松原仁
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まつばら じん
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| 生年月日 | 1956年7月31日(55歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 早稲田大学商学部 |
| 前職 | 東京都議会議員 |
| 所属政党 | (新自由クラブ→) (自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (自由党→) (民政党→) 民主党(小沢G・鳩山G・民社協会) |
| 称号 | 商学士 |
| 公式サイト | 松原仁オフィシャルサイト |
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| 内閣 | 野田改造内閣 |
| 任期 | 2012年1月13日 - 現職 |
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| 内閣 | 野田改造内閣 |
| 任期 | 2012年1月13日 - 現職 |
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| 選挙区 | 東京3区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 任期 | 2000年 - 現職 |
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| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 1989年 - 1996年 |
松原 仁(まつばら じん、1956年7月31日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(4期)、国家公安委員会委員長(第86代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)、拉致問題担当大臣。
国土交通副大臣(野田内閣)、東京都議会議員(2期)を務めた。
目次 |
[編集] 来歴
東京都板橋区生まれ。東京都立豊島高等学校、早稲田大学商学部卒業。大学在学中は早稲田大学雄弁会に所属していた。大学卒業後、松下政経塾に入塾(第2期生)。
1985年、東京都議会議員選挙に新自由クラブ公認で大田区選挙区から出馬するが、落選。1989年東京都議会議員選挙に再度大田区選挙区から無所属(税金党推薦)で出馬し、初当選。当選後、自由民主党に入党。
1993年東京都議会議員選挙では自民党公認で再選を果たすも、直後に自民党を離党し、新生党に入党。無所属の中山義活と、東京都議会で会派「新生・友愛クラブ」を結成する。翌1994年の新生党解党により新進党結党に参加した。1995年東京都知事選挙では、同じく新進党に所属する古賀俊昭と共に大前研一を支援したが、大前は青島幸男に敗れた。
1996年、東京都議会議員を任期途中で辞職し、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で東京都第3区から出馬したが、次点で落選した。1998年、新井将敬衆議院議員の急死に伴い実施された東京都第4区の補欠選挙に出馬したが、再び落選。
2000年、第42回衆議院議員総選挙に東京3区から民主党公認で出馬し、当選。2003年の第43回衆議院議員総選挙でも再選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では東京3区で自民党の石原宏高に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、3選。
2007年、新潟県中越沖地震党対策本部事務局次長に就任。2009年民主党代表選挙では、鳩山由紀夫幹事長の推薦人に名を連ねた。同年の第45回衆議院議員総選挙では、前回敗れた石原に4万票超の差をつけ、比例復活すら許さず4選を果たした[1]。
2010年、民主党東京都連会長の菅直人が首相就任に伴い、都連会長を辞任。後任の都連会長に松原、加藤公一の2人が名乗りを上げ、一時は選挙の実施も想定されたが、菅の調整により加藤が都連会長に、松原は副会長に就任した。
2011年9月、野田内閣で国土交通副大臣に就任。あわせて、拉致問題担当大臣を兼任する山岡賢次国家公安委員会委員長の要請により、拉致問題担当副大臣を兼任したが、自民党から法令違反との反発を受けたため担当から外れた[2]。
2012年1月、野田改造内閣で国家公安委員会委員長に任命され、初入閣を果たした。また前任の山岡同様、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)、拉致問題担当大臣を兼務する。
[編集] 政策・主張
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)が発足した2002年に事務局長代理に、その後は国土交通副大臣に就任した2011年11月まで事務局長を務め、関連集会にも多く出席するなど拉致問題解決に向けて積極的に取り組んでおり、被害者家族からの評価も高い[3]。
- 中国の歴史教育における学習指導要領(2001年度版)を入手し、中国で行われている「反日教育」の実態を強調した。
- 静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[4]。
- 「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」の旧日本軍による「組織的・計画的な強制連行」を否定している。2007年5月25日の衆議院外務委員会では45分の質問時間の大半を「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題の完全否定の主張に費やした[5]。また、12月7日の衆議院外務委員会でも元日本兵の証言とするものを紹介し、改めて「南京大虐殺」を否定した。
- アメリカ合衆国下院121号決議の全面撤回を求める歴史事実委員会主導の意見広告「THE FACTS」に賛同者として名を連ねた。
- 映画「南京の真実」の賛同者の一人である。
- 毎年欠かさず、8月15日もしくはその前後の日に靖国神社に参拝。神社敷地内にあるラダ・ビノード・パールの顕彰碑に花を捧げている。
- 2008年8月にはインドを訪問し、元国防相のジョージ・フェルナンデス、極東国際軍事裁判で日本を擁護したラダ・ビノード・パール、チャンドラ・ボースなど、インドの政財界の要人たちとその遺族に面会している。
- 永住外国人の地方参政権付与については賛成の立場を取っていた時期もあったが、現在は反対の立場である。民主党内で結成された永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会に参加している。2010年4月17日に東京の日本武道館にて開催された永住外国人への地方選挙権付与(外国人参政権)に反対する国民集会に参加し、同会場にて「欧州は選挙権付与が盛んだという議論があるが、日本では通用しない。私は明快に反対。党内できちんと発言することが必要だと認識している」と述べ、外国人参政権に反対することを表明した[6]。また、「民主党内には同じ思いを持つ若手議員もおり、党の中できちっと発言していくことが必要だ」と述べ、民主党内に松原以外にも外国人参政権に反対する議員がいることを明かした[7]。
- 尖閣諸島中国漁船衝突事件に関して、菅内閣の対応を批判すると共に「今回の問題はある意味で日本の外交的敗北だ。検察だけでなく、領土問題に甘い対応をとり、中国側につけ込むすきを与えてきたこれまでの自民党政権にも大きな責任がある」と発言した[8]。
[編集] 人物
- 尊敬する政治家はイギリスの元首相、マーガレット・サッチャー。
- 作曲家のすぎやまこういちは松原の応援団長をつとめており、応援歌「JIN・ジン・じん・仁・松原仁」の作曲を手がけた。
- 早朝の大井町駅などで、辻説法を行っている姿を見ることができる。
- 松原仁のジンじん仁(ラジオ日本系)というラジオ番組を持っていた(現在は終了)。
- ビートたけしのTVタックルでの「政界時代劇」では平沢勝栄、河村たかしらとともにたびたび出演している。とくに兄貴分である河村とは同シーンで度々共演し、キスされるNGがあったり、国定忠治(河村)の子分役を演じるなど、その真顔の演技は笑いを誘っている。また、同番組においては、対北朝鮮外交をめぐりコメンテーターの浜田幸一(悪党党幹事長)と激論を交わすこともしばしばある。
- 2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙の際には、当時の小泉旋風の余波を抑えきれず、直前の報道各社の情勢分析から落選を半ば覚悟しており、一旦敗北宣言をした後、夫人と落選後の生活を話し合っている際に比例復活の一報がもたらされた。
[編集] 所属団体・議員連盟
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(事務局次長)
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会
- 永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会
- 日本の領土を守るため行動する議員連盟
- 人権擁護法案から人権を守る会
[編集] テレビ出演
- ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日系)
- 政党は主張する!(日本文化チャンネル桜)
- サプライズ「爆笑問題の評決グダル!」(2009年9月4日、JPNテレビ系)
[編集] 参照
- ^ 東京3区YOMIURI ONLINE 読売新聞(総選挙2009)
- ^ 拉致担当副大臣に後藤氏 首相が混乱を陳謝 - MSN産経ニュース
- ^ “【内閣改造】拉致担当相6人目 「松原氏はよく分かっている」被害者家族会ら期待の声”. 産経新聞. (2012年1月13日) 2012年1月13日閲覧。
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会
- ^ 2007年5月26日付。しんぶん赤旗。
- ^ “外国人選挙権反対集会に与党議員 亀井氏「拒否権発動」”. 47NEWS(共同通信社). (2010年4月17日) 2010年4月18日閲覧。
- ^ “外国人参政権「拒否権を発動」 亀井氏、反対集会で”. 日本経済新聞. (2010年4月17日) 2010年4月18日閲覧。[リンク切れ]
- ^ NHKニュース船長釈放 有志議員が抗議の声明
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 松原仁オフィシャルサイト(公式サイト)
- 民主党 東京都総支部連合会
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 山岡賢次 |
第86代:2012年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 山岡賢次 |
第7代:2012年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 三井辨雄 池口修次 |
奥田建と共同 2011年 - 2012年 |
次代: 奥田建 吉田治 |
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