佐藤和宏
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 熊本県阿蘇郡阿蘇町(現:阿蘇市) |
| 生年月日 | 1977年9月21日(34歳) |
| 身長 体重 |
177cm 79kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト6巡目 |
| 初出場 | 2003年10月7日 |
| 最終出場 | 同上 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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佐藤 和宏(さとう かずひろ、1977年9月21日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 経歴
熊本県立阿蘇高等学校から九州東海大学を経て本田技研熊本(現・Honda熊本)に入社。2001年に大阪近鉄バファローズからドラフト6巡目指名を受けて入団。
2004年、球界再編問題に伴う選手分配ドラフトによって東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍したが、2006年シーズン限りで戦力外通告を受けた。
2007年に日本野球連盟へ新たに加盟した社会人野球チーム・ヒタチエクスプレス(愛知県小牧市)に入団してプロ退団者登録を受けたが、夏までに退部している(なお野球部自体も親会社の経営破たんにより2008年に休部しており現存していない)。
[編集] 人物
- ニックネームは本名が同音異字のパンチ佐藤に引っ掛けて「パンチ」。
- ドラフト入団当時は「MAX151kmの和製ランディ・ジョンソン」と銘打たれていた(なお二人とも左投げ右打ちである)。
[編集] 珍しい左投げ右打ち
佐藤は、日本人選手では珍しい左投げ右打ちの選手である。これは、近鉄に指名された当時のスポーツ新聞の記事によると、「元々は右投げだったが、試しに左で投げてみたら右よりも速かったので左投げに転向した」そうである。
このような理由でボールを投げる手を替えた選手は他にいないと思われる。ボールを投げることは、指先の感覚などの非常に微妙な要素が球のスピード・キレ・コントロールに大きく影響するために、通常はデメリットの方が遥かに大きく、特殊な事情がない限り、打つ方と違いボールを投げる手を後天的に替えることは稀であるからである。
鈴木啓示に代表されるようにケガの影響で利き手を替える場合ならあるが、大抵の場合は幼少で、佐藤の場合は少なくとも小学校高学年以降のことらしい。松中信彦は左肩を痛めて高校時代の一時期右投げに転向したことがあるが、打者の話である。投手が投げる手を変えて、なおかつ投手として通用する水準にまで達するのは困難だと思われる(利き手とそうでない手は神経の発達度合いが違うため)。
左投げ右打ちの日本人選手としては、他に竹原直隆がいる。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 近鉄 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 2.0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 |
| 通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 2.0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
[編集] 記録
- 初登板:2003年10月7日、対オリックス・ブルーウェーブ28回戦(Yahoo!BBスタジアム)、7回裏に3番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に早川大輔から
[編集] 背番号
- 51 (2002年 - 2006年)
[編集] 関連項目
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