小林興起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本の政治家
小林 興起
こばやし こうき
生年月日 1944年1月1日(65歳)
出生地 東京都練馬区
出身校 東京大学法学部卒業
ペンシルベニア大学大学院修了
前職 聖心女子大学講師
現職 オープンインタフェース取締役
所属政党 自由民主党→)
新党日本→)
国民新党→)
無所属
称号 経営学修士(ペンシルベニア大学・1973年
法学士(東京大学・1966年
世襲の有無
公式サイト 小林こうき 公式HP

選挙区 東京都第5区→)
東京都第10区
当選回数 4回
任期 1990年 - 2005年
  

小林 興起(こばやし こうき、1944年1月1日 - )は、日本通産官僚政治家学位経営学修士ペンシルベニア大学1973年)。オープンインタフェース株式会社社外取締役、株式会社国際資源顧問、「小林興起政経塾」主宰。

衆議院議員財務副大臣自由民主党国会対策委員会副委員長、新党日本代表代行(初代)、国民新党東京都第10選挙区支部支部長などを歴任した。

目次

[編集] 経歴

東京都練馬区出身。千代田区立九段中学校東京都立日比谷高等学校を経て東京大学法学部卒業。大学卒業後の1966年に通商産業省に入省。1973年に政府派遣留学でペンシルベニア大学院修士修了(MBA取得)。帰国後は、資源エネルギー庁通商産業省産業政策局などを歴任。1980年聖心女子大学講師に就任。1982年に通産省を退官した。

2回の落選を経て1990年2月衆議院議員に初当選するものの1993年には落選した。1996年10月に東京都第10区制し国政復帰し同年11月から労働省政務次官を務めた。1998年夏、亀井静香平沼赳夫らと清和会離脱し1999年志帥会旗揚げ。2000年に3選。2002年には小泉内閣で財務省副大臣を務めた。2003年には4選を果たした。

2005年7月、郵政民営化法案採決で反対票を投じ、郵政法案反対派の急先鋒として各種メディアで認知度が高まるが、同年9月11日第44回衆議院議員総選挙では自民党からの離党を余儀なくされ、新党日本から出馬。自民党公認の刺客候補として兵庫6区から東京10区に鞍替えしてきた小池百合子らと戦い、小選挙区で大敗した上、比例代表東京ブロックにおいても届かず落選。自民党が名簿切れという失態をおかした為、現在は一応、次点に擬せられている。10月、自民党から除名処分を受けた。

2006年11月1日国民新党へ移籍し第21回参議院議員通常選挙比例区から出馬したが落選、2008年8月末には国民新党を離党し無所属となる。

2007年10月にオープンインタフェースの社外取締役に就任した。

[編集] その他

  • 落選の前後には、次のような主張を掲げている
    • 尼崎の電車事故、拉致問題、外交、雇用促進など問題山積な時に、クールビズなど楽な格好を真っ先にすることなど許されないことです(2005年7月)。
    • 今迄、簿価主義であった企業資産価値を時価主義に切り替えました。そのため、デフレが続く中、中小企業の多くは、銀行から厳しい貸し剥がしにあって倒産したのは、記憶に新しいことです(2005年11月)。
  • 消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は伝えている[1]

[編集] 著書

[編集] 出演番組

[編集] 脚注

[ヘルプ]

[編集] 外部リンク