小林興起
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こばやし こうき
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| 生年月日 | 1944年1月1日(65歳) |
| 出生地 | 東京都板橋区小竹町 (現在は練馬区) |
| 出身校 | 東京大学法学部卒業 ペンシルベニア大学大学院修了 |
| 前職 | 聖心女子大学講師 |
| 現職 | 衆議院議員 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (新党日本→) (国民新党→) (無所属→) 民主党 |
| 称号 | 経営学修士(ペンシルベニア大学・1973年) 法学士(東京大学・1966年) |
| 世襲の有無 | 無 |
| 公式サイト | 小林こうき |
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| 内閣 | 元財務副大臣 |
| 選挙区 | (東京都第5区→) 東京都第10区 比例東京ブロック |
| 当選回数 | 5回 |
| 任期 | 1期目 1990年 - 1993年 2期目 1996年 - 2005年 3期目 2009年 - 現職 |
| 議員会館 | 衆・第1議員会館508号室 |
小林 興起(こばやし こうき、1944年1月1日 - )は、日本の政治家。衆議院議員。
労働政務次官、財務副大臣、自由民主党国会対策委員会副委員長、新党日本代表代行(初代)、国民新党東京都第10選挙区支部支部長などを歴任した。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 通産省
現在の東京都練馬区小竹町出身。千代田区立九段中学校、東京都立日比谷高等学校を経て東京大学法学部卒業。大学卒業後の1966年に通商産業省に入省。1973年に政府派遣留学でペンシルベニア大学院修士修了(MBA取得)。
帰国後は、資源エネルギー庁、通商産業省産業政策局などを歴任。1980年に聖心女子大学講師に就任。1982年に通産省を退官した。
[編集] 衆議院議員
2回の落選を経て1990年2月に自由民主党から衆議院議員に初当選するものの、1993年には落選した。1996年10月に東京都第10区を制して国政に復帰し、同年11月から労働省政務次官を務めた。
1998年夏に亀井静香や平沼赳夫らと清和会を離脱し、1999年春に志帥会を旗揚げ。2000年に3選。
2002年には鈴木宗男事件において自民党の予算委員会理事として証人喚問における「島田建設からの金銭供与は政治資金規正法に基づいている」「モザンビーク共和国洪水災害への国際緊急援助隊の派遣に反対や異議を述べることはあり得ない」「島田建設株式会社側による秘書給与の肩代わりの事実関係を承知していない」との鈴木宗男の証言を偽証として議院証言法違反での告発に賛成した。
2002年には小泉内閣で財務省副大臣を務めた。2003年には4選を果たした。
2005年7月、郵政民営化法案採決で反対票を投じ、郵政法案反対派の急先鋒として各種メディアで認知度が高まるが、同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自由民主党からの離党を余儀なくされ、代表代行をつとめる新党日本から出馬。自由民主党公認の「刺客候補」として兵庫6区から東京10区に鞍替えしてきた小池百合子らと戦い、小選挙区で敗北した上、比例代表東京ブロックにおいても届かず落選。自由民主党が名簿切れという失態をおかした為、次点となった。
[編集] 自由民主党離党後
2005年10月には自由民主党から「除名処分」を受け、2006年11月1日には郵政民営化反対を主張している国民新党へ移籍し、2007年7月の参院選に比例区から出馬したが落選した。
落選後の2007年10月にオープンインタフェース社の社外取締役に就任した。
2008年8月末に国民新党を離党し、無所属で東京10区からの再出馬を目指していたが、2009年7月の衆議院解散後に民主党の小沢一郎の要請を受けて民主党へ入党。同党の比例東京ブロックより単独出馬し、同時に東京10区の民主党候補である江端貴子を支援する方針を表明した[1]。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙において、民主党公認で比例代表東京ブロックより返り咲きを果たす。
[編集] 政策
落選の前後には、次のような主張を掲げていた。
尼崎の電車事故、拉致問題、外交、雇用促進など問題山積な時に、クールビズなど楽な格好を真っ先にすることなど許されないことです(2005年7月)。
今迄、簿価主義であった企業資産価値を時価主義に切り替えました。そのため、デフレが続く中、中小企業の多くは、銀行から厳しい貸し剥がしにあって倒産したのは、記憶に新しいことです(2005年11月)。
[編集] 政治資金
消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は伝えている[2]。
[編集] スキャンダル
2001年11月と12月に、タレントの杉本彩と関係者を交えて銀座などで会食。小林氏が杉本に、ぴったり寄り添い、腰に手をまわして接吻を迫っている写真が掲載された[3]。
[編集] 人物
- 後進の育成
- 「小林興起政経塾」を主宰し、多くの門下生が地方選挙で当選している。
- 落選中
- 最初の選挙で落選した後は、支出を抑えるため毎食立ち食い蕎麦、おにぎり、中華蕎麦、ギョウザのローテーションにし、一日あたりの出費を1000円以下にしていた[4]。
[編集] 家族
[編集] 著書
- 『「新井戸端会議」文化論』(ウィズダムブック社、1985年)
- 『日本の未来をあきらめない 知的創造大国への道』(出版文化社、2003年)ISBN 4883382877
- 『決意!新日本創造への挑戦 小林興起対談集』(出版文化社、2005年)ISBN 4883383180
- 『主権在米経済 The Greatest Contributor to U.S. 』(光文社、2006年)ISBN 4334933815
[編集] 出演番組
[編集] 脚注
- ^ “小林興起氏が民主入り 比例東京で出馬へ”. 47NEWS (共同通信社). (2009年8月2日) 2009年8月3日 閲覧。
- ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日]
- ^ ZAKZAK2002/01/09
- ^ 小林興起『主権在米経済』光文社、2006年、264頁。
[編集] 外部リンク
- 小林こうき 公式HP - 小林の公式サイト。
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