武山百合子

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日本の旗元衆議院議員 武山 百合子
生年月日 1947年9月5日(64歳)
出身地 埼玉県春日部市
出身校 中央大学
学位・資格 文学士
前職 中央大学経理研究所教員
世襲
選出選挙区 比例区北関東ブロック区
当選回数 4回
所属党派 日本新党→)
新進党→)
自由党→)
(民主党(小沢グループ)→)
無所属
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武山 百合子(たけやま ゆりこ、旧姓:中田、1947年9月5日 - )は埼玉県出身の政治家。元衆議院議員(4期)。

目次

[編集] 概要・政治活動

埼玉県立春日部女子高等学校中央大学文学部卒。同学事務職員を経て武山彰吾(現:東京都倫理法人会研修委員長)と結婚し、1973年渡米。邦人子女塾講師、駐米邦人会職員等を務める。

1992年帰国、翌1993年(平成5)に旧埼玉4区から日本新党公認で第40回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選。この初当選後の1993年11月4日号の週刊新潮が、武山百合子一家の破産宣告直前スキャンダルを報じた。1994年(平成6)12月、新進党結党に参加。1996年(平成8)の第41回衆議院議員総選挙では、当時の埼玉県知事土屋義彦の次女土屋品子が無所属で立候補することを表明したため、新進党が土屋に配慮し、武山の地元埼玉13区への公認候補者擁立を見送ったことから小選挙区立候補はせず、比例北関東ブロックに立候補(名簿第6位)し再選(当選者は6位まで)。衆議院環境委員会理事、国会等の移転に関する特別委員等。

1998年の新進党解党後は小沢一郎と行動を共にし、自由党に加わる。衆議院厚生委員等。2000年(平成12)の第42回衆議院議員総選挙では土屋品子が自民党公認候補として出馬したため対立候補として埼玉13区から自由党公認で出馬するも敗れ、比例復活当選。衆議院文部科学委員会理事、衆議院憲法調査会、党広報委員長・党代議士会副会長など歴任[1]

2003年(平成15)民主党に合流し、第43回衆議院議員総選挙には同党公認で同区から出馬。父土屋義彦のスキャンダルの渦中にあった土屋品子に約500票差まで肉迫したものの、再び惜敗し、比例復活当選。衆議院青少年問題に関する特別委員長、沖縄及び北方問題に関する特別委員会理事、党中央代表選挙管理委員、党常任幹事など歴任。

2005年(平成17)の第44回衆議院議員総選挙では、小泉郵政改革ブームに埋没。比例復活もならず下野した。

[編集] 公認を巡る混乱

落選後も次期総選挙立候補の意向を民主党執行部に伝えていたものの、武山は落選の結果民主党の「小選挙区で3回連続で落選した元職は基本的に公認しない」という内規の該当者になった。更に2005年11月、民主党は「同一の小選挙区で2回連続以上落選した新人・元職候補は次の選挙で公認しない」という衆院候補選定基準を発表。この基準に則り党執行部は2006年末に該当する全国の総支部長を交代させる方針を決め[2]、埼玉県連は武山の総支部長退任を求めた。しかし選挙区内には盤石と見られていた土屋品子に対し接戦を演じた武山に勝機ありとして武山を支持する地方議員・党員が少なからず存在していたため、武山はこれを背景に退任を拒否、引き続き総支部長に留まった。党執行部や県連の説得は不調に終わったが、第21回参議院議員通常選挙を控え、内部抗争や混乱を恐れる党執行部や県連は当初強行策に出なかったため、事態の進展はなかった

参院選が民主党勝利のうちに終了し選挙への影響がなくなったため、2007年8月に至って党執行部と県連は武山を総支部長から解任した。公募の結果同年12月には埼玉県議会議員の森岡洋一郎第45回衆議院議員総選挙の民主党埼玉13区公認候補に内定し、翌2008年年1月新総支部長に就任した。しかし武山は埼玉県内においても同一小選挙区で2回連続以上落選した五十嵐ふみひこ松崎哲久本多平直がまた公認[3]されている(武山は2005年11月の時点において小選挙区で3回連続落選の元職であったが、五十嵐・松崎とも武山を下回る小選挙区4回連続落選の元職であった。比例復活は武山が自由党時代を含めて2回、五十嵐も2回、松崎は1回だけであった。五十嵐は1993年に武山同様に日本新党公認候補として中選挙区において初当選しているが、1996年の総選挙では議席を得られず、一方武山は新進党の比例単独候補として再選しているため、2005年11月時点での通算当選回数は武山のほうが多かった。また本多は小選挙区2回連続落選、比例も繰り上げ当選1回のみであった)ことを指摘し県連に抗議、なお出馬の構えを見せ、総支部長交代を一貫して拒絶した。

2008年6月、武山は民主党の党員登録を更新せず、党員資格を失ったが、民主党埼玉13区総支部「代表」を名乗り、選挙区内で小沢一郎と一緒に写った写真や民主党の党名を入れたポスターを広報板に掲示、街頭宣伝用の車やホームページにも民主党の党名やロゴマークを入れ、引き続き事前活動を敢行した。新支部長が決まった後は武山の求心力は徐々に衰え、地元の支持者や党員も武山のもとを離れていったが、県連は公認候補者でない武山が民主党を名乗り活動し、話し合いにも応じないという事態を放置することは出来ず、遂に10月、枝野幸男県連代表名で党名入りポスターや広報板の撤去を求める警告書を武山の自宅と事務所に送付した。しかし県連が武山本人と接触できない状態が続き、事態は収拾不能に陥った。結局武山は同年10月27日、無所属で立候補することを表明、民主党にとって分裂選挙となった。翌2009年8月30日執行の第45回衆議院議員総選挙では「自公政権打倒」「政権交代」などを掲げていたものの、無所属での立候補に加え、民主党に追い風が吹いたため苦戦を強いられ、森岡の10分の1の得票に終わり再び落選した。自身の前回の獲得票数の7分の1しか得票できないという惨敗であった。

[編集] 選挙違反で有罪判決

2009年9月29日、武山は第45回衆議院議員総選挙に際し、ハローワークで募集した運動員4人に時給1000円の報酬でビラ配りさせていたとして公職選挙法違反の疑いで逮捕された[4]。微罪での摘発であるとして、自民党の早川忠孝など逮捕に疑義を唱える者もいたが[5]2010年2月2日さいたま地方裁判所にて懲役1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決が下った[6]

[編集] その他の活動

[編集] 著作

  • 『救える生命たち-日米の医療の格差を訴える!-』オークラ出版、2002年9月。
  • 『よみがえったいのち-親子で考える日本の臓器移植のすがた-』はる書房、1995年4月。

[編集] 脚注

  1. ^ この時期、森喜朗内閣総理大臣(当時)の不信任案提出において、同首相に「さあ、もうノーサイドです。」(q:ラグビー)と迫ったことがある。
  2. ^ 実際には労働組合など民主党の支持組織の意向により例外扱いされた候補が多数公認されたほか、惨敗の直後であったため公募の新人候補者が得られず結果的に内規に抵触する落選者が総支部長に留まった例も少なくなかった。埼玉県内でも一部を除いて当時の公募は概ね不調に終わり、新たな候補者を決められないまま落選者が総支部長に留まった小選挙区が複数あった。
  3. ^ このほか埼玉県内においては同一小選挙区で2回連続以上落選した民主党候補者に元職の木下厚と新人の八木昭次がいた。補欠選挙を含め小選挙区で3回連続落選していた木下は、それ以前に小選挙区で1回当選した経験があったため、当初は総支部長退任に難色を示したが、2007年6月、第21回参議院議員通常選挙への転出を条件に小選挙区総支部長を退任し、民主党参議院比例区第16総支部長となった(同年7月、参院比例代表に立候補するも落選。同年9月、民主党を離党し、翌10月の埼玉県所沢市長選挙に無所属で立候補するも次点で落選した)。小選挙区2回連続落選の上比例復活もなく、全く議員経験がなかった八木は総支部長を退任し小宮山泰子の秘書となった(2008年4月、埼玉県議会議員再選挙に民主党公認で立候補し落選した)。
  4. ^ 運動員買収容疑で武山元議員を逮捕 埼玉県警 産経新聞 2009年9月30日閲覧
  5. ^ 早川忠孝ブログ 2009年10月1日付
  6. ^ 公選法違反の武山百合子元衆院議員に有罪判決 さいたま地裁 産経新聞 2010年2月2日閲覧
  7. ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会

[編集] 外部リンク

  • 本人HP (Web Archive)=2011年5月14日現在、リンク切れとなっている。
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