大西宏明

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大西 宏明
RIMG1084 Hiroaki Ohnishi.jpg
横浜時代(2008年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 1980年4月28日(33歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2002年 ドラフト7巡目
初出場 2003年10月3日
最終出場 2010年8月25日
年俸 480万円(2011年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大西 宏明(おおにし ひろあき、1980年4月28日 - )は、元プロ野球選手外野手)。

愛称はジミージミー大西から)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

高校時代は攻守の要でエース上重聡や主将平石洋介と共にチームを牽引。1998年第70回選抜高等学校野球大会では準決勝敗退。第80回全国高等学校野球選手権大会で繰り広げられたPL学園対横浜延長17回においては、春の準決勝でも対戦した横浜高校松坂大輔投手から一時は同点打となる左翼前安打を放った。

近畿大学を経て、2002年ドラフト7位で大阪近鉄バファローズに入団する。

近鉄時代[編集]

2003年は2軍スタート。入団当初は俊足と守備力が買われた一方で、打撃に関しては期待されていなかった。しかし、打撃コーチであった鈴木貴久が大西の打撃センスに目をつけて熱心に指導した結果、打撃でも力をつけていき、二軍では打率.310、7本塁打の成績を残し、シーズン終盤には一軍出場も果たした。

2004年下山真二の不振もあり、左キラーとして1軍に台頭した。4月2日の対オリックス戦では、プロ初本塁打を初回先頭打者本塁打で飾ったが、この年入団したラリー・バーンズが後に来日初本塁打を満塁本塁打で記録することで、先頭打者本塁打と満塁本塁打により初本塁打を記録した選手が同一年に揃ったのは、史上2例目となっている[1]。その後一度二軍降格したが、再昇格以後は帯同して103試合に出場。主に7番・左翼で起用された。5月17日に鈴木が急逝すると、当時監督だった梨田昌孝は翌日から2日間、不動の1番・中堅手だった大村直之に代えて大西を起用している。また、プロ野球再編問題が報じられた6月13日の対日本ハム戦では、9回裏に横山道哉からプロ入り初のサヨナラ打となるサヨナラ犠飛を放っている。この年に新人王・最優秀救援投手に輝いた三瀬幸司から3本塁打を放つなど、対左投手に無類の強さを見せた[2]。以降、対左投手に対しての起用が多くなっていく。同年夏に近鉄の本拠地大阪ドームで開催のフレッシュオールスターゲームにオールウェスタンの1番中堅手で先発出場。オフの選手分配ドラフトによってオリックス・バファローズに移籍。

オリックス時代[編集]

2005年は開幕戦で3番・中堅として先発出場を果たす。仰木彬監督の期待に応え夏場までは好成績を残したが終盤に不振に陥り、最終的には打率.241、6本塁打と、開幕前の期待に比べると物足りない成績となった。中村勝広GMが監督就任した2006年はケガもあり、79試合の出場に留まるものの、打率.272、7盗塁とまずまずの成績を残した。この年以降、1番で起用されることが増える。

2007年の開幕はベンチスタートだったが、坂口智隆の不振により1番・中堅に抜擢された。師匠である鈴木の命日であった5月17日の対ソフトバンク戦では、7回表の打席で鈴木の応援歌が演奏される中、和田毅から同点の2点適時打を放って逆転勝利に繋ぎ、チームのシーズン2度目の大型連敗を6で阻止した(大西は「鈴木さんが打たせてくれた」とコメントしている)。一時は4割を超える打率を残し、完全に不動の1番として定着したかに見えたが、6月に入ると大幅に調子を落とし、以後はほぼ左投手のときに出番が限定される。その後も調子はあがらず、9月に降格。再昇格した坂口が好調だったため、閉幕まで1軍に戻ることはなかった。結局、83試合に出場して打率.247、4本塁打と不本意な成績に終わる。対左投手の方が打率が低く、1番で多く起用されたにもかかわらず、得点圏打率こそ.389ながら、無走者からの出塁率が低いなど、ちぐはぐな1年であった。

12月17日、古木克明との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍。12月19日に入団会見が行われ、背番号は33となった。

横浜時代[編集]

2008年はオープン戦で調子があがらず、開幕後初打席で全球見逃して三振となり、チームの登録抹消第1号となってしまう。二軍で.538という驚異的な打率を残し、4月終盤には1軍に復帰すると、暫くは好調な打撃を維持する。6月11日の対オリックス戦で、金子千尋から3ランを放って古巣に痛烈な恩返しを見せたものの、以後は不振に陥り、相手先発投手が左投手の時にスタメンが限られてしまった。それでも、自己最多の105試合に出場し、打率.270を記録した。

2009年は移籍2年目にしてチームの選手会副会長に任命され、前年度以上の働きが期待された。開幕戦の1番・中堅は松本啓二朗となり、前年同様ベンチスタートとなる。代打を中心に起用されたものの、一時は打率が1割を切るほどの大不振に陥り、登録を抹消された。外野守備に就いたのは18試合で、最終的には44試合の出場で打率.141、本塁打0本、打点6という結果に終わった。

2010年は出場試合が少ないなか打率3割をマークするも、10月1日戦力外通告を受けた。11月10日、12球団合同トライアウトにて4安打を放ち盗塁も決めた。12月3日に福岡ソフトバンクホークス育成選手として契約した。[3]

ソフトバンク時代[編集]

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2011年は育成選手として福岡ソフトバンクホークスでプレーするも、10月9日には前年の横浜に続き、2年連続で戦力外通告を受け、ホークスをわずか1年で退団する[4]11月7日自由契約公示された。

12月24日、MBSテレビせやねん!」のスポーツコーナーに生出演し、現役引退を表明した。

引退後[編集]

2012年4月25日、大阪市心斎橋に自らオーナーを務める焼肉店「笑ぎゅう」をオープン。

エピソード[編集]

元々守備が評価されて入団しただけあり、かなりの強肩。通年レギュラーで出場したことは無いが、毎年100試合前後の出場で多くの補殺数を記録している。2008年は金城龍彦が132試合の守備機会で2補殺だったのに対し、大西は92試合で5補殺を記録している。

オリックス時代の応援歌は大西専用の曲が使用されていたが、鈴木の急逝を受けて鈴木の応援歌を引き継がせる動きがあった。時期尚早との声もあって引き継がれなかったが、2007年までは大西の打席で鈴木の応援歌が流れたり、前奏として鈴木の応援歌の後半が演奏されたこともあった。この応援歌は2008年10月9日の対読売ジャイアンツ戦で1日限り復活した。

ひげを生やしていたのは、本人曰く「(生やしていないと)十代と間違われるから。似合わないと言われても剃りません」。その後、尾花高夫の意向に従い、剃った。

オリックス在籍時、MBSテレビの「せやねん!」で、『せやねん!専属広報部長』としてキャンプリポートや選手を紹介していた。横浜移籍時に、後任として坂口智隆を指名し、2008年12月13日放送分で「新旧・広報部長」が揃って生出演した。ヒーローインタビューで「せやねん!」という言葉を使うことと、100試合出場を目標にすることを宣言した。せやねん!ファミリーの一員で、トミーズ雅ら出演者をはじめ、清原和博からも「ジミー」という愛称で親しまれている。

2008年7月12日の対読売ジャイアンツ10回戦で、高橋尚成から左翼へ第4号先頭打者本塁打を放った。その際、「打ったのはスライダー。昨夜から狙っていました。佐伯さんのドリンクを勝手に飲んで『打たなきゃ、シバく』[5]と言われていたので、必死になって打ちました」コメントとした。

愛車はアルファロメオ・166である[6]

オリックス時代から現在まで、打席に入る際に使用されている横断幕には「豪快に進め打撃道 大西宏明」と書かれている。これは大阪紅牛會が作成したもので、全国星覇会が引き継いだもの。

移籍後に始めたブログは、多い時で80 - 100件以上、普段でも60件以上ものコメントが多くのプロ野球ファンから寄せられており、球界でもトップクラスの人気を誇る。独特の関西人らしい言い回しが特徴であり、人気の一つでもある。2009年4月1日(エイプリルフール)のブログの内容を見た村田修一は、自身のブログで大西を「ブログ王ジミー君」と称していた。ブログの締めは必ず「ほなっ!!」で終わる。

身内からも「大西」と応援で呼び捨てにされることを嫌っている[7]その際、「せめて呼び捨てなら『ダルビッシュ!』といってや!」という意味不明ジョークを放ったり、会場の子供達に突然サイン入りカードを配ったり、司会者の意図を外す自由奔放な言動が目立った。特に子供へのファンサービス熱心なのがファンから支持されるところで、野球教室では、大人に対しての打撃指導で辛辣な言葉を浴びせていた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2003 近鉄 1 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
2004 103 316 272 45 72 11 2 10 117 43 5 5 7 3 31 2 3 58 5 .265 .343 .430 .773
2005 オリックス 103 211 187 29 45 4 0 6 67 23 4 1 1 2 17 1 4 46 1 .241 .314 .358 .673
2006 79 190 169 19 46 9 1 3 66 15 7 2 7 0 12 0 2 37 2 .272 .328 .391 .718
2007 83 257 227 28 56 8 0 4 76 16 3 2 5 2 20 0 3 55 4 .247 .313 .335 .648
2008 横浜 105 330 289 37 78 20 0 4 110 26 5 2 4 2 30 1 5 54 5 .270 .347 .381 .727
2009 44 70 64 1 9 4 0 0 13 6 1 1 2 0 3 0 1 17 3 .141 .191 .203 .394
2010 36 52 43 3 13 1 0 0 14 2 0 0 1 0 8 0 0 14 2 .302 .412 .326 .738
通算:8年 554 1429 1254 162 319 57 3 27 463 131 25 13 27 9 121 4 18 282 23 .254 .327 .369 .691

年度別守備成績[編集]


一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 - 1 1 0 0 0 1.000
2004 - 81 96 2 1 0 .990
2005 - 90 92 5 1 1 .990
2006 2 7 0 0 0 1.000 67 97 4 1 2 .990
2007 - 73 102 5 2 1 .982
2008 - 92 122 5 2 1 .984
2009 - 18 19 1 1 1 .952
2010 - 20 21 0 0 0 1.000
通算 2 7 0 0 0 1.000 442 540 22 8 6 .986

記録[編集]

背番号[編集]

  • 50 (2003年 - 2007年)
  • 33 (2008年 - 2010年)
  • 134 (2011年)

脚注[編集]

  1. ^ “2年目・宮崎が史上初快挙 初安打のプロ1号がプレーボール弾”. スポニチアネックス. (2012年9月30日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/30/kiji/K20120930004228450.html 2012年9月30日閲覧。 
  2. ^ 三瀬からは7月18日にサヨナラ本塁打、9月4日には9回裏に代打同点本塁打を放っている。この年放った10本塁打中9本塁打が左投手からで、三瀬からは2005年にも1本放っている。
  3. ^ 育成選手入団のお知らせ - 2010年12月3日
  4. ^ 選手契約について”. 福岡ソフトバンクホークス (2011年10月9日). 2011年11月8日閲覧。
  5. ^ 佐伯と大西は同じ関西出身ということもあって仲が良く、試合前の守備練習時にキャッチボールを行うパートナー。2008年7月8日の対東京ヤクルトスワローズ9回戦の試合前練習時、佐伯が左翼外野指定席にいる少年に練習球を投げ与えたところ、佐伯がノックでその場を離れたすきに、大西が悪ふざけでその少年に投げ返させ、そのボールを戻ってきた佐伯に渡した。佐伯は訳が判らないままに、大西に促されて再度その少年に投げ与えた。
  6. ^ TBS系列で放送されているmove on ベイスターズ(毎週日曜日5:10~5:15)の2008年8月3日放送分にて紹介されている。
  7. ^ 2008年12月、ベイスターズ公式ファンクラブで明言。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]