小林興起
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こばやし こうき
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2009年
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| 生年月日 | 1944年1月1日(69歳) |
| 出生地 | 東京都板橋区小竹町 (現在は練馬区) |
| 出身校 | 東京大学法学部卒業 ペンシルベニア大学大学院修了 |
| 前職 | 衆議院議員 |
| 所属政党 | (自由民主党→) (新党日本→) (国民新党→) (無所属→) (民主党→) (無所属→) (減税日本→) (減税日本・反TPP・脱原発を実現する党→) (日本未来の党→) つばさ日本 |
| 称号 | 経営学修士(ペンシルベニア大学・1973年) 法学士(東京大学・1966年) |
| 配偶者 | あり |
| 公式サイト | 小林こうき |
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| 選挙区 | (東京都第5区→) 東京都第10区 比例東京ブロック |
| 当選回数 | 5回 |
| 任期 | 1期目 1990年 – 1993年 2期目 1996年 – 2005年 3期目 2009年 - 2012年 |
| 所属委員会 | 衆議院予算委員会理事 |
| 議員会館 | 衆・第1議員会館508号室 |
小林 興起(こばやし こうき、1944年1月1日 – )は、日本の政治家。元衆議院議員。
労働政務次官、財務副大臣、自由民主党国会対策委員会副委員長、新党日本代表代行(初代)、国民新党東京都第10選挙区支部支部長、減税日本代表代行(初代)などを歴任した。
目次 |
来歴・人物 [編集]
通産省 [編集]
現在の東京都練馬区小竹町出身。千代田区立九段中学校、東京都立日比谷高等学校を経て東京大学法学部卒業。大学卒業後の1966年に通商産業省に入省。1973年に政府派遣留学でペンシルベニア大学院修士修了(MBA取得)。
帰国後は、資源エネルギー庁、通商産業省産業政策局などを歴任。1980年に聖心女子大学非常勤講師に就任。衆院選出馬のため1982年に通産省を退官した。
衆議院議員 [編集]
1983年・1986年の総選挙で保守系無所属で出馬するも落選。1990年の総選挙で自由民主党から衆議院議員に初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・塩谷立・古屋圭司・細田博之・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・村田吉隆・簗瀬進・山本有二など)。自民党では安倍晋太郎→三塚博派(清和会)に属す。1993年には落選した。1996年10月に東京都第10区を制して国政に復帰し、同年11月から第2次橋本内閣で労働政務次官を務めた。
1998年8月亀井静香や平沼赳夫らと清和会を離脱し、1999年3月志帥会を旗揚げ(江藤隆美・亀井静香派)。2000年に3選。
2002年には鈴木宗男事件において自民党の予算委員会理事として証人喚問における「島田建設からの金銭供与は政治資金規正法に基づいている」「モザンビーク共和国洪水災害への国際緊急援助隊の派遣に反対や異議を述べることはあり得ない」「島田建設株式会社側による秘書給与の肩代わりの事実関係を承知していない」との鈴木宗男の証言を偽証として議院証言法違反での告発に賛成した。
2002年には第1次小泉内閣で財務副大臣を務めた。2003年には4選を果たした。
2005年7月、郵政民営化法案採決で反対票を投じ、郵政法案反対派の急先鋒として各種メディアで認知度が高まるが、同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自由民主党からの離党を余儀なくされ、代表代行をつとめる新党日本から出馬。自由民主党公認の「刺客候補」として兵庫6区から東京10区に鞍替えしてきた小池百合子らと戦い、小選挙区で敗北した上、比例代表東京ブロックにおいても届かず落選。自由民主党が名簿切れという失態をおかした為、次点となった。
自民党離党後 [編集]
2005年10月には自由民主党から「除名処分」を受け(本人の弁では「離党させられた」[1])、2006年11月1日には郵政民営化反対を主張している国民新党へ移籍し、2007年7月の参院選に比例区から出馬したが落選した。
落選後の2007年10月にオープンインタフェースの社外取締役に就任した(2009年6月に任期切れのため退任)。
2008年8月末に国民新党を離党し、無所属で東京10区からの再出馬を目指していたが、2009年7月の衆議院解散後に民主党の小沢一郎の要請を受けて民主党へ入党。同党の比例東京ブロックより単独出馬し、同時に東京10区の民主党候補である江端貴子を支援する方針を表明した[2]。2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙において、民主党公認で比例代表東京ブロックより返り咲きを果たす。
民主党離党 [編集]
2012年、野田佳彦内閣総理大臣が消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の提出を表明した際には、法案の内容を批判した[注釈 1]。衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では、党の公約を守るとして反対票を投じ、党員資格停止2か月の処分を受けた。同年8月9日、民主党に離党届を提出し、国民の生活が第一などが提出した内閣不信任決議案に賛成した。今後は石原慎太郎東京都知事らが新党を結成した場合には自身もそれに参加し、次期衆院選では再び小選挙区東京都第10区より立候補したいという意向を示した。
減税日本から日本未来の党へ [編集]
当初新党参加の意向を示していた小林だが、2012年8月17日、同じく民主党に離党届を提出した小泉俊明とともに減税日本に入った。小林は代表代行に就任した。減税日本及び同党代表の河村たかしは、減税日本が次期衆院選までに政党要件を満たすため5人以上の国会議員確保を目指しており、小林は河村の呼びかけに応じた。今後も結成が予想される新党や大阪維新の会などとの連携を進め、第三極形成を模索するという。同年8月31日、小林・小泉と減税日本副代表佐藤夕子の減税日本所属衆議院議員3名は、民主党を離党し無所属となっていた平智之とともに新会派「減税日本・平安」を結成した。
しかし、減税日本と日本維新の会および日本維新の会に合流した太陽の党との間に距離が生じ、減税日本と日本維新の会の大同団結はならなかった。このため、日本維新の会への合流を目指し、2012年11月21日、小林は減税日本に離党届を提出したが[3]、一時離職届は河村「預かり」となったが日本維新の会の公認が得られずに減税に復帰[4]。同日、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党結党に参加した[5]。
2012年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙には愛知13区から日本未来の党から出馬するも落選。比例復活もならなかった。
選挙 [編集]
| 年 | 選挙名 | 選挙区 | 所属政党 | 当落 | 惜敗率 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983年 | 第37回衆院選 | 東京5区 | 無所属(保守系) | 落選 | 32.2% | |
| 1986年 | 第38回衆院選 | 東京5区 | 無所属(保守系) | 落選 | 96.9% | |
| 1990年 | 第39回衆院選 | 東京5区 | 自由民主党 | 当選 | ||
| 1993年 | 第40回衆院選 | 東京5区 | 自由民主党 | 落選 | 93.2% | |
| 1996年 | 第41回衆院選 | 東京10区 | 自由民主党 | 当選 | ||
| 2000年 | 第42回衆院選 | 東京10区 | 自由民主党 | 当選 | ||
| 2003年 | 第43回衆院選 | 東京10区 | 自由民主党 | 当選 | ||
| 2005年 | 第44回衆院選 | 東京10区 | 新党日本 | 落選 | 37.4% | 同区の当選者は小池百合子 |
| 2007年 | 第21回参院選 | 比例区 | 国民新党 | 落選 | ||
| 2009年 | 第45回衆院選 | 比例東京ブロック | 民主党 | 当選 | 比例単独で立候補。名簿順位25位 | |
| 2012年 | 第46回衆院選 | 愛知13区 | 日本未来の党 | 落選 | 37.9% | 同区の当選者は大見正 |
政策 [編集]
- 人権擁護法案、人権侵害救済法案、共謀罪に反対。
- 外国人地方参政権に反対。
- 自民党の郵政民営化法案に反対、但し、郵政民営化自体に関しては完全に反対していない。
- 選択的夫婦別姓制度に関しては基本的に賛成、但し、若干修正の必要性を主張しており、その内容次第で反対する例も確認。
- TPPに慎重[6]。
- 中選挙区制推進[7]。
発言 [編集]
予算委員会のメンバーに対して公開された尖閣諸島中国漁船衝突事件に関するビデオを見たあと、「向こうが逃げまどって、当たっちゃったということだ。衝撃があるような当たり方じゃない。ぶつかる瞬間はカメラの位置からして見えない」と発言した[8]。
エピソード [編集]
- 後進の育成
- 「小林興起政経塾」を主宰し、多くの門下生が地方選挙で当選している。門下生の一人に倉田麗華(練馬区議会議員、国民新党)。
- 落選中
- 最初の選挙で落選した後は、支出を抑えるため毎食立ち食い蕎麦、おにぎり、中華蕎麦、ギョウザのローテーションにし、一日あたりの出費を1000円以下にしていた[9]。
議員事務所所員に中牧昭二がいる(山下莉奈も所属していたが2010年末で解雇。詳細は当該項参照。)
家族 [編集]
著書 [編集]
- 『「新井戸端会議」文化論』(ウィズダムブック社、1985年)
- 『日本の未来をあきらめない 知的創造大国への道』(出版文化社、2003年)ISBN 4883382877
- 『決意!新日本創造への挑戦 小林興起対談集』(出版文化社、2005年)ISBN 4883383180
- 『主権在米経済 The Greatest Contributor to U.S. 』(光文社、2006年)ISBN 4334933815
出演番組 [編集]
| 放送日 | 番組名 | 局 |
|---|---|---|
| ビートたけしのTVタックル | テレビ朝日 | |
| 2010年8月21日 | 西部邁ゼミナール〜戦後タブーをけっとばせ〜 | 東京MXテレビ |
脚注 [編集]
- ^ 西部邁ゼミナール 東京MXテレビ 2010年8月21日
- ^ “小林興起氏が民主入り 比例東京で出馬へ”. 47NEWS (共同通信社). (2009年8月2日) 2009年8月3日閲覧。
- ^ (日本語) “減税・小林氏が離党届【12衆院選】”. ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 (2012年11月21日). 2011年11月21日閲覧。
- ^ 小林興起氏、減税に復帰へ 維新で公認得られず - 中日新聞 2012年11月22日
- ^ 「原点回帰、増税止める」 河村氏ら新党「脱原発」結成へ - 日本経済新聞 2012年11月23日
- ^ これで良いのか日本の経済政策 - 今月のひと言 2013年2月
- ^ 小選挙区制度が日本の政治をダメにした - 今月のひと言 2012年6月
- ^ 産経ニュース2010.11.1
- ^ 小林興起『主権在米経済』光文社、2006年、264頁。
注釈 [編集]
- ^ 野田は「消費税の引き上げを現在の衆議院議員の任期終了後となる14年4月を予定しているため、公約違反ではありません」と述べている。j-cast2012年1月27日
外部リンク [編集]
- 衆議院議員 小林興起 - 公式サイト
- 60代はじめての子育て日記 - 現行ブログ
- おかげ様で。 - 旧ブログ
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代: 奥田建 |
2011年 - 2012年 |
次代: 鉢呂吉雄 |
| 先代: 小此木八郎 |
2004年 - 2005年 |
次代: 浜田靖一 |
| 官職 | ||
| 先代: 谷口隆義・尾辻秀久 |
2002年 - 2003年 谷口隆義と共同 |
次代: 石井啓一・山本有二 |
| 党職 | ||
| 先代: 結成 |
新党日本代表代行 初代:2005年 - 2006年 |
次代: 最終 |