ホノルルマラソン
ホノルルマラソン (Honolulu Marathon) は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ホノルル市で開催されるロードレース(マラソン)大会で、2011年までに39回開催されている[1]。1977年以降は12月第2日曜日に開催することになっている[2]。1985年の第13回大会以降、長年に亘り日本航空(JAL)が協賛しており、現在の正式大会名は「JALホノルルマラソン」となっている[3]。近年は参加者の過半数を日本人ランナーが占めている。
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概要 [編集]
コースは、アラモアナ公園をスタート、一旦ダウンタウンに向かった後アラモアナに戻り、その後ワイキキを通りダイヤモンドヘッド、ワイアラエ・ビーチを眺め、カラニアナオレ・ハイウェイを通ってハワイカイを折り返し、カピオラニ公園をゴールする42.195km(26.2マイル)のフルマラソンコースで、一般部門と車椅子部門の2部門で構成されている[4]。
通常フルマラソンのスタート時刻は午前5時、車いす部門はそれに先立つ4時55分となっている。また一般部門では総合表彰とは別に各年代の上位選手を対象にした表彰、また予め登録された3名1組によるチームの合計タイムで競うチーム部門(3名の合計年齢及び男女の構成状況による9つのカテゴリー)を対象とした表彰もある[4]。
アメリカ合衆国ではニューヨークシティーマラソン、ボストンマラソン、シカゴマラソンと並ぶ「全米4大マラソン大会」(規模としては3位)の一つであり、全世界を通じても参加人数的に6番目の規模の大会はあるが、マラソンとしては高温下、また風が強い中で行われるという気象条件、さらにコースのアップダウンなどの条件が厳しいため、先述の3箇所のマラソンと違い、「世界記録が決して出ないコース」とも言われ、実際大会最高記録は、男子が2時間11分12秒 <ジミー・ムインディ (ケニア、2004年)>、女子が2時間27分19秒 <リュボフ・デニソワ(ロシア、2006年)> と、男女とも比較的平凡な記録である。
但し大会の特徴の一つとして、時間制限を設けていないこと(ゴール時間および参加標準記録。但しゴールゲートは16時台を目処に撤去され、それ以降ゴールした参加者のゴールタイムは手動計時となる)や、大会当日に満7歳以上の健康な人なら誰でも参加できること[4]も手伝って、健康づくりのために参加している一般市民ランナーや、フルマラソン初参加のランナーも多く、「世界一の市民マラソン大会」、「ジョガーの祭典」とまでいわれる。
またフルマラソン、車いすマラソン部門のほか、フルマラソンスタートの約25分後にスタートし、カピオラニ公園まで約10kmを歩く「レースデー・ウォーク」(開始当時の呼称は「メイヤーズ・ウォーク」)も行われている。
日本人ランナーも、アメリカ合衆国の観光ビザ取得が免除されたバブル景気期(1989年)以降、1999年と、アメリカ同時多発テロ事件の影響で1万人を下回った2001年以外は常に全参加者の半数以上を占めており、さらに冠スポンサーの日本航空は、大会開催に合わせツアーを企画し多数の臨時便を運航している[5]。このため、現在の大会公式スポンサーは、ナイキ社以外、冠スポンサーの日本航空も含め全て日本企業となっている。なお、日本人ランナーが参加者の半分以上を占めるものの、男性優勝者は過去に出ていない。
歴史 [編集]
1973年12月16日に第1回大会を開き、2012年までに40回開催されている。第1回大会は地元ハワイ州に在住しているジョギング愛好家167人によって行われた。なお第1回目の男性優勝者はダンカン・マクドナルドで、女性優勝者はジューン・チュンであった[6]。
1976年に日本人としては初めて佐々木生道が参加。その後は年々参加者を増やしていき、1982年の第10回記念大会で1万人を突破した。1985年の第13回大会以降日本航空が冠スポンサーとなったこともあり、日本人参加者が増加を続け、1992年の第20回記念大会以後は毎年2~3万人程度が参加している。
関連行事 [編集]
大会直前の水曜から土曜の間、「ホノルルマラソン・エキスポ」を開催している[7]。2003年以前は、ワイキキにあるアウトリガー・リーフ・ホテルで小規模に開催されていたが、2004年大会から、ハワイ・コンベンション・センターで開催するようになった。参加選手のゼッケン(レースデー・ウォークを含む)やタイム計測のためのチャンピオンチップ(2007年のみSAIタグ)を参加者各自で受け取るコーナーのほか、大会スポンサーを中心に数多くの店舗や関連グッズを販売するサービスブースなどが出店する。
また、大会前々日の金曜夕方、大会ゴール地点に程近いワイキキ・シェルで、有料のイベント「ホノルルマラソン・ルアウ」が開催されている[8]。以前は「カーボローディング・パーティー」と称しており、その名の通り炭水化物中心の料理がビュッフェ(バイキング方式)で提供されていた[9]。現在も料理内容は大きく変わらないが、ショーの出演者の方に力を入れるようになっている。なお、飲物も追加料金不要で飲み放題であったが、2007年から、それまで追加料金不要で提供されていたビール(バドライト)のみ追加料金が必要となった。
時間計測システム障害問題 [編集]
2007年、第35回大会から、それまで7大会連続で使用されたチャンピオンチップに代わり、SAIタグを計測に使用することが、大会開催のおよそ10日前、11月29日に発表された。しかし、大会開催当日の12月9日、コース各所で豪雨となり、一部ランナーのタイムが計測できず、完走者に発行される完走証に、従来行われていた途中経過タイム記載が一部できなくなるという障害が発生した。
この問題について、ホノルルマラソン協会は、イベント当日に各ランナーに計測タイムの速報値を渡す予定にしていたがこの障害によりできなくなったスポンサーのNTTドコモ、および不利益を被った各ランナーに対し、公式ホームページなどを通じ公式謝罪した。
また、2008年大会では、SAIタグを利用せず、再びチャンピオンチップ使用に戻した。
参加者数 [編集]
| 年度 | 回数 | 総参加者数 | うち日本人 | 完走者数 |
|---|---|---|---|---|
| 1973年 | 1 | 167 | 0 | 151 |
| 1974年 | 2 | 315 | 0 | 297 |
| 1975年 | 3 | 782 | 0 | 706 |
| 1976年 | 4 | 1,670 | 1 | 1,443 |
| 1977年 | 5 | 3,500 | 120 | 2,900 |
| 1978年 | 6 | 7,204 | 200 | 5,587 |
| 1979年 | 7 | 8,500 | 500 | 6,512 |
| 1980年 | 8 | 8,419 | 650 | 6,630 |
| 1981年 | 9 | 7,270 | 977 | 7,170 |
| 1982年 | 10 | 12,275 | 1,500 | 10,023 |
| 1983年 | 11 | 10,847 | 1,300 | 8,434 |
| 1984年 | 12 | 10,653 | 1,867 | 8,166 |
| 1985年 | 13 | 9,310 | 2,361 | 7,646 |
| 1986年 | 14 | 10,354 | 3,553 | 8,537 |
| 1987年 | 15 | 10,413 | 4,551 | 8,793 |
| 1988年 | 16 | 10,205 | 5,094 | 8,808 |
| 1989年 | 17 | 10,813 | 6,004 | 9,673 |
| 1990年 | 18 | 13,268 | 8,674 | 11,866 |
| 1991年 | 19 | 14,605 | 10,236 | 13,038 |
| 1992年 | 20 | 30,905 | 18,286 | 23,515 |
| 1993年 | 21 | 29,514 | 19,001 | 23,640 |
| 1994年 | 22 | 32,771 | 21,291 | 25,833 |
| 1995年 | 23 | 34,434 | 21,717 | 27,022 |
| 1996年 | 24 | 30,864 | 18,285 | 24,414 |
| 1997年 | 25 | 33,682 | 17,952 | 26,495 |
| 1998年 | 26 | 27,704 | 13,925 | 22,112 |
| 1999年 | 27 | 26,724 | 12,877 | 21,211 |
| 2000年 | 28 | 26,465 | 14,282 | 22,636 |
| 2001年 | 29 | 23,513 | 9,159 | 19,236 |
| 2002年 | 30 | 30,428 | 17,266 | 26,477 |
| 2003年 | 31 | 25,283 | 15,149 | 22,161 |
| 2004年 | 32 | 25,671 | 15,723 | 22,407 |
| 2005年 | 33 | 28,048 | 17,345 | 24,295 |
| 2006年 | 34 | 28,635 | 17,905 | 24,575 |
| 2007年 | 35 | 27,827 | 17,056 | 23,299 |
| 2008年 | 36 | 23,232 | 14,407 | 20,062 |
| 2009年 | 37 | 23,469 | 14,402 | 20,557 |
| 2010年 | 38 | 22,806 | 13,490 | 20,417 |
| 2011年 | 39 | 22,615 | 12,360 | 19,310 |
| 2012年 | 40 | 31,083 | 16,283 | 24,413 |
※28回大会以降の参加者数、日本人参加者数は[10](日本語)。 完走者数は37回[11]、38回[12]、39回[13]、39回[14](全て英語)。
歴代優勝者 [編集]
太字は大会記録。
| 日付 | 男子選手 | タイム | 女子選手 | タイム |
|---|---|---|---|---|
| 1973/12/16 | 2:27:34 | 3:25:31 | ||
| 1974/12/15 | 2:23:02 | 3:01:59 | ||
| 1975/12/14 | 2:17:24 | 2:49:24 | ||
| 1976/12/12 | 2:20:37 | 2:44:44 | ||
| 1977/12/11 | 2:18:38 | 2:48:08 | ||
| 1978/12/10 | 2:17:05 | 2:43:10 | ||
| 1979/12/09 | 2:16:13 | 2:40:07 | ||
| 1980/12/07 | 2:16:55 | 2:35:26 | ||
| 1981/12/13 | 2:16:54 | 2:33:24 | ||
| 1982/12/12 | 2:15:30 | 2:41:11 | ||
| 1983/12/11 | 2:20:19 | 2:41:25 | ||
| 1984/12/09 | 2:16:25 | 2:42:50 | ||
| 1985/12/08 | 2:12:08 | 2:35:51 | ||
| 1986/12/07 | 2:11:43 | 2:31:01 | ||
| 1987/12/13 | 2:18:26 | 2:35:11 | ||
| 1988/12/11 | 2:12:47 | 2:41:52 | ||
| 1989/12/10 | 2:11:47 | 2:31:50 | ||
| 1990/12/09 | 2:17:29 | 2:33:34 | ||
| 1991/12/15 | 2:18:24 | 2:40:11 | ||
| 1992/12/13 | 2:14:19 | 2:32:13 | ||
| 1993/12/12 | 2:13:16 | 2:32:20 | ||
| 1994/12/11 | 2:15:04 | 2:37:06 | ||
| 1995/12/10 | 2:16:08 | 2:37:29 | ||
| 1996/12/08 | 2:13:23 | 2:34:28 | ||
| 1997/12/14 | 2:12:17 | 2:33:14 | ||
| 1998/12/13 | 2:14:53 | 2:33:27 | ||
| 1999/12/12 | 2:16:45 | 2:32:36 | ||
| 2000/12/10 | 2:15:19 | 2:28:33 | ||
| 2001/12/09 | 2:15:09 | 2:29:54 | ||
| 2002/12/08 | 2:12:29 | 2:29:08 | ||
| 2003/12/14 | 2:12:59 | 2:31:56 | ||
| 2004/12/12 | 2:11:12 | 2:27:33 | ||
| 2005/12/11 | 2:12:00 | 2:30:24 | ||
| 2006/12/10 | 2:13:42 | 2:27:19 | ||
| 2007/12/09 | 2:18:53 | 2:33:07 | ||
| 2008/12/14 | 2:14:35 | 2:32:36 | ||
| 2009/12/13 | 2:12:14 | 2:28:34 | ||
| 2010/12/12 | 2:15:18 | 2:32:13 | ||
| 2011/12/11 | 2:14:55 | 2:31:41 | ||
| 2012/12/09 | 2:12:31 | 2:31:23 |
※27回大会以降の優勝者は[10](日本語)。全大会の優勝者は[17](英語)。
過去の日本からの主な参加者 [編集]
マラソン選手 [編集]
- 浅井えり子 - 1994年、第22回大会女子の部準優勝。
- 有森裕子 - ランナーとしてではなく、2006年以降レースデーウォークに参加。
- 大島めぐみ
- 尾崎朱美 - 2007年、第35回大会女子の部準優勝。
- 川嶋伸次
- 嶋原清子 - 2008年、第36回大会女子の部優勝。日本人2人目の一般部門優勝者。2009年女子の部2位。
- 谷川真理 - 1996年、第24回大会女子の部3位。
- 野口みずき - ランナーとしてではなく、2004年、第32回大会のスターターとしてのみ参加。
- 早川英里 - 2003年、第31回大会女子の部優勝。一般部門日本人初の優勝者。2009年女子の部5位。
- 増田明美
- 宮原美佐子 - 1990年、第18回大会女子の部準優勝。
- 山口衛里
- 吉田香織 - 2008年、第36回大会女子の部準優勝。2009年女子の部4位。
そのほか著名人多数が参加しているが、非常に多いため割愛した。
車いすマラソン [編集]
日本でのテレビ・ラジオ放送 [編集]
日本ではこの大会の模様を後日ドキュメンタリーの形で放送しているが、大会創設当初はフジテレビジョンが火曜ワイドスペシャルなどの枠で放送し、その後は現在に至るまでTBSテレビの制作によりJNN基幹局(TBSテレビ・北海道放送・中部日本放送・毎日放送・RKB毎日放送の5局)で翌年1月の成人の日の午前中に放映している。
TOKYO FMでは過去に何度か日曜深夜の放送休止の時間に全国ネットで関連番組を放送したことがあったが、中継ではなくむしろバラエティ的な作りであった(英語が出来ないアナウンサーを走らせて女性外国人走者にインタビューをさせる企画等)。
新潟放送では「キリン ラン・ランクラブ」と銘打った企画で毎年視聴者・リスナーの参加者を募り、年数回の新潟県内での合同練習をしてから参加、この模様はテレビ・ラジオで番組コーナーや単発番組として放送される。
大会スポンサー [編集]
- メジャースポンサー
- サポーティングスポンサー
- アディダス・ジャパン
- MUFGカード:2007年までDCカードがスポンサーだったが、同社が合併し三菱UFJニコスとなったことに伴い変更された。
- コントリビューティングスポンサー
※[4]
脚注 [編集]
- ^ ダイヤモンド・セレクト 2011年11月号 地球の走り方 Travel&Run!. ダイヤモンド社. (2011). p. 27.
- ^ ランナーズ編集部 (出版年). ホノルルマラソン (ランナーズ・GUIDE BOOK). 株式会社ランナーズ. p. 66. ISBN 978-4947537201.
- ^ JALホノルルマラソン
- ^ a b c d JALホノルルマラソン2011公式ハンドブック(ダイヤモンド・セレクト 2011年11月号 地球の走り方 Travel&Run!付録). ホノルルマラソン協会事務局. (2011). p. 04-06.
- ^ ホノルルマラソンツアー2009
- ^ ランナーズ編集部 (出版年). ホノルルマラソン (ランナーズ・GUIDE BOOK). 株式会社ランナーズ. p. 64. ISBN 978-4947537201.
- ^ JALホノルルマラソン2011公式ハンドブック(ダイヤモンド・セレクト 2011年11月号 地球の走り方 Travel&Run!付録). ホノルルマラソン協会事務局. (2011). p. 11.
- ^ JALホノルルマラソン2011公式ハンドブック(ダイヤモンド・セレクト 2011年11月号 地球の走り方 Travel&Run!付録). ホノルルマラソン協会事務局. (2011). p. 12.
- ^ ランナーズ編集部 (出版年). ホノルルマラソン (ランナーズ・GUIDE BOOK). 株式会社ランナーズ. p. 68-69. ISBN 978-4947537201.
- ^ a b “大会結果報告”. 2012年1月30日閲覧。
- ^ “Honolulu December 13th, 2009”. 2012年1月30日閲覧。
- ^ “Honolulu December 12th, 2010”. 2012年1月30日閲覧。
- ^ “Honolulu Marathon December 11th, 2011”. 2012年1月30日閲覧。
- ^ “Honolulu Marathon December 9th, 2012”. 2013年1月20日閲覧。
- ^ アンベッセ・トロッサが1位(2時間17分26秒)でゴールしたが、2008年6月24日、ホノルルマラソン協会より同選手がドーピング検査に陽性反応が認められたとの理由により失格となったことが発表され、2位でゴールしたムインディが繰り上げ優勝となった。“2007”. 2012年1月31日閲覧。
- ^ 旧姓ザハロワ
- ^ “History by year”. 2012年1月31日閲覧。
関連項目 [編集]
- アサツー ディ・ケイ-日本事務局を担当する広告代理店
外部リンク [編集]
- ホノルルマラソン (日本語)
- Honolulu Marathon (英語)