北国分

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北国分
北国分の位置(千葉県内)
北国分
北国分
北国分の位置
北緯35度45分45.81秒 東経139度54分25.8秒 / 北緯35.7627250度 東経139.907167度 / 35.7627250; 139.907167
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 市川市
人口
2017年(平成29年)9月30日現在)[1]
 • 合計 5,568人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
272-0836[2]
市外局番 047[3]
ナンバープレート 市川

北国分(きたこくぶん)は、千葉県市川市の地名。現行行政地名は北国分一丁目から北国分四丁目。郵便番号は272-0836[2]

地理[編集]

市川市北部に位置する。地内は住宅地となっており、地内中央の地下を北総鉄道北総線が通るほか、一丁目に小塚山公園、一丁目に近接して、北総線矢切駅、四丁目に一条会病院がある。また、地内には生産緑地が多く設定されているため、広大な畑や果樹園が広がっている。南西部には東京外環自動車道が通る。また、市内の菅野八幡真間などと共に文学者や小説家、作家に縁のある地で、小説家・劇作家である井上ひさしが居住していた。井上の作品『空き缶ユートピア』は、北国分を冠する「北国分アパート」が舞台となっている。

東は堀之内、西は松戸市三矢小台・下矢切、南は国府台中国分、北は松戸市大橋・二十世紀が丘萩町と接している。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、北国分4-4-11の地点で16万円/m2となっている。[4]

歴史[編集]

沿革[編集]

  • 1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡国分村となる。
  • 1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡国分村となる。
  • 1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡国分村となる。
  • 1889年(明治22年) - 東葛飾郡須和田村、曽谷村、稲越村、下貝塚村と合併し、東葛飾郡五常村大字国分となる。
  • 1890年(明治23年)5月23日 - 五常村が国分村に村名を変更。東葛飾郡国分村大字国分となる。
  • 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町八幡町中山町と合併、市制施行。市川市大字国分となる。
  • 1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市北国分町となる。
  • 1971年(昭和46年)9月29日 - 北国分町の一部で住居表示施行。市川市北国分一丁目・二丁目となる。
  • 1972年(昭和47年)2月1日 - 北国分町の一部で住居表示施行。市川市北国分一丁目 - 四丁目となる。

地名の由来[編集]

旧大字国分の北部に位置することより。国分は、当地に置かれた「下総国分寺」から。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
北国分一丁目 604世帯 1,351人
北国分二丁目 664世帯 1,547人
北国分三丁目 538世帯 1,244人
北国分四丁目 576世帯 1,426人
2,382世帯 5,568人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
北国分一丁目 全域 市川市立国府台小学校 市川市立第一中学校
北国分二丁目 全域
北国分三丁目 全域
北国分四丁目 全域

施設[編集]

  • さかえ保育園
  • 一条会病院
  • 小塚山公園
  • 禅照庵

脚注[編集]

  1. ^ a b 町丁別人口(住民基本台帳)”. 市川市 (2017年10月10日). 2017年11月6日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月7日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ 小・中学校の通学区域(学区)”. 市川市 (2017年9月28日). 2017年11月7日閲覧。