古木克明
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 三重県松阪市 |
| 生年月日 | 1980年11月10日(31歳) |
| 身長 体重 |
182cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手、三塁手 |
| プロ入り | 1998年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 1999年7月15日 |
| 最終出場 | 2009年6月8日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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古木 克明(ふるき かつあき、1980年11月10日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手、内野手)、元総合格闘家。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
豊田大谷高校2年時の選手権、長崎南山高校戦で2打席連続本塁打で頭角を現し、3年時の第80回全国高等学校野球選手権大会ではベスト4に進出。1回戦では村田修一擁する東福岡高と対戦し、6対4で勝利。2回戦では上本達之擁する宇部商高と対戦、延長戦を制し3対2で勝利。準々決勝では和田毅がエースの浜田高と対戦、延長を制し4対3で勝利。準決勝では吉見太一擁する京都成章高と対戦するが、4三振と精彩を欠きチームも1対6で敗退。
高校時代は練習の虫で、甲子園の中継でバットを抱いて寝る、グローブなどの道具を大切にする選手として紹介された。左打ちながらレフト方向にも本塁打が打てる強打者だった。
1998年のドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名(松坂大輔の外れ1位指名)を受け、入団。指名当日、福岡ダイエーホークス志望だった古木に、当時横浜の監督だった権藤博が直接挨拶に出向いた。背番号は3。
[編集] プロ入り後
1999年から2001年は一軍の出場は数試合だったが、二軍では1999年にフレッシュオールスターゲームMVP、2000年に打率.305、10本塁打、2001年には打率.272、12本塁打と長打力を発揮していた。
2002年、背番号3を石井浩郎に譲り33に変更。二軍でチームトップの打率.285、13本塁打を打ち、シーズン後半に若手起用の方針から一軍で積極的に起用された。9月7日に川尻哲郎からプロ入り初本塁打を打つと、その後1か月半で桑田真澄、山本昌、岩瀬仁紀などエース級投手から次々と本塁打を放ち、最終的に9本塁打を記録。打率も.320を記録した。また黒江透修監督代行によって9月後半から13試合で4番として起用された。シーズンオフに開催された第15回IBAFインターコンチネンタルカップでは日本代表に選出され、4本塁打を放ち、本塁打王とベストナインとなった。
2003年は6番・三塁で開幕スタメンで起用されるなど大きな期待が掛けられる。本塁打は22本と量産したが、打率は.208と低く、131三振はリーグワーストのタイロン・ウッズの132三振に次ぐ記録だった。左投手やチャンスに弱く(得点圏打率は.121、打点は37)、守備ではリーグ最多の20失策を記録し(三塁で18失策、外野で2失策)、打撃でも守備でも粗い面が目立った。シーズン後半からは外野手として出場。失策王になった古木の守備を何とかするために、シーズンオフに親会社はダンストレーニングを課し、沖縄アクターズスクールに入れられる。
2004年から正式に外野手にコンバートされた。しかし、多村仁、佐伯貴弘、金城龍彦が揃って3割に到達し、外野のレギュラーが固定されていたため、主に代打として出場。打率は.290と上向き、出塁率が.365と打撃面では向上。5月4日の巨人戦(横浜スタジアム)で決勝本塁打を放ち、お立ち台に上がった。
2005年は新監督の牛島和彦が守備力を重視していたこともあり、安定した守備力を持つ小池正晃との定位置争いに敗れ、出場機会が減少。オフに他球団へのトレードを志願したが、球団側の説得やファンの声援もありトレード志願を取り下げた。7月1日に池端忍と結婚、翌年1月に第一子となる長女が誕生した。
2006年は多村の故障や小池の打撃不振により、3年ぶりの100試合出場と出場機会を得たものの、打率.252と結果が残せず、小池の復調や吉村裕基の台頭後は再び控えに回るようになった。外野守備においても打球判断の拙さから平凡なフライを三塁打にしてしまうなど、外野手ではリーグ最多の8失策を記録した。シーズン終了後、右ひじ骨棘除去手術をした。
2007年は前年の手術の影響でキャンプは二軍スタート。開幕第2戦で門倉健からチーム第1号となる決勝本塁打を放つなど、前半戦はそれなりの活躍を見せていたが、夏には再び二軍落ちを経験するなどシーズン通しての活躍はできなかった。同年オフに大西宏明との交換トレードでオリックス・バファローズに移籍。
2008年も二軍で開幕を迎えたが、4月に一軍に昇格するとまずまずの打撃を見せた。しかし、5月は月間打率が1割台と打撃不振で6月上旬に二軍降格。その後二軍ではチーム2位の7本塁打、打率.279の成績を残したが、一軍昇格することなくシーズンを終えた。出場機会は2002年以降では最少で、一軍で本塁打なしに終わるのは7年ぶりだった。
2009年も二軍で打率が3割を超えるなど好調な打撃を見せ、5月に一軍昇格。対右投手時のスタメン及び左の代打要員として起用されたが結果を残せず、1か月ほどで二軍降格。その後二軍では打率は.310と好成績を残していたが、同時に三振王(74個)にもなり、一軍に昇格することなくシーズン終了。10月3日に戦力外通告を受けた[1]。その後、12球団合同トライアウトに2度参加したが獲得球団はなく、現役を引退。
[編集] 格闘家へ転向
2009年12月8日、格闘技の新団体「スマッシュ」に入団することが発表された[2]。「野球に未練はない、世界を代表する格闘家を目指したい」と意気込みを語った。12月20日に行われたプロ野球55年会が企画したチャリティーマッチに参加、9回に代打で出場し、レフトフライに終わった。試合後、古木にとっては最後の試合ということで両チームの選手による胴上げが行われた。なお、格闘家転身については2009年12月30日に放送されたTBSのドキュメント番組、『壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった』でも紹介された。
2010年6月にゴールドジムベースボールクラブの一員として茨城ゴールデンゴールズとの練習試合に参加[3]、同チームの都市対抗野球大会東京都予選メンバーにも背番号33で登録されている(同チームにはコーチ兼任で元西武の上田浩明も選手登録)。また、6月26日に西調布アリーナで行われたアマチュアDEEPの第1回大会において、総合格闘家として長南亮と2分2ラウンドのエキシビションマッチを行った[4]。
2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜にてアンディ・オロゴンと対戦。5分3ラウンドを戦い抜き、0-3の判定で敗れた[5]。
2011年4月22日、DEEP 53 IMPACTにて海老名義隆(元明治大学ラグビー部選手)と対戦。5分2ラウンド戦にて2-0の判定勝利。格闘技転向後の初勝利となった[6]。
[編集] 野球再挑戦
4月の格闘技初勝利後、少年野球指導者を目指し、セカンドキャリアの実務研修を兼ねて「少年野球指導教室 中野塾」に参加。野球の練習を開始する。その後、関係者からの勧めもあって格闘家を引退し、球界復帰を目指すこととなった。球界復帰のために市民球団かずさマジックの練習に参加[7]。また、平行して大久保博元の下で練習を行なっていた[8]。古木は格闘家を引退した理由を2つ挙げている。1つは試合中に感じた「死ぬかもしれない」という恐怖に耐え切れなかったこと、もう1つは格闘技のトレーニングをしているときも結局野球のことを考えてしまい、自分には野球しかないと気付いたからだとしている[9]。11月の12球団合同トライアウトにも参加したが、獲得球団は現れなかった。今後は来年のトライアウトに向けて練習する模様。この模様はTBS系「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」でも特集された。
[編集] プレースタイル
高校通算52本塁打を記録した天性の長打力を持つが、通算打率は.250未満と荒削りな打撃だった。2003年は規定打席不足にもかかわらずリーグ2位の三振数を記録している。長打力ばかりが強調されるが足の速い選手でもあり、打数に対する併殺打の割合は低い。
守備力は三塁、外野ともに低く、2003年に三塁手ではリーグ最多の18失策、2006年に外野手ではリーグ最多の8失策を記録している。守備に難があったことについて本人はドライアイが大きな理由だったという。野球界復帰時に行った検査で片目の涙量がゼロという極度のドライアイであることが分かり、実際に打席や守備についているときに目がかすんだり距離感がつかめなくなることがたびたびあったと語っている。このドライアイはすでに治療を済ませている[9]。
[編集] 人物・エピソード
小学校の文集で「将来はプロ野球選手になりたい。しかし大洋(ホエールズ、横浜の旧名)とロッテには入りたくない」と書いていた過去があり、そのネタが横浜在籍時代に『トリビアの泉』で取り上げられた。
守備力は低く、横浜時代に平凡な三塁ゴロを処理する際に転倒し,一塁に暴投した時のアナウンサーの「古木あーっと」という実況は古木の珍プレーの代名詞ともなっている[8][9]。
試合中のベンチ内で煙草を吸っているところが試合中継で流れ波紋を呼んだことがある。アスリートでありながら喫煙していることの是非も話題となったが、指定場所以外での喫煙は禁止されているのにもかかわらず、ベンチで吸っていたことが問題視された。
天然な性格で天然ボケエピソードが多数ある人物である。
- 二軍の湘南シーレックスの優勝争いの時「一軍に上がりたくない」と発言。
- 2000年6月6日のイースタン・リーグの日本ハム戦、同点で迎えた9回裏一死満塁の場面で左翼を守っていた古木。そこへ左翼ファウルグラウンドに飛んできた捕らなくてもよい飛球に対し、それを背面キャッチした。結果的にフライアウトが成立し、三塁走者の生還を許し、左邪犠として記録される。
- 2004年、古木が打球を見失い二塁打にしてしまった時、「ボールが見えない」と発言。技術以前の問題と西岡良洋守備走塁コーチを嘆かせた。
- 同年の5月4日にお立ち台で、「こどもの日に打ててすごく嬉しいです」と言ってしまい、その日同じくお立ち台に上がった佐々木主浩とアナウンサーに大爆笑される。
プロ野球引退後に総合格闘家に転身できることからもわかるように筋肉質であり、肉体美に関するエピソードもある。
- 2004年出版の「ベースボールポポロ」(麻布台出版社)には、横浜のキャンプ地・沖縄県宜野湾市での取材時に、上半身裸の肉体美を披露する写真を撮影、掲載された。古木の体に魅せられたカメラマンが上半身裸になって欲しいと依頼すると、古木はテレながらも、笑顔でリクエストに応じたという。
- プロ野球引退後の2010年7月13日のロッテ対オリックス(千葉マリン)の始球式に登場。マウンドでTシャツを脱ぎ上半身裸になり投球。なお、その際捕手役は横浜時代の同僚だった吉見祐治が務めた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999 | 横浜 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2001 | 4 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2002 | 34 | 106 | 100 | 15 | 32 | 6 | 0 | 9 | 65 | 22 | 2 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 0 | 25 | 2 | .320 | .343 | .650 | .993 | |
| 2003 | 125 | 389 | 351 | 46 | 73 | 12 | 0 | 22 | 151 | 37 | 2 | 4 | 0 | 0 | 25 | 1 | 13 | 131 | 3 | .208 | .285 | .430 | .716 | |
| 2004 | 100 | 208 | 186 | 26 | 54 | 3 | 0 | 11 | 90 | 27 | 3 | 0 | 0 | 0 | 19 | 1 | 3 | 57 | 1 | .290 | .365 | .484 | .849 | |
| 2005 | 65 | 116 | 105 | 10 | 26 | 5 | 1 | 4 | 41 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | 3 | 35 | 1 | .248 | .319 | .371 | .690 | |
| 2006 | 110 | 321 | 298 | 32 | 75 | 18 | 1 | 10 | 125 | 35 | 3 | 4 | 0 | 3 | 15 | 1 | 5 | 72 | 3 | .252 | .296 | .419 | .715 | |
| 2007 | 72 | 168 | 158 | 13 | 39 | 11 | 1 | 4 | 64 | 14 | 1 | 2 | 1 | 2 | 6 | 0 | 1 | 43 | 0 | .247 | .275 | .405 | .681 | |
| 2008 | オリックス | 21 | 50 | 45 | 4 | 10 | 2 | 1 | 0 | 14 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 8 | 2 | .222 | .300 | .311 | .611 |
| 2009 | 9 | 14 | 13 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | .231 | .286 | .308 | .593 | |
| 通算:10年 | 543 | 1380 | 1263 | 196 | 312 | 58 | 4 | 60 | 554 | 152 | 12 | 13 | 2 | 7 | 81 | 3 | 27 | 377 | 12 | .247 | .305 | .437 | .742 | |
[編集] 年度別守備成績
| 年 | 一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2001 | - | - | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 2002 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 27 | 11 | 47 | 5 | 5 | .921 | - | |||||
| 2003 | - | 86 | 49 | 128 | 18 | 7 | .908 | 24 | 26 | 0 | 2 | 0 | .929 | |||||
| 2004 | - | - | 44 | 41 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 2005 | - | - | 17 | 18 | 0 | 1 | 0 | .947 | ||||||||||
| 2006 | - | - | 77 | 121 | 6 | 8 | 0 | .941 | ||||||||||
| 2007 | - | - | 48 | 64 | 2 | 2 | 0 | .971 | ||||||||||
| 2008 | - | - | 8 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 通算 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 113 | 60 | 175 | 23 | 12 | .911 | 219 | 282 | 8 | 13 | 0 | .957 |
[編集] 表彰
- フレッシュオールスターゲームMVP:1999年
[編集] 記録
- 初出場:1999年7月15日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、9回表に斎藤隆の代打で出場
- 初打席:同上、9回表に伊藤敦規から二塁ゴロ
- 初先発出場:2001年9月27日、対阪神タイガース27回戦(横浜スタジアム)、8番・左翼手として先発出場
- 初打点:2001年9月29日、対広島東洋カープ26回戦(横浜スタジアム)、5回裏に黒田博樹から左犠飛
- 初安打:2002年9月4日、対中日ドラゴンズ22回戦(横浜スタジアム)、10回裏に落合英二から中前安打
- 初本塁打:2002年9月7日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、2回表に川尻哲郎から右中間へソロ
- 初盗塁:2002年9月16日、対読売ジャイアンツ25回戦(東京ドーム)、4回表に二盗(投手:真田裕貴、捕手:阿部慎之助)
[編集] 背番号
- 3 (1999年 - 2001年)
- 33 (2002年 - 2007年)
- 46 (2008年 - 2009年)
[編集] 総合格闘家としての戦績
| 総合格闘技 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
| 1 勝 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
| 1 敗 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| ○ | 海老名義隆 | 5分2R終了 判定2-0 | DEEP 53 IMPACT | 2011年4月22日 |
| × | アンディ・オロゴン | 5分3R終了 判定0-3 | Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜 | 2010年12月31日 |
[編集] 脚注
- ^ “川越ら7選手が戦力外 オリックス”. NIKKEI NET (日経新聞社). (2009年10月3日) 2009年10月3日閲覧。
- ^ 元オリ古木が総合転向、新団体に所属
- ^ ゴールドジム野球チーム 公式ブログ 2010年6月19日
- ^ 【DEEP】元ベイスターズ4番打者・古木克明が初めて格闘技を披露、秋デビューへ 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年6月26日
- ^ 【Dynamite!!】 高谷が王座奪取!長島☆自演乙が青木をKO!石井はバンナに辛勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日
- ^ 元プロ野球・古木が初V「素直にうれしい」 - サンケイスポーツ、2011年4月23日
- ^ “元横浜古木、総合格闘家引退し球界再挑戦”. 日刊スポーツ (2011年10月10日). 2011年10月10日閲覧。
- ^ a b 「11/24プロ野球トライアウト直前 古木克明「復帰してホームランを打っているシーンしか思い浮かばない」」 週プレNEWS(2011年11月24日)、2011年11月27日閲覧。
- ^ a b c “「オレには野球しかない!!」古木克明、球界再挑戦の真相を告白。”. Number Web (2011年10月13日). 2011年10月13日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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