松井豊吉

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松井 豊吉(まつい とよきち、1895年2月1日[1] - 1959年1月23日)は、日本の政治家実業家群馬県桐生市被差別部落の出身[2]

経歴[編集]

小学校卒業後、中学校には行かずに働く。後に土建業で身を立て、桐生市会議員に当選。桐生農業会長などを歴任し、1947年第23回衆議院議員総選挙民主党から出馬し当選(旧群馬2区)。この選挙で当選した部落出身議員には、ほかに田中松月田中織之進吉川兼光加藤静雄、松井豊吉、宮村又八がいた[2][注 1]。その後民主自由党へ移り、1949年1月の第24回衆議院議員総選挙でも28393票を獲得し連続当選を果たした。民主自由党群馬県支部顧問などの要職を歴任し、自由党では吉田茂派に属した。1952年の第25回衆議院議員総選挙では落選したが、1953年の第26回衆議院議員総選挙で当選した。

1955年の第27回衆議院議員総選挙で落選。保守合同後、1958年の第28回衆議院議員総選挙自由民主党から出馬したが落選した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同年の第1回参議院議員通常選挙では部落出身議員として松本治一郎島田千寿が当選した。

出典[編集]

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第5回国会』〈衆議院公報附録〉、1949年、10頁。
  2. ^ a b 『佐久地域の部落解放運動史』73頁。

参考文献[編集]

  • 部落解放同盟佐久地区協議会編『佐久地域の部落解放運動史』部落解放同盟佐久地区協議会、1983年。