ピチカート・ファイヴ

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ピチカート・ファイヴ
PIZZICATO FIVE
基本情報
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
インディー・ポップ
エレクトロ・ポップ
渋谷系
活動期間 1984年 - 2001年
レーベル NON STANDARD / テイチク
(1985年 - 1986年)
CBS/SONY RECORDS
(1986年 - 1990年)
SEVEN GODS / 日本コロムビア
(1990年 - 1991年)
TRIAD / 日本コロムビア
(1992年 - 1996年)
********* / 日本コロムビア
(1997年 - 1998年)
********* / HEAT WAVE
(1998年 - 2001年)
メンバー
小西康陽ベース,ギター,キーボード
1984年 - 2001年
野宮真貴(ヴォーカル)
1990年 - 2001年
旧メンバー
高浪慶太郎(ギター,キーボード,ヴォーカル)
1984年 - 1994年
田島貴男(ヴォーカル,ギター,ハーモニカ
1988年 - 1990年
佐々木麻美子(ヴォーカル)
1984年 - 1987年
鴨宮諒(キーボード)
1984年 - 1987年

ピチカート・ファイヴ(PIZZICATO FIVE、1984年 - 2001年3月31日)は、日本の音楽グループ。デビュー当時から1987年までの表記はPIZZICATO Vだった。

概要[編集]

1990年代の日本において一世を風靡した「渋谷系」と呼ばれる系統に属し、その音楽性のみならず3代目ボーカルである野宮真貴ルックスファッション面でも評価が高かった。自らを「ハッピー」、「キャッチー」、「グルーヴィー」、「ファンキー」といった言葉で形容することが多い。

その活動はアメリカイギリスフランスなどの欧米諸国にまで及び、ミック・ジャガーがピチカート・ファイヴのファンを公言していたほか、ロバート・アルトマン監督の『プレタポルテ』(1994年)や劇場版『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)で「トゥイギー・トゥイギー~トゥイギージェイムズ・ボンド~」(元曲は野宮のソロ時代のもの)が使われたり、2002年のオースティン・パワーズ#第3作では「東京の合唱」が流れるなど、複数の外国映画で楽曲が使われた。

熱狂的なファンを指す用語や、公式ファンクラブの名称は「ピチカートマニア!」。

来歴[編集]

1984 - 1990[編集]

1984年、小西康陽高浪慶太郎鴨宮諒佐々木麻美子の4人をオリジナルメンバーとして結成。当初はドラマー宮田繁男(後のオリジナル・ラヴメンバー)を加えた5人の予定だったが、4人で“ピチカート・ファイヴ”を名乗ることとなった。

1985年、元はっぴいえんどティン・パン・アレーYMO細野晴臣プロデュースにより12インチシングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」でテイチクノン・スタンダードレーベルよりデビュー。計2枚の12インチシングルを残す。1986年CBS・ソニーレコードへ移籍。1987年にファーストアルバム『couples』をリリースするが全く売れず、ソニー側から「ライヴの出来るボーカリストとの交代」を要求される等の事情もあり同年、鴨宮諒と佐々木麻美子の二人が脱退。当時既にオリジナル・ラヴでの活動を開始していた田島貴男を2代目ボーカルに迎え、1988年にはセカンドアルバム『Bellissima!』をリリース。その後も『女王陛下のピチカート・ファイヴ』(1989年)、『月面軟着陸』(1990年)とアルバムを次々と発表して一部では話題となるが、いずれも商業的な成果を残せなかった。

1991 - 1999[編集]

1990年、ピチカート・ファイヴは日本コロムビア/SEVEN GODS(後にTRIADレーベル)に移籍した。この背景にはそれまでの所属レコード会社であったCBS・ソニーの販売戦略に対する疑問もあったようである。移籍と同時に田島貴男がオリジナル・ラヴでの活動に専念するため脱退したのを受けて、レコーディングやライブでサポートボーカルをしていた元ポータブル・ロック野宮真貴を3代目ボーカルに迎える。また、高浪慶太郎が高浪"敬太郎"と改名し、1991年に高浪敬太郎コンボ&オーケストラ(小西も2曲参加)としてフジテレビテレビドラマサウンドトラックである「学校へ行こう! LET'S GO TO SCHOOL」を手がけたのを皮切りに、大量のリリース攻勢を仕掛けていく。

その名が広く知られるようになったのは1993年4月にリリースした「スウィート・ソウル・レヴュー」によってである。カネボウ化粧品REVUE」シリーズ春のキャンペーンソングという大型タイアップを掴み、本作はスマッシュ・ヒットとなる。さらに同年6月に発表したアルバム『ボサ・ノヴァ 2001』(元フリッパーズ・ギター小山田圭吾との共同プロデュースによるアルバム)はオリコンチャートで最高7位を獲得。12月にリリースした「東京は夜の七時」も、フジテレビ系の子供番組『ウゴウゴルーガ2号』のオープニング曲に採用されてさらに知名度を高め、一気に一流アーティストの仲間入りを果たした。

1994年にはミニアルバム『5×5』をアメリカのマタドールレコード(Matador Records)からリリースして北米デビューを果たし、続いてリリースされたアルバム『MADE in USA』も全世界での売上げが20万枚に達した。同年9月にもアルバム『Overdose』をリリースするが、このアルバム発表前の10月に高浪が脱退し、小西、野宮の二人で活動していくことになる。

1995年2月からはアメリカおよびヨーロッパの14都市でツアーを行い、成功を収める。3月には初のベストアルバム『PIZZICATO FIVE TYO〜Big Hits and Jet Lags 1991-1995』をリリースした。

1996年発表のシングル「ベイビィ・ポータブル・ロック」(日産・ミストラルCMソング) のヒットに続き、1997年、小西によって新レーベル*********(readymade) records,tokyoを設立し、アルバム『Happy End Of The World』、ベストアルバム『PIZZICATO FIVE JPN〜Big Hits and Jet Lags 1994-1997』(1997年)のほか、アナログ盤作品やリミックスアルバムのリリース、ライブなど順調に活動を重ねる。

1998年は1月に筒美京平が作曲した「恋のルール・新しいルール」、7月にミディアムバラード調の「きみみたいにきれいな女の子」、9月にザ・コレクターズ加藤ひさしフィーチャリングした(実態的には野宮とのデュエット)「ウィークエンド」と建て続きにシングルCDがリリースされた。

10月からの新番組サタスマの音楽を小西が手がける事になり、エンディングテーマに「プレイボーイ・プレイガール」が採用され、コーナードラマ少年頭脳カトリ』のオープニングテーマ(未発売)も「野宮真貴と野宮真貴(ピチカート・ファイヴ)」名義で担当した。「プレイボーイ・プレイガール」は同月発売の同名のアルバム(CD/限定LP盤)のタイトル曲だが、翌11月にシングルカットされ、8cmCDシングルで発売された。

また、アルバムCD「プレイボーイ・プレイガール」の通常盤発売以降、日本コロムビアが立ち上げたJ-POP部門のレコード会社HEAT WAVE(ヒートウェーブ)が発売元となり、2001年の同社清算までの作品は、【********* records,tokyoレーベル、発売元:株式会社ヒートウェーブ、販売元:日本コロムビア株式会社】という形態となる。

1999 - 2001.3.31[編集]

1999年のCDリリースはJBL maxisonic seriesと討って、4月に初マキシシングル(ミニアルバム形態に近い)「darlin' of discotheque e.p.」から始まり、7月の「nonstop to tokyo e.p.」、10月の「パーフェクト・ワールド」、11月の1900年代最後のアルバム「PIZZICATO FIVE」と続いた。 2000年は2月にreadymade recordsのアーティストによるコンピレーション盤を発売し、7月に野宮がソロとしてCDデビュー、8月には小西プロデュースによる「慎吾ママのおはロック」が発売されミリオンセラーを記録した。

9月にシゲル・マツザキYOU THE ROCK★フィーチャリングしたシングル「東京の合唱」を発売し、『東京』を一種のブランドテーマとしたプロデュースに傾斜して行くこととなる。9月30日には『女性上位時代』〜『ロマンティーク96』までのSEVEN GODS・TRIADレーベル時代のオリジナルアルバムが再発売された。11月にはオリジナルクリスマスソングである「12月24日」をシングルで発売し、同年のクリスマスまでfeel H"とタイアップしたCM(梅宮アンナ出演)がゴールデンタイムを中心に大量に放映された。

また、「12月24日」と同時にPV集「readymade TV Volume.3」がPIZZICATO FIVE初のDVDとして発売されている。

2001年1月1日、21世紀最初でオリジナルとしては最後のアルバム『さ・え・ら ジャポン』をリリース。『東京』から視野を広げて『日本』をテーマとしたありとあらゆる楽曲が詰め込まれたこのアルバムでは、「東京の合唱」でフィーチャーされた松崎しげるYOU THE ROCK☆は勿論、雪村いづみデューク・エイセスロケットマン(ふかわりょう)横山剣クレイジーケンバンド)、クレモンティーヌイマクニ?ハナレグミなどの豪華絢爛たるゲストをフィーチャリングした事でも高い評価を受ける。

しかし、2001年3月14日前後に、月末(3月31日)をもってピチカート・ファイヴが解散するとreadymade records,tokyoから急遽発表される。 解散の理由は小西曰く、「『さ・え・ら ジャポン』の出来が、ゲストの力を借りる形で今までになくすばらしい出来上がりで、解散するなら(最高の状態の)今かな」との事。これに関しては『元祖渋谷系が終止符を打つ』などの内容で、一般誌だけでなく朝日新聞など全国紙の文化面でも報じられた。

そして解散の日、ベストアルバム『PIZZICATO FIVE R.I.P.〜Big Hits and Jet Lags 1998-2001』をリリースし、かつてのメンバーであった田島貴男や高浪敬太郎、および大勢のゲストを招いてライブ(通称「お葬式」ライブ、オール・ナイトで行われた)を行い、およそ17年間の活動に終止符を打った。

結果として、1999年から2001年3月末の解散までの間に12種のCD・LP盤を1-3ヶ月のハイペースで立て続けにリリースとなった。

解散後[編集]

解散から日が経たない2001年6月に、コロムビア時代のシングルA面楽曲を全曲収録した2枚組CD「singles」が、1年後の2002年3月31日にはある種の追悼盤でもあるトリビュートアルバム戦争に反対する唯一の手段は。-ピチカート・ファイヴのうたとことば-」が発売され、曽我部恵一ORIGINAL LOVEキリンジRIP SLYME市川実和子水森亜土夏木マリ和田アキ子が参加した。

バンド結成から20年経った2004年には、コロムビア在籍時にリリースした映像作品のDVD再発売盤や、ソニー時代のベストアルバムとオリジナルアルバムの再発売盤がリリースされた。

さらに2005年、小西は息を吹き返しつつあるコロムビアミュージックエンタテインメントとプロデュース契約をして、columbia*readymadeレーベルを設立し、ピチカートの解散から5年経った2006年3月31日に、同レーベルより旧日本コロムビア時代のオリジナル/ベスト/ライブアルバムの再発売盤をリリースした。これには小西がアレンジしたジャケットがあしらわれており、ライナーノーツの構成がオリジナルと幾分異なる作品もある。また、同レーベルの第一弾アーティスト、野本かりあがピチカートの代表曲である「東京は夜の七時」をカバーした(歌詞は留守番電話携帯電話と変え、アレンジも変更)。

メンバー[編集]

小西康陽ベースキーボードボーカル
ピチカート・ファイヴのフロントマン的存在で、解散時までグループを牽引した唯一のオリジナルメンバー。大半の楽曲において作詞作曲を担当。
高浪慶太郎ギター・ボーカル)
オリジナルメンバーの一人。1994年に脱退。
佐々木麻美子(メインボーカル)
オリジナルメンバーの一人、初代ボーカリスト。1987年に脱退。
鴨宮諒キーボード
オリジナルメンバーの一人。1987年に脱退。
田島貴男(メインボーカル)
1988年、脱退した佐々木麻美子に代わって2代目ボーカリストとして加入。加入当時既にオリジナル・ラヴで活動していたため、これと掛け持ちする形になった。1990年に脱退。ピチカート時代の楽曲「夜をぶっとばせ」は後にオリジナル・ラヴ名義でもセルフカバーされている。
野宮真貴(メインボーカル)
1990年、田島貴男に代わって3代目ボーカリストとして加入。解散までメインボーカルを務めた。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

ノン・スタンダード[編集]

CBS・ソニーレコード[編集]

日本コロムビア[編集]

HEAT WAVE[編集]

オリジナルアルバム[編集]

CBS・ソニーレコード[編集]

日本コロムビア[編集]

HEAT WAVE[編集]

ベストアルバム[編集]

テイチク

インペリアルレコード(テイチクにより新設)

ソニーレコード

ソニー・ミュージックダイレクト(ソニー・ミュージックエンタテインメントより事業分業)

日本コロムビア

コロムビアミュージックエンタテインメント(社名変更)

リミックスアルバム[編集]

すべて日本コロムビアより

  • ピチカート・フリー・ソウル(1992年10月)※完全初回生産限定盤、アナログ盤
  • エキスポ2001(1993年11月1日)
  • フリー・ソウル2001(1993年11月21日)※初回生産限定盤、アナログ・MDとして発売
  • 宇宙組曲(1996年6月21日)※初回生産限定盤、CD・アナログとして発売
  • Pizzicato Five VS Darlin'of Discotheque(1999年11月20日)※初回生産限定盤、アナログ盤
  • PIZZICATO FIVE REMIXIS 2000(2000年3月18日)
  • Pizzicato Five in the mix (2001年12月21日) (須永辰緒によるリミックスCD)
  • pizzicato five we dig you (2006年5月29日)(小西康陽監修のカットアップ・リミックスCD)

その他アルバム[編集]

日本コロムビア[編集]

  • フジテレビ系ドラマ「学校へ行こう!」サウンドトラック(1991年5月)
  • 最新型のピチカート・ファイヴ(1991年6月1日)※ミニアルバム
  • 超音速のピチカート・ファイヴ(1991年7月1日)※ミニアルバム
  • レディメイドのピチカート・ファイヴ(1991年8月1日)※ミニアルバム
  • インスタント・リプレイ(1993年3月21日)※ライブアルバム
  • スーヴニール2001(1993年7月1日)※完全初回生産限定盤、アルバム『ボサ・ノヴァ2001』のスペシャルパッケージ盤(コロちゃんパック)。「スウィート・ソウル・レビュー」「ソフィスティケイテッド・キャッチー」の2曲が入っていない代わりに野宮真貴による『ボサ・ノヴァ2001』発売告知が入っている。
  • ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイヴ(1994年2月10日)※フジテレビ系番組「ウゴウゴ・ルーガ」サウンドトラック。コロちゃんパック仕様でカセットテープも発売された。
  • フリーダムのピチカート・ファイヴ(1996年6月21日)※初回生産限定盤、CD・アナログとして発売
  • great white wonder(1996年10月19日)※未発表・レアトラック集
  • プレイボーイ・プレイガール(1998年10月1日)※初回生産限定盤、10インチアナログ盤

ソニーレコード[編集]

VHS・DVD[編集]

すべて日本コロムビア(「動く女性上位時代」〜「readymade TV volume three」までのDVD再発盤、「HAPPY END OF THE BAND」はコロムビアミュージックエンタテインメント)より

  • 動く女性上位時代(1991年11月21日 VHS)
  • ミス・ピチカート・ファイヴ・スーパースター(1992年7月1日 VHS)
  • readymade TV volume one(1994年7月21日 VHS)
  • readymade TV volume two(1998年1月21日 VHS)
  • readymade TV volume three(2000年11月22日 DVD,VHS)
DVD版のジャケット写真は雷門、VHS版は太陽の塔となっている。
  • HAPPY END OF THE BAND:PIZZICATO FIVE BSフジ・スタジオ・ラスト・セッションズ(2004年3月31日 DVD)

エピソード[編集]

  • 1998年のアルバム「プレイボーイ・プレイガール」初回限定版と、1999年発売の各CD(JBL maxisonic series)は紙製の変形ケース仕様で、2000年「東京の合唱」から2001年「さ・え・らジャポン」までの3種類のCDと、初のDVD作品である「readymade TV Volume.3」は紙製のトールケース仕様であり、高さの関係から縦置きのままでは棚に収まらず、横に倒して出っ張らせた状態で陳列せざるを得ない店舗が多々あった。
  • アニメ『フューチュラマ』の第4期の5話「Leela's Homeworld」のラストで、「Baby Love Child」が挿入されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]