田尾安志
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大阪市西区 |
| 生年月日 | 1954年1月8日(58歳) |
| 身長 体重 |
173cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1975年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 1976年4月7日 |
| 最終出場 | 1991年10月14日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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監督歴
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この表について
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田尾 安志(たお やすし、1954年1月8日 - )は、大阪府大阪市西区出身の元プロ野球選手(外野手)・監督・野球解説者。香川県三豊市生まれ。
東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督である。
目次 |
[編集] 来歴
現役時代は俊足巧打の外野手として鳴らした。甘いマスクと華のあるプレー、実直な姿勢などが幅広い年代のファンに愛され、イチローも子供の頃に憧れた選手として名前を挙げている。打席での構えでバットをグルグル回す“円月打法”から広角に打ち分け、安打製造機と呼ばれた。
左利き(左投左打・食事も左)だが、ペンのみ右手を使用。
夫人は歌手のMADAM REY(マダムレイ)。子供が3人(男2人、女1人)おり、歯科医師の田尾耕太郎は長男。二男はSoushiとして音楽活動・ラジオ関西“MADAM REYのメッチャ★ROCK”でラジオパーソナリティをつとめ、長女も音楽活動に励んでいる。
[編集] 現役時代
1972年、泉尾高校から同志社大学文学部社会学科産業関係学専攻へ進学する。泉尾高校の野球部は田尾の入部時先輩部員は5人しかいない弱小野球部で、キャッチボールで田尾の球が取れないほどのレベルだった。3年の夏には2回戦で近大付属に勝ち、当時もっとも激戦区だった大阪でベスト4になる。同志社大学時代は投手で4番、登板しない日は野手として試合出場することが多かった。大学3年時に春秋2季連続で首位打者になる。関西六大学リーグでは、打者として69試合出場、210打数77安打、打率.367、9本塁打。大学2年時から3年連続で日米大学野球の日本代表に選出された。
1975年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。ルーキーイヤーの1976年に新人王に輝く。1982年は最多出塁数のタイトルを獲得し、リーグ優勝に貢献。1982年から1984年にかけて3年連続の最多安打もマークするも、一度も首位打者のタイトル獲得はならなかった。
1985年、杉本正・大石友好両選手との交換トレードで西武ライオンズに移籍し、リーグ優勝に貢献。なお、西武時代の1986年に自身3回目となる日本シリーズ出場で初めて日本一を経験した。
1987年、吉竹春樹・前田耕司両選手との交換トレードにより学生時代からの念願だった阪神タイガースに移籍。先発出場の機会は減るもののここ一番の強さを発揮し、1988年には、3本のサヨナラ本塁打(うち、鹿取義隆から2本)を打つなど活躍する。1991年、現役引退。
[編集] 引退後
スポーツキャスターに転身する。フジテレビ、東海テレビ、関西テレビ、ニッポン放送でプロ野球解説をするほか、「プロ野球ニュース」(フジテレビ)、「週刊!田尾スポ」(関西テレビ、関西ローカル)のメインキャスターなど、タレント活動もする。
野球評論の他に、タレント活動も展開。明るく爽やかなキャラクターで、幅広い層に親しまれている。地元の海の釣り舟の船頭役で、映画「釣りバカ日誌9」にも出演する。
2005年、東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督に就任。自身初の球団の首脳陣の経験となる。3月26日のパシフィック・リーグ公式戦開幕試合(千葉マリンスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ戦)では、田尾自らがスターティングナインを発表する。しかし、38勝97敗1分という成績不振を理由に、同年シーズン終了後に解任。解任後、宮城県では解任に反対する団体東北若鷲会が発足し、署名活動が行われた。タレントのみのもんたも自身が司会を務める朝の番組で、田尾を解任した三木谷オーナー(当時)を「経営者として最悪」と批判した。退任後は野球解説者として活動する。
2007年2月18日の東京マラソン2007に参加し、完走した。その後、同年12月9日のホノルルマラソンにも夫婦で出場(TBSの番組企画)、完走している。
[編集] 人物
[編集] 野球人として
柔和な風貌とは対照的に、上層部相手にも言うべきことは言う、という姿勢を貫いている。中日時代は選手会長として球団側に物申す選手であった(人気・実力を持ちながらトレードに出されたのはそれが一因とされる。後述)。また、西武時代には監督の森祇晶が、「清原和博を三塁にして、秋山幸二を中堅、石毛宏典を遊撃、田尾に一塁を守らせる」構想を練ったが田尾は反対した。そのことがスタメン起用の減少、シーズンオフのトレードに繋がったとも言われるが定かではない。阪神時代も、チーム成績が低迷したため若手育成目的の選手起用をする村山実監督に対し、勝つための野球をすべきであると主張した。徒党を組んだり派閥を作ったりすることも嫌っており、中日時代には当時「犬猿の仲」と噂され、それぞれを筆頭にチーム内が二派に分かれているとも言われた星野仙一、谷沢健一の両者ともそれぞれ普通に付き合っていた。
1982年、田尾は長崎啓二(大洋)と、終盤戦に熾烈な首位打者争いを展開しており、シーズン最終戦の対大洋戦(横浜スタジアム)を僅差の打率2位で迎えた。長崎は打率温存のため欠場した。この試合で田尾は関根潤三監督の指示を受けた大洋投手陣の露骨な敬遠攻めに遭い、5打席全てを敬遠。最終打席でカウント0-3(ノーストライク3ボール)から、山口忠良投手の投じる明らかなボール球を2球連続して空振りし、抗議の意を示す(この瞬間、中日ファンならずとも球場全体に怒号が鳴り響いた)。本人は抗議というより1位長崎、2位田尾をはっきりさせるために三振をしようとしていたが、直後に三塁コーチの黒江透修が飛び出し「これ以上ファンを興奮させるな」と咎め結局、最後のボールを見送って四球。そのまま打率2位に終わり、惜しくも首位打者を逃し、田尾にとっては苦い一戦となってしまった(長崎とはわずか1厘差の.350)。しかしこの5打席連続敬遠のおかげでこの試合、中日は1974年以来8年ぶりのリーグ優勝を決め、本人も最多出塁数のタイトルを獲得した。その後、関根とはフジテレビの解説者として再会、はじめは気まずく話しかけることもなかったというが、関根の「時々あの敬遠の場面を夢に見て目を覚ますことがある」「当時の大洋では個人成績だけがニュースになる状態だった」と聞かされ、わだかまりがなくなった。16年に及ぶ現役生活で遂に首位打者には縁がなかったが、1982年から1984年にわたって3年連続でセ・リーグ最多安打を記録した。首位打者を争った長崎とはのちに1987年の1シーズン、阪神でともにプレーしている。田尾、長崎ともにプロ入り前は阪神に入団することを希望していたという点でも奇妙な符合があった。
チームが広島と激しく優勝争いをしていた1984年のシーズン中、選手会長として優勝時の年俸アップを球団に打診したが色よい返事が得られなかった。優勝を逸してシーズンが終わった後「お望み通り2位になりましたよ」と球団サイドとの話し合いで発言した[1]。田尾が西武にトレードされたのはそのあとである。
阪神に移籍して2年目の1988年には、村山実監督との確執から出場機会が減少したが、その中で代打によるものも含めて3本のサヨナラホームランを放った。シーズン3本のサヨナラ本塁打は当時のプロ野球記録だったが(のち1993年にヤクルトスワローズのジャック・ハウエルが更新、現在は5本)、田尾の場合シーズン4本塁打のうち3本がサヨナラ本塁打だった。
現役引退を決断した理由は視力の悪化。体力はまだまだやれる自信があったと後年語っている。
楽天監督時代には三木谷オーナーとの確執が取りざたされた。監督就任時には田尾が「企業名の『楽天』という文字を入れないで欲しい」と三木谷に言い、三木谷が「いいですねえ」と答えたのにもかかわらずユニフォームには「RAKUTEN」の文字が入っていたこともあったと言う。
ゴールデンイーグルス監督退任後の2006年には『行列のできる法律相談所』にゲスト出演し、監督解任時の交渉について語っている。3年契約の途中で契約を解除だったこともあり、楽天フロントに「残りの契約分は功労金を出すが、楽天に対しての悪口を言えばカットする」という条件を出された田尾は憤慨し「功労金は要らない」と突っぱねた。ただし、2006年の1年分に関しては保障された。
[編集] 家族・交友関係
趣味はギターで、作詞作曲も行うほどの腕前。現役時代にさだまさしとジョイントライブを行ったこともある。また、CBS・ソニーよりシングル「主人公」(さだまさしの楽曲のカヴァー)をリリースしたほか、現役引退後は一時期「さだ企画」(さだまさしの事務所)に所属していた。
また、釣り好きとしても知られ、ニッポン放送の松本秀夫アナウンサーとは釣り仲間である。
夫人のマダムレイとの出会い・結婚のきっかけは、夫人の母が平和台球場のウグイス嬢経験者だったこと、夫人の父が医師兼医療法人経営者だったことと田尾が実弟を白血病で若くして失ったことにより健康管理に注目するようになったことだという。夫人は主としてライブハウスでの演奏活動を中心に行っているが、イーグルス監督在任中はライブ活動を中断して田尾のサポート活動に専念していた。しかし、監督解任後の2006年からMADAM REY(マダムレイ)として再び活動を再開している。
家族に対しても筋を通す性格であり、実子も野球をしていたが「お前の実力では飯を食えない」と諭し、野球をあきらめさせたという。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976 | 中日 | 67 | 183 | 166 | 19 | 46 | 6 | 3 | 3 | 67 | 21 | 0 | 3 | 0 | 0 | 16 | 0 | 1 | 27 | 3 | .277 | .344 | .404 | .748 |
| 1977 | 96 | 166 | 152 | 19 | 42 | 6 | 1 | 6 | 68 | 19 | 1 | 0 | 4 | 1 | 9 | 0 | 0 | 31 | 3 | .276 | .315 | .447 | .762 | |
| 1978 | 102 | 372 | 339 | 42 | 93 | 12 | 0 | 11 | 138 | 47 | 3 | 2 | 2 | 3 | 27 | 1 | 1 | 62 | 3 | .274 | .327 | .407 | .734 | |
| 1979 | 123 | 419 | 383 | 47 | 96 | 22 | 1 | 13 | 159 | 50 | 0 | 5 | 3 | 1 | 30 | 0 | 2 | 66 | 7 | .251 | .308 | .415 | .723 | |
| 1980 | 122 | 498 | 472 | 60 | 141 | 29 | 3 | 7 | 197 | 34 | 16 | 9 | 3 | 2 | 20 | 1 | 1 | 47 | 7 | .299 | .327 | .417 | .745 | |
| 1981 | 124 | 513 | 462 | 72 | 140 | 17 | 6 | 15 | 214 | 53 | 7 | 11 | 5 | 3 | 41 | 7 | 2 | 62 | 11 | .303 | .360 | .463 | .823 | |
| 1982 | 129 | 565 | 497 | 92 | 174 | 25 | 3 | 14 | 247 | 41 | 9 | 10 | 7 | 3 | 58 | 7 | 0 | 32 | 5 | .350 | .416 | .497 | .913 | |
| 1983 | 130 | 574 | 506 | 74 | 161 | 26 | 3 | 13 | 232 | 61 | 9 | 7 | 3 | 3 | 60 | 5 | 2 | 50 | 5 | .318 | .391 | .458 | .849 | |
| 1984 | 130 | 603 | 536 | 94 | 166 | 21 | 6 | 20 | 259 | 49 | 3 | 5 | 10 | 3 | 54 | 5 | 0 | 50 | 8 | .310 | .371 | .483 | .854 | |
| 1985 | 西武 | 127 | 534 | 477 | 66 | 128 | 21 | 5 | 13 | 198 | 60 | 1 | 4 | 2 | 3 | 50 | 1 | 2 | 33 | 10 | .268 | .338 | .415 | .753 |
| 1986 | 106 | 341 | 313 | 42 | 83 | 12 | 2 | 8 | 123 | 28 | 6 | 2 | 5 | 2 | 20 | 1 | 1 | 35 | 3 | .265 | .310 | .393 | .702 | |
| 1987 | 阪神 | 104 | 262 | 249 | 27 | 55 | 8 | 2 | 6 | 85 | 12 | 0 | 1 | 4 | 2 | 7 | 1 | 0 | 28 | 2 | .221 | .240 | .341 | .582 |
| 1988 | 80 | 160 | 140 | 21 | 42 | 9 | 0 | 4 | 63 | 21 | 1 | 0 | 2 | 1 | 17 | 6 | 0 | 18 | 1 | .300 | .373 | .450 | .823 | |
| 1989 | 84 | 266 | 252 | 20 | 72 | 13 | 0 | 5 | 100 | 27 | 0 | 2 | 3 | 1 | 9 | 0 | 1 | 30 | 9 | .286 | .312 | .397 | .709 | |
| 1990 | 119 | 428 | 386 | 41 | 108 | 14 | 0 | 11 | 155 | 50 | 2 | 1 | 2 | 0 | 40 | 1 | 0 | 56 | 13 | .280 | .347 | .402 | .749 | |
| 1991 | 40 | 93 | 84 | 2 | 13 | 0 | 1 | 0 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 18 | 3 | .155 | .237 | .179 | .415 | |
| 通算:16年 | 1683 | 5977 | 5414 | 738 | 1560 | 241 | 36 | 149 | 2320 | 574 | 58 | 62 | 55 | 28 | 467 | 36 | 13 | 644 | 93 | .288 | .344 | .429 | .773 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 年度別監督成績
| 年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | チーム 本塁打 |
チーム 打率 |
チーム 防御率 |
年齢 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005年 | 楽天 | 6位 | 136 | 38 | 97 | 1 | .281 | 51.5 | 88 | .255 | 5.67 | 51歳 |
| 通算:1年 | 136 | 38 | 97 | 1 | .281 | Bクラス1回 | ||||||
[編集] タイトル
[編集] 表彰
[編集] 記録
- 初出場:1976年4月7日、対阪神タイガース戦(ナゴヤ球場)
- 初安打:1976年7月2日、対読売ジャイアンツ戦(ナゴヤ球場)
- 初本塁打:1976年9月19日、対読売ジャイアンツ戦(後楽園球場)
- 通算1000試合出場:1984年8月29日(250人目)
- オールスターゲーム出場:7回 (1980年 - 1986年)
[編集] 背番号
- 2 (1976年 - 1986年)
- 8 (1987年 - 1991年)
- 88 (2005年)
[編集] 関連情報
[編集] 出演
[編集] 過去の出演番組
- プロ野球ニュース(フジテレビ)
- すぽると!(フジテレビ)
- ショウアップナイターストライク!(ニッポン放送・NRN系、元レギュラー。現在でも不定期に出演、冬季野球オフ期間のみ)
- J SPORTS STADIUM『野球好き』(テレビ新広島制作分、達川光男が現場復帰して解説者不在となった時期に出演)
- ほんまもん(NHK・ヒロインの母親の元恋人役として1回きりの出演)
- 松本ひでおのショウアップナイターネクスト!(ニッポン放送・不定期出演、シーズンオフ時のみ)
- ドラゴンズHOTスタジオ(東海テレビ・不定期)
[編集] 現在の出演番組
- BASEBALL SPECIAL〜野球道〜[2]
- ニッポン放送ショウアップナイター
- 土曜スペシャル(テレビ東京・不定期出演ながら、夫人や同世代のタレントとの二人旅で数多くの出演がある)
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[編集] 著書
- DVD上達レッスン 野球バッティング(成美堂出版、2006年)
- トッププロに学ぶ野球上達テクニックバッティング(成美堂出版、2005年)
- 優勝へ!星野阪神「大躍進の秘密」(成美堂出版、2005年)
- 絶対うまくなるバッティング―確率を高め距離が伸びるスイングづくり(日本文芸社、2003年)
[編集] ディスコグラフィー
- 主人公(シングル、1983年12月発売)
-
- コンピレーションアルバム「えっ!あの人がこんな歌を」(1990年7月21日発売)にも収録。
[編集] 脚注
- ^ 玉木正之『プロ野球大大大事典―決定版!!読むプロ野球』東都書房、1986年
- ^ 東海テレビ制作のローカル中継には、年数回の出演にとどまっている(同じ系列局である関西テレビプロ野球解説者であることから、タイガース戦など)。また、2011年からは北海道文化放送制作の中継にも出演する。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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