濱中治

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濱中 治
OB-Osamu-Hamanaka.jpg
オリックス時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県田辺市
生年月日 1978年7月9日(33歳)
身長
体重
178cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1996年 ドラフト3位
初出場 1997年9月20日
最終出場 2011年4月23日
年俸 1,500万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )は、阪神タイガース(阪神)オリックスバファローズ(オリックス)東京ヤクルトスワローズ(ヤクルト)に所属していたプロ野球選手外野手)。

阪神時代には一時(2001年~2005年)、「濱中おさむ」の登録名でプレー。2011年にヤクルトで現役を引退してからは、朝日放送ABCテレビ)のスポーツキャスターや、スカイ・A野球解説者を務めている。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

田辺市立芳養小・同明洋中から進んだ南部高では投手として、また打順は主に1番で活躍したが、甲子園に出場することはなかった。投手で1番打者だったことについては「4番に座ると、練習試合でも、相手投手がみんな敬遠してくるので、1番を打たされていた」とインタビューで答えている。

高校通算51本塁打を放っているが、51本目は夏の県大会準々決勝の星林高戦で、吉見祐治から打った、レフト場外に消える民家直撃弾であった。

[編集] 阪神時代

1996年のドラフト会議阪神タイガースに3位指名を受け入団[1]。入団会見では「甲子園で場外ホームランを打ちたい」と発言し、和製大砲到来と期待される。入団1年目からウエスタン・リーグで4番を打ち、球団では掛布雅之以来となる高卒新人でのスタメン出場を果たすなど頭角を現すが、最初の数年間は一軍と二軍を往復する日々が続いた。二軍では、当時チームメイトだった佐々木誠から熱心なアドバイスを受けた。

2001年、登録名を本名から「濱中おさむ」に変更しブレイク[1]母の日の5月13日、母親をスタンドに招待していた対広島東洋カープ戦(甲子園球場)で、プロ入り初本塁打となるサヨナラ本塁打を放った(しかし母親はこのホームランの時には球場を後にしていた)。後半戦は3番に定着し初の規定打席到達、13本塁打を記録[1]2002年は春季キャンプで、視察に訪れた長嶋茂雄から直接指導を受けた。この時視察後の長嶋に名前を「はまだ」と言い間違えられる一幕もあった。7月24日の対読売ジャイアンツ戦でサヨナラホームランを打つなど活躍するが、8月にナゴヤドームでの試合でダイビングキャッチを試みた際に親指を骨折。規定打席到達を逃すが、打率3割・18本塁打をマーク。この年オフには第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され出場した。

2003年は、開幕から4番に座って4月中に10本塁打到達し、打点を量産したが、5月20日に対広島戦で牽制球の帰塁の際に右肩を負傷。さらに6月13日の対巨人戦では送球の際に右肩を脱臼し、ファン投票で選出されていた7月のオールスターゲームの出場は辞退することになった。手術で後半戦を棒に振るが、日本シリーズには指名打者などで出場した。2004年、背番号を31に変更し、復活が期待されたが、再び右肩を痛めて手術を受けた。この時、公表されなかったが1度目の手術で埋めたボルトが砕けていたことが見つかり、取り除くため7月と9月の2度手術を受けていた[1]。2005年は、セ・パ交流戦で指名打者として復帰し、交流戦終了後は代打での出場が主になった。

2006年は5年ぶりに登録名を本名に戻し、背番号を5に変更して完全復活へと挑んだ。開幕スタメンこそ逃すが、打率.435・10本塁打・打点22をマークし、3・4月度の月間MVPを獲得する活躍で6番に定着。後半は今岡誠の故障もあり、5番打者として起用され、最終的には20本塁打と自己最高の成績を残した[1]。また、同年7月14日のオールスターにファン投票で選出された巨人(当時)の小久保裕紀内野手が怪我で出場を辞退したため、代替選手として出場した。

しかし、翌2007年は自身の不振と故障、林威助桜井広大の台頭があり、一軍と二軍を往復するシーズンとなり、結局打率.193、本塁打6、打点14と不本意な成績に終わる。度重なる怪我のため、阪神では戦力として計算しづらくなり、11月26日にオリックスの阿部健太投手、平野恵一内野手との交換トレードで吉野誠投手とともにオリックスに移籍が発表された[1]。12月3日付けでオリックスの支配下選手に登録され、12月5日に入団会見を行い、背番号は7番と発表された。オリックス球団は大阪府下での主催試合で「1人でも多くのファンの方に野球を生で楽しんでもらいたい」という濱中の意向から、背番号にちなんで各試合7名ずつファンを招待する「濱中治のラッキー7シート」を実施することになった。

[編集] オリックス時代

移籍初年度の2008年は、6番・右翼手として開幕戦にスタメン出場。4月1日の対西武戦では西口文也から逆転決勝1号満塁本塁打、4月30日の対楽天戦では9回裏に青山浩二から代打同点3号2ラン、5月6日の対ロッテ戦では成瀬善久から逆転決勝4号2ランと、開幕直後はチャンスで好打をたびたび放った。しかし、打率は伸び悩み、大石大二郎に監督が代わると、スタメンから外れるケースも多くなった。7月中旬に一旦2軍降格、8月初旬に1軍に復帰した。復帰直後はまずまずの打撃を見せたものの、坂口智隆下山真二の活躍やルーキー・小瀬浩之の台頭もあり、出場機会をあまり得られなかった。最終的には85試合に出場して打率.253、9本塁打の成績に終わった。前年ほどの不振ではないにしろ、カムバック賞を獲得した平野とは対照的に、期待された成績を残したとは言い難かった。

2009年は開幕一軍入りを果たすも、出場機会をなかなか得られず、4月27日に登録抹消。その後、二軍でシーズンを通じて岡田貴弘の21本に次ぐチーム2位の13本塁打を記録するなど腐らず結果を残し続け、7月31日に再昇格。8月2日の対西武戦では、2回裏に西口文也から先制3ランを放つと、延長10回裏には岩崎哲也からサヨナラソロ本塁打を放つ活躍を見せた。1試合2本塁打は阪神時代の2006年4月25日の対横浜戦以来だった。次の対楽天3連戦でも2本塁打を放ち、昇格した日から一週間以内で4本塁打を放った。しかし、その後は勢いが長続きせず、9月3日に二軍降格。結局は打率.208、6本塁打12打点と不本意な成績に終わった。

2010年も不振に苦しみ、わずか4試合のみの出場に留まり、シーズン終了後の10月2日、戦力外通告を受けた[1]

[編集] ヤクルト時代

2010年11月10日、ヤクルトへの入団が決定。[2]12月3日に入団発表が行われ、背番号はゼロから再起をかける意味で「0」となった[3]2011年、開幕戦を3番レフトで先発出場したが、シーズンを通した出場は5試合どまりだった[1]。9月30日、今季限りで引退を発表[4][5]。12月2日、自由契約公示され引退した。

[編集] 引退後

2012年1月から、ABCテレビ(テレビ朝日系列)が関西ローカルで放送中の情報番組『おはよう朝日です』で、金曜日のスポーツキャスターを担当。スカイ・Aの野球解説者としても活動している。

[編集] 右肩について

怪我で2003年・2004年と2度の手術を行った右肩は、ランナーを抑止できない“弱肩”と言われている。もともとのケガはただの脱臼だったが、完治しない状態での強行出場を監督に強く直訴して出場し、無理をして大ケガを負った。それが完治しない状態でふたたび強行出場し、やはり無理をして大ケガを負った[1]。結果的には、最初の脱臼よりも、そのあとの二度の大ケガが致命的となった。

2006年に濱中が右翼手として復帰した際には、ランナーを二塁や三塁に置いて打球が右翼に飛んできた場合(すなわちバックホームが求められる状況の時)、二塁手が通常よりさらに深いところで中継に入り、濱中の弱肩をカバーするという方法が考えられた。守備の負担軽減のため右翼手から一塁手へのコンバートも一時提案されたが、濱中本人がコンバートに難色を示したことと、広島から移籍したアンディ・シーツが正一塁手に固定されていたため、コンバートの話はなくなった。

しかし、一時は選手生命すら危ぶまれたほどの大怪我だったので、右肩は濱中について回る不安材料だと言う者もファンやマスコミに多い。そして次に肩を壊したら二度と野球ができなくなるとも言われている。そのためオリックス移籍後は指名打者としての起用も予想されたが指名打者にはアレックス・カブレラタフィ・ローズといった候補も多く、濱中本人は移籍会見で「右肩の不安を(周囲から)言われますが、自分は外野手1本でやることを考えています」と決意表明した。過去の二度の大ケガは、外野守備時のものだったので、彼がこのように常に外野守備にこだわる性格でなければ、二度の大ケガもなかっただろう、と見る見解もある。

[編集] 人物

阪神時代で2005年から使用されていた応援歌では「不死鳥」と歌われている。何度も怪我してもそのたびに復活してくる様を不死鳥に例えたもの。

試合中の応援では、阪神時代は「濱中」、オリックス時代は「治(おさむ)」とコールされていた。

2003年7月に離婚していたが、2006年1月22日の女子バレーボールJTマーヴェラスの試合に、濱中が帽子にサングラス、マフラーという“変装”で観戦に現れたことがきっかけで、翌23日にサンケイスポーツが「濱中とJT所属の菅山かおる選手が交際中」と報じた。この報道に対して二人とも交際を否定した。その後2008年12月6日に一般女性と再婚したと発表した。

プライベートでは大引啓次、阪神時代の同僚である藤本敦士赤星憲広と交流があり、仲が良い。藤本とは2011年シーズンから再び同じチームメートとなった。赤星・藤本とは引退についての相談もした[1]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 阪神 6 12 12 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .167 .167 .167 .333
1998 11 24 22 4 9 0 0 0 9 3 0 0 0 0 2 0 0 3 1 .409 .458 .409 .867
1999 35 78 70 8 14 3 2 0 21 4 0 2 2 0 5 0 1 16 3 .200 .263 .300 .563
2000 9 18 15 2 4 0 0 0 4 0 0 1 0 0 3 0 0 6 0 .267 .389 .267 .656
2001 110 475 411 52 108 18 2 13 169 53 3 7 4 5 53 6 2 65 10 .263 .346 .411 .757
2002 102 404 366 60 110 19 2 18 187 51 8 4 0 4 28 1 6 58 7 .301 .356 .511 .867
2003 55 201 176 30 48 9 1 11 92 48 3 2 1 2 19 2 3 27 8 .273 .350 .523 .873
2004 17 40 34 6 4 0 0 1 7 1 0 0 0 0 5 0 1 10 1 .118 .250 .206 .456
2005 78 125 109 9 31 3 2 1 41 20 0 1 0 2 12 0 2 36 2 .284 .360 .376 .736
2006 139 538 486 71 147 26 1 20 235 75 2 2 0 5 43 2 4 80 10 .302 .361 .484 .844
2007 62 155 145 12 28 6 0 6 52 14 1 1 0 1 8 0 1 28 6 .193 .239 .359 .597
2008 オリックス 85 247 217 25 55 11 2 9 97 29 0 4 2 2 25 0 1 50 6 .253 .331 .447 .778
2009 26 83 77 8 16 3 0 6 37 12 0 1 0 1 5 1 0 21 1 .208 .253 .481 .734
2010 4 14 14 1 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .143 .143 .214 .357
2011 ヤクルト 5 14 13 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .154 .214 .154 .368
通算:15年 744 2428 2167 290 580 99 12 85 958 311 17 25 9 22 209 12 21 408 56 .268 .335 .442 .777
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 年度別守備成績

年度 外野 三塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1997 4 4 1 0 0 1.000 -
1998 8 12 0 0 0 1.000 -
1999 21 16 2 2 1 .900 7 3 7 0 1 1.000
2000 8 5 0 0 0 1.000 -
2001 109 183 5 1 2 .995 -
2002 98 151 6 2 0 .987 -
2003 44 81 2 1 0 .988 -
2004 10 18 0 0 0 1.000 -
2005 6 4 0 1 0 .800 -
2006 121 199 2 4 1 .980 -
2007 31 37 0 0 0 1.000 -
2008 70 106 1 3 1 .973 -
2009 21 37 1 0 0 1.000 -
2010 4 6 0 1 0 .857 -
2011 5 5 1 0 0 1.000 -
通算 560 864 21 15 5 .983 7 3 7 0 1 1.000

[編集] 表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 66 (1997年 - 1998年)
  • 25 (1999年 - 2003年)
  • 31 (2004年 - 2005年)
  • 5 (2006年 - 2007年)
  • 7 (2008年 - 2010年)
  • 0 (2011年)

[編集] 登録名

  • 濱中 治(はまなか おさむ)(1997年 - 2000年、2006年 - 2011年)
  • 濱中 おさむ(はまなか おさむ)(2001年 - 2005年)

[編集] 登場曲

  • 2000年 Peach!! - 福山雅治
  • 2001年 プライマル。- THE YELLOW MONKEY
  • 2002年 ガッツだぜ!! - ウルフルズ
  • 2003年 It's MyLife - Bon Jovi
  • 2004年 TOKIO - 沢田研二
  • 2005年~2007年 LAYLA - Derek&The Dominos

オリックス時代

華舞台 ET-KING(濱中バージョン)

[編集] 関連情報

[編集] TV

  • 2012年~ ABC 『おはよう朝日です』 金曜日スポーツコメンテーター 
  • 2012年~ sky・A 猛虎キャンプリポート2012
  • 2012年~ ABC ゲスト解説

[編集] その他

  • 交野市 平成23年度第3回生涯学習大学アスリートセミナー プロ野球選手から学ぶ「走る・投げる」講師出演

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 惜別球人 濱中治『週刊ベースボール』2011年12月12日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/12, 91-95頁。
  2. ^ 濱中選手と宮出選手の獲得について
  3. ^ http://hmnk.tblog.jp/?eid=262861
  4. ^ 「これが限界」ミスタータイガース候補だった浜中 33歳の決断”. スポーツニッポン (2011年9月30日). 2011年9月30日閲覧。
  5. ^ 濱中選手、現役引退のお知らせ”. 東京ヤクルトスワローズ (2011年9月30日). 2011年9月30日閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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