大畑大介

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大畑 大介
生年月日 1975年11月11日
ポジション スリークォーターバック
所属 神戸製鋼
身長 176cm
体重 82kg

大畑 大介(おおはた だいすけ、1975年11月11日 - )は、日本ラグビー選手である。ジャパンラグビートップリーグ神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属。 トップリーグキャプテン会議代表。

目次

[編集] 人物

1996年アジア選手権に出場する日本代表(ジャパン)に選ばれて全試合に出場し、韓国との最終戦で初キャップを獲得。

1997年京都産業大学ラグビー部の主将として関西大学ラグビーリーグ戦を制し、大学選手権2回戦にて早稲田大学相手に69 - 18 と歴史的大勝。FWの威力と共に大畑が縦横無尽に走り回り完勝した。準決勝は関東学院大学に完敗。 

1999年香港セブンズで、日本代表は下位チームによるトーナメントグループ(ボウルトーナメント)に回ったが、その決勝のスコットランド戦の終了間際、大畑は自陣ゴール前から、「大会史上最高」とも評された独走トライで日本を逆転勝利に導き、ボウルトーナメント出場国の選手としては史上初のMVPを獲得した。

2002年7月6日、国立競技場でのワールドカップアジア最終予選台湾戦で、テストマッチにおける日本新記録となる8トライを記録。そして2006年5月14日、花園ラグビー場でのグルジア戦で3トライを挙げてテストマッチ通算65トライとし、オーストラリアデイヴィッド・キャンピージが保持していた64トライの世界記録を更新した。

ワールドカップでは、1999年2003年の2大会で日本代表の全試合(計7試合)にフル出場し、計3トライを記録している。

2006年アジア選手権(兼ワールドカップアジア最終予選)では主将を務める。2004年にも1度務めたが、当時の主将だった箕内拓郎の代役としてだった。

スピードとパワーを兼ね備えており、TBSスポーツマンNo.1決定戦で2回優勝(2001年2003年)するなど、現役のプロスポーツ選手の中で屈指の身体能力の持ち主である。同番組の競技「ショットガンタッチ」では、13m50cmという歴代2位の記録を持っている。

2006年のトップリーグ最終節ヤマハ戦で右アキレス腱を断裂し、2007年上半期をリハビリに費やす。2007年8月10日、「リポビタンDチャレンジ2007 日本代表 vs アジア・バーバリアンズ ラグビーワールドカップ2007 日本代表壮行試合」にて、見事復帰、アジア混合チームにトライを上げ快勝した。2007年ワールドカップにおいても、副将に選ばれている。2007年8月25日、イタリアで行われたポルトガルとの本大会に向けた調整試合で左アキレス腱を断裂。

2008-2009シーズン・トップリーグ第1節NEC戦で復活。元南アフリカ代表ヤコ・ファン・デル・ヴェストハイゼンのパスをカット。一気に50mを走りきり、復活トライをあげた。その後チームは、トップリーグプレーオフに進出するが、2009年2月1日の準決勝東芝戦で左肩を亜脱臼し退場、全治に4から6箇月かかる見通し。

2010年より、株式会社スポーツカンパニーとマネジメント契約。

2010-11トップリーグ開幕を前に同シーズンを最後に引退することを表明。2011年1月9日、リーグ最終戦の豊田自動織機戦で右ひざ膝蓋腱英語版を断裂。これを最後に選手生活にピリオドを打つこととなった。なお、この右ひざの手術の翌日、外泊許可を取って「さんまのまんま」の収録に参加している(放映日は関西テレビ 2011年1月29日、フジテレビ 2011年2月6日)。高校の同級生であるテキサス・レンジャーズ建山義紀投手と上原浩治投手が出演すると云うことで、3人揃うのは滅多にないから、とのことであった。

[編集] 主な記録

  • 通算テストマッチトライ記録(69トライ)
  • テストマッチ年間トライ数世界タイ記録(2002年17トライ)
  • テストマッチ1試合トライ数日本記録(2002年7月6日、中華台北戦)

[編集] プロフィール

[編集] 経歴

[編集] 受賞歴

  • 2003-04トップリーグベスト15・ファンサービス賞
  • 2005-06トップリーグベスト15
  • 2010-11功労賞

[編集] 著書

[編集] その他

メジャーリーグテキサス・レンジャーズ建山義紀投手と上原浩治投手は東海大学付属仰星高等学校時代の同級生であり、一年生のときは三人とも同じクラスであった 。

[編集] テレビ出演

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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