笹川堯
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| 衆議院議員 笹川 堯 | |||
|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1935年10月5日(72歳) | ||
| 出生地 | 出身地:東京都文京区 本籍地:群馬県桐生市 |
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| 出身校 | 明治大学(中退) | ||
| 学位・資格 | |||
| 前職 | |||
| 所属委員会 内閣役職 |
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| 世襲 | 2世 父・笹川良一 (初当選は父退職後の40年後) |
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| 選出選挙区 | 群馬県第2区 | ||
| 当選回数 | 7回 | ||
| 所属党派 | 自由民主党(津島派) | ||
| 党役職 | 党総務会長、群馬県総支部連合会会長 | ||
| 会館部屋番号 | |||
| 笹川たかし 公式ホームページ | |||
笹川 堯(ささがわ たかし、1935年10月5日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(現在7期)。津島派所属。自由民主党総務会長及び自由民主党群馬県連会長を務める。元衆議院議員・日本船舶振興会創設者の笹川良一の次男で、公営競技の業務委託やトータリゼータシステム製造を主な業務とする日本トーターの設立に関わる。日本財団会長笹川陽平は弟。
目次 |
[編集] 経歴
- 1935年10月5日:東京都文京区出身、群馬県桐生市三吉町に在籍
- 1954年6月 全国モーターボート競走会勤務
- 1956年3月 明治大学法学部中退
- 1956年7月 桐生競艇施設(現関東開発)役員就任
- 1972年12月 衆議院議員総選挙に初出馬するも落選
- 1982年5月 桐生競艇施設の全役員を辞任、顧問相談役に就任
- 1983年12月 衆議院議員総選挙に出馬し落選
- 1986年7月 衆議院議員総選挙に出馬し初当選、以後連続7期当選
- 1991年11月 郵政政務次官に就任
- 1993年12月 自由民主党を離党
- 1994年1月 院内会派「改新」に参加
- 1994年12月 新進党結成に参加
- 1996年11月 新進党を離党
- 1997年4月 自由民主党に復党
- 2000年12月5日 第2次森改造内閣で国務大臣(無任所大臣)に就任
- 2001年1月6日 省庁再編に伴い科学技術政策担当大臣に就任
- 2003年11月 衆議院予算委員長に就任
- 2007年9月 衆議院議院運営委員長に就任
- 2008年8月 自由民主党総務会長に就任
[編集] 人物
父の笹川良一も1942年から1946年まで国会議員であるため、笹川堯も世襲議員である。しかし、議員職の親子世襲に40年空白期間が存在し、選挙区も大阪府と群馬県と異なる。
2003年9月の自民党総裁選に立候補の意志を表明するが最終的に同じ派閥の藤井孝男に譲り出馬を辞退。
郵政族の有力者として知られ、1991年の郵政政務次官就任時には小泉純一郎郵政大臣と郵便貯金制度改革をめぐって激しく対立した。だが2005年の郵政国会では7月5日の衆議院本会議採決で郵政民営化法案に賛成票を投じた。その直後の解散総選挙では、小選挙区で当選するも民主党の石関貴史に僅差に詰め寄られる。自民党の磐石の地盤である群馬県では異例のことであった。
国会議員の資産公開で堂々1位となり、記者会見の席上、「庶民の気持ちはわからないのでは?」と問われ、「そうでしょうなぁ」と率直に答えたことがある。
しかし、2007年9月13日に報道ステーションに出演し、古舘伊知郎から「弱者の気持ちを考えながら政治活動をしているのか?」という旨の質問をされた際には、自身の経歴を披瀝しながら表情を荒げて反論するという、資産公開の際の返答とは正反対の反応をした。曰く、「母子家庭に育ち、大学を金銭的な問題から1年足らずで中退し、親からは1円の遺産も相続せず、政治活動も、実質的に世襲ではなく運転手からのスタートという、非常な苦労を強いられながら現在の地位まで登り詰めた」とのことである[1]。実際に遺産の相続は放棄している。
2006年10月26日、自民党の党紀委員長であった笹川は、自民党津島派の総会で、郵政造反組復党問題について、「落選した候補も見捨てない。救済するときは一括して救済していくのが一番正しい道」と、無所属の衆院議員に落選組を加えた「一括復党」を認める意向を表明した(最終的に、12月4日に平沼赳夫を除く11人の無所属議員を復党させた)。また2007年参議院議員選挙で無所属で当選した藤井孝男を、欠員が生じて決議ができない党紀委員会の審査を経ずに、委員長の独断で仮復党を認めた(9月7日に党紀委員会で正式に復党が認められた)。
2008年1月11日、衆議院議会運営委員長として衆議院で可決され参議院で否決された補給支援特別措置法の再議決をする議事に携わった。参議院で否決された衆議院可決法案が再可決されるのは1951年のモーターボート競走法案以来57年ぶり。モーターボート競走法成立で父笹川良一は競艇に携わることができたが、笹川親子二人が衆議院再議決条項の恩恵を受ける形になった。
2008年のガソリン国会では道路特定財源のための暫定税率廃止を掲げる民主党議員によって衆院理事会室に封鎖するピケ戦術を取られた際、笹川衆議院議運委員長と与党理事らは隣接する事務局の部屋に窓伝いに移って、ピケ戦術から脱出した。
三ない運動には批判的で、「子どもからバイクを取り上げても事故は無くならない。運転者教育こそが交通事故を減らすことができる。」と訴えている。
車好きで、愛車はロールス・ロイス。夫婦別姓、フェミニズム政策に積極的である。
日韓議員連盟、高速道路建設推進議員連盟、自民党トラック輸送振興議員連盟所属。自民党朝鮮半島問題小委員会副委員長。
2008年2月20日、自由民主党本部で記者団に対して、同年2月19日に発生した海上自衛隊のイージス艦衝突事故で行方不明中となった漁船乗組員2人について捜索が行われている最中に、「残念ながら、もう恐らく生存している可能性はありません。なぜないかと言えば、救命胴衣を着けていないから」と発言した(時事通信社)。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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