コント・レオナルド
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[編集] 略史
通称『田端グループ』の長だった熊は、弟子のゆーとぴあ・ホープの紹介で、1979年に石倉三郎と『ラッキー・パンチ』を結成し、初めて売れたものの、性格が合わず解散。直後に弟子のブッチー武者と『熊田うつぞう・にげろう』を組み、間もなく『コント・レオナルド』(初代)に改称した。
しかし武者が厳しい稽古に耐え切れず逃亡したため(熊は入念に台本を書きアドリブを許さなかった)、1981年に石倉と『コント・レオナルド』(二代目)を再結成した。鋭い社会風刺でスターダムに踊り出たが、金銭感覚にルーズな熊が、石倉に無断で別の弟子と『コント・レオナルド』名義で内職営業していた事などが原因になり、人気絶頂だったにも関わらず、1985年またもやコンビ解消の憂き目に遭う。
[編集] メンバー
レオナルド熊(1935年6月27日 - 1994年12月11日)
- 北海道出身、台本とボケ(クラウン=道化役)担当。
- 長野県出身。当時の芸名は『ダヴィンチ白熊』。後に水島びんと『アッパー8』を組み、『オレたちひょうきん族』でお馴染みになる。
[編集] 芸風
社会・時事問題の深層を抉る切れ味には定評があった。コントの締めは、(熊)「いつもニコニコ現金払い」、(石倉)「違う!」。

