中嶋常幸

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中嶋 常幸
Tsuneyuki Nakajima
基本情報
生年月日 1954年10月20日(54歳)
出身地 群馬県
身長 180cm
体重 80kg
利き手
成績
2009年2月25日現在

中嶋 常幸(なかじま つねゆき、1954年10月20日 - )は、群馬県出身のプロゴルファーバプテスト派クリスチャン。ライバルの青木功尾崎将司とともに日本男子プロゴルフ界を代表する名選手で、3人の姓を合わせて「AON時代」を築いた。

目次

[編集] プロフィール

  • 以前は「中島常幸」と表記していた(本来はこちらが本名である)。
  • 途上国の子どもたちを支援する国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン[1]のチャイルド・スポンサーシップ[2]を通して、国際貢献をしている。
  • 海外では「つねゆき」という名前が発音しづらいことから“トミー”と呼ばれ、海外参戦時の登録名は「トミー・ナカジマ」“Tommy Nakajima”という。
  • これまでに日本ゴルフツアーで「48勝」を挙げている。
  • 25勝を越えているため永久シード権を獲得している。
  • 1982年1983年1985年1986年の4度、日本ツアー賞金王(年間賞金ランキング1位)になった。
  • 父は中島巌、弟は中島和也、妹は中島恵利華
  • 長男、中島雅生日体大時代インカレ等でも活躍)もプロゴルファーとして活躍。2007年1月に雅生に長女が誕生し祖父となる。

[編集] 略歴

10歳からゴルフを始める。樹徳高等学校を中退し、1975年12月にプロ入り。1976年に「ゴルフダイジェスト」大会で日本ツアー初優勝を飾る。

1985年のシーズンは年間6勝を挙げ、最も好調だった。日本オープン選手権初優勝や、日本人選手初のダンロップ・フェニックス選手権優勝などがある。当時は「最も美しいスイングの持ち主」と、米国のプロゴルファーからの評価も高かったが、その後、スイング改造などで悩み、低迷した時期もあった。

世界4大メジャー大会の成績は、1986年マスターズ・トーナメント8位、1987年全米オープン選手権9位、1988年全米プロゴルフ選手権3位などがある。セント・アンドリュースR&Aゴルフクラブの「オールド・コース」)で行われた全英オープンで、中嶋が最終日に17番ホール(パー4)の第2打を有名な「ロード・バンカー」(Road Bunker)に入れてしまい、9打を要して優勝のチャンスを逃したのは1978年のことである。そのため、このバンカーは中嶋の愛称“トミー”をとって「トミーズ・バンカー」とも呼ばれるようになった。同オープンでは1986年に最終日、最終組をグレッグ・ノーマンと廻った8位がある。最初期の世界ゴルフランキングで4位にランクされたこともあった。  世界4大メジャーですべてベスト10入りしている日本人唯一のプレイヤーである。

2005年11月6日日本シニアオープンでシニアツアー初優勝を飾り、すでにタイトルを獲得している日本アマ・日本オープンとともにJGAオープン選手権競技3冠を達成した。2006年10月1日日本プロゴルフシニア選手権大会コマツカップ」を制覇し、プロ・アマ・シニアを含めた「日本」が冠タイトルにつく公式戦を全部優勝する7冠を達成した。

2006年11月には三井住友VISA太平洋マスターズで日本ゴルフツアーとしては4年ぶりの勝利を果たした。 50代でのレギュラーツアー優勝は青木功尾崎将司杉原輝雄に次いで四人目。 視力はレーシック手術をしており矯正されたがデビュー以来トレードマークの眼鏡はイメージを維持するために未だにかけている。 オフシーズンにはラジオ番組(中嶋常幸のティーグラウンドへようこそ!)の司会者として軽快なトークも披露する。 2007年のマスターズ・トーナメントの解説を務めた。

[編集] エピソード

偶然練習場で居合わせたプロ(芹澤信雄と思われる)に「毎日どのくらい打ち込むの?」と聞くと彼は「だいたい3000球くらいでしょうか」と答えた。 それに対し「数えられるだけいいじゃないか。僕は数えられないほど打ってるんで」と答えたと言う。練習量の多さは数いるプロの中でもトップクラスである。 女子ゴルフ人気に押され気味な男子ゴルフの現状について、一部のプロがファンサービスを軽視したり、横柄な態度を取る者がいるのが問題だと発言。ファンあってのプロというスタンスを通し、自身はファンサービスに積極的である。

[編集] 出演

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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