長崎県立長崎東中学校・高等学校
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| 長崎県立長崎東中学校・高等学校 | |
|---|---|
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 長崎県 |
| 併合学校 | 長崎県立長崎高等学校 長崎県立長崎女子高等学校 長崎県立瓊浦高等学校 長崎市立女子高等学校 |
| 設立年月日 | 1948年11月1日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 中高一貫教育 | 併設型 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 42101E |
| 所在地 | 〒850-0007 |
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長崎県長崎市立山5丁目13番1号
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| 外部リンク | 長崎県立長崎東中学校・高等学校 |
長崎県立長崎東中学校・高等学校(ながさきけんりつ ながさきひがしちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、長崎県長崎市立山5丁目にある併設型公立中高一貫校で、四年制大学をはじめとする上級学校への進学を目的とした学校である。長崎県の規則[1]上は長崎県立長崎東中学校と長崎県立長崎東高等学校とで別個の学校であるが、校地・校舎は共用、校長・事務局長は兼務、PTAは両校一体で組織されている。略称は「東中」(ひがしちゅう)[2]、「東高」(ひがしこう)。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 高等学校
- 長崎市街、長崎港を眺望する金比羅山(こんぴらさん)の中腹に位置する。現校舎は1976年(昭和51年)に完成した。
- 1948年(昭和23年)の学制改革により、長崎県立高3校(長崎高等学校・長崎女子高等学校・瓊浦高等学校[3])と長崎市立高1校(女子高等学校)の計4校が統合・分離の上、長崎東高等学校と長崎西高等学校が開校した。よって長崎東高等学校と長崎西高等学校は起源を同じくする兄弟校である。かつて両校間で行っていたスポーツの交流戦を復活させている部活動もある。
- 長崎五校[4]と呼ばれる、長崎市および西彼杵郡に設置され、かつて総合選抜制度(2002年(平成14年)3月実施の平成14年度入試をもって廃止)をとっていた長崎県立全日制普通科の5つの高校のうちの1つである。
- 2004年(平成16年)4月から併設型中高一貫校となった。
[編集] 中学校
- 佐世保北中学校とともに初の長崎県立中学校(戦後の新制中学校)として、2004年(平成16年)に開校。
- 校舎は高等学校と共用。
- 2011年(平成23年)4月現在、長崎県立中学校は長崎東中学校と佐世保北中学校、そして諫早高等学校附属中学校[5]の3校となっている。
[編集] 学区
[編集] 中学校
- 長崎県内全域
- 保護者の住所が長崎県にある者か、入学時に保護者が長崎県に居住する見込みの者[6]
[編集] 高等学校
[編集] 設置課程・学科
[編集] 高等学校
- 全日制課程
- 普通科
- 高校1年次で速修クラスと総合クラスに分かれ、2年次からは一類・二類・三類と進路別クラス編成となり、難関大学を目指す特進クラスも設置されている。
- 普通科
[編集] 校訓
- 高等学校創立当初より校訓はない。
[編集] スローガン
- 「ここに集え!憧れを抱く者 志に燃える者 ともによき世を創るために」[7]
[編集] 合い言葉
- 東の3C[8]
- Chance (機会)
- Challenge (挑戦)
- Change (変化)
- 「『ひがし』は一つ」
[編集] 教育目標
- 一人ひとりの生徒が輝く「日本一の学校づくり」
[編集] 校章
[編集] 高等学校
- 長崎を象徴する「鶴」[9]をモチーフに「東高」の縦文字。
[編集] 中学校
- 上記の高等学校の「高」を「中」に変えたもの。
[編集] 校歌
- 中高共通の校歌である。
- 作詞 - 島内八郎
- 作曲 - 伊藤英一
- 長崎東中学・高等学校のウェブサイトで校歌を聞くことができる。
- 3番まであり、各番とも「東、東、光あり」で終わる。
- 3番の歌詞には「西山」が含まれているが、西山町から立山へ移転した現在も歌詞は変わっていない。
[編集] 沿革
[編集] 前身
- 旧制中学校(男子校)
- 長崎県立長崎中学校
- 1858年(安政5年) - 長崎奉行支配組頭の永持亨次郎によって江戸幕府直轄の「英語伝習所」を創立。
- 場所 - 官邸の岩原屋敷(現在の長崎歴史文化博物館がある場所)
- その後、「英語所」、「語学所」、「洋学所」と改称。
- 1865年(慶応元年) - 新町に校舎を新築し、「済美館」と改称。
- 1868年(明治元年) - 明治政府直轄となり、「広運館」と改称。
- 1872年(明治5年) - 学制が公布され、官立(国立)の「第六大学区第一番中学校」と改称。
- その後、「第五大学区第一番中学校」、「広運学校」、「長崎外国語学校」、「長崎英語学校」と改称、移転が続く。
- 1878年(明治11年) - 願い出により長崎県へ移管され、「長崎県立長崎中学校」と改称。
- 1882年(明治15年)7月 - 欧化政策の影響により、邦学部を廃止し、再び「長崎外国語学校」と改称。
- 1884年(明治17年)
- 1913年(大正2年)7月 - 長崎市鳴滝に長崎県立長崎中学校校舎を新築し、移転。設計は山田七五郎による。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎への原子爆弾投下により、34名が死亡。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、新制の併設中学校を設置し、旧制中学の2・3年生を収容。旧制中学の募集を停止。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「長崎県立長崎高等学校」(新制高等学校、男子校)となる。
- 1858年(安政5年) - 長崎奉行支配組頭の永持亨次郎によって江戸幕府直轄の「英語伝習所」を創立。
- 長崎県立瓊浦中学校
- 高等女学校
- 長崎県立長崎高等女学校
- 長崎市立高等女学校
[編集] 開校
- 1948年(昭和23年)11月1日
- GHQより派遣のニブロ教育官の勧告を受け、上記4校(長崎高・長崎女子高・瓊浦高・市立女子高)を統合の上、中島川・大浦川を境に、長崎県立長崎東高等学校と長崎県立長崎西高等学校に分割。[16]
- 「長崎県立長崎東高等学校」
- 場所 - 西山町(旧長崎県立長崎女子高等学校校舎)に開校。
- 初代校長 - 山本千里(長崎県立長崎女子高等学校校長)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年) - 教員・財産・生徒に格差を生じさせないことを目的に、長崎東高と長崎西高との間で、総合選抜試験を開始[17]。
- 1951年(昭和26年)5月 - 最初の修学旅行を実施。
- 1952年(昭和27年) - 初の校内弁論大会を実施。
- 1953年(昭和28年)11月28日 - 第1回マラソン大会を実施。
- 1956年(昭和31年)8月 - 7か国52人の代表を含む約3000人が参加し、第二回原水爆禁止世界大会が体育館で開催される[18]。
- 1958年(昭和33年)
- 2月 - 生徒会誌『ひがし』を創刊。
- 各校独自の方法で生徒募集をしたいという要望から、長崎東高と長崎西高の総合選抜制を一旦廃止[17]。
- 1959年(昭和34年)9月 - 初の九月祭(文化祭・体育祭)を実施。
- 1961年(昭和36年) - 長崎県立長崎南高等学校設立にあたり、総合選抜制度が復活[17]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年) - 西山周辺道路整備のため、立山へ移転が決定。
- 1971年(昭和46年) - 最後の校内弁論大会を実施。マラソン大会を強歩大会に変更。
- 1973年(昭和48年)8月 - 立山新校舎、第1期工事着工。
- 1975年(昭和50年)12月 - 立山新校舎、第2期工事着工。
- 1976年(昭和51年)
- 1978年(昭和53年)- 交換留学生の受け入れを開始。
- 1980年(昭和55年)3月1日 - 定時制閉校。
- 1981年(昭和56年)3月 - 西山校舎(旧長崎県立長崎高等女学校校舎)の解体工事を開始。
- 1982年(昭和57年)
- 4月 - 新入生を対象とした白木峰(諫早市五家原岳中腹)合宿研修(東志行)を開始。
- 8月 - 3年生を対象とした雲仙合宿を開始。
- 1983年(昭和58年)5月17日 - セミナーハウス「セミナーひがし」を開設。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)11月 - 創立40周年記念行事・事業を実施。
- 1988年(昭和63年)11月1日 - 創立40周年記念式典を実施。
- 1990年(平成2年) - それまでの襟章を廃止し、校章に統一。
- 1995年(平成7年)- 総合選抜制度が一部改編される。
- 英語人文コースと数理科学コースを1学級ずつ設け、生徒が直接出願できるようにした。
- 推薦入試を実施。
- 1997年(平成9年)頃 - 制帽、男子の紐靴、女子のストラップ靴を廃止。
- 2002年(平成14年)3月 - この時の入試を最後に、長崎五校の総合選抜制度が廃止。
- 2003年(平成15年)
- 2月・3月 - 前年の総合選抜廃止に伴い、単独選抜試験を開始。一般入試に面接試験を導入。英語人文コースと数理科学コースを廃止。
- 4月 - 文部科学省より学力向上フロンティア・ハイスクール事業(3年間)の指定を受ける。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)4月 - 東西対抗戦3競技(野球、サッカー、剣道)で実施。
- 2006年(平成18年)
- 3月 - テニスコート整備完了。一般入試2教科(数学・英語)における独自問題作成を廃止し、長崎県教育委員会が長崎県立高校入試の数学・英語の2教科に関して、難易度別にA問題・B問題を導入・実施。各高等学校の実情に合わせ、どちらを実施するかは各高校に委ねられた。
- 12月 - セミナーハウス「ひがし」を解体。
- 2007年(平成19年)
- 長崎東中学校第1回卒業生が高校に進むことから、この時から長崎東高等学校入試の募集定員が変更(320名から160名に)[23]となる。
- 2008年(平成20年)
- 2月 - テニスコートそばに第3体育館が完成。[24]
- 11月 - 創立60周年記念式典・記念講演・記念演奏を実施。2号館の耐震補強工事を開始。
[編集] 学校行事
[編集] 1学期
- 4月
- 新任式、始業式、入学式(中高合同)、歓迎遠足
- 高1・中1東志行 - 国立諫早青少年自然の家での新入生合宿。2泊3日。日程は別。
- 5月
- 中学スケッチ大会(長崎市水辺の森公園)、全校クリーンデー、高総体壮行会、高中間考査
- 高総体直前のおにぎりサービス - 高総体に向けて練習に励む選手の激励のために2日間行われる。米や募金の協力の呼びかけがピロティと教室で行われる。
- 願望プロジェクト - 映画館から一式を体育館に持ち込んで行われる本格的な映画上映会。
- 6月
- 長崎市中総体推戴式、高等学校総合体育大会、長崎市中学校総合体育大会、高3進路講演会、中1地域清掃、中スクールコンサート、第1回定期考査、中オープンスクール
- 中2しまの体験学習(〜7月)- 五島市に2泊3日ホームステイし、海水浴、農業体験、漁業体験、かんころ餅づくり等の様々な体験を行い、交流を深める。
- 7月
- 高オープンスクール、芸術鑑賞会、中3保育園訪問(上長崎保育園)、中英語発表会、三者面談、終業式、中3・高夏季補習、高学習合宿、ヨーロッパ研修
- 8月前半
- 中3・高夏季補習、高3合宿、平和集会
[編集] 2学期
- 8月後半
- 2学期開始式、実力考査
- 9月
- 九月祭
- 高文化祭(兼 高オープンスクール)
- 体育祭 - 学年縦割りの班別で競われる。
- 後夜祭 - グラウンドのファイヤーを囲み、歌と炎の饗宴[25]が行われる。プロの花火師を招き、打ち上げ花火を行う。この花火は東高伝統の催しである。
- 第2回定期考査
- 九月祭
- 10月
- 中文化祭、地域開放講座、中2職場体験(3日間)、中1職場訪問(1日)、避難訓練
- 11月
- 12月
- 高第3回定期考査、三者面談、中人権集会、終業式、中3・高冬季補習
[編集] 3学期
- 1月
- 高冬季補習、3学期開始式、中学入試、高1・2課題考査、中実力考査、中百人一首大会、中生徒会役員選挙
- 2月
- 高推薦入試、強歩大会、第4回定期考査
- 3月
- 高卒業式、高一般入試、中卒業式、終業式、離任式、高1・2春季補習
- 中1論文発表会 - 総合的な学習の時間の1年間の総まとめとして、発表会を行う。
[編集] その他
- OBや著名人を呼んでの文化講演会や長崎大学教員による主張授業、理科研修、中学では校舎の建つ丘のふもとにある長崎歴史文化博物館見学や先輩・後輩間での読書本の引き継ぎ(書籍「読書力」引継式)といった行事がある。
[編集] 施設
- 正門付近
- 東高の前身、旧制長崎中卒業の山本健吉の「ともに生き 倶に學び 偕によき世を創ることの 大いなる歓びに あふれ 今日もまた 明日もまた」の言葉などが刻まれた石碑がある。
- ブロンズ像「爽」 - 正門付近に立つ。作家笹戸千津子によって制作された。
- 四季の道・紫陽花の道 - 中庭に伸びる道。中高生が毎朝この道を通って教室に入る。
- 日本一の碑 - 中庭に建つ碑で、全国優勝あるいは準優勝を果たした東中高の団体・個人の名前が刻まれている。
- 図書室
- 長崎県下で最も完備された学校図書館の1つで、蔵書は2万冊、新聞6種、雑誌10種。ビデオ・DVDコーナーもある。図書館が1つの棟となっている。
- エアコン完備の教室 - 長崎県下でも最も設置率が高い学校の1つである。
- 校史資料室「轍」(わだち) - 元3年11組教室[26]。
- 芝生 - 3号館前にある。そばの第1グラウンドで疲れた運動部の生徒が休息をとる場所でもある。
- メタセコイアの道 - 体育館側に伸びる。
- 第1体育館・第2体育館・第3体育館
- 第1体育館は2階建てで、1階には剣道場、卓球・ダンス場、柔道場がある。
- 2008年(平成20年)3月には第3体育館が完成し、それまで各部活動や体育の授業等で中・高が時間を調整しながら使用していた。
- 東風(こち)の道
- 敷地の外周に伸びる道で、春は桜とツツジが満開になる。校舎と第2グラウンドを結ぶ道でもある。
- 途中に世界地図が刻まれたプレートが置かれている憩のスペース「大志台」がある。
- 第2グラウンド - 人工芝が敷き詰められたテニスコート4面がある。
- 弓道・射撃場 - 第2グラウンドそばにあり、1階がライフル射撃場、2階が弓道場「鳴弦館」になっている。
[編集] 通学方法
- バス(JR(電車)や長崎電気軌道(路面電車)などを利用後、バスに乗り継ぐ生徒もいる)
- スクールバス - 乗降場所は学校敷地内ピロティ。
- 路線バス - 乗降バス停は「東高下」。正門から少し下ったところにある広場。バスが転回できるスペースが設けてある。
- 徒歩
[編集] 制服
[編集] 昼食
- 中学校も高校も給食ではなく、弁当持参か購買部での事前注文による弁当類・パンの食事の購入となる。
- 購買部では食品以外に、文房具や制服関係も取り扱っている。東中高オリジナルのクリアファイルもある。
[編集] スクールバス
- 長崎県交通局(長崎県営バス)に委託し、登下校時にスクールバスを運行している。
- 生徒の乗降場所は校門入ってすぐのピロティで雨天時にあまり雨に濡れることなく乗降できる。
- 登校バス
- 下校バス
- 部活をせずに下校する生徒対象の便
- 長崎署 経由 長崎駅前行き
- 中央橋 経由 長崎駅前行き
- 日見公園前・矢上団地 経由 江の浦行き
- 中学部活終了に合わせた便
- 長崎署前 経由 長崎駅前行き
- 中央橋 経由 長崎駅前行き
- 矢上団地 経由 中央通り 行き
- 高校部活終了に合わせた便
- 長崎署前 経由 長崎駅前行き
- 中央橋 経由 長崎駅前行き
- (西彼杵郡長与町)サニータウン行き
- つつじが丘行き
- 水族館・矢上団地 経由 江の浦行き
- 矢上団地 経由 中央通り 行き
- 部活をせずに下校する生徒対象の便
[編集] 部活動
[編集] 運動部
[編集] 文化部
[編集] 著名な出身者・卒業生
- 旧制県立長崎中学校の出身者・卒業生は長崎県立長崎中学校を参照。
- 長崎県立長崎高等女学校の出身者・卒業生は長崎県立長崎高等女学校を参照。
- あ
- か
- さ
- た
- な
- は
- 橋本康二(筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授、哲学専門)
- 林功 (英語講師、著述家)
- 林田繁和(長崎放送アナウンサー)
- 原田尚(建築コンサルタント)
- 平山祐次(信州大学名誉教授)
- ホリエアツシ(ストレイテナー(ボーカル、ギター))
- 堀池秀人(建築家、都市デザイナー、マサチューセッツ工科大学 (MIT) 客員教授等)
- ま
- や
- わ
- 脇山徳雄(3回生、東北大学名誉教授)
[編集] アクセス
- 路線バス
- 長崎県営バス「東高下」バス停
- 長崎駅前東口バス停より、「立山・浜平」行きのバスに乗車。
- 長崎県営バス「東高下」バス停
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 県立高等学校等条例 - 長崎県例規集 第16編 教育委員会、第4章 学校教育、第1節 学校教育
- ^ 名前が似ている学校に長崎市立東長崎中学校がある。その略称は「ひがなが」。
- ^ 長崎市にある私立瓊浦高等学校とは別の学校である。
- ^ 長崎県立長崎北高等学校、長崎県立長崎西高等学校、長崎県立長崎東高等学校、長崎県立長崎南高等学校(以上長崎市)、長崎県立長崎北陽台高等学校の5校。
- ^ 2011年(平成23年)4月に開校。
- ^ 平成23年度 長崎県立中学校 募集要項 (PDF) - 長崎県教育委員会・長崎県教育庁
- ^ 平成23年度 長崎県ハイスクールガイダンス (PDF) - 長崎県教育委員会・長崎県教育庁ウェブサイト
- ^ 平成24年度 長崎県ハイスクールガイダンス (PDF) - 長崎県教育委員会・長崎県教育庁ウェブサイト
- ^ 長崎港の形が鶴に似ていることから、別名「鶴の港」と呼ばれていて、「鶴」が長崎の象徴として扱われることが多い。鶴を学校名の中に入れた長崎県立長崎鶴洋高等学校や長崎県立鶴南特別支援学校、他にも校章の中に「鶴」が入っている学校も少なくない。例えば、長崎西高校、長崎南高校、長崎鶴洋高校、長崎工業高校、鶴南特別支援学校、諫早特別支援学校、ろう学校、長崎市立桜町小学校などがある。長崎県立の高等学校および特別支援学校の校章は学校紹介(長崎県公立学校事務長会ウェブサイト)で見ることができる。
- ^ 市制百年長崎年表(1989年(平成元年)4月1日 長崎市役所)によると瓊浦中学校の開校は翌年1923年(大正12年)4月1日と記されている。
- ^ 読みは「けいほ」。「瓊浦」は「長崎」の古名「瓊ノ浦」に由来。瓊浦中学校は現在の長崎県立長崎西高等学校の場所にあった。
- ^ 瓊浦中学校 - 平和研究所ウェブサイト
- ^ 市制百年長崎年表(1989年(平成元年)4月1日 長崎市役所)によると、市立高等女学校の開校は1922年(大正11年)4月8日と記されている。
- ^ 1938年(昭和13年)7月に移転するまで、現在の長崎市立上長崎小学校(長崎市下西山町)の場所にあった。1923年(大正12年)に建てられた鉄筋コンクリート3階建ての校舎は一部が現在でも上長崎小学校校舎となっており、長崎市で現存する最古の校舎であると言われている。上長崎小学校〜市内に現存する最古の校舎を参考。
- ^ 沿革 - 長崎市立桜馬場中学校ウェブサイト
- ^ 長崎市内の新制公立普通科高校は、旧制中学校の伝統は引き継がなかった。旧制中学校(旧制長崎県立長崎中学校、旧制長崎県立長崎高等女学校、旧制長崎県立瓊浦中学校、旧制長崎市立高等女学校)と長崎県立長崎東高等学校、長崎県立長崎西高等学校との合同同窓会は、過去一度も開催されていない。また、創立行事も同時に開催されたことがない。
- ^ a b c 高等学校再編の現代的様相 - 九州大学ウェブサイト
- ^ 年表 - 原水禁ウェブサイト
- ^ 1977年(昭和52年)に長崎県立長崎南商業高等学校として分離独立、2008年(平成20年)3月閉校。
- ^ 現在の長崎市立上長崎小学校の裏手にあり、普段は施錠してある。立ち入りには長崎東高等学校事務局への事前連絡が必要。
- ^ その他国語・理科・社会に関しては、長崎県公立高校入試問題を使用。
- ^ この時、独自問題を作成した高等学校は、長崎北高等学校・長崎西高等学校・長崎東高等学校の3校であった。
- ^ 長崎東中学校からの進学者が120名であるから、合計の定員は280名(7クラス)となる。
- ^ 校舎・体育館などの建築・耐震改修 - 長崎県教育委員会・長崎県教育庁ウェブサイト
- ^ 読みは「きょうえん」。意味は「宴会」
- ^ 長崎県立長崎東高等学校 第32回卒業生 3年11組ウェブサイト
- ^ ボランティア活動を行う。
- ^ 学校行事 - 長崎県立長崎東中学校・長崎東高等学校