長崎県立島原高等学校

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長崎県立島原高等学校
Nagasaki prefectural Shimabara high school.jpg
過去の名称 【旧制中学】
長崎県立島原中学校
長崎県立島原高等学校
【女学校】
女子手芸学校
私立島原実科高等女学校
南高来郡立島原実科高等学校
長崎県島原高等女学校
長崎県立島原高等女学校
長崎県立島原女子高等学校
【商業学校】(後に分離・独立)
長崎県立島原商業学校
長崎県立島原工業学校
長崎県立島原商業学校
長崎県立島原商業高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎県
併合学校 長崎県立島原高等学校
長崎県立島原女子高等学校
長崎県立島原商業高等学校(後に分離・独立)
校訓 文武両道
設立年月日 1900年4月
創立記念日 11月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 全日制課程
-普通科
-理数科
定時制課程
-普通科
学期 3学期制
高校コード 42120A
所在地 855-0036
長崎県島原市城内二丁目1130番地
外部リンク 公式サイト
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長崎県立島原高等学校(ながさきけんりつ しまばらこうとうがっこう)は、島原半島東部、長崎県島原市城内にある公立高等学校。地元では「島高」(しまたか、しまこう)と呼ばれる。

島原城下にある。現在でも島原市の中心地で、周辺には島原武家屋敷街、島原市役所、島原振興局がある。

概要[編集]

歴史
1900年明治33年)に開校した「長崎県立島原中学校」(旧制中学校)を前身とする。この当時、県立中学校(旧制中学校)は長崎市に1校(長崎県立長崎中学校)のみで、大村の玖島学館(現長崎県立大村高等学校)と平戸の猶興館(現長崎県立猶興館高等学校)は旧藩主の出資によるもの(私立)であった。島原地方の要望をうけた当時の南高来郡長、松原英義が中学設立に奔走し、実現に至った。校地には旧島原藩主の松平忠和より邸宅敷地が与えられた。2010年平成22年)に創立110周年を迎えた。
校是
「文武両道」
スローガン
「輝け★21世紀の旗手・青き楓たち」
教育方針
  1. 和衷協同のもと、伝統ある校風の継承・発展に努め、誇り高く向上心盛んな活気溢れる学校をつくる。
  2. 師弟同行のもと、文武両道の修練に励み、心身ともに健康で豊かな教養を備えた人間を育てる。
校章
1949年(昭和24年)に公募され、在校生の作品が校章となった。可能性を秘めた若さを表すために緑色のの葉を背景に「高」の文字を置いている。
校歌
1949年(昭和24年)に制定。作詞は詩人宮崎康平[1]、作曲は大沢寿人(関西交響楽団の指揮者)による。3番まであり、各番とも「島原高校 あゝ我等が母校」で終わる。
校舎
1931年(昭和6年)に完成。ゴシック様式
課程・学科および特色
全日制課程 2学科
  • 普通科
    • 1年次 - 地歴・芸術の選択でクラス編制。
    • 2年次 - 文系・理系のコースに分かれる。
    • 3年次 - 文系は更に文Ⅰコースと文Ⅱコースに分けて指導を行う。理系コースはそのまま。
  • 理数科
    • 理科・数学に高い関心や適性を持つ生徒対象の学科
    • 1 年次から理科・数学・英語に重点を置き、理科3 科目にも対応。地学研修 ジオパークについての学習 山登り 課題研究、研究所・企業訪問、大学教授や大学院生による実験・講義等、校内外における体験的・問題解決的な学習の充実も図っている。SPP(サイエンス・パートナーシップ・プロジェクト)[2]や理数科研修旅行などの特色ある行事が実施されている。
定時制課程(夜間部)1学科
島原半島にある高等学校の中で唯一の定時制。本来4年で修了となるが、長崎県立鳴滝高等学校の通信制を利用し同時に学習すると、3年での卒業が可能(定通併修制度)。
学級数・生徒数
全日制課程 (2011年平成23年)4月現在)
  • 1学年 - 6学級(普通科5+理数科1)239名
  • 2学年 - 7学級(普通科6+理数科1)265名
  • 3学年 - 7学級(普通科6+理数科1)272名
  • 合計 - 20学級 776名
定時制課程 (2011年(平成23年)4月現在)
  • 1学年~4学年まで各1学級、計4学級。生徒総数は59名。
通学手段
徒歩、電車島原鉄道)、バス島鉄バス)、自転車原付バイク
制服
  • 全日制課程 - 男子は黒の学生服(学ラン)、女子は紺色ブレザー。運動着(ジャージ)・帽子の色は「赤」
  • 定時制課程 - ない。

沿革[編集]

長崎県立島原中学校(旧制中学校)
  • 1900年(明治33年)4月 - 「長崎県立島原中学校」として開校。校長1名(年俸900円)、教員5名(月20~60円)、監査役1名、小使[3]2名でのスタート。入学試験は4月中旬に実施。
  • 1923年大正12年) - 創立20周年に際し、同窓生の寄付により、図書館として「八角堂」が完成。[4]
  • 1931年昭和6年)
    • 8月 - ゴシック様式の新校舎(現校舎)が完成。
    • 11月 - 体操場(武道場)が完成。[5]
    • この当時、正門前には農園があり、授業の一環として園芸実習が行われていた。現在は自転車置き場、弓道場となっている。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、併設中学校(新制)を設置し、旧制中学校の2・3年生を収容。生徒募集を停止し、4・5年生はそのまま旧制中学校に在籍。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「長崎県立島原高等学校」(新制高等学校、男子校)が発足。
    • 併設中学校卒業生が高校1年生、旧制中学校5年生が高校2年生、旧制中学校卒業生(希望者)が高校3年生となる。
長崎県立島原高等女学校
  • 1901年(明治34年)5月 - 「女子手芸学校」が開校。
清水作次郎が、男子教育のための島原中学校が開校された際、女子教育の必要性を痛感し、私財を投じて設立。元島原藩主の門前にある広場(現・島原市立第一小学校 校庭)に校舎を新築。当初4学級、定員80名。学科は本科[6]と技芸科[7]を設置。
  • 1912年(明治45年)4月 - 「私立島原実科高等女学校」と改称。
  • 1914年(大正3年)4月 - 南高来郡に移管し、「南高来郡立島原実科高等女学校」と改称。
  • 1919年(大正8年)4月 - 修業年限を4年とし、定員200名となる。
  • 1920年(大正9年)4月 - 長崎県に移管し、「長崎県島原高等女学校」と改称。
  • 1922年(大正11年)4月 - 「長崎県立島原高等女学校」と改称。
  • 1936年(昭和11年)- 島原城堀端の場所[8]に改築移転。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、併設中学校(新制)を設置し、高等女学校の2・3年生を収容。生徒募集を停止し、4年生はそのまま高等女学校に在籍。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「長崎県立島原女子高等学校」と改称。併設中学校卒業生が高校1年生、高等女学校卒業生(希望者)が高校2年生となる。
長崎県立島原商業学校
  • 1941年(昭和16年)4月 - 「長崎県立島原商業学校」が開校。第1回の入学者は20名。校舎は島原高等女学校の旧校舎を利用。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、「長崎県立島原工業学校[9][10]」に転換。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 「長崎県立島原商業学校」と改称(復帰)。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、併設中学校(新制)を設置し、商業学校の2・3年生を収容。生徒募集を停止し、4年生はそのまま商業学校に在籍。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「長崎県立島原商業高等学校」と改称。併設中学校卒業生が高校1年生、商業学校卒業生(希望者)が高校2年生となる。
新制 長崎県立島原高等学校(共学)
  • 1948年(昭和23年)11月 - 長崎県立島原高等学校、島原女子高等学校、島原商業高等学校が統合され、男女共学の「長崎県立島原高等学校」となる。併設中学校も統合。
    • 普通科商業科家庭科を設置し、県下最大の総合高等学校となった。
      • 高等学校41学級・生徒数1982名、併設中学校12学級・生徒数709名。教職員87名。
      • 校舎は2校舎制をとり、従来の島原高等学校(旧制島原中学校)の校舎を第一校舎、高等女学校(現在の島原商業高等学校)の校舎を第二校舎とし、生徒は休み時間ごとに2つの校舎を行き来していた。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • 6月7日 - 本校に定時制課程を設置。(入学生51名)またこの年、以下の定時制分校5校を設置。
    • 6月 - 有家分校(ありえ)を設置。
    • 7月 - 神代分校(こうじろ)、西有家分校(にしありえ)を設置。
    • 8月 - 堂崎分校(どうざき)、多比良分校(たいら)を設置。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 有家、西有家、堂崎分校が分離独立し、長崎県立島原南高等学校となる。
  • 1956年(昭和31年)
  • 1964年(昭和39年)4月 - 国見、神代分校が統合し、全日制の分校となる。
  • 1967年(昭和42年)4月 - 全日制分校が分離独立し、長崎県立国見高等学校となる。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 八角堂を解体。
  • 1987年(昭和62年)7月 - 体操場(武道館)を解体。
  • 1991年(平成3年)
    • 6月
      • 火砕流発生による道路・線路一部区間不通で、南目[11]地区の生徒が登校不能となり、休校や数か所に分かれての集合・自学、夏季休業の1か月繰り上げといった臨時的措置がとられた。
      • 1学期の終業式を北目[12]は長崎県立国見高等学校体育館にて、南目は長崎県立島原南高等学校[13]の体育館で行った。
    • 7月22日 - 校舎に全生徒が登校し、授業再開。南目の生徒は船での登下校となった。
    • 10月12日 - 路線バス、不通だった区間の運行を再開。
    • 12月27日 - 島原鉄道、不通だった区間の運行を再開。これによりほぼ大火砕流前の学校に戻る。
  • 2001年(平成13年) - 100周年記念館(同窓会館)「秋岳館」が完成。
  • 2003年(平成15年)4月 - 理数科を設置。
  • 2010年(平成22年)-創立110周年を機に体育祭と文化祭を合わせて「青楓(せいふう)[14]祭」とする。マスコットキャラクター(ふうちゃん)が完成。
  • 2011年(平成23年)-創立110周年記念石碑を「秋岳館」前に設置。

学校行事[編集]

全日制課程
  • 進路
    • 同窓生講師による「島高青楓塾」
    • 早朝読書大学
    • 出張講座進路講演会コース説明会
    • 東大金曜講座
    • 雲仙合宿(1年)
    • 雲仙学習合宿(3年)
    • 難関校対策チーフ連絡会部活動支援学習会
  • 地域連携ボランティア活動
    • 雲仙百年の森記念植樹
    • 小高連携ボランティア活動(1・2年)
    • 森岳城清掃活動
    • 異世代交流ふれあい体験(1・2年)
    • 部活動生による地域清掃ボランティア
    • 福祉ボランティア(1年)
  • 運動・文化
    • 青楓祭(体育祭・文化祭)(9月)
    • まゆやまロード健脚大会
    • 芸術鑑賞会定期演奏会(管弦楽・合唱)
定時制課程
  • 1学期 - 新入生歓迎バスハイク、全国定通大会県予選
  • 2学期 - 中地区体育大会、薪能ボランティア参加、ケーキ作り
  • 3学期 - 餅つき大会(兼・新規成人祝賀式)、予餞会、キャンドル卒業式

部活動[編集]

全日制課程
運動部


文化部


生徒会直属
定時制課程

関連組織[編集]

PTA活動

PTA総会、学年PTA、学級懇談会、部活動保護者会、三者面談、PTA研修(大学・高校等訪問)

同窓会

「島高同窓会」と称する。長崎市(長崎普賢[15]会)、福岡県(福岡普賢会)、関西関東有明町に支部を置く。

著名な出身者[編集]

アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅
島原鉄道島原鉄道線島原駅徒歩約10分
最寄りのバス停
島鉄バス 「島原駅前」バス停下車後徒歩約10分、島原市内線 「桜馬場」バス停 「文化会館前」 徒歩約3分(通学時間帯のみ)
最寄りの国道
国道251号島原街道

周辺[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 校章同様、校歌の歌詞も公募され、佳作で選ばれた作品をもとに詩人の宮崎康平が作詞。
  2. ^ Science Partnership Projectの略。科学技術振興機構 (JST) による科学学習支援企画 詳しくはSPPのホームページへ。
  3. ^ 読みは「こづかい」。意味は「用務員の旧称」。
  4. ^ 1955年(昭和30年)以後は弦楽部・新聞部の部室として親しまれた。
  5. ^ 当時としては珍しい鉄筋コンクリート平屋建て。
  6. ^ 授業料1か月50(せん)で、カリキュラムは読書・算術・作文・修身・経済・育児・看護・唱歌・体操・裁縫・繍箔(ぬいはく、刺繍摺箔の技法を併用して文様を表す)
  7. ^ 授業料1ヶ月40銭で、カリキュラムは裁縫・繍箔その他技芸から構成される。
  8. ^ 島原商業高等学校の校舎となっている。
  9. ^ 現・長崎県立島原工業高等学校とは無関係。
  10. ^ この時、長崎県内では、佐世保商業学校長崎県立諫早商業学校・佐世保市立商業学校の3校も工業学校に転換された。
  11. ^ 「みなみめ」南部のこと。
  12. ^ 「きため」北部のこと。
  13. ^ 現在は有馬商業高等学校と統合し、島原翔南高等学校となっている。
  14. ^ 緑の楓という意味。校章にあるように、可能性を秘めた若さの象徴として「緑」を使用している。
  15. ^ 島原半島を代表する雲仙普賢岳に由来。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]