全英オープン (ゴルフ)
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全英オープン(ぜんえいオープン、The Open Championship)は、ゴルフの世界4大メジャートーナメント大会の1つであり、イギリスのゴルフ競技団体R&A(ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフクラブ)主催で、毎年7月中旬に開催されるゴルフ大会をいう。
4大メジャートーナメントの中で最も歴史のある大会で、2009年で138回目を迎える。日本では、一般に「全英オープン(ゴルフ)」と表現されているが、正式名称はThe Open Championshipであり全英やゴルフという表現は含まれない。British Openとも呼ばれる。
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[編集] 概要
正式名称The Open Championshipには、選手権大会として他の大会と区別するための表現が何も含まれていない。これはつまり、第1回開催時において、区別をする必要がある、他の大会が存在しなかったことを示すものであり、この大会の歴史を如実に示している。
第1回は1860年10月17日にプレスト・ウィックで開かれ、ウィリー・パークが優勝した。
それ以後は、1871年、1915~1919年、1940~1945年の戦争などによる中止をはさみながら、毎年開催する地区を変えて実施している。優勝者には「クラレット・ジャグ」と呼ばれる優勝トロフィーが贈られる。トロフィーは、優勝決定時間を見計らって専門の製作者により優勝者の氏名(英語)が一つ一つ手作業で刻印され、それが終了次第直ちに表彰式会場に搬送され、優勝者に手渡され、1年間優勝者により保管される。
開催ゴルフ場はシーサイドリンクス(海岸に立地する場)に限るという不文律がある。近年では、セントアンドリュース、ロイヤルリザム&セントアンズ、ロイヤルトルーン、ロイヤルセントジョージス、ロイヤルバークデール、ミュアフィールド、ターンベリーの7コースの持ち回りで開催されていた。ただし、1999年と2007年にはカーヌスティ、2006年にはロイヤルリバプール(ホイレイク)で開催されており、これらは今後、開催コースのローテーションに加わると予想される。
また、5年に1回は「ゴルフの聖地」と言われるセント・アンドリュース(R&A本部がある)で開催することが慣例となっている。ただし、2005年に限っては、本来翌2006年にセント・アンドリュースで開催される予定であったが、ジャック・ニクラスがこの大会を自らのメジャートーナメント完全引退試合と定めたことから、1年前倒ししてセント・アンドリュースで開催された。
全英オープンの最大の特徴は、ゴルフの歴史的な原点に立ち返った、人の手を加えない「あるがままの自然の状態」を残したリンクスコースにある。フェアウェイと呼ぶのがはばかれるほどのアンジュレーションに富んだフェアウェイ、壁面を干しレンガで垂直に切り立たせた深いバンカー、フェスキューを腰の高さまで伸ばした「あるがまま」のラフなど。こういったコース特性は、全ての開催ゴルフコースで維持されている。普段のツアーで使われる、アメリカ的な、人の手を加えて作り上げられたゴルフコースとは、全く異なる。
そのほかの特徴としては、気まぐれな気候条件が挙げられる。天候が良い年は「全英オープンらしくない」とさえ評されるほどである。スコットランド独特の、寒く、じめじめとした雨の降る天気とリンクスコース特有の海からの湿った強い風とに耐えながら優勝を争わなければならない。これにより、ゴルファーは低めの弾道の球を打つことを要求されるため、普段のツアーのように高々と打ち上げ、ピンの近くにボールを止める、というシーンは目にしにくい。
近年の傾向としては、セントアンドリュースが最もやさしく、スコアがでやすい。ロイヤルリザム&セントアンズ、ロイヤルトルーン、ターンベリーも優勝スコアが10アンダーをこえる。反面、ロイヤルセントジョージス、ロイヤルバークデール、カーヌスティはスコアが出にくく、アンダーパーが出せれば、まず優勝である。1999年のカーヌスティのポール・ローリーの6オーバーは、近年ではワーストスコアである。この年は、最終ホールまでに3打リードしていたジャン・ヴァン・デ・ヴェルデが18番ホールでトリプルボギーを叩き、プレーオフ突入の末に敗れている(カーヌスティの悲劇)。
プレーオフは、4ホールのストロークによって争われる。それでも決着が付かなければ、サドンデスである。以前は、翌日に18ホールのストローク・プレー、すなわち、もう1ラウンドを回って行われていた。現在、ゴルフの4大メジャートーナメントで、18ホールのストローク・プレーでの翌日プレーオフが採用されているのは、全米オープンのみとなっている。
[編集] 大会出場資格
- 前年全英オープン上位10位タイまでの者
- 歴代優勝者で開催週時点で満65歳以下の者
- 当年6月第1週時点で、世界ランキング上位50位以内の者
- 前年欧州ツアー賞金ランキング上位20位以内の者
- 過去3年の欧州ツアーPGA選手権優勝者
- 当年欧州ツアーPGA選手権終了時点の上位3位タイで、他のカテゴリーで資格を持たない賞金ランキング上位20位以内の者
- 当年のブリティッシュ・マスターズ、フランスオープン、全米オープンの他のカテゴリーで資格を持たない上位2位タイで、前年欧州ツアーメンバーであること。
- 当年のスマーフィット・ヨーロピアン・オープンとバークレーズ・スコットランド・オープンの優勝者
- 過去5年の全米オープン優勝者
- 過去6年のマスターズ優勝者
- 過去5年の全米プロゴルフ選手権優勝者
- 過去3年のプレーヤーズ選手権優勝者
- 前年USPGAツアー賞金ランキング上位20位までの者
- 当年の「フェデックス・セントジュード・クラシック」終了時までの他のカテゴリーで出場資格を持たない賞金額上位3位までの者
- 当年「ウェスタン・オープン」を含めたUSPGAチャンピオンシップまでの5試合で、他の出場資格を持たないUSPGAツアーの賞金額上位2位までの者
- 当年ウェスタンオープンとジョンディア・クラシックで、他の出場資格を持たないカテゴリー15の上位者
- 前回ライダーカップメンバー(米国チーム、欧州チーム代表選手)
- 前年アジアン・ツアー賞金ランキング1位の者
- 前年オーストラレーシア・ツアーの上位2位までの者
- 前シーズン、南アフリカ・サンシャインツアーの賞金ランキング1位の者
- 前年カナディアン・オープン優勝者
- 前年日本オープン優勝者
- 前年日本ゴルフツアー賞金ランキングで、他のカテゴリーで出場資格を持たない上位2位までの者
- 当年ミズノオープンで、他のカテゴリーで出場資格を持たない上位4位までの者
- 当年のミズノオープンを含む、日本ツアー公式賞金累積上位24名のうち他のカテゴリーで出場資格を持たない上位2位までの者
- 前年全英シニアオープン優勝者
- 当年アマチュアチャンピオン優勝者
- 前年全米アマチュア選手権優勝者
- 前年欧州アマチュア選手権優勝者
[編集] 記録
- 最多優勝回数:6回 ハリー・バードン(1896年・1898年・1899年・1903年・1911年・1914年)
- 最多2位回数:7回 ジャック・ニクラス(1964年・1967年・1968年・1972年・1976年・1977年・1979年)
- 最多連続優勝:4回 トム・モリス・ジュニア(1868年~1872年)
- 最年少優勝者:17歳5か月8日 トム・モリス・ジュニア(1868年)
- 最年長優勝者:46歳99日 トム・モリス・シニア(1867年)
- 72ホールの最高スコア:267(66-68-69-64) グレグ・ノーマン(1993年)
- 日本人選手の最高位:4位 倉本昌弘(1982年)
[編集] 歴代優勝者
- 1860年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
- 1861年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
- 1862年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
- 1863年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
- 1864年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
- 1865年:アンドリュー・ストラス(プレストウィック)
- 1866年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
- 1867年:トム・モリス・シニア(プレストウィック)
- 1868年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
- 1869年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
- 1870年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
- 1871年:中止
- 1872年:トム・モリス・ジュニア(プレストウィック)
- 1873年:トム・キッド(セント・アンドリュース)
- 1874年:マンゴ・パーク(マッセルバーフ)
- 1875年:ウィリー・パーク(プレストウィック)
- 1876年:ロバート・マーティン(セント・アンドリュース)
- 1877年:ジェミー・アンダーソン(マッセルバーフ)
- 1878年:ジェミー・アンダーソン(プレストウィック)
- 1879年:ジェミー・アンダーソン(セント・アンドリュース)
- 1880年:ロバート・ファーガソン(マッセルバーフ)
- 1881年:ロバート・ファーガソン(プレストウィック)
- 1882年:ロバート・ファーガソン(セント・アンドリュース)
- 1883年:ウィリー・ファニー(マッセルバーフ)
- 1884年:ジャック・シンプソン(プレストウィック)
- 1885年:ボブ・マーティン(セント・アンドリュース)
- 1886年:デビッド・ブラウン(マッセルバーフ)
- 1887年:ウィリー・パーク・ジュニア(プレストウィック)
- 1888年:ジャック・バーンズ(セント・アンドリュース)
- 1889年:ウィリー・パーク・ジュニア(マッセルバーフ)
- 1890年:ジョン・ボール(プレストウィック)
- 1891年:ヒュー・カーカルディ(セント・アンドリュース)
- 1892年:ハロルド・H・ヒルトン(ミュアフィールド)
- 1893年:ウィリアム・オークタロニー(プレストウィック)
- 1894年:ジョン・H・テイラー(サンドウィッチ)
- 1895年:ジョン・H・テイラー(セント・アンドリュース)
- 1896年:ハリー・バードン(ミュアフィールド)
- 1897年:ハロルド・H・ヒルトン(ホイレイク)
- 1898年:ハリー・バードン(プレストウィック)
- 1899年:ハリー・バードン(サンドウィッチ)
- 1900年:ジョン・H・テイラー(セント・アンドリュース)
- 1901年:ジェームズ・ブレイド(ミュアフィールド)
- 1902年:アレキサンダー・ハード(ホイレイク)
- 1903年:ハリー・バードン(プレストウィック)
- 1904年:ジャック・ホワイト(サンドウィッチ)
- 1905年:ジェームズ・ブレイド(セント・アンドリュース)
- 1906年:ジェームズ・ブレイド(ミュアフィールド)
- 1907年:アーノード・マッシー(ホイレイク)
- 1908年:ジェームズ・ブレイド(プレストウィック)
- 1909年:ジョン・H・テイラー(ディール)
- 1910年:ジェームズ・ブレイド(セント・アンドリュース)
- 1911年:ハリー・バードン(サンドウィッチ)
- 1912年:エドワード・レイ(ミュアフィールド)
- 1913年:ジョン・H・テイラー(ホイレイク)
- 1914年:ハリー・バードン(プレストウィック)
1915年-1919年 第一次世界大戦のためトーナメント中止
- 1920年:ジョージ・ダンカン(ディール)
- 1921年:ジョック・ハッチソン(ント・アンドリュース)
- 1922年:ウォルター・ヘーゲン(サンドウィッチ)
- 1923年:アーサー・G・ヘイバース(トルーン)
- 1924年:ウォルター・ヘーゲン(ホイレイク)
- 1925年:ジム・M・バーンズ(プレストウィック)
- 1926年:ボビー・ジョーンズ(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1927年:ボビー・ジョーンズ(セント・アンドリュース)
- 1928年:ウォルター・ヘーゲン(サンドウィッチ)
- 1929年:ウォルター・ヘーゲン(ミュアフィールド)
- 1930年:ボビー・ジョーンズ(ホイレイク)
- 1931年:トミー・D・アーマー(カーヌスティ)
- 1932年:ジーン・サラゼン(サンドウィッチ)
- 1933年:デニー・シュート(セント・アンドリュース)
- 1934年:ヘンリー・コットン(サンドウィッチ)
- 1935年:アルフ・ペリー(ミュアフィールド)
- 1936年:アルフ・パジャム(ホイレイク)
- 1937年:ヘンリー・コットン(カーヌスティ)
- 1938年:レッグ・ホイットコーム(サンドウィッチ)
- 1939年:リチャード・バートン(セント・アンドリュース)
- 1946年:サム・スニード(セント・アンドリュース)
- 1947年:フレッド・デイリー(ホイレイク)
- 1948年:ヘンリー・コットン(ミュアフィールド)
- 1949年:ボビー・ロック(サンドウィッチ)
- 1950年:ボビー・ロック(トルーン)
- 1951年:マックス・フォークナー(ロイヤルポートラッシュ)
- 1952年:ボビー・ロック(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1953年:ベン・ホーガン(カーヌスティ)
- 1954年:ピーター・トムソン(バークデール)
- 1955年:ピーター・トムソン(セント・アンドリュース)
- 1956年:ピーター・トムソン(ホイレイク)
- 1957年:ボビー・ロック(セント・アンドリュース)
- 1958年:ピーター・トムソン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1959年:ゲーリー・プレーヤー(ミュアフィールド)
- 1960年:ケル・ネーグル(セント・アンドリュース)
- 1961年:アーノルド・パーマー(バークデール)
- 1962年:アーノルド・パーマー(トルーン)
- 1963年:ボブ・チャールズ(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1964年:トニー・レマ(セント・アンドリュース)
- 1965年:ピーター・トムソン(ロイヤルバークデール)
- 1966年:ジャック・ニクラス(ミュアフィールド)
- 1967年:ロベルト・デ・ビセンゾ(ホイレイク)
- 1968年:ゲーリー・プレーヤー(カーヌスティ)
- 1969年:トニー・ジャクリン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1970年:ジャック・ニクラス(セント・アンドリュース)
- 1971年:リー・トレビノ(ロイヤルバークデール)
- 1972年:リー・トレビノ(ミュアフィールド)
- 1973年:トム・ワイスコフ(ロイヤルトルーン)
- 1974年:ゲーリー・プレーヤー(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1975年:トム・ワトソン(カーヌスティ)
- 1976年:ジョニー・ミラー(ロイヤルバークデール)
- 1977年:トム・ワトソン(ターンベリー)
- 1978年:ジャック・ニクラス(セント・アンドリュース)
- 1979年:セベ・バレステロス(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1980年:トム・ワトソン(ミュアフィールド)
- 1981年:ビル・ロジャース(ロイヤルセントジョージズ)
- 1982年:トム・ワトソン(ロイヤルトルーン)
- 1983年:トム・ワトソン(ロイヤルバークデール)
- 1984年:セベ・バレステロス(セント・アンドリュース)
- 1985年:サンディ・ライル(ロイヤルセントジョージズ)
- 1986年:グレグ・ノーマン(ターンベリー)
- 1987年:ニック・ファルド(ミュアフィールド)
- 1988年:セベ・バレステロス(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1989年:マーク・カルカベッキア(ロイヤルトルーン)
- 1990年:ニック・ファルド(セント・アンドリュース)
- 1991年:イアン・ベーカーフィンチ(ロイヤルバークデール)
- 1992年:ニック・ファルド(ミュアフィールド)
- 1993年:グレグ・ノーマン(ロイヤルセントジョージズ)
- 1994年:ニック・プライス(ターンベリー)
- 1995年:ジョン・デーリー(セント・アンドリュース)
- 1996年:トム・レーマン(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 1997年:ジャスティン・レナード(ロイヤルトルーン)
- 1998年:マーク・オメーラ(ロイヤルバークデール)
- 1999年:ポール・ローリー(カーヌスティ)
- 2000年:タイガー・ウッズ(セント・アンドリュース)
- 2001年:デビッド・デュバル(ロイヤルリザム・アンドセントアンズ)
- 2002年:アーニー・エルス(ミュアフィールド)
- 2003年:ベン・カーティス(ロイヤルセントジョージズ)
- 2004年:トッド・ハミルトン(ロイヤルトルーン)
- 2005年:タイガー・ウッズ(セント・アンドリュース)
- 2006年:タイガー・ウッズ(ロイヤル・リバプール)
- 2007年:パドレイグ・ハリントン(カーヌスティ)
- 2008年:パドレイグ・ハリントン(ロイヤルバークデール)
[編集] 今後の開催予定
- 2009年 ターンベリー 15年ぶりの開催となる。
2010年以降、理論上はセントアンドリュースは5年おき、その他のコースについては10年おきの開催となる。
- 2010年 セントアンドリュース
- 2011年 ロイヤルリザム
- 2012年 ミュアフィールド
- 2013年 ロイヤルセントジョージス
- 2014年 ロイヤルトルーン
- 2015年 セントアンドリュース
- 2016年 ロイヤルリバプール
- 2017年 カーヌスティ
- 2018年 ロイヤルバークデール
- 2019年 ターンベリー
[編集] 日本代表選手選考会
- 毎年5~6月に開かれる日本ゴルフツアー機構公認トーナメント大会(日本プロゴルフ選手権大会、マンシングウェアオープン KSBカップ、三菱ダイヤモンドカップゴルフ、全英への道 ミズノオープンよみうりクラシック)を「全英オープン日本代表選手選考会」と位置づけて開催している。
- 先述各大会に於ける獲得賞金ランキングの上位2名、並びにミズノオープンの上位4選手(何れもすでに当大会出場資格を獲得している選手を除く)に対して当大会の出場資格を獲得できる。
- 参考 その他の日本代表有資格選手
- 当該年度5月末までの世界ランキング上位50位までの選手
- 前年度の日本オープンゴルフ選手権競技優勝選手
- 前年度の日本ゴルフツアー機構賞金ランキング上位2位までの選手
他のメジャー大会に比べて、日本選手が出場する人数が多いのが特徴である。
[編集] 2009年以降
- 賞金ランキング上位2名の選出が、上記の不景気による大会撤退(「マンシングウェアオープン KSBカップ」(主催スポンサーの撤退および、後継スポンサーが見つからず))とJGTOのスケジュールにより変更され、「東建ホームメイトカップ」から8試合の合計金額に変更。(以降は変更なし)
[編集] TV放送
[編集] 日本
[編集] 地上波
- 日本ではテレビ朝日系列で地上波独占放送している。放送は第1日と第2日は木曜・金曜23:10~28:00、第3日は土曜23:00~27:00、最終日は21:00~26:30(但し、土日の決勝ラウンドに関しては最終組の競技終了・優勝者が決まるまで延長して放送される。)としている。土日の決勝ラウンド内では一旦中断し、ANNニュースが放送される。
- 1998年~2002年までは土日の決勝ラウンドは2部構成となったが、2002年の第131回の最終日に丸山茂樹が一時首位に立ったパッティングの瞬間に一旦番組を終了し「ANNニュース」と「大相撲ダイジェスト」を放送したが、中断の間に順位が落ちたため、視聴者から苦情・抗議の電話などが殺到した。また週明けの「ニュースステーション」で久米宏が、この年のゲストだったビートたけしも他局の深夜番組で不満を漏らしている。
- 2003年から土日の決勝ラウンドの編成がこれまでの2部構成から現在の1部統一に変わった。1999年~2003年までは「土曜ワイド劇場」の90分の編集版の後22:30から放送された。(1998年は通常放送で1時間前倒しして20:00から、2003年は世界水泳・シンクロチーム決勝、「土ワイ」の90分編集版の後に23:00から放送した。)
- また、日曜日に「選挙STATION」が編成された時は23:00や深夜0:30に開始した年もあった。番組のゲストとして出演した人物には、長嶋茂雄、谷村新司、武田鉄矢、浜田雅功、KONISHIKI、小倉智昭、ビートたけし(放送では北野武として出演、但し最終日のみ)がいる。2004年から2006年は松岡修造がリポーター役として参加している。また2008年はナレーターという形で木村拓哉が出演した。(この木村の出演は新聞欄に掲載されておらず、サプライズの出演となった。)
- 2003年までは最終日後日の月曜夜のネオバラエティ枠で「最終日ハイライト」を放送した。
- 2007年はサッカーアジアカップ準々決勝日本vsオーストラリアの試合(7月21日)が延長戦で試合が長引いたため、22日午前0時過ぎから1時間遅れで生中継を開始した。また、最終日は本来「報道STATION」(1部)の後に行う予定だったが、この年の選挙が1週繰り下がった為、23時からの放送となった。
- 実況アナウンサーは局アナの森下桂吉が担当しているが、2001年は森下が「世界水泳2001FUKUOKA」のシンクロの実況を務めたために、予選2日間を田原浩史アナ、決勝2日間を渡辺宜嗣アナが担当した。2003年は森下アナが担当したが当大会終了後に世界水泳の大会会場に出向く形になった。(その年のシンクロの実況は角澤照治アナが担当した。)
- 近年では、解説に青木功と戸張捷(ゴルフツアープロデューサー)、ラウンド解説に羽川豊を据える体制が恒例となっている(かつては大町昭義もラウンド解説を担当していた)。3日目、最終日になると、青木がラウンド解説に向かうことがあり、その際にはラウンド解説の羽川がスタジオに戻って解説を行った。
[編集] 衛星放送
- ゴルフネットワーク(スカパー!・スカパー!e2・ケーブルテレビ等で放送)では、大会期間の全ラウンドを日本時間夕方から翌日未明まで、競技開始から終了まで生中継する。2008年は初日から最終日まで合計38時間放送。生中継後も日本時間の早朝から夕方にかけて再放送されている。なお、国際映像をそのまま使用するためテレビ朝日版とは異なるカメラアングルとなる場面もある。
[編集] 日本以外
- イギリスではBBCで中継されている。
- アメリカでは、予選ラウンドをTNT、 決勝ラウンドをABCで中継している。(制作はESPNが担当)
- アジアではESPN STAR Sportsで中継されている。
ABCは2007年から、アメリカPGAツアーの放送から撤退したが、この大会だけは2009年まで放送権を持っている。

