井手正太郎
| 横浜DeNAベイスターズ #26 | |
|---|---|
2010年5月5日 横浜スタジアム
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 宮崎県西諸県郡野尻町(現:小林市) |
| 生年月日 | 1983年10月10日(28歳) |
| 身長 体重 |
179cm 79kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト8巡目 |
| 初出場 | 2004年3月27日 |
| 年俸 | 1,000万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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井手 正太郎(いで しょうたろう、1983年10月10日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
宮崎県出身。日南学園高では3番バッターとして、2001年の第83回全国高等学校野球選手権大会では同学年のエース・寺原隼人とともに同校のベスト8進出に貢献した。
2001年のドラフト8巡目で福岡ダイエーホークス(当時)に入団。ホークスが重視しているいわゆる「地元九州ブランド」の選手だったものの、入団当初の評価は高くなかった。
入団3年目となる2004年シーズンにオープン戦で結果を出し、3月27日のオリックス・ブルーウェーブ戦に9番ライトで開幕スタメンに抜擢された(これがプロ初出場)。しかし、4月6日の大阪近鉄バファローズ戦で負傷。このシーズンはわずか10試合出場にとどまり一軍定着のチャンスを逃した。
2005年には二軍で打率.325・5本塁打と結果を残し、後半戦に一軍昇格。自身初のサヨナラ打、ヤフードームのライトスタンドに(いわゆる流し打ちでの)本塁打を2本放つなど大器の片鱗を見せた。2006年も二軍で打率.302・5本塁打を打った。
2007年は多村仁や大村直之の故障でチャンスをつかみ自己最多の61試合に出場し、松田宣浩と共に活躍したが、最終的に打率.235に終わった。二軍では打率.365を記録し打撃は完全に二軍のレベルを超えていたが、一軍定着には至らなかった。同年オフに結婚を発表した。
2008年、故障者の続出に伴い左翼手として開幕戦からスタメン出場。徐々に打撃の調子を上げ一時は打率2位にも入る活躍を見せるが、4月13日対埼玉西武ライオンズ戦において飛球を追った際に右足首を捻挫し負傷。翌日出場選手登録を抹消されたが、シーズン終盤になり一軍に復帰した。
2010年4月20日、吉川輝昭との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍することが発表された。移籍後の入団会見では「ソフトバンクではチャンスがなく、外(他球団)でやりたいという気持ちはあった」とトレードを歓迎する姿勢を見せた[1]。移籍後は5月4日の広島東洋カープ戦でサヨナラ安打でお立ち台に上がったが、それから間もなく、5月11日、恥骨結合部分の炎症であることが発表された。
2011年シーズンからは背番号は26、ユニフォーム表記はホークス時代の「S.IDE」に変更[2]。
[編集] プレースタイル
ホークス在籍当時は打撃では内角球への対応、守備ではスタートの切り方と打球判断と、攻守に課題を指摘されていたが、外角球のさばき方は上手く、多村仁志と似通ったタイプとして期待され[要出典]、着実に出場機会を増やしていた。
[編集] エピソード
- チームメイトだった川崎宗則と仲がよく、ここ数年来鹿児島県姶良市で行われる川崎の自主トレに同行している。井手は川崎の実父(電気工事店店主)を『パパリン』と呼んでいるとの事。トレード後井手が、最初に連絡を取ったのが川崎だった。
- 先に横浜へ移籍した寺原とは前述のように高校当時からのチームメイト。誕生日も1日違い(寺原:10月9日、井手:10月10日)である。
- 2006年7月、練習中に当時育成コーチだった田口昌徳が打撃投手を務めた際、顔面にボールが当たり鼻を骨折するという不幸な珍事が起きた。
- ケツメイシのファンで、ホークス在籍当時は入場曲に「カーニバル」を採用していた。
- ホークス在籍当時は公式サイトにて正太郎日記というコラムを執筆していた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | ダイエー ソフトバンク |
10 | 33 | 33 | 3 | 8 | 2 | 1 | 0 | 12 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .242 | .242 | .364 | .606 |
| 2005 | 21 | 49 | 44 | 6 | 9 | 0 | 1 | 2 | 17 | 8 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 14 | 1 | .205 | .271 | .386 | .657 | |
| 2006 | 23 | 34 | 31 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | .129 | .182 | .161 | .343 | |
| 2007 | 61 | 149 | 132 | 11 | 31 | 7 | 0 | 2 | 44 | 16 | 0 | 1 | 6 | 1 | 9 | 0 | 1 | 27 | 5 | .235 | .287 | .333 | .620 | |
| 2008 | 23 | 73 | 68 | 5 | 22 | 4 | 1 | 0 | 28 | 8 | 2 | 0 | 1 | 1 | 3 | 1 | 0 | 13 | 2 | .324 | .347 | .412 | .759 | |
| 2009 | 8 | 21 | 18 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .056 | .056 | .056 | .111 | |
| 2010 | 横浜 | 49 | 114 | 104 | 7 | 21 | 8 | 0 | 1 | 32 | 5 | 1 | 1 | 3 | 0 | 7 | 0 | 0 | 22 | 4 | .202 | .252 | .308 | .560 |
| 2011 | 13 | 24 | 23 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .217 | .217 | .217 | .434 | |
| 通算:8年 | 208 | 497 | 453 | 34 | 101 | 22 | 3 | 5 | 144 | 45 | 3 | 3 | 16 | 2 | 25 | 1 | 1 | 103 | 12 | .223 | .264 | .318 | .582 | |
- 2011年度シーズン終了時
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2004年3月27日、対オリックス・ブルーウェーブ1回戦(福岡ドーム)、9番・右翼手として先発出場
- 初安打・初打点:2004年3月28日、対オリックス・ブルーウェーブ2回戦(福岡ドーム)、2回裏に小倉恒から左前適時打
- 初本塁打:2005年6月15日、対横浜ベイスターズ5回戦(福岡Yahoo!Japanドーム)、2回裏にセドリック・バワーズから右越ソロ
- 初盗塁:2008年4月11日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(福岡Yahoo!Japanドーム)、2回裏に二盗(投手:帆足和幸、捕手:細川亨)
[編集] 背番号
- 69 (2002年 - 2010年4月19日)
- 12 (2010年4月20日 - 同年終了)
- 26 (2011年 - )
[編集] 参考文献
- ^ “井手が横浜入団会見、寺原と「すごい縁だな」”. サンケイスポーツ. (2010年4月23日) 2010年5月3日閲覧。
- ^ [http://www.baystars.co.jp/news/detail.php?id=947 2011年度 新背番号および登録名変更のお知らせ ](2010年12月6日付)。ホークス時代に井出竜也(2005年~2006まで現役、2007年からはコーチ)が入団してきたことから表記を区別されていた。余談だが、2010年シーズン中に井出が週刊ベースボール上で「井手が移籍したが背中の表記はどうなるのか」という旨のコメントをしたことがある。
[編集] 関連項目
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