谷津義男

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日本の旗 日本の政治家
谷津 義男
やつ よしお
生年月日 1934年7月23日(80歳)
出生地 群馬県館林市
出身校 法政大学法学部政治学科
前職 群馬県議会議員
所属政党 自由民主党伊吹派
称号 旭日大綬章

内閣 第2次森改造内閣
(省庁再編前)

第2次森改造内閣
(省庁再編後)
任期 2000年12月5日 - 2001年4月26日

選挙区 旧群馬2区→)
群馬3区
当選回数 7回
任期 1986年7月8日 - 1990年1月24日
1992年3月30日 - 2009年7月21日
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谷津 義男(やつ よしお、1934年7月23日 - )は、日本政治家。勲章は旭日大綬章

農林水産大臣(第3132代)、衆議院内閣委員長衆議院議員(7期)、群馬県議会議員(3期)等を歴任。

来歴・人物[編集]

群馬県館林市生まれ。群馬県立館林高等学校法政大学法学部政治学科卒業。大学卒業後、ダイハツ系自動車販売会社勤務、福井盛太坂村吉正の秘書を経て、1975年群馬県議会議員に初当選し、3期務める。1986年、引退する長谷川四郎の地盤を引き継ぎ、第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧群馬2区から出馬し、当選。1990年第39回衆議院議員総選挙では落選したが、1992年補欠選挙で返り咲いた。小選挙区比例代表並立制導入に伴い、1996年第41回衆議院議員総選挙以降は群馬3区から出馬。

1997年衆議院内閣委員長に就任。自民党では安倍派→三塚派に所属していたが、1998年に三塚派を離脱し、翌年の志帥会結成に参加。三塚派時代から亀井静香の側近であり、三塚派からの亀井や谷津、平沼赳夫中川昭一らの離脱は、派内で発言力が増していた森喜朗らのグループに対抗しての行動であった[要出典]が、2000年12月には第2次森改造内閣農林水産大臣に任命され、初入閣している。在任中、中華人民共和国からの椎茸イグサの輸入に対してセーフガードを発令する決定を行った[要出典]

2005年郵政国会では、志帥会会長の亀井や平沼らが郵政民営化法案の衆議院本会議における採決で反対票を投じ造反したのに対し、亀井から採決前に説得を受けるも翻意せず、賛成票を投じる(亀井、平沼らは自民党を離党)。2006年、選挙の実務全般を幹事長の下で取り仕切る総務局長を、役員会の正式なメンバーに昇格させた初代選挙対策総局長に就任し、翌2007年第21回参議院議員通常選挙の選挙で実務にあたるが、自民党は大敗。同年8月、選挙対策総局長を辞任した。同年9月、安倍改造内閣で入閣したばかりの農林水産大臣・遠藤武彦が辞任したことにより後任に農相経験者である谷津の名前が挙がったが、参院選大敗の責任を取る形で固辞した(農相の後任は若林正俊[要出典]

2009年第45回衆議院議員総選挙では、公明党の推薦も受けて群馬3区から出馬したが、民主党柿沼正明に敗れ、落選した[1]。その後、政界引退の意向を表明した[2]

エピソード[編集]

政策[編集]

所属していた団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 共著
    • 田端正広・谷津義男『自然再生推進法と自然再生事業』ぎょうせい、2004年9月。
  • 論文等
    • 「基調講演 アジアの水と人口 (APDA主催-人口・開発アジア国会議員代表者会議-ホーチミン市宣言採択)、『人口と開発』(85)、28〜33ページ、2004年1月。
    • 「平成16年度党運動方針(要旨)-育てよう改革の芽、参議院選挙に勝つ(第70回自由民主党大会)-」『月刊自由民主』(通号612)、70〜84ページ、2004年3月。
    • 「政策提言 公共事業大幅見直し-21世紀に相応しい姿へ(中止勧告233事業決定)-」『月刊自由民主』(通号 571)、46〜51ページ、2000年10月。

脚注[編集]

議会
先代:
伊藤忠治
日本の旗 衆議院内閣委員長
1997年 - 1998年
次代:
二田孝治
公職
先代:
谷洋一
日本の旗 農林水産大臣
2000年 - 2001年
次代:
武部勤