朝井秀樹

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朝井 秀樹
Hideki Asai 2010.jpg
巨人時代(2010年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市東住吉区
生年月日 1984年1月1日(30歳)
身長
体重
177 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト1巡目
初出場 2003年9月24日
最終出場 2010年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

朝井 秀樹(あさい ひでき、1984年1月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手投手)で、大阪近鉄バファローズ東北楽天ゴールデンイーグルス読売ジャイアンツに在籍した。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1984年の元日に大阪府大阪市で生まれる。幼稚園の頃から父親と野球(キャッチボール)を始め、小学3年生地元の野球少年チームに入団した。中学時代にはボーイズリーグ「大阪平野富士」でプレーしていたが、入団当初は背の高い上手な投手が在籍していたために捕手を務めた。中学3年時には、すでに140㎞を計測していた。ボーイズリーグの日本選抜に投手として選出され、エースとして世界一を経験する。

1999年PL学園へ入学、2年生から背番号10番の実質的にエースとして夏の甲子園に出場するが、3回戦で智弁和歌山高校の強打の前に涙を飲んだ。3年生では朝井がエース、3番・桜井広大、4番・今江敏晃として再び甲子園を目指していたが、同野球部の暴力事件が発覚したことで第83回全国高等学校野球選手権大会には出場が叶わなかった。

2001年のドラフト会議において、大阪近鉄バファローズから1巡目指名を受け、入団。

近鉄時代[編集]

近鉄時代は二軍での育成が中心で、2003年9月24日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(大阪ドーム)でプロ初登板を果たすが、3年間で5試合の登板に終わった。2004年オフの選手分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。

楽天時代[編集]

2005年5月26日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)でプロ初先発・初勝利(同試合で新人の一場靖弘がプロ初セーブを挙げた)を果たし、球団初の三連勝に貢献した。同年8月31日の対北海道日本ハムファイターズ戦(フルキャストスタジアム宮城)では155球を投げ抜いて初完投勝利を挙げ、この試合でプロ野球史上ワーストのチーム月間借金20(2勝22敗)を免れた。白星はこの2つだけだったが、新規参入球団で選手全員が他球団からの移籍だったこの年は岩隈久志に次ぐ先発の柱として大いに期待された。

2006年は岩隈とセドリック・バワーズを故障で欠く苦しい事情から期待は大きく、開幕から先発ローテーション入りを果たすが、無駄な四球から自滅する試合が続いて開幕から3連敗を喫したことで5月末に二軍降格、そのまま再昇格することなくシーズンを終えた。昨年と同じ2勝止まりながら防御率が改善されるなど、復活の兆しが見えた。同年オフには有銘兼久河田寿司と共にハワイ・ウィンターリーグへ参加した。

2007年は復活を目指してオフに徹底的に走り込み、下半身を鍛えた。これによって制球力が向上し、四球が大幅に減少した。シーズン初登板となった4月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦(フルキャストスタジアム宮城)では、先発した牧野塁の負傷退場を受けて緊急登板したが、制球力の向上を武器に好投、勝利投手となった。自身の勝利により球団初の本拠地同一カード三連勝を達成。セ・パ交流戦の途中から先発ローテーションに入り、交流戦で3勝を挙げた。同年8月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)ではプロ初完封を達成、スコアは1-0だったため、球団史上初の単独完封勝利となった。この年は援護に恵まれない試合もあり8勝止まりとなったが、4被本塁打は規定投球回到達者の中では最小、防御率もリーグ10位に入るなど、安定感の光るシーズンとなった。

2008年は前年の活躍から、岩隈・田中将大に次ぐ先発3番手の投手として期待されたが、規定投球回には到達したものの防御率を1点以上悪化させた。シーズン最後の登板でも敗戦投手になったことで2桁勝利には届かなかったが、チームの投手陣の頭数が不足する中(特にこのシーズンはリリーフが手薄だった)、ロングリリーフなども精力的にこなし、自己最多の9勝をマークした。

2009年も前年と同じく岩隈、田中に次ぐ3番手の投手として期待されていたが、シーズン初登板で小久保裕紀が打ち上げた打球を鉄平が見失い、その後の適時打に繋がるという不運もあり、制球を乱し降板。以降の試合でも制球が定まらず、先発から中継ぎに降格されるが、制球は安定せずについに二軍降格となった。イースタン・リーグでは14試合に登板して6勝3敗・防御率2.26(イースタン・リーグ2位)と好成績だったが、91回2/3を投げて44四球と制球難は改善されなかった。この年は一軍未勝利に終わった。

2010年7月8日に離脱した田中将大の代役として一軍登録・即日先発出場したが、4回1/3を4失点で勝敗は付かなかった[1]。その後すぐに登録を抹消され、同年7月26日に栂野雅史との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍。背番号は68

巨人時代[編集]

2010年8月8日の対広島東洋カープ戦(東京ドーム)で移籍後初先発登板し、7回無失点で移籍後初勝利を挙げ、お立ち台では感激の涙を流した。その後も先発投手陣が不調の中で先発ローテーションを守り、4勝1敗・防御率2.01の好成績を残し、巨人の救世主と呼ばれる活躍でチームに貢献した。クライマックスシリーズでも先発に抜擢され、第1・第2ステージ合わせて2試合に登板した。オフに背番号を「38」に変更。

2011年7月26日に一軍登録されたものの、登板が無いまま3日後に登録抹消され、入団年以来の一軍出場無しに終わった。シーズン終了後には後輩の辻内崇伸小野淳平笠原将生とともに、プエルトリコのウィンターリーグへ参加している。

2012年は、故障の影響もあり一軍昇格すら無いままに終わり、同年10月2日に球団から戦力外通告を受けた[2]。複数の球団・社会人・海外のチームから興味を示されたものの入団には至らず、結局引退。

引退後[編集]

引退後は東京スポーツの野球評論家としての活動を始める一方、地元の大阪で野球塾を開講した[3]。同野球塾では仲澤忠厚覚前昌也が講師を務めている[3]

人物[編集]

祖父は熱狂的な近鉄ファンで、よく藤井寺球場・大阪球場・日生球場へ観戦に行った。2001年9月26日北川博敏が代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ってリーグ優勝を決定させた試合も大阪ドームで観戦していた。さらにサッカーが大好きで、テレビ観戦も頻繁にする。お気に入りのリーグはオランダのエールディビジである[4]

楽天入団後は、同じ東北を本拠地とするベガルタ仙台のサポーターとして、シーズンオフにはユアテックスタジアム仙台に観戦に行っている。2008年12月10日に行われたジュビロ磐田とのJ1・J2入れ替え戦では、一般サポーターと共に声援を送ったことが一部スポーツ紙より報じられている。

ものまねが得意で、幾度か披露している。感謝祭のエキシビジョンマッチでは様々な打者のバッティングスタイルを真似て打席に立ち、一つの名物になっていた。楽天時代は同僚のリック・ショート山崎武司や、アレックス・ラミレス小笠原道大グレッグ・ラロッカターメル・スレッジ大道典嘉和田一浩井端弘和などを披露している。

そのものまねや、人懐っこい性格が功を奏し、中村紀洋小笠原道大岩隈久志阿部慎之助など大物選手に可愛がられている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2003 近鉄 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 8 2.0 1 0 2 0 0 2 0 0 0 0 0.00 1.50
2004 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 5.2 8 1 1 0 0 0 1 1 4 4 6.35 1.59
2005 楽天 15 10 1 0 0 2 5 0 0 .286 277 60.0 71 10 28 0 3 43 5 0 45 40 6.00 1.65
2006 9 9 2 0 0 2 5 0 0 .286 233 50.1 55 2 30 0 5 42 3 0 25 22 3.93 1.69
2007 31 17 2 1 0 8 8 0 1 .500 603 144.1 146 4 40 1 6 107 4 0 53 50 3.12 1.29
2008 29 23 1 0 0 9 11 0 1 .450 662 148.0 165 16 60 3 7 122 6 0 81 72 4.38 1.52
2009 13 3 0 0 0 0 3 0 1 .000 140 28.2 37 4 17 0 0 25 3 0 23 21 6.59 1.88
2010 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 22 4.1 7 0 2 0 0 2 0 0 4 4 8.31 2.09
巨人 10 8 0 0 0 4 1 0 1 .800 191 49.1 39 2 9 0 0 35 2 0 15 11 2.01 0.97
'10計 11 9 0 0 0 4 1 0 1 .800 213 53.2 46 2 11 0 0 37 2 0 19 15 2.52 1.06
通算:8年 113 71 6 1 0 25 33 0 4 .431 2161 492.2 529 39 189 4 21 378 24 1 250 224 4.09 1.46

記録[編集]

投手成績
打撃成績
  • 初安打・初打点:2006年5月12日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、4回表に山本昌から中前適時打

背番号[編集]

  • 36 (2002年 - 2010年途中)
  • 68 (2010年途中 - 同年終了)
  • 38 (2011年 - 2012年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “マー君代役”朝井5回降板も…楽天、連夜の逆転勝ちスポーツニッポン 2010年7月8日
  2. ^ “朝井投手ら10選手に戦力外通告”. 読売ジャイアンツ公式ホームページ. (2012年10月2日). http://www.giants.jp/G/gnews/news_396369.html 2012年10月2日閲覧。 
  3. ^ a b 週刊ベースボール2014年6月2日号 P89
  4. ^ ホームゲームプログラム 2007 vol.15 掲載

関連項目[編集]