古木克明

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古木 克明
オリックス・バファローズ #46
基本情報
国籍 日本
出身地 三重県松阪市
生年月日 1980年11月10日(28歳)
身長
体重
182cm
85kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 外野手三塁手
プロ入り 1998年 ドラフト1位
初出場 1999年7月15日
年俸 2,400万円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)

古木 克明(ふるき かつあき、1980年11月10日 - )は三重県松阪市出身。オリックス・バファローズ所属のプロ野球選手ポジション外野手背番号46。「松坂世代」と呼ばれる選手の一人。

目次

[編集] 人物

横浜時代は2002年のブレイク以降、期待の若手選手の一人としてレギュラー起用されていた時期もあったが、結果を残せなかったため徐々に出場機会が少なくなっていき、本人も移籍を希望するほどだった(後述)。オリックス移籍後は大村直之濱中治下山真二小瀬浩之坂口智隆など外野手のライバルが多く、横浜時代よりも出場機会は減少している。

2005年7月1日に元グラビアアイドルで現在モデルの池端忍と結婚。2006年1月に第1子となる長女が誕生。

[編集] プレースタイル

高校通算52本塁打を記録した天性の長打力を持つが、打撃は荒く、打率が.250に満たないシーズンも多い。2003年は規定打席に未到達にも関わらずリーグ2位の三振数を記録している。

守備力は三塁、外野ともに低く、2003年に三塁手ではリーグ最多の18失策、2006年に外野手ではリーグ最多の8失策を記録している。外野守備では一度落下点に入ったようなそぶりを見せていたにもかかわらずボールを落とす、見失う(風が吹かない筈のドーム球場でも同じように目測を誤る)といったミスが目立っている。一部に一塁手での起用を薦める声も聞こえるが、牽制球の捕球に難があるという意見もある。[要出典]

本人はかつて「週刊ベースボール」でインタビューを受けた時、守備位置について「ファースト、ライトよりサード、ショート、レフト、センターの方が守りやすい」と語っている。ホームやマウンドの向きが見やすいというのが理由。

長打力ばかりが強調されるが足の速い選手でもあり、2006年6月13日ロッテとの交流戦では、ランニングホームランも記録した(センターの大松尚逸の打球の処理が遅れていたことも理由ではある)。また、三振が多いこともあるが打数に対する併殺打の割合は低い。

[編集] 経歴

豊田大谷高校3年時の第80回全国高等学校野球選手権大会ではベスト4にまで進出。1回戦では後のチームメイトとなる村田修一率いる東福岡高と対戦し6対4で勝利。2回戦では上本達之擁する宇部商高と対戦、延長戦を制し3対2で勝利。準々決勝では和田毅がエースの浜田高と対戦、延長を制し4対3で勝利。準決勝では吉見太一擁する京都成章高と対戦するが4三振と精彩を欠きチームも1対6で敗北。

高校時代は練習の虫で、甲子園の中継でバットを抱いて寝る、グローブなどの道具を大切にする選手として紹介された[1]。プロ入り後は見かけなくなったが、レフト方向にもホームランが打てるスラッガーだった。

1998年のドラフト会議において、松坂大輔の外れ1位指名で横浜に背番号3番で入団。指名当日、権藤博監督がダイエー(現・ソフトバンク)志望の古木に直接挨拶に出向いた。

1999年から2001年は一軍に顔をほとんど出さず。しかし二軍では1999年フレッシュオールスターゲームMVP、2000年に打率.305・10本塁打、2001年には打率.272・12本塁打と長打力を発揮していた。2000年6月6日イースタンリーグの日本ハム戦で同点で迎えた9回裏1死満塁の場面で左翼を守っていた古木は、捕らなくてもよい外野ファールフライを背面キャッチし、犠飛でホームインを許し、観客から大爆笑されるなど、その頃から今後が懸念されるプレーが見られた。

2002年

背番号3を石井浩郎に譲り33に変更。二軍でチームトップの打率.285、13本塁打を打ち、シーズン後半に若手起用の方針から小池正晃福本誠らと共に積極的に起用された。9月7日川尻哲郎からプロ入り初ホームランを打つと、その後1ヶ月半で桑田真澄山本昌岩瀬仁紀などエース級投手から次々に本塁打を放ち、最終的に9本塁打を記録。打率も.320を記録し一気に台頭した。また黒江透修監督代行によって9月後半から13試合で4番として起用され、これが自身の素質を開花させる事となった。シーズンオフに開催された第15回IBAFインターコンチネンタルカップでは日本代表に選出された。大会では4本塁打を放ち、本塁打王とベストナインに輝いている。

2003年

6番・三塁で開幕スタメンするなど大きな期待が掛けられる。本塁打は22本と量産したが、打率は.208と低く、131三振はリーグワーストのタイロン・ウッズの132三振に次ぐ。左投手やチャンスに弱く(打点はわずか37)、守備では20失策を記録し(三塁で18失策、外野で2失策)セントラル・リーグ失策王になるなど、打撃でも守備でも粗い面が非常に目立った。シーズン後半からは外野にまわされている。7月5日横浜スタジアムで開催された広島戦では三塁ゴロを捕球し一塁へ送球しようとした時に、踏み込んだ左足を踏み外して大暴投するという珍プレーをしてしまう。そのプレーを、清原正博アナウンサーは「古木あーーーーっと!」と実況し、解説の斉藤明夫(後の横浜投手コーチ)からは「自分のお庭ですよ!お願いしますよ」と言われてしまう[2]。シーズンオフに失策王になった古木の守備を何とかするために、親会社はダンストレーニングを課した(沖縄アクターズスクールに入れられる)。

2004年

前年の後半戦から外野を守っていた流れでこの年から正式に外野にコンバートされた。しかし多村仁佐伯貴弘金城龍彦が揃って3割に到達し、外野のレギュラーが固定されていたため、主に代打として出場。打率は.290と上向き、出塁率が.365と打撃には向上が見られるようになったが、守備ではまだ危うい場面が多かった。5月4日の巨人戦(横浜スタジアム)で決勝本塁打を放ちお立ち台にあがったが、そのときのヒーローインタビューで「こどもの日に打ててうれしいです!」と発言し、一緒にインタビューを受けていた佐々木主浩に指摘され、アナウンサーにも「今日がこどもの日と間違えるくらい興奮しているんですか?」と突っ込まれ苦笑いをした。

2005年

新監督の牛島和彦が守備力を重視していたこともあり、安定した守備力を持つ小池正晃との定位置争いに敗れ、出場機会が減少。オフにトレードを志願するが、この際「リセット」という言葉を多用した(新しい環境でまた1からやり直したいという意)。しかし球団側の説得やガソリンスタンドの店員に「横浜に残ってください。応援してます」と声を掛けられるなどファンの願いもあり翻意、トレード志願を取り下げた。

2006年

多村の故障や小池の打撃不振により、3年ぶりの100試合出場と出場機会を得られたものの、打率.252と結果が残せず、小池の復調や吉村裕基の台頭後は再び控えに回るようになった。外野守備においても勝負を決定づけるミスや、打球判断の拙さから平凡なフライを三塁打にしてしまうなど、目に余るシーンが目立った。失策数でもリーグワーストとなる8失策を記録した。4月25日の阪神戦では、左翼の守備で慣れぬ地方球場(草薙球場)の風や試合序盤の薄暮のためか、矢野輝弘のフライを、ほぼ落下点に入りながら「バンザイ」してしまった。グラブにも当っていないため記録は安打となり、これを機に阪神の猛攻で試合を序盤で決定づけられてしまった。 シーズン終了後、右ひじ骨棘除去手術をした。

2007年

前年の手術の影響でキャンプは二軍スタート。開幕第2戦で門倉健からチーム第1号となる決勝本塁打を放つなど、前半戦はスタメン出場でそれなりの活躍を見せていたが、夏には二軍落ちを経験するなどシーズン通しての活躍はできなかった。同年オフに同じ松坂世代の大西宏明との交換トレードでオリックス・バファローズに移籍した。

2008年

開幕は二軍スタートだったが、4月に昇格するとまずまずの打撃を見せた。しかし5月は月間打率が1割台と打撃不振で6月上旬に二軍に降格。その後二軍ではチーム2位の7本塁打、打率.279の成績を残したが、一軍から再び声がかかることは無くそのままシーズンを終えた。出場機会は一軍に台頭した2002年以降では最少で、一軍で0本塁打に終わるのは7年ぶりだった。この年はシーズン当初は不動の正三塁手と考えられていたラロッカの故障による途中帰国もあり、外野とともに三塁でも試合前の守備練習を行なっていた。二軍では外野手としての出場より2003年以来となる三塁手としての出場の方が多かった。

2009年

開幕は二軍スタートとなった。二軍では打率が3割を超えるなど好調な打撃を見せ、5月に死球を受け右手を骨折したタフィ・ローズとの入れ替えで一軍に昇格した。

[編集] エピソード

  • 豊田大谷高等学校時代の恩師、後藤篤監督は元読売ジャイアンツの後藤孝志の兄である。
  • 二軍の湘南シーレックスの優勝争いの時「一軍に上がりたくない」と発言。
  • 小学校の文集で「将来はプロ野球選手になりたい。しかし大洋(ホエールズ・横浜の旧名)とロッテには入りたくない」と書いていた過去があり、そのネタが『トリビアの泉』で取り上げられ、投稿者が見事金の脳を獲得したことがあった。
  • 2004年古木が打球を見失い二塁打にしてしまったとき、「ボールが見えない」と発言。技術以前の問題と西岡良洋守備走塁コーチを嘆かせた。
  • 2004年出版の「ベースボールポポロ」(麻布台出版社)には、横浜のキャンプ地・沖縄県宜野湾市での取材時に、上半身裸の肉体美を披露する写真を撮影、掲載された。古木の体に魅せられたカメラマンが上半身裸になって欲しいと依頼すると、古木は「マジっすか!ボク裸になるんッスか!恥ずかしいッス~」とテレながらも、笑顔でリクエストに応じたという。
  • 2005年、試合前に古木が牛島監督(当時)が軽食として食べていたウインナーを横取りしてしまい、「すいませんでした!」と必死に謝った。どうやら牛島監督を片平保彦コーチと間違えてしまったらしい。
  • 2006年正月、当時のチームメートだった石井琢朗2009年広島東洋カープへ移籍)に年賀状を書いて送ったまではよかったが、宛名書きを「石井朗」ではなく、「石井朗」と書いて年賀状を送ってしまった。しかも「石井琢朗」は本名ではない(本名は「石井忠徳」)。2009年も同じことをやってしまった。
  • 2006年のオフ、右ひじ骨棘除去手術で入院した際、ベッドのネームプレートが「古木正義」だった。
  • 奥さんが買い物をした際、貰った領収書に「古本様」と書かれたことがある。尚、その店では「お宛名は?」と聞かれ「古木でお願いします」と言ったのにもかかわらず、「フルーティ様」と書かれことがある。
  • 2007年6月8日、対ロッテ戦(横浜スタジアム)で、あまりにお粗末な守備を連発したため、外野席からペットボトルが投げ込まれ、そのペットボトルを蹴っ飛ばすことがあった。
  • オリックスへのトレードは、球団の通告より先に大西がかけてきた電話で知った(大西は「(トレード相手が)お前かい!」と言ってきたという。なお球団からトレード通告があったのはその翌日)。
  • 俳優の高岡蒼甫とはもともと横浜ファンであった高岡が、当時連載していた雑誌での企画をきっかけに親しくなり、現在も仲が良い。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1999 横浜 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2001 4 5 4 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2002 34 106 100 15 32 6 0 9 65 22 2 0 1 1 4 0 0 25 2 .320 .343 .650 .993
2003 125 389 351 46 73 12 0 22 151 37 2 4 0 0 25 1 13 131 3 .208 .285 .430 .715
2004 94 208 186 26 54 3 0 11 90 27 3 0 0 0 19 1 3 57 1 .290 .365 .484 .849
2005 65 116 105 10 26 5 1 2 39 10 1 2 0 0 8 0 3 35 1 .248 .319 .371 .690
2006 110 321 298 32 75 18 1 10 125 35 3 4 0 3 15 1 5 72 3 .252 .296 .419 .715
2007 72 168 158 13 39 11 1 4 64 14 1 2 1 2 6 0 1 43 0 .247 .275 .405 .680
2008 オリックス 21 50 45 4 10 2 1 0 14 4 0 1 0 0 3 0 2 8 2 .222 .300 .311 .611
通算:9年 528 1366 1250 196 309 57 4 58 548 150 12 13 2 7 80 3 27 372 12 .247 .305 .438 .743
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績

一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
01 1 1 0 0 0 1.000
02 1 2 0 0 0 1.000 27 11 47 5 5 .921
03 86 49 128 18 7 .908 24 26 0 2 0 .929
04 44 41 0 0 0 1.000
05 17 18 0 1 0 .947
06 77 121 6 8 0 .941
07 48 64 2 2 0 .971
08 8 11 0 0 0 1.000

[編集] 背番号

  • 3(1999 - 2001)
  • 33(2002 - 2007)
  • 46(2008 - )

[編集] 記録

[編集] 高校時代の戦績・記録

[編集] 国際大会での成績

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク