分以下にまで減少し、鄱陽湖に抜かれてしまった[3]。岳陽市の、長江と洞庭湖が接する地点に建てられた岳陽楼は雄大な景観で知られ、瀟湘八景のひとつにも数えられ、また杜甫孟浩然范仲淹などの名だたる詩人がここで多くの詩文を生み出した。

岳陽で長江本流は北東に転じ、その下流には赤壁があり、ここで208年曹操軍と孫権劉備連合軍の間で赤壁の戦いが起こった。そこから下流に行くと、長江は西から流れてきた漢水と合流する。この合流地点は水陸交通の交わる要衝であり、長江と漢水によって分けられた北の漢口・西の漢陽・南の武昌の3都市が発達していた。武漢三鎮と呼ばれたこの3都市は1926年に合併して武漢市となり、長江中流域最大の都市となっている。武漢で長江は南東へと転じ、江西省九江市で再び北東へと転ずる。この九江市は鄱陽湖と長江本流との接点にある都市である。鄱陽湖は洞庭湖と同じく長江の遊水地的役割を持っているが、近年では洞庭湖と同じく面積縮小が起こっている[4]

揚子江[編集]

九江から先は長江下流であり、特に江蘇省楊州市から鎮江市付近、およびそれより下流では、かつて「楊子津渡口」という渡しがあったことから「揚子江」と呼ばれていた。これが中国国外で長江を指す言葉としても用いられるようになっている。九江からは長江は北東に再び転じ、南京で東へと向かう。南京は六朝などの各王朝が都した古都であり、江南のみならず長江流域の政治的中心の役割を幾度となく握ってきた。南京より下流は長江の河口デルタ地域となるが、この長江の流れる江蘇省南部に銭塘江流域の浙江省北部をくわえた地域は長江デルタと呼ばれ、中国総人口の10%、中国GDPの22%を占める中国最大の工業・経済地域となっている。そして、長江の河口に位置するのが中国最大の都市である上海である。上海は、長江水運と海運との結節点として急速に発達した都市である。河口には巨大な沖積島である崇明島が浮かんでいる。

歴史[編集]

紀元前14000年ごろから長江文明と呼ばれる文明が流域に成立し、北の黄河文明と密接に関係しながら成長していったが、やがて黄河文明と融合するようになり、春秋時代には上流域に、中流域に、下流域になどの国家が成立して黄河流域の諸国家と争った。戦国時代に入ると上流域は秦、中下流域は楚が制したが、やがて秦が強大化し、紀元前223年には秦が楚を滅ぼして長江流域はすべて秦の統治下に入った。以後、幾たびも王朝の交代はあったものの、基本的には黄河流域と長江流域は統一王朝のもとにおかれることとなった。

後漢王朝が滅亡し、222年建業に都したが成立すると、上記の政治的統一は崩れた。280年に呉がに滅ぼされて一度は統一されるものの、晋王朝が八王の乱によって混乱したのち滅亡すると、晋の残存勢力は再び建業(建康)に拠って317年東晋を建国し、長江流域を領したことで南北朝時代がはじまり、以後589年王朝がに滅ぼされるまでの間、東晋・・陳の王朝が次々と長江領域で交代した。呉もあわせ、この各王朝は六朝と呼ばれ、独自の文化が花開いた。

隋は黄河流域と長江流域を結合させるため、610年大運河を完成させた。この運河によって長江と黄河は結ばれ、特に長江下流域(江南)は経済的に大発展して中国の経済的な中心地となった。1126年に北宋が金によって滅ぼされると宋は南遷し、1127年に南宋王朝が成立して再び長江流域と黄河流域は分裂した。南宋時代には長江流域の開発がさらに進められ経済的には絶頂を迎えたが、やがて金を滅ぼした元が侵攻し、1279年に南宋は滅亡した。元が衰亡すると、長江流域には湖北の陳友諒・集慶(南京)の朱元璋蘇州張士誠の3人の群雄が並び立ったが、この中で朱元璋が両勢力を滅ぼして長江中下流域を統一し、この地方の経済力を背景として北伐を行い、元を北へ追って1368年中国を統一し、南京に首都を置いた。長江流域から興った王朝が中国を統一したのはこれが唯一のことである。明は太祖洪武帝(朱元璋)・建文帝の2代にわたって南京に首都を置いたが、靖難の変によって帝位を奪った永楽帝1421年に首都を再び北京に移し、江南は再び経済のみの中心地となった。

清の時代も19世紀半ばを過ぎると統治が緩み始め、長江流域も混乱に巻き込まれることとなった。1851年には洪秀全によって太平天国の乱が起き、1864年に滅ぼされるまで長江中下流域の広い範囲を支配下に置いた。19世紀末になると列強諸国が中国を各国の勢力範囲に分割する中、長江流域はイギリスの勢力範囲となった。1911年に武昌で武昌起義が起きたのをきっかけとして辛亥革命が起き、清朝が倒れ中華民国が成立すると首都は当初南京におかれたが、袁世凱によってすぐに北京へと遷都された。

環境[編集]

長江は全域が湿潤な地域を流れるため、半乾燥地域を流れる北の黄河に比べ流量が非常に多い。黄河では近代以降水路としての重要性が急速に低下したのと比べ、長江は現在でも交通路として極めて重要である。かつて10000トン級の大型船舶は武漢市までしか航行できなかったが、三峡ダムの建設に伴い重慶市の中心部まで10000トン級の船が遡上できるようになった。

また、この豊富な水量を北の乾燥した華北平原や北京へと送る南水北調計画が実施され、下流では大運河を通って、中流では支流に作られたダムから水が華北・北京へと送られるようになった。しかし、長江自体も流域人口の増大や経済成長に伴い、水量の不足が懸念されるようになってきている。源流域のチベット高原では重要な水源となる湿原の消失が続いており、長江や黄河といった大河川の水量への影響が懸念されている[5]。長江の水量は基本的に多く安定しているものの、毎年のように水害や、逆に渇水に見舞われている。2007年には夏季に水害が多発した[6]いっぽう、3か月後の2008年1月には干ばつによって水位は過去140年間で最低レベルに下がった[7]

また、長江の特に下流域においては水質の悪化も深刻である。2006年に長江に排出された汚水の総量は305億トンに達し、20年前と比べると倍増している[8]

長江にはいくつかの固有種が存在しているが、開発の進展に伴いこれらの貴重な生物の生息環境が大幅に変化し、いくつかの種は絶滅の危機に瀕している。なかでも、下流域に主に生息していたヨウスコウカワイルカは、2006年に6週間の調査にもかかわらず1頭も確認することができず、絶滅が懸念されている[9][10]。同じく絶滅が危惧される長江のスナメリに関しては、2012年に生息数の調査が行われた[11]カラチョウザメも長江に生息しているが、2014年の調査では自然生殖が確認できず、絶滅の危険性が増大したと考えられている[12]

支流[編集]

雲南の峡谷地帯を流れる金沙江
宜昌市付近の河岸

ダム[編集]

橋・トンネル・渡し[編集]

南京付近の長江を行き交う船
黄浦江が長江の最下流に合流する場所にある港湾地帯(上海市宝山区

長江を渡る多数のトンネル渡しがある。おもなものは、下流から上流の順に

脚注[編集]

  1. ^ 世界地図帳 THE ATLAS OF THE MODERN WORLD, 昭文社, (1983) 
  2. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2888245 「中国・三峡ダムが全面稼働、発電量は原発15基分」AFPBB 2012年07月06日 2015年2月25日閲覧
  3. ^ 倉田亮 『世界の湖と水環境』p10 成山堂書店、2001年、ISBN 4-425-85041-6
  4. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/3005944 「中国最大の淡水湖、干上がった湖底から明代の石橋現る」 AFPBB 2014年01月03日 2015年2月25日閲覧
  5. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2255509 「気候変動で中国の湿原が減少 アジア全土に影響を及ぼす恐れ」AFPBB 2007年07月18日 2015年2月25日閲覧
  6. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2311638 「長江流域の自然災害、犠牲者600人に」 AFPBB 2007年11月14日 2015年2月25日閲覧
  7. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2337770 「長江、干ばつの影響で水位が過去140年で最低レベルに」 AFPBB 2008年01月18日 03:23 2015年2月25日閲覧
  8. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2311645 「長江への汚水排出、過去最高の300億トン超」 AFPBB 2007年11月14日 2015年2月25日閲覧
  9. ^ 「大河失調 直面する環境リスク」(叢書 中国的問題群9)p102 上田信 岩波書店 2009年8月4日第1刷
  10. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2265200 「希少種のヨウスコウカワイルカ、絶滅か」AFPBB 2007年08月09日 2015年2月25日閲覧
  11. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2911568 「長江のスナメリ、生息数調査始まる」 AFPBB 2012年11月12日 2015年2月25日閲覧
  12. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/3025940 「野生のカラチョウザメ、繁殖確認できず 中国」AFPBB 2014年09月15日 2015年2月25日閲覧
  13. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2553056 「長江の下くぐる初のトンネル、中国・武漢で試験開通」AFPBB 2008年12月29日 2015年2月25日閲覧

関連項目[編集]