真田裕貴

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真田 裕貴
横浜ベイスターズ #30
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府
生年月日 1984年2月7日(25歳)
身長
体重
181cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2001年 ドラフト1巡目
初出場 2002年7月7日
経歴(括弧内は在籍年)

真田 裕貴(さなだ ひろき、1984年2月7日 - )は、大阪府出身の横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手投手)。

目次

経歴

プロ入り前

大阪府生まれ兵庫県高砂市育ち。高砂市立宝殿中学校から兵庫県立姫路工業高等学校に進学後、3年時にエースで4番として第73回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の日大三高戦では近藤一樹から本塁打を放ったが敗退。夏は兵庫大会決勝でグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路高校に惜敗。その後AAAアジア野球選手権日本代表に選出され先発投手として好投した。秋のドラフト会議読売ジャイアンツから寺原隼人の外れ1巡目で指名され入団。いわゆる外れ1位だが逆指名・統一ドラフト制度下で巨人が高卒選手を1位指名したのは真田と原俊介の2人だけである。高校時代は最速146km/h、高校通算25本塁打を記録。

プロ入り後

2002年はシーズン序盤からイースタン・リーグで好投、日本ハム戦では金子誠らを含む相手のバットを8本折り、「あんなえげつないスライダー(またはシュート)は初めてだ」と言わしめた[1]。後半戦は一軍の先発ローテーションに定着し、6勝3敗の成績を残し優勝に貢献。シュートを持ち球にしていること、死球を恐れない度胸、18歳とは思えない投球術を絶賛された。ドラフト制導入後の高卒1年目での6勝以上は巨人では堀内恒夫以来36年ぶりだった。

2003年はプロ初完投なども記録したが先発としては精彩を欠き、開幕以降1ヶ月以上勝てなかった。その後シュートを見込まれリリーフに回るがリリーフ陣が崩壊状態だったため、リード時の中継ぎ抑えのみならず、ビハインド時にも登板しフル回転を強いられた。原辰徳監督には「入団当初の球が戻ってきた」と評価されたが、連投の負担から右肩痛を発症すると7月26日に登録抹消され、以降このシーズンの登板はなかった。

2004年以降は前年の登板過多が遠因で肩を庇う癖がつきフォームが小さくなっていったといい、同年は二軍の先発ローテーションとして規定投球回に達したが防御率5.91と内容は悪く、終盤に一軍で登板したが復活はならなかった。

2005年も二軍で先発投手として登板を続け、セ・パ交流戦で2年ぶりに勝利投手となった。しかし、前年フォームを崩した影響から制球も悪く135km/h前後の球速に終始していた。

2006年は後半戦にリリーフとして一軍昇格し、中継ぎとして久々に及第点と言える成績を残した。同年は142km/h程度まで球速が戻ったが、球のキレや制球までは戻らなかった。

2007年は開幕一軍を勝ち取ったものの結果を出せず一軍と二軍を往復し、二軍では抑えとしてチーム最多の13セーブを記録。同年12月にはスポーツ報知などのメディアが12月中に結婚することを報道した。

2008年は年下で最速150km/h超の直球を投げ同じくシュートを武器とする西村健太朗が台頭したこともあり、6月10日鶴岡一成とのトレード横浜ベイスターズへ移籍。奇しくもドラフト会議で縁のあった寺原と同僚になった。移籍当初は中継ぎで起用され、7月2日広島東洋カープ戦で2年ぶりに勝利投手となる。その後はチーム事情から5年ぶりに先発ローテーション入りしたが、先発では結果を残せなかった。シーズン終盤はリードされた場面の登板が主となったが、移籍後に行ったフォーム改造が功を奏して最速148km/hを計測するなど球威を取り戻し安定した投球を続けた。オフに背番号を鶴岡が着けていた57から戦力外通告となった土肥義弘が着けていた30に変更された。

プレースタイル

平均140km/h前後の直球と、それ以上の球威のシュートを軸に、スライダーも交えて左右に散らして打たせて取る投球が持ち味。緩急や縦の変化を補うためにカーブチェンジアップなども投げるが、精度が低いことからカウントを悪くしたり狙い打ちされることが多い。フォークボールの習得にも取り組んでいる。

打たせて取る投手のためか、奪三振率の低さが成績に結びつかない、一軍での成績が二軍でのそれを上回っている年があるなど成績予想がしにくい。移籍直前の巨人では故障者が続出して二軍の内野守備が崩壊したため5点近い防御率だったが、横浜移籍後は先発転向するまでセットアッパーとして無失点に抑えた。

人物

犬好き(トイプードル)である。

大阪生まれ兵庫育ちということからプロ入り当初は「阪神ファンですか?」と聞かれていたが、東京育ちで巨人ファンの父親の影響もあり巨人ファンである。

入団会見でセールスポイントを訊かれ「溶接とか…」と工業高校出身らしい解答をした。

日本テレビなどが紹介する入団当時のキャッチフレーズは『真田幸村の末裔』だった。

未成年ながら2002年の「ビールかけ」に参加しているが、皮膚からアルコールを吸ってしまったのか、真っ赤な顔で舞い上がりながら「飲んでませ~ん。どうも、真田です。お父さんとお母さんの子供の真田で~す」とインタビューに答えていた。

横浜に移籍した際、同時期に中日ドラゴンズから移籍した石井裕也とともにTBSバース・デイでその様子を取り上げられた。

詳細情報

年度別投手成績








































W
H
I
P
2002 巨人 12 11 0 0 0 6 3 0 -- .667 289 70.0 72 10 13 1 3 42 0 1 31 29 3.73 1.21
2003 30 6 1 0 0 3 8 2 -- .273 260 56.2 67 10 22 2 7 39 3 0 37 34 5.40 1.57
2004 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 22 5.0 6 0 1 0 0 5 0 0 3 3 5.40 1.40
2005 4 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 41 7.2 14 1 3 0 2 1 2 0 9 8 9.39 2.22
2006 25 0 0 0 0 2 0 1 0 1.000 115 25.2 27 3 11 3 1 18 0 0 13 11 3.86 1.48
2007 17 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 83 19.2 22 2 3 1 2 8 0 0 10 10 4.58 1.27
2008 巨人横浜 26 5 0 0 0 2 4 0 3 .333 226 51.1 64 3 16 0 1 25 1 1 30 28 4.91 1.56
通算:7年 116 22 1 0 0 14 15 3 3 .483 1036 236.0 272 29 69 7 16 138 6 2 133 123 4.69 1.44
  • 2008年度シーズン終了時

記録

背番号

脚注

  1. ^ 当時の月刊ジャイアンツの記事より。

関連項目