京成八幡駅
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| 京成八幡駅 | |
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北側出入口
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| けいせいやわた - Keisei-Yawata | |
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◄菅野 (0.9km)
(1.0km) 鬼越►
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| 所在地 | 千葉県市川市八幡三丁目2番1号 |
| 所属事業者 | 京成電鉄 |
| 所属路線 | 本線 |
| キロ程 | 19.1km(京成上野起点) |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面2線 |
| 乗降人員 -統計年度- |
32,172人/日 -2008年度- |
| 開業年月日 | 1915年(大正4年)11月3日 |
京成八幡駅(けいせいやわたえき)は、千葉県市川市八幡三丁目にある、京成電鉄本線の駅である。
旅客向け案内では「京成」を省略して八幡とされる。
目次 |
[編集] 駅構造
島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。ホームは踏切に挟まれており、これらはいわゆる「開かずの踏切」となっている。
北口にはエレベーターが設置されている。また北口階段にはポールが立っている。
駅南口は市川京成百貨店(一階のみ営業)に直結している。
のりば
| 1 | ■■本線 | 上野・押上・都営浅草線・京急線方面 |
| 2 | ■■本線 | 船橋・佐倉・成田空港・東成田・芝山鉄道線・千葉方面 |
[編集] 利用状況
2008年度の1日平均乗降人員は32,172人で、京成線内64駅中第12位である。
[編集] 駅周辺
東京都交通局の本八幡駅とは直接連絡している。東日本旅客鉄道(JR東日本)の本八幡駅とは、都営新宿線の通路を挟んで連絡しているため徒歩で5分程度かかる。
- 市川市役所
- 市川市民会館
- 葛飾八幡宮
- 北八幡郵便局
- 本八幡駅 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)総武線(各駅停車)・東京都交通局(都営地下鉄)新宿線
- 市川郵便局 - 当駅と菅野駅との中間地点にある。
- 八幡の藪知らず
- 不二女子高等学校
[編集] 路線バス
[編集] 歴史
- 1915年(大正4年)11月3日 - 新八幡駅として開業。当時は、鬼越駅寄りの葛飾八幡宮付近に、別に八幡駅が設置されていた(新八幡駅と同日開業)。
- 1942年(昭和17年)8月15日 - 八幡駅が廃止され、新八幡駅に統合される。
- 1942年(昭和17年)11月1日 - 京成八幡駅に改称。
- 1963年(昭和38年)9月 - 市川京成百貨店が営業開始。
- 1984年(昭和59年) - 市川京成百貨店、京成ストアの経営となる。
- 2007年(平成19年)3月 - 市川京成百貨店が、JR本八幡駅北口再開発事業に伴い、一階を残して閉店。
文豪・永井荷風が晩年、当駅近くに住んでいたことで知られる。駅前の商店街には「荷風の散歩道」と名付けられた飾りの旗が見られる。荷風の行き付けだった日本料理店大黒家や銭湯も現存する。
[編集] 京成八幡第1号踏切事故
1970年(昭和45年)1月20日午前5時28分ごろ、当時自動化されていなかった京成八幡第1号踏切(駅の下り方向にある千葉県道51号市川柏線と交差する踏切)において、乗客約80名を乗せた京成成田発京成上野行き4両編成上り電車と、小型トラックが衝突する事故が発生した。電車は脱線、トラックの2名が即死、電車の乗客5名が重軽傷を負った。電車の1両目はトラックを巻き込みながら脱線し、京成八幡駅ホームの端をかすりながらホーム上り線に進入して、架線支柱と線路沿いの金網をなぎ倒し、約20メートル進んで停まった。
事故の原因は、踏切警手が酒に酔って寝過ごし、開閉機を下ろさなかったため。この踏切警手は、前日の最終電車が通過した後、京成八幡駅詰め所で当直の駅職員らと日本酒2合を飲んでから帰宅した。事故直後に警察官が急行した際、まだ酔っている駅職員もおり、「勝手にしやがれ」「やっちまったもの、しようがないじゃないか、そう騒ぐな」と語ったとされており、問題になった。その後の調べで、事故を起こした電車の前には4本の電車が通過していたが、その時も踏切は開いたままであったことがわかった。
京成電鉄は1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)とこの事故で3年連続で重大な踏切事故を起こしたことから、当時の運輸省・関東運輸局より警告が出された。
[編集] 隣の駅
- ■■京成電鉄
- 本線
[編集] 関連項目
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