PL学園中学校・高等学校

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PL学園中学校・高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人PL学園
設立年月日 1955年
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 国公立コース
理文選修コース
高校コード 27568K
所在地 584-8555
大阪府富田林市喜志2055
外部リンク 公式サイト
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PL学園中学校・高等学校(ピーエルがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は大阪府富田林市にある男女共学私立中高一貫校パーフェクト リバティー教団本部敷地内に立地しており学校法人PL学園が運営する。

概要[編集]

中学校では英語科数学科で習熟度別の授業を導入している。また高等学校では国公立コース・理文選修コースの2コースを設置し、希望進路に応じた学習を図っている。

中学校・高等学校ともに、大半の生徒が生活を送っている。

かつて高等学校には定時制課程・通信制課程も併設されていた。定時制課程は2000年度(平成12年度)、通信制課程は2009年度(平成21年度)に休止となっている。

沿革[編集]

  • 1955年 - PL学園高等学校が創立。全日制課程を設置。
  • 1957年 - 定時制課程を設置。
  • 1959年 - PL学園中学校が創立。
  • 1962年 - 校歌制定。
  • 1973年 - 通信制課程を設置。
  • 2000年 - 定時制課程を廃止。
  • 2009年 - 通信制課程を休止。

部活動[編集]

母体であるパーフェクト リバティー教団は「人生は芸術である」という教義を掲げている。そのため自己表現を重視することが奨励され、野球を始めとしたスポーツにも力が入れられている。特に後述の通り硬式野球部が有名である他、軟式野球部、バトン部、剣道部などが全国大会レベルで活躍している。かつてゴルフ部は、男子が1980年、第1回全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝し、翌年の第2回全国高等学校ゴルフ選手権大会も優勝[1]しており、高村博美(賞金女王1回)、中島千尋(ツアー通算4勝)、谷口徹(賞金王2回)ほか数多くのプロゴルファーを輩出した(2001年に廃部)。

硬式野球部[編集]

硬式野球部は1956年昭和31年)創部。6年目の1962年、甲子園に初出場する。1970年代後半からは甲子園の常連校となり、1977年(昭和52年)の3年生から2001年(平成13年)の3年生までは25学年連続でプロ選手を輩出した。

1985年(昭和60年)の夏の大会では全国大会で現在唯一の毎回得点を達成している(スコアはこちら掲載)。また、1978年の全国高等学校野球選手権大会では、準決勝の中京戦、および決勝の高知商戦において、土壇場の9回裏から大逆転劇を見せ、「9回裏の奇跡」「逆転のPL」の異名をとることとなった。

春のセンバツ大会には1981年1982年1987年の3回、夏の選手権大会1978年1983年1985年1987年の4回、春夏合計7回の全国制覇を達成している(1982年に史上2校目の春連覇1987年は史上4校目の春夏連覇達成)。甲子園全国大会では人文字での応援(カラーカード<色画用紙>やメガホンポンポン等を使用)が有名である。

いじめと監督後継問題[編集]

一方で数々の暴力事件も起こっている。2001年にはいじめが原因とされる暴行事件で半年間にわたる活動停止処分を受けている。この際は伝統の「説教」制度も問題になった。2008年も暴力事件が起こり、藤原弘介監督(当時)が辞任。後任として河野有道が復帰したが、2011年には部員の部内暴力と喫煙で1ヶ月の対外試合禁止になった。

2013年4月9日には、高野連・西岡宏堂審議委員長より2013年2月23日午後10時頃、2年生4人が、1年生1人を寮内にて殴る、蹴るの暴行を加え救急車が出動して病院送りにしたことが明らかにされた(学年は共に事件当時)。これにより日本学生野球協会審査室会議にて2013年2月24日から8月23日までの6ヶ月間の対外試合禁止処分が決まった[2][3]。監督の河野有道は2001年の活動停止処分を受けた際の監督でもあった(2001年辞任後2008年復帰)がその後退任し、4月16日付でPL教団職員に異動した。

暴行事件のため、上級生と下級生が同部屋で生活し、下級生が上級生の雑用等をこなす野球部独自の「付き人制度」は2013年秋に禁止された[4]。また野球部専用の「研志寮」も廃止され、一般生徒と同じ寮で生活している。研志寮の建物は、PL学園小学校の「小学SC寮」に転用された。

後継監督候補には複数のOBが浮上しているが、学校・教団側はかねてから野球部OBの多くが卒業後には教団への信仰から距離を置いていることに不満を持っており、野球部OBが監督に就任する条件の1つとして教団への熱心な信仰を求めているが、学校・教団側の要望に該当する野球部OBがいないことから、2013年秋大会から常勤の監督が不在という状況が長期化している。練習ではOBのコーチがいるものの、OBのコーチの指導はノッカーとしてのみ認められている(このOBは学校側から監督昇格は認められていない[5])。このため公式戦では野球未経験の校長が登録上の監督に就任し、ユニフォームを着てベンチ入りしているが、試合の中で決断を下せる大人が不在となっており、作戦や選手交代を選手同士で決めている。2014年10月には監督不在により十分な指導ができないことを理由に、入学を希望する中学3年生の新入部員の受け入れ停止を決定した[6]

出身者[編集]

プロ野球選手(卒業年度順)[編集]

※選手名の後ろの◎は名球会入りした選手、★はタイトルを獲得、または表彰を受けた選手、☆は現役選手

  • 1959年度卒
野田征稔
  • 1963年度卒
坪井新三郎
戸田善紀
愛甲徹
中塚政幸
  • 1965年度卒
得津高宏
長井繁夫
福嶋久晃
  • 1966年度卒
加藤英治
加藤秀司◎★
野口善男
  • 1967年度卒
大和田正海
  • 1968年度卒
川口孝秀
  • 1970年度卒
新井鐘律◎★
新美敏
  • 1971年度卒
行澤久隆
  • 1973年度卒
立野政治
平山正人
  • 1974年度卒
金森栄治
  • 1975年度卒
尾花高夫
  • 1977年度卒
米村明
  • 1978年度卒
金石昭人
木戸克彦
谷松浩之
西田真二
  • 1979年度卒
阿部慶二
小早川毅彦
山崎剛
山中潔
  • 1980年度卒
岡部明一
  • 1981年度卒
西川佳明
吉村禎章
若井基安
  • 1982年度卒
榎田健一郎
森浩之
  • 1983年度卒
加藤正樹
山中勝己
  • 1984年度卒
岩田徹
  • 1985年度卒
今久留主成幸
清原和博◎★
桑田真澄
内匠政博
松山秀明
  • 1986年度卒
霜村英昭
  • 1987年度卒
片岡篤史
立浪和義◎★
野村弘樹
橋本清
  • 1988年度卒
宮本慎也◎★
  • 1989年度卒
野々垣武志
  • 1990年度卒
入来祐作
  • 1991年度卒
坪井智哉
  • 1992年度卒
今岡誠
  • 1993年度卒
松井稼頭央◎★☆
  • 1994年度卒
宇高伸次
大村三郎★☆
  • 1995年度卒
辻田摂
福留孝介★☆
前田忠節
  • 1996年度卒
荒金久雄
前川勝彦
  • 1997年度卒
小林亮寛
前田新悟
  • 1998年度卒
大西宏明
平石洋介
  • 1999年度卒
覚前昌也
七野智秀
田中一徳
田中雅彦
  • 2000年度卒
加藤領健
中尾敏浩
  • 2001年度卒
朝井秀樹
今江敏晃★☆
小斉祐輔
桜井広大
  • 2003年度卒
小窪哲也
  • 2006年度卒
前田健太★☆
冨田康祐
  • 2008年度卒
緒方凌介
  • 2010年度卒
勧野甲輝
吉川大幾
  • 1982年度中学卒
樋口一紀
柳川高等学校に進学)

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 全国高校ゴルフ選手権 歴代優勝校”. nikkansports.com. 2014年6月20日閲覧。
  2. ^ PL学園夏絶望、6カ月対外試合禁止処分 日刊スポーツ 2013年4月10日7時41分
  3. ^ 『PL学園、部員の部内暴力で夏アウト…被害の1年生部員救急車で搬送』 デイリースポーツ 2013年4月9日(火)14時42分配信
  4. ^ PL学園、上下関係「付き人制度」「後輩が洗濯」禁止で「試合中けなさない」「ミスもほめる」…“監督不在”でも近畿大会出場”. msn産経ニュース. 2014年10月15日閲覧。
  5. ^ 校長監督“続投”の怪 これがPL野球部内紛の全容 東京スポーツ 2014年8月1日
  6. ^ PL学園 新入部員の受け入れ停止、監督不在で…部存続の危機も”. スポーツニッポン. 2014年10月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]