大西宏明
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| 横浜ベイスターズ #33 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 兵庫県尼崎市 (大阪府堺市南区育ち) |
| 生年月日 | 1980年4月28日(29歳) |
| 身長 体重 |
178cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 2002年 ドラフト7巡目 |
| 初出場 | 2003年10月3日 |
| 年俸 | 3,800万円(2009年)←←3,100万円 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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大西 宏明(おおにし ひろあき、1980年4月28日 - )は、兵庫県尼崎市出身の横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称はジミー(元お笑いタレントで現在は画家のジミー大西から)。
目次 |
[編集] 来歴
1998年の全国高校野球選手権大会準々決勝、横浜対PL学園の延長17回に及ぶ死闘においては、横浜高校の松坂大輔投手から一時は同点打となるレフト前ヒットを放った。
2003年は二軍スタート。入団当初は、俊足と守備力が買われた一方で、打撃に関してはほとんど期待されていなかった。しかし、鈴木貴久コーチが大西の打撃センスに目をつけ、熱心に指導した結果、大西の打撃力は大きく向上した。この年は二軍で打率.310、7本塁打の成績を残し、一軍出場も果たす。
2004年は、前年度成績を残した下山真二の不振もあり、左キラーとして一軍に台頭した。4月に一度二軍落ちしたが、再昇格以後は一軍に帯同し、103試合に出場。主に7番レフトで起用された。この年新人王・最優秀救援投手に輝いたダイエーの三瀬幸司から3本塁打を放ち、7月18日の対戦では、サヨナラ本塁打を放った。9月4日の対戦でも、9回裏に代打同点本塁打を放っている。なお、この年放った10本塁打中、9本塁打は左投手からのものである。因みに三瀬からは翌2005年にも1本塁打を記録している。以降は左投手に非常に強いということでの起用が多く、外野手のレギュラー争いをしているという状況である。
この年、5月17日に大西の師である鈴木貴久が急逝した。当時の監督の梨田昌孝は、その翌日から2日間、不動の1番センターだった大村直之にかえて、大西を1番センターとして起用している。
2005年は球団合併による選手分配ドラフトによってオリックスに移籍。開幕戦は3番センターでスタメン出場する。夏場まではなかなかの成績を残したが、終盤に成績を落とし、最終的には.241、6本塁打と、開幕前の期待に比べると物足りない成績となった。
2006年はケガもあり、79試合の出場にとどまる。しかし.272、7盗塁とまずまずの成績を残した。この年以降、1番で起用されることが増える。
2007年は開幕はベンチスタートであったが、坂口智隆がほどなく打撃不振に陥り、1番センターに抜擢される。一時は4割を超える打率を残し、完全に不動の1番として定着したかに見えた。しかし6月に入ると大幅に調子を落とし、以後はほぼ左投手のときに出番が限定される。その後も調子はあがらず、9月には二軍降格。再昇格した坂口が打撃好調だったため、閉幕まで一軍に戻ることはなかった。結局、83試合に出場して.247、4本塁打と不本意な成績に終わる。この年は対左投手の方が打率が低く、1番で多く起用されたにもかかわらず、得点圏では打てても(得点圏打率は.389)、ランナーなしからの出塁率が低いなど、ちぐはぐな1年であった。
12月17日、古木克明との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍。12月19日に入団会見が行われ、背番号は古木が着けていた33番となった。
2008年は、オープン戦で調子があがらず、開幕後初打席でも全球見逃して三球三振という結果で、チームの登録抹消第1号となってしまう。しかし二軍で.538という驚異的な打率を残し、4月終盤には一軍に復帰。その後は好調な打撃を維持する。しかし6月に一度不振に陥ると、以後のスタメンはほぼ左投手のときに限られてしまった。それでも最終的には自己最多の105試合に出場して打率も.270と、移籍一年目としてはまずまずの成績を残した。
[編集] エピソード
- オリックスでは下山真二、北川博敏らと共にベンチを盛り上げるムードメーカー的存在であった。
- 応援歌はオリックス時代、大西専用の曲が使われていたが、2004年に一軍で活躍しだしたと同時期(この頃はまだ応援歌はなかった)、二軍コーチであった鈴木貴久が亡くなり、大西に鈴木の応援歌を引き継がせようかという動きがあった。が、時期尚早との声もあり、結局引き継がれなかったが、バファローズに在籍した2007年までは稀に大西の打席で鈴木の応援歌が流れたことがあった。大西の応援歌の歌詞には鈴木コーチを指すであろう言葉がある。また、バファローズ時代、大西専用の曲に前奏として鈴木の応援歌の後半が演奏されたこともあった。この応援歌は横浜移籍後の2008年10月9日東京ドームでの対読売戦で1日限り復活した。
- 実際に2007年5月17日(鈴木貴久の命日である)のソフトバンク戦で、7回の打席の際に鈴木の応援歌が流されている。なおこの打席では同点2点タイムリーを放っており、 大西は「鈴木さんが打たせてくれた」とコメントしている。
- 元々守備が評価されて入団しただけあり、かなりの強肩である。通年レギュラーで出場したことはないものの、毎年100試合前後の出場でコンスタントに高い補殺数を記録している。2008年は守備に定評のある金城龍彦が132試合の守備機会で2補殺だったのに対し、大西は92試合で5補殺を記録している。
- ひげを生やしているのは、ひげを生やしていないと十代と間違われるからだと言う。そのため、似合わないと言われてもそりませんと語っている。
- 現在日本テレビの上重聡とは高校時代の同級生である。
- オリックス在籍当時はMBSテレビの『せやねん!』で、「せやねん!専属広報部長」としてキャンプリポートや選手紹介などのリポーターもしていた(横浜への移籍に伴い、後任の「せやねん!専属広報部長」として坂口智隆を自ら指名。2008年12月13日放送の『せやねん!』では、坂口とともに「新旧・広報部長」が揃って生出演を果たした)。横浜に移籍した今でも、インタビューなどを受けている。ちなみに、ヒーローインタビューで「せやねん!」という言葉を使うことと、100試合出場を目標にすることを宣言した。せやねん!ファミリーの一員であり、トミーズ雅ら『せやねん!』出演者をはじめ、清原和博からも「ジミー」という愛称で親しまれている。
- 2008年7月12日の読売×横浜10回戦(東京ドーム)での試合で、1番センターで起用され、先発高橋尚成の投じた初球を左翼へ第4号となる先頭打者ホームランした。その際、「打ったのはスライダー、昨日の夜から狙っていました。佐伯さんのドリンクを勝手に飲んで『打たなきゃ、しばく』[1]と言われていたので、必死になって打ちました」コメントとした。
- 愛車はアルファロメオ・166である。(TBS系列で放送されているmove on ベイスターズ(毎週日曜日5:10~5:15)の2008年8月3日放送分にて紹介されている。)
- オリックス時代から現在まで、大西が打席に入る際に使用されている横断幕には「豪快に進め打撃道 大西宏明」と書かれている。この横断幕は、大阪紅牛會が作成したもので、全国星覇会が引き継いだものである。
- 移籍後に始めた本人のブログは、多い時で80~100件以上、普段でも60件以上ものコメントがベイスターズファンをはじめ、多くのプロ野球ファンから寄せられており、球界でもトップクラスの人気を誇る。独特の関西人らしい言い回しが特徴であり、人気の一つでもある。また、2009年4月1日(エイプリルフール)のブログの内容を見たチームメイトの村田修一は、自身のブログの中で大西の事をブログ王ジミー君と称していた。
- 大西自身が書いているブログの締めは必ず「ほなっ!!」という言葉で終わる
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 近鉄 | 1 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2004 | 103 | 316 | 272 | 45 | 72 | 11 | 2 | 10 | 117 | 43 | 5 | 5 | 7 | 3 | 31 | 2 | 3 | 58 | 5 | .265 | .343 | .430 | .773 | |
| 2005 | オリックス | 103 | 211 | 187 | 29 | 45 | 4 | 0 | 6 | 67 | 23 | 4 | 1 | 1 | 2 | 17 | 1 | 4 | 46 | 1 | .241 | .314 | .358 | .672 |
| 2006 | 79 | 190 | 169 | 19 | 46 | 9 | 1 | 3 | 66 | 15 | 7 | 2 | 7 | 0 | 12 | 0 | 2 | 37 | 2 | .272 | .328 | .391 | .719 | |
| 2007 | 83 | 257 | 227 | 28 | 56 | 8 | 0 | 4 | 76 | 16 | 3 | 2 | 5 | 2 | 20 | 0 | 3 | 55 | 4 | .247 | .313 | .335 | .648 | |
| 2008 | 横浜 | 105 | 330 | 289 | 37 | 78 | 20 | 0 | 4 | 110 | 26 | 5 | 2 | 4 | 2 | 30 | 1 | 5 | 54 | 5 | .270 | .347 | .381 | .728 |
| 通算:6年 | 474 | 1307 | 1147 | 158 | 297 | 52 | 3 | 27 | 436 | 123 | 24 | 12 | 24 | 9 | 110 | 4 | 17 | 251 | 18 | .259 | .330 | .380 | .710 | |
- 2008年度シーズン終了時
[編集] 年度別守備成績
| 年度 | 外野 | 一塁 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2003 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
| 2004 | 81 | 96 | 2 | 1 | 0 | .990 | - | |||||
| 2005 | 90 | 92 | 5 | 1 | 1 | .990 | - | |||||
| 2006 | 67 | 97 | 4 | 1 | 2 | .990 | 2 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2007 | 73 | 102 | 5 | 2 | 1 | .982 | - | |||||
| 2008 | 92 | 122 | 5 | 2 | 1 | .984 | - | |||||
| 通算 | 404 | 510 | 21 | 7 | 5 | .987 | 2 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
[編集] 個人記録
- 初出場・初先発出場:2003年10月3日、対千葉ロッテマリーンズ28回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・中堅手として先発出場、3打数無安打。
- 初安打:2004年3月30日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(大阪ドーム)、7回裏に長崎伸一から
- 初盗塁:同上、7回裏に三盗
- 初本塁打・初打点:2004年4月2日、対オリックスブルーウェーブ1回戦(Yahoo!BBスタジアム)、1回表に具臺晟から初回先頭打者本塁打
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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