梵英心
| 広島東洋カープ #6 | |
|---|---|
2007年5月10日(旧広島市民球場)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県三次市 |
| 生年月日 | 1980年10月11日(31歳) |
| 身長 体重 |
173cm 73kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 遊撃手、二塁手 |
| プロ入り | 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目 |
| 初出場 | 2006年3月31日 |
| 年俸 | 6,200万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 経歴
広島県三次市出身。永川勝浩とは三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみ。高校時代も1度だけ公式戦で対戦があり、この時は3打数3安打だった。しかし大学野球時代は永川から1本もヒットを打てなかった。三次高校時代は、2年夏のベスト16が最高、3年夏は2回戦敗退。東都の駒澤大学に進学し、2年秋からレギュラー。卒業後は、社会人野球の日産自動車に入社。第76回都市対抗野球大会ではチームの準優勝に大きく貢献。首位打者を獲得し、久慈賞を受賞した。その年オランダで行われたIBAFワールドカップでは日本代表に選ばれ、2005年度社会人野球ベストナインを受賞した。2005年大学生・社会人ドラフト3巡目で広島に入団。
2006年、オープン戦の活躍で開幕一軍を勝ち取り、ナゴヤドームで中日ドラゴンズとの開幕戦に6番・二塁手でスターティングメンバーに抜擢される。カープでの新人開幕スタメンは1969年の山本浩司以来37年ぶり。更に1961年の山本一義以来45年ぶりのヒットも放った。9月7日の横浜戦(下関球場)でエンタイトル二塁打を放ち、1958年に小坂佳隆が記録した新人安打数球団記録(112本)を48年ぶりに更新した。
本来は遊撃手だが、プロ入団後は二塁手の守備に就くようにもなった。土のホームグラウンドの影響もあってか失策が多かった。強肩と俊足を生かし、守備範囲が広いが、遊撃手の見せ場の一つである間一髪のダブルプレーが捕球→送球の動作が俊敏でないためアウトにできなかった。開幕直後攻守にミスが目立ったが、マーティ・ブラウン監督が辛抱強く起用し続けた結果、開幕当初1割にも満たなかった打率を3割近くに上げ、好守も見せるようになるなど短期間で攻守ともに急成長。また得点圏打率は3割5分を超え、三塁打は狭い広島市民球場を本拠地とし、右打者ながら8本を放ち、両リーグ通じて単独トップ。盗塁もチームトップの13個。東出輝裕と二遊間を守り、広島打線の1、2番コンビとして定着した。しかし、9月26日の試合前の練習中、コーチのノックがイレギュラーして右目を直撃、検査の結果「右眼窩部打撲」と診断され登録抹消。横浜・吉村裕基、中日の佐藤充と争ってきた新人王争いにはまだまだアピールが必要であり、また、新人でありながらチームの攻守の要であるため梵本人は勿論、チームにとっても非常に痛い戦線離脱であった。その日はベンチ裏で人目もはばからず号泣。そして10月14日の阪神戦で復帰し、8回に代打出場。そのまま守備に就き、打球も無難に処理しファンを安堵させる(守備時には未だ赤い目に防御用ゴーグルを着用であった)。最終的には打率.289、安打数130という結果でルーキーシーズンを終えた。その結果、横浜の吉村裕基に倍以上の票差をつけて入団会見での公言通り、2006年度新人王獲得。広島の新人王は1997年の澤崎俊和以来9年ぶり、野手では1984年の小早川毅彦以来2人目である。同級生で二遊間を組む東出と2人でゴールデングラブを受賞することを目標にしている。そのため、秋季キャンプでは東出と常に行動を共にするなど、息を合わせている。7月13日の阪神タイガース戦(甲子園球場)で先制ソロにタイムリーを含む2二塁打を放ち、守備ではファインプレーも飛び出し、その日のお立ち台に立った。そのヒーローインタビューで、試合中マウンドへ寄った(投手・黒田博樹)時のことを聞かれて「黒田さんがワンパターンなリズムで投げてたので間を置きたかった」と新人にもかかわらず大胆な発言をした。
オフに背番号を6に変更。また、実家であるお寺を、ブラウン監督が直々に訪れている。12月16日に男児が誕生する。梵の新人王受賞を記念して、地元三次市の白蘭酒造が清酒『英心』を発売した。720mlの本醸造酒で、梵英心のサイン入りポストカードが1枚付いている。2006-2007のオフにローカルラジオ番組DO THE CARPにてDJの一人を務める。その際リスナーからDJ名が公募され、「DJ-Ashin」と名付けられた。
2007年はバットを前年よりも長く持ち、長打も狙って行くスタイルに切り替えを図ったのが功を奏してか、18本塁打を記録。しかしポップフライや三振が増える等、1番打者としては淡白な打撃になった。シーズン後半には6番として出場するなど、長打力を活かした配置転換を試され、前年に比べて大きく打撃スタイルが変化した。ただし打率こそ大きく落ちたものの安打数は前年に比べて増えており(打席数が増えた事も要因ではあるが)、四球数も前年27個に対し、51個選んだ。これは長打力の向上や1年目の活躍により相手投手から警戒され、コーナーをつく球が増えたこと、それを見極める力が向上したことによる。 守備面も向上を見せ、ショートとしては両リーグ唯一の100併殺を達成。失策はショートではセリーグ最多だったが、RF(レンジファクター)(守備率を参照)は両リーグでも1位だった。
2008年 、開幕を2番打者として迎えるが、開幕から昨年以上の低打率に陥り、また長打もほとんど出なくなる。ヘルメットを叩きつけて懲罰交代を受けたり、守備において指示を無視した独断行動を取ったことが決定打となり、4月末にプロ入り初の不調が原因による二軍落ちを経験。一軍復帰後は打順を7番・8番などの下位に下げて起用されたものの、夏場には打率2割を切るまでに至り、再び二軍落ちを余儀なくされる。調整を経てすぐに一軍に復帰したものの、新人の小窪哲也に正遊撃手のポジションを奪われる形になり、出場機会は大きく減少した。最終的に97試合の出場で打率.223、1本塁打、17打点、8盗塁と、あらゆる部門で自己最低の成績に終わった。 守備面ではエラーこそ多かったものの、RFを発展させたRRFでは鳥谷敬をわずかにしのぎセ・リーグ1位であった(ただし、鳥谷より出場試合は40試合以上少ない。また両リーグ合わせると金子誠がトップ)。
2009年、横浜から石井琢朗が加入し、遊撃手争いが激化するが、首脳陣からの期待は大きく、開幕戦で3番に抜擢される。すぐに下位を打ったり、石井と併用されたりもしたが、交流戦から1番を打つ機会が増えるとパ・リーグ球団の研究不足も手伝って調子を取り戻し、チームも交流戦の優勝争いを演じる。しかし、交流戦が終わりセ・リーグ相手になると再び打てなくなり下位を打つ機会が増え、結局8月上旬の試合直前に「チーム事情」による突然の二軍落ち。再び小窪に正遊撃手を奪われる形となった。二軍でも昇格を大きくアピールするだけの成績は残せずこの年一軍復帰は無かった。出場試合数は前年を更に下回る73試合に終わり、打撃成績も長打の数や盗塁を除けば前年とほとんど変わらない成績に終わる。
2010年、小窪とのポジション争いが注目される中、オープン戦では打率.227と振るわなかったものの、両リーグ1位の8盗塁を記録し、開幕を2番・遊撃手で迎える。シーズンに入ると3割前後の打率を維持し、1番東出輝裕と共に不動のリードオフマンとして低迷するチームの中で気を吐いた。東出の故障による離脱後は1番に座り、チーム唯一の全試合出場を果たすなど、シーズン終了まで安定した活躍を見せた。3年ぶりの規定打席に到達するとともに初の打率3割を達成。また13本塁打を打ち長打力が戻り、3年ぶりの二桁本塁打となった。横浜ベイスターズの石川雄洋に競り勝ち、自己最高の43盗塁を記録し、盗塁王(チームでは1997年の緒方孝市以来13年ぶり)を獲得した。更にリーグ4位の36犠打、自身初となるゴールデングラブ賞も受賞するなど、過去2年の不振からの完全復活を果たしたシーズンとなった。
2011年も開幕から遊撃手のレギュラーとして起用されるが、6月29日の試合中に自打球が左膝に直撃し、膝蓋骨骨挫傷で長期離脱となった。8月23日には二軍の試合に復帰したがすぐに痛みが再発し、本格的な練習を再開できないままシーズンを終えた[1]。
[編集] 人物
実家は江戸時代初期から続く浄土真宗本願寺派専法寺である。そのため2006年の春季キャンプの紅白戦で初本塁打を放った時には、嶋重宣や福井敬治から合掌で出迎えを受けていた。
梵姓は仏教用語に由来し、真宗僧侶が明治期になって名字を公称する際に命名した奇姓の一つである(ほかに「禿(かむろ、かぶろ)」姓など)。読み方のそよぎは梵の父親によると、「祖先がなぜ“そよぎ”と読んだかは分からない。ただ“凡”を“風”にとらえ、“林”に“風”が吹いて“そよぐ”としたのでは。頓知が効いた人だったかも」との事である。ただ「梵」を「そよぎ」となかなか読んで貰えず、本人曰く「(梵語〔ぼんご〕の読みから)ボンちゃんと呼ばれてもしょうがないスよね」とのこと。なお、チーム内ではブラウン前監督発祥の「ヨギ」という呼称が広まっているという。本人は、親戚以外で同姓の人には会った事が無いという(プロ野球ai・2006年5月号より)。
プロでの目標は2000本安打。
将来的に背番号7(大学の先輩である野村謙二郎が現役時代につけていた)を付けることを目標にしており、2007年から変更かと思われていたが、結局6に変更された。
趣味は料理、好きな言葉は「ポジティブ」・「前向き」。小柄ながらリストが強く、パンチ力ある打撃が持ち味。好きな食べ物は焼肉。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 広島 | 123 | 494 | 450 | 78 | 130 | 20 | 8 | 8 | 190 | 36 | 13 | 5 | 12 | 2 | 27 | 0 | 3 | 62 | 8 | .289 | .332 | .422 | .754 |
| 2007 | 136 | 588 | 519 | 69 | 135 | 20 | 4 | 18 | 217 | 56 | 20 | 6 | 8 | 4 | 51 | 2 | 5 | 95 | 7 | .260 | .330 | .418 | .748 | |
| 2008 | 97 | 318 | 287 | 23 | 65 | 11 | 0 | 1 | 79 | 17 | 8 | 5 | 3 | 2 | 23 | 2 | 3 | 50 | 7 | .226 | .289 | .275 | .564 | |
| 2009 | 73 | 264 | 241 | 28 | 54 | 9 | 4 | 2 | 77 | 19 | 14 | 3 | 3 | 1 | 18 | 1 | 1 | 37 | 4 | .224 | .280 | .320 | .599 | |
| 2010 | 144 | 659 | 562 | 82 | 172 | 34 | 3 | 13 | 251 | 56 | 43 | 14 | 36 | 4 | 53 | 0 | 4 | 80 | 4 | .306 | .368 | .447 | .815 | |
| 2011 | 52 | 232 | 192 | 34 | 41 | 7 | 2 | 2 | 58 | 11 | 8 | 4 | 14 | 1 | 23 | 0 | 2 | 34 | 2 | .214 | .303 | .302 | .605 | |
| 通算:6年 | 625 | 2555 | 2251 | 314 | 597 | 101 | 21 | 44 | 872 | 195 | 106 | 37 | 76 | 14 | 195 | 5 | 18 | 358 | 32 | .265 | .327 | .387 | .714 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 年度別守備成績
| 年度 | 二塁 | 遊撃 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2006 | 27 | 47 | 94 | 3 | 16 | .979 | 99 | 138 | 333 | 12 | 62 | .975 |
| 2007 | - | 135 | 231 | 439 | 13 | 103 | .981 | |||||
| 2008 | - | 92 | 127 | 281 | 11 | 48 | .974 | |||||
| 2009 | 3 | 4 | 15 | 1 | 3 | .950 | 67 | 101 | 185 | 8 | 35 | .973 |
| 2010 | - | 144 | 230 | 462 | 7 | 90 | .990 | |||||
| 2011 | - | 52 | 80 | 127 | 3 | 23 | .986 | |||||
| 通算 | 30 | 51 | 109 | 4 | 19 | .976 | 589 | 907 | 1827 | 54 | 361 | .981 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
- 最多盗塁:1回 (2010年)
[編集] 表彰
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2006年3月31日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、6番・二塁手として先発出場
- 初安打:同上、6回表2死に川上憲伸から中前安打
- 初打点:2006年4月2日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、8回表に平井正史から左翼へ犠飛
- 初本塁打:2006年4月27日、対読売ジャイアンツ6回戦(広島市民球場)、2回裏2死に桑田真澄から左中間へソロ本塁打
- 初盗塁:2006年5月18日、対西武ライオンズ2回戦(広島市民球場)、2回裏に二盗(投手:帆足和幸、捕手:野田浩輔)
[編集] 背番号
- 32 (2006年)
- 6 (2007年 - )
[編集] 登場曲
[編集] 関連情報
[編集] ドラマ出演
- ドリーム☆アゲイン-本人役で登場。
[編集] CM出演
- 創建ホーム株式会社(広島県竹原市に本社を置く、注文住宅販売会社)2008年の開幕時に大竹寛、梵英心、栗原健太とエキストラの子供たちと共演。
[編集] 脚注
- ^ “広島梵が左膝全快へ 遊撃は渡せない”. nikkansports.com. (2011年11月7日) 2011年11月7日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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