谷口徹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 谷口 徹 
Toru TANIGUCHI
基本情報
名前 谷口 徹
生年月日 (1968-02-10) 1968年2月10日(56歳)
身長 169 cm (5 ft 7 in)
体重 72 kg (159 lb)
出身地 奈良県橿原市
経歴
成績
優勝回数 日本ツアー:20勝
初優勝 三菱ギャラントーナメント1998年
賞金王 2002年2007年
賞金ランク最高位 日本ツアー:1位(2回)
2018年5月14日現在
テンプレートを表示

谷口 徹(たにぐち とおる、1968年2月10日 - )は、奈良県橿原市[1]出身のプロゴルファーである。2002年及び2007年日本ゴルフツアーで賞金王(賞金ランキング1位)になった。これまでに日本ゴルフツアーで20勝(うちメジャー5勝、2018年5月14日現在)を挙げている。

プロフィール[編集]

身長169cm、体重72kg。谷口のトレードマークは、分厚いサングラスの眼鏡と、勝負所を決めた時に見せるガッツポーズである。そのガッツポーズから「和製タイガー」(Japanese Tiger)と呼ばれることがある[2]

また中嶋常幸は谷口、片山晋呉伊澤利光の3人を「奇人、変人、宇宙人」と称している[2]

ときに見せる強気の歯に衣着せぬ言動には、時に物議を醸したこともあるがそれも常にゴルフ界のことを思っての発言である。

略歴[編集]

13歳からゴルフを始め[2]PL学園高校時代はゴルフ部に在籍し、プロ野球桑田真澄清原和博と同じクラスだった。同志社大学商学部卒業後、1992年にプロ入り、その年の『全日空オープン』でツアーデビュー[2]を果たす。

1998年の「三菱ギャラントーナメント」(現・ダイヤモンドカップゴルフ)でプロ初優勝。

2000年に「アコムインターナショナル」と「フィリップモリス・チャンピオンシップ」(現・ABCチャンピオンシップゴルフトーナメント)で優勝し、自身初の年間2勝を挙げる。最終戦開始まで賞金トップを維持していたが、最終戦までの4試合中3勝を挙げた片山に逆転され惜しくも賞金王を逃した。片山との差はわずか128万円という僅差であった。この時最終戦までの2試合をPGAツアー挑戦のため欠場していたこともあり、当時の好調さを考えればこれらの試合に出場していれば賞金王獲得も実現していた可能性が高いと思われる。ただ、当時の谷口は日本での賞金王獲得よりも、PGAツアー参加に重点をおいていたようである。また、日本のメジャータイトルにもそれほど興味を持っていなかったことが当時の言動からも表されており、あくまで全米ツアーでの優勝及び全英オープンマスターズなどの世界4大メジャー獲得を目標にしていた。

2002年に最も好調なシーズンを送り、日本ゴルフツアー開幕戦の「東建コーポレーションカップ」(現・東建ホームメイトカップ)を皮切りに年間4勝を挙げて、1億4500万を獲得し初の日本ツアー賞金王に輝いた。この年は2月にアメリカカリフォルニア州で開かれた「ニッサン・オープン」でも5位入賞を果たしている。

2003年は故障や病気で低迷し、前年の好調さは影を潜め、未勝利に終わり賞金ランキングも34位となった。

2004年日本オープンで初の日本メジャータイトルを獲得し、復活優勝を果たす。その翌週に行われた「ブリヂストンオープン」で自身初の2週連続優勝を成し遂げた。最終的に賞金ランキングは片山に次ぐ2位となった。後半の2連勝により逆転の賞金王獲得を目指していたが、片山に及ばず、2000年の最終戦で逆転を許した際のリベンジはならなかった。

2005年は「カシオワールドオープン」で優勝したものの、優勝はこの1勝のみで賞金ランキングは7位に終わった。

2006年は「ザ・ゴルフトーナメントin御前崎」で優勝。年間を通して10位以内が18回と安定した成績を残し年間獲得賞金も1億円を突破、最終的に4位となり、完全復活への可能性を予感させる年となった。

2007年は「ウッドワンオープン広島」と翌週の「長嶋茂雄招待セガサミー杯」で2週連続優勝を飾り、また10月に神奈川県で行われた日本オープン選手権では6打差をひっくり返しての逆転優勝で同大会2勝目を飾った。一方賞金王争いでは終盤に片山の追撃を受けたが、最終戦の「ゴルフ日本シリーズ・JTカップ」では、優勝したブレンダン・ジョーンズに1打差で破れ惜しくも2位となったものの、片山を振り切り、5年ぶり二度目の賞金王を獲得。片山の4年連続賞金王を阻止した。

2008年は不調で低迷、未勝利に終わり賞金ランキングも26位に終わった。

2009年2月には、大阪市内で車を運転中に交通事故を起こし左肩を脱臼して出遅れたが、9月に北海道で行われた「ANAオープン」で中嶋らの追撃を振り切り2年ぶりの涙の復活優勝を果たした。優勝はこの1勝のみで、賞金ランキングは20位に終わった。

2010年5月に長崎県で開催された「日本プロゴルフ選手権・日清カップヌードル杯」では平塚哲二との死闘を制し、5年間の無条件シード権を獲得したと同時に史上5人目の生涯獲得賞金12億円を突破した。また、試合後、永久シード獲得への条件である優勝回数25回までひと桁(残り9勝)になったことからその獲得に意欲を見せていた。また2012年栃木県で行われた同大会でも深堀圭一郎とのマッチレースを制し、さらにその6年後の2018年に千葉県で行われた同大会で藤本佳則との2ホールに及ぶプレーオフを制し、尾崎将司の当時49歳109日を上回る50歳92日の大会史上最年長優勝記録を更新した[3]

世界4大メジャー大会の成績は、2001年の全英オープンの25位がある。また世界ゴルフ選手権では2001年アクセンチュア・マッチプレー選手権でベスト4に入り、3位決定戦で当時世界ランキング3位のアーニー・エルスを破っている。

優勝歴[編集]

日本ツアー (20)[編集]

勝数
メジャー (5)
ツアー (15)
No. 日時 大会 優勝スコア 打差 2位
1 1998年5月31日 三菱ギャラントーナメント -16 (71-65-65-67=268) 1打差 日本の旗 細川和彦
2 2000年9月24日 アコムインターナショナル -18 (69-68-65-64=266) 6打差 日本の旗 今野康晴
3 2000年10月29日 フィリップモリス・チャンピオンシップ・ゴルフトーナメント -12 (68-73-68-67=276) 1打差 日本の旗 田中秀道日本の旗 片山晋呉
4 2002年3月17日 東建コーポレーションカップ -16 (71-73-67-61=272) 2打差 日本の旗 宮瀬博文
5 2002年6月23日 タマノイ酢よみうりオープン -18 (65-69-67-69=270) 2打差 日本の旗 広田悟日本の旗 丸山大輔
6 2002年9月29日 アコムインターナショナル -16 (64-63-70=197) 1打差 中華人民共和国の旗 張連偉
7 2002年10月13日 ジョージア東海クラシック -10 (72-69-68-68=278) 2打差 日本の旗 河原のぞみミャンマーの旗 ゾー・モウ
8 2004年10月17日 日本オープンゴルフ選手権競技 -3 (68-68-75-74=285) 4打差 ニュージーランドの旗 デビッド・スメイル中華民国の旗 葉偉志
9 2004年10月24日 ブリヂストンオープンゴルフトーナメント -16 (66-71-69-66=272) 1打差 日本の旗 横田真一日本の旗 丸山茂樹
10 2005年11月27日 カシオワールドオープンゴルフトーナメント -11 (70-70-68-69=277) 2打差 大韓民国の旗 金鍾徳
11 2006年7月30日 ザ・ゴルフトーナメントin御前崎 -11 (69-70-66-68=273) プレーオフ 日本の旗 近藤智弘大韓民国の旗 S・K・ホ
12 2007年7月8日 ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント -15 (67-64-68-70=269) プレーオフ タイ王国の旗 プラヤド・マークセン
13 2007年7月15日 長嶋茂雄Invitational セガサミーカップゴルフトーナメント -12 (70-70-68-68=276) 3打差 タイ王国の旗 プロム・ミーサワット
14 2007年10月14日 日本オープンゴルフ選手権競技 -5 (75-70-72-66=283) 2打差 日本の旗 片山晋呉
15 2009年9月20日 ANAオープンゴルフトーナメント -16 (67-67-66-72=272) 4打差 大韓民国の旗 金庚泰日本の旗 中嶋常幸日本の旗 山下和宏
16 2010年5月16日 日本プロゴルフ選手権大会 日清カップヌードル杯 -10 (69-68-65-68=270) 1打差 日本の旗 平塚哲二
17 2011年10月23日 ブリヂストンオープンゴルフトーナメント -15 (69-67-68-65=269) 5打差 日本の旗 片山晋呉日本の旗 小田孔明日本の旗 松村道央日本の旗 河井博大
18 2012年5月13日 日本プロゴルフ選手権大会 日清カップヌードル杯 -4 (65-70-76-73=284) 1打差 日本の旗 深堀圭一郎
19 2012年10月21日 ブリヂストンオープンゴルフトーナメント -12 (66-71-69-66=272) 1打差 日本の旗 藤田寛之
20 2018年5月13日 日本プロゴルフ選手権大会 -6 (68-72-71-71=282)[4] プレーオフ 日本の旗 藤本佳則

プレーオフ記録 (3-5)[編集]

※太字はメジャー大会

No. 大会 対戦相手 内容
1 2000年 三菱自動車トーナメント 日本の旗 宮瀬博文 プレーオフ2ホール目で、宮瀬が2オン1パットのイーグル。谷口の3オンのバーディーパットを残し、宮瀬の優勝。
2 2006年 ザ・ゴルフトーナメントin御前崎 日本の旗 近藤智弘
大韓民国の旗 S・K・ホ
プレーオフ2ホール目に谷口、ホがパー、近藤が3オン後のパーパットを外す。3ホール目に谷口がバーディー、ホがバーディーパットを外し谷口の優勝。
3 2007年 中日クラウンズ 日本の旗 宮瀬博文 宮瀬が3オン1パットのパー。谷口が2オンでパーパットを外し、宮瀬の優勝。
4 2007年 ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント タイ王国の旗 プラヤド・マークセン マークセンが3オン、谷口が2オン1パットのバーディー。谷口の優勝。
5 2010年 つるやオープンゴルフトーナメント 日本の旗 藤田寛之 1ホール目・2ホール目、両者ともパー。ピンポジション変更、3ホール目に谷口が3オン、藤田の3打目がチップイン。藤田の優勝。
6 2011年 ゴルフ日本シリーズJTカップ 日本の旗 藤田寛之 プレーオフ2ホール目、谷口がティーショットをミスして2オンするもパーならず。1打目をしっかりグリーンに乗せ、パーパットを沈めた藤田の優勝。
7 2018年 日本プロゴルフ選手権大会 日本の旗 藤本佳則 プレーオフ2ホール目。谷口が5メートルのバーディーパットを沈め優勝を決める[3]
8 2019年 スターツシニアゴルフトーナメント 日本の旗 倉本昌弘 プレーオフ1ホール目。谷口がセカンドショットをミス。3メートルのバーディーバットを沈めた倉本の優勝[5][6]

関連項目[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 谷口徹選手による施設訪問のお知らせ - 奈良県健康福祉部地域福祉課、2012年3月28日。
  2. ^ a b c d “男泣き!谷口が50歳国内メジャーV、28歳藤本とのプレーオフ制した/国内男子(3/3ページ)”. サンケイスポーツ. (2018年5月14日). https://www.sanspo.com/article/20180514-ZVM7PT4DNJNEBPBQJIKSLQO5HI/3/ 2018年5月14日閲覧。 
  3. ^ a b “50歳の谷口徹が「日本プロ」最年長優勝 プレーオフ制し涙”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2018年5月13日). https://news.golfdigest.co.jp/jgto/6203/article/73949/5/ 2018年5月14日閲覧。 
  4. ^ 日本プロゴルフ選手権大会 大会スコア”. ゴルフダイジェスト・オンライン (2018年5月13日). 2018年5月14日閲覧。
  5. ^ “会長の意地!倉本、逆転Vでマークセンの3連覇阻止/国内シニア(1/2ページ)”. サンケイスポーツ. 産経デジタル. (2019年6月17日). https://web.archive.org/web/20190616232826/https://www.sanspo.com/golf/news/20190617/gld19061705020001-n1.html 2019年6月17日閲覧。 
  6. ^ “倉本昌弘が逆転優勝 谷口徹とのプレーオフ制す”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2019年6月16日). https://news.golfdigest.co.jp/jpga/6559/article/97919/4/?car=fromNewsSearch 2019年6月17日閲覧。 

外部リンク[編集]