前川勝彦
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| メンフィス・レッドバーズ #55 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大阪市大正区 |
| 生年月日 | 1978年9月25日(30歳) |
| 身長 体重 |
185cm 98kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1996年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 1997年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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前川 勝彦(まえかわ かつひこ、本名:克彦(読み同じ)、1978年9月25日 - )は、MLB・セントルイス・カージナルス傘下3Aのメンフィス・レッドバーズに所属しているプロ野球選手(投手)。大阪府出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] 入団から近鉄優勝まで
PL学園高等学校から1996年のドラフト1位で近鉄バファローズに入団。入団当初は出場機会に恵まれなかったものの、1999年にプロ初勝利を挙げると9月23日の西武戦で初の完投勝利などシーズン2勝を挙げる。2000年に克彦から勝彦に登録名を変更すると頭角を現し、チーム最多の8勝、リーグ最多の8完投を挙げたほか、シーズン途中までは防御率ランキングの上位に顔を出すなど活躍し、オールスターゲームにも初選出され左のエース格に急成長する。また西武から4勝を稼ぎ西武キラーと呼ばれる。
2001年にはチーム最多の12勝を挙げリーグ優勝に貢献。しかし好不調の波が激しく、打者との相性の良し悪しがハッキリしていたため防御率が5.89と思わしくなかった。日本シリーズでは第4戦で5回1/3を投げ1失点と好投し、打撃でも野手並の鋭い当たりを外野に飛ばしている。
[編集] 不調と二度にわたる移籍
しかしこの優勝を境に調子を落とすようになる。2002年は防御率は改善されたもののなかなか勝ち星に恵まれず、チームが前年に続き優勝争いに加わったのにもかかわらず夏場以降は全く勝てなくなり、9月には得意だったはずの西武にまで打ち込まれるなど4勝11敗の成績に終わる。このため2年連続のリーグ優勝を逃した近鉄フロントから「V逸の戦犯は打は礒部、投は前川」と契約更改時に厳しい評価を受けた。
2003年も初登板こそ白星で飾るものの、西武戦では2戦連続の炎上、特に2試合目は伊東勤に満塁本塁打を浴びるなど1/3回で7失点という散々な状態でマウンドで失神寸前にまで陥る。これを最後に二軍降格を告げられウエスタンリーグに登板するも、7月21日の阪神タイガース戦において、8回を投げて15失点と当時の1試合最多失点記録を作ってしまう。それでも8月に一軍に復帰した際は1週間で中継ぎで3勝を挙げている。
2004年に川尻哲郎との交換トレードで阪神タイガースに移籍、この時「的山さんより打率を残してみせる」と発言し、的山は不快感を表した。同年に来日したニューヨーク・ヤンキースとの親善試合で対ヤンキース日本単独チーム初勝利の勝利投手となり、またウエスタン・リーグで最優秀防御率のタイトルを獲得するなどしたものの、一軍では期待されたような成績を残せなかったため、2005年11月15日に相木崇との交換トレードでオリックス・バファローズに移籍する。
オリックスに移籍後は相変わらずの制球難であったが苦しい場面でのメンタリティーに進境を見せ、11試合に先発。スケールの大きさは多くの人々が認めるところで、無尽蔵のスタミナを武器にもう一度先発での活躍が期待されていたが、その期待を大きく裏切る事件を起こしてしまう。
[編集] ひき逃げ事件と解雇
2007年1月6日午後2時頃、車を運転していたところ、在大阪韓国総領事館近くの横断歩道で自転車の女性と接触し全治1週間の怪我を負わせる。この時女性と口論になったが、事故を目撃した領事館警備の警察官が駆けつけると逃走。これがひき逃げとされ翌1月7日に大阪府警南警察署は業務上過失傷害と道路交通法違反の疑いで前川を逮捕した。さらに2002年にスピード違反で運転免許を取り消されたまま無免許であったことも判明したため、その日のうちにオリックスから無期限謹慎処分を受けた。その後1月17日に起訴され、翌1月18日に保釈されたものの球団から自由契約を通告される。
保釈時、前川は反省の意を込めて丸坊主にしてマスメディアの前で謝罪を行った。また、これに関して高校時代の先輩である福留孝介は「アホくさい。これで人生を終わりにしちゃったようなもん。免許が取れない理由があったのなら、運転手を雇うとか、方法はいくらでもあるでしょ。ほかの人よりもお金はたくさんもらってるわけだし。恥ずかしい。情けないというより、あんなヤツのことをもうこれ以上は話す気になれん。」と怒りを露にし、阪神時代の同僚だった矢野輝弘は「野球選手としても、社会人としても許されない行為」と苦言を呈した。 また近鉄の300勝投手で鈴木啓示は「前川については言語道断で情けない。救いようのない恥ずかしい事件だ。同じ釜の飯を食った近鉄の仲間として残念だし悲しいしバカタレ! と言いたい」とコメントした。
4月23日の公判では「反省している。もう一度野球ができれば、この反省を生かしたい」と述べ、5月7日、大阪地方裁判所にて懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を受けた。判決後、オリックス球団代表・機谷俊夫はチームへの復帰の可能性を問われ、「今の時点では何も言えない」と話した。
[編集] 判決後・現在
8月27日「僕には野球しかない、もう一度グラウンドに立って支えてくれた人達へのお詫び、恩返しがしたい」と日本、海外を含め改めて現役復帰への意欲を覗かせた。執行猶予中の身であるため、海外へ渡ることは困難と思われていたがクリアされた模様で、11月にドミニカへ渡りウィンターリーグに参加、12月2日に初勝利を挙げている。その後12月20日に帰国したが、1月上旬にプレーオフ出場のため再び渡航。プレーオフの試合では負け投手にもなったものの、5回1失点と好投。
クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシーと契約し、2008年2月5日、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。当初は招待選手としてスプリング・トレーニングに参加する予定だったが、ビザの取得が遅れたため契約ならず、結局同年はNOMOベースボールクラブのグラウンドで練習を続けた。同年11月、セントルイス・カージナルスのトライアウトに合格し、マイナー契約を結んだ。
[編集] エピソード
- 高校時代、成績評価が悪いことを各教科の先生に抗議したところ、全教科1に落とされた。オール1だと卒業は出来ないが、PL学園を卒業できたか卒業していないかは不明。
- 新人時代、二軍戦で気に食わぬことがあり、ベンチにグラブを叩きつけ荒れていたところ、当時の二軍監督・梨田昌孝の怒りを買い、鉄拳を食らった。梨田は温厚な性格で知られ、梨田がチーム関係者に体罰を食わせたのはこの一度きりで、逆鱗にふれたともいえる。そのためこの「事件」は前川・梨田の確執が大きくあらわれた出来事であった。
- 1998年12月1日に予定されていた契約更改をすっぽかし、さらに「今日は11月31日だと思った」と発言した。これに球団管理部(契約更改交渉担当)の藤瀬史朗が激怒、ペナルティーとして運転免許証を1年間球団預かりにされた。[1]奇しくもこの日は特定非営利活動促進法(NPO法)施行の日だった。
- 大のプリン好きとして有名。近鉄時代勝利投手となった際、スポーツ紙から実家にインタビューがあり、母親が「あの子の大好物のプリンを用意して待ってます」と答えたことから、「前川=プリン好き」のイメージがファンの間で定着した逸話がある。
- 2001年は、4月の月間MVPを獲得したり、両リーグで最速の2桁勝利(6月に達成。これは西崎幸広以来の記録)を達成したりと大きく飛躍したが、この頃から遠目から見ても分かる程に体重が増えフォームにキレがなくなってきており、これが後に大きく成績を落とす一因となった。
- 阪神移籍の理由は、いずれは近鉄に戻すつもりで、近鉄の外で勉強させようとしたためだというが、阪神在籍中にその近鉄は球団ごと消滅してしまった。結局前川はオリックスに移籍した。
- 元来左利きであるが、書道だけは右手を使う。
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1997 | 近鉄 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 26 | 5.0 | 7 | 0 | 6 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 8 | 14.40 | 2.60 |
| 1998 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 0.0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 2 | ---- | ---- | |
| 1999 | 15 | 3 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 154 | 33.1 | 27 | 1 | 28 | 1 | 1 | 27 | 2 | 0 | 21 | 19 | 5.13 | 1.65 | |
| 2000 | 33 | 27 | 8 | 1 | 0 | 8 | 13 | 0 | -- | .381 | 764 | 173.0 | 161 | 9 | 96 | 5 | 4 | 105 | 7 | 0 | 99 | 80 | 4.16 | 1.49 | |
| 2001 | 28 | 24 | 5 | 0 | 0 | 12 | 9 | 0 | -- | .571 | 633 | 140.2 | 140 | 19 | 85 | 0 | 14 | 84 | 13 | 0 | 95 | 92 | 5.89 | 1.60 | |
| 2002 | 22 | 22 | 2 | 0 | 0 | 4 | 11 | 0 | -- | .267 | 611 | 136.2 | 148 | 11 | 53 | 4 | 12 | 94 | 8 | 1 | 78 | 74 | 4.87 | 1.47 | |
| 2003 | 16 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 213 | 42.2 | 55 | 2 | 30 | 2 | 5 | 39 | 5 | 0 | 35 | 35 | 7.38 | 1.99 | |
| 2004 | 阪神 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 73 | 14.1 | 18 | 3 | 10 | 0 | 3 | 14 | 1 | 0 | 16 | 16 | 10.05 | 1.95 |
| 2005 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 19 | 3.2 | 3 | 0 | 5 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2.45 | 2.18 | |
| 2006 | オリックス | 24 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 1 | .125 | 271 | 59.2 | 68 | 3 | 29 | 0 | 5 | 46 | 4 | 1 | 30 | 29 | 4.37 | 1.63 |
| 通算:10年 | 149 | 95 | 16 | 1 | 0 | 31 | 45 | 0 | 1 | .408 | 2768 | 609.0 | 628 | 48 | 345 | 12 | 44 | 417 | 41 | 2 | 385 | 356 | 5.26 | 1.60 | |
- 2008年度シーズン終了時
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
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