全国高等学校ラグビーフットボール大会

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全国高等学校ラグビーフットボール大会
Kintetsu Hanazono rugby stadium Entrance.jpg
開始年 1918
主催 毎日新聞社
全国高等学校体育連盟
日本ラグビーフットボール協会
参加チーム数 51
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 東海大学付属仰星高等学校
最多優勝 秋田工業高等学校(15回)
サイト 全国高等学校体育連盟ラグビー専門部公式サイト
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全国高等学校ラグビーフットボール大会(ぜんこくこうとうがっこうラグビーフットボールたいかい)は、毎年12月末から翌1月の始めにかけて大阪府東大阪市近鉄花園ラグビー場で開催される日本の高校生のラグビーにおける選手権大会である。通称「花園」(はなぞの)「冬の花園」、「ラグビー甲子園」とも。なお全国大学ラグビー全国高校サッカーなどとは異なり大会名に「選手権」がつかないことに注意。

全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会(春の熊谷)、サニックス・ワールド・ラグビー・ユース交流大会と並ぶ高校世代の三大タイトルの一つであり、その中で最も歴史が深い。

概説[編集]

全国高等学校総合体育大会の一環[1]で、「高校ラガーマンの甲子園」とも言われる。優勝旗「飛球の旗」と呼ばれる(第40回大会より)。花園ラグビー場に会場が定着した時期は第42回大会(1962年(昭和37年)度)からである。

主催は全国高等学校体育連盟日本ラグビーフットボール協会大阪府、大阪府教育委員会、および毎日新聞社の各団体であり、文部科学省日本体育協会東大阪市NHKが後援。神戸製鋼所毎日放送が特別協賛をしている。

1918年(大正7年)に「日本フットボール大会」の呼称で大阪府豊中市においてサッカーの選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)と併せて開催されたことが始まりとされている。このため、式典で豊中市の梅花高等学校の生徒がプラカードを持つ。当初は旧制高校や大学の参加もあったが、第3回大会から旧制中等学校のみの参加となり、現在に至っている。

現在では、51チームによるトーナメント方式で本大会が行われている。8つのブロックに分け(各ブロック6~7校)、2校出場する北海道東京都、3校出場する大阪府ではそれぞれ別ブロックに配置される。最初に3回戦までの抽選を行い、準々決勝、準決勝はその都度抽選を行う。

先立って各都道府県毎に予選を行いそれぞれの代表を決するが、例外的に北海道が南北の2地区、東京都が2地区、大阪府が3地区に分かれている。県代表制という形式上この大会、競技に限ったことではないが、1チーム15人という大人数のスポーツであるため、伝統的に参加校も少なく絶対的な強豪校が代表を独占してしまう都道府県も存在する[2]。近年は少子化の影響や、生徒が「きつい、汚い、けがが多い」ことを敬遠するほか、保護者や学校もけがを恐れてラグビーをやらせたがらないため、選手が集まる強豪校以外の地盤沈下が進んでいると指摘されている。[3]

大会に出場することを、開催地を取って「花園に行く」と表現することもある。またラグビーに関わる人間は「花園」で会話の意が通る。

戦前においては当初は同志社が圧倒的だったが、その後外地勢の強さが目立ち、朝鮮台湾満州などの代表がしばしば優勝を飾っている。戦後は秋田工盛岡工や東京の高校、天理の台頭が顕著であったが、ここ20年は大阪・京都府勢の活躍が目立つ。特に京阪電鉄沿線には優勝校(伏見工(「スクール☆ウォーズ」のモデル)・啓光学園(現・常翔啓光学園)・東海大仰星・大阪工大高(現・常翔学園))が集中し常にハイレベルな練習試合を行い実力を磨いている。啓光学園は2001年度大会から4連覇を果たしたが、2005年度の大会では準々決勝で敗退し、戦後初となる5連覇は実現しなかった。2011年度は東福岡が史上5校目の3連覇となる4回目の優勝を果たした。また高校ラグビーの底上げのため2008年度から決勝戦の前座試合でU18合同チーム東西対抗戦[4]が始まり、全国高等学校合同チームラグビーフットボール大会に参加した選手を選抜し、選手の高校の所在地によって東西2チームにそれぞれ25名に分けて花園ラグビー場の第1グラウンドで行われている。さらに7人制ラグビーと女子ラグビーを広めるために2009年度・2010年度は女子7人制ラグビー東西対抗戦[5]が女性選手を東西2チームそれぞれ11人(2010年度は10人)に分けて開会式終了後に第1グラウンドで行われて、2011年度からはU18花園女子セブンズ花園からオリンピックへが実施され、高校3年生以下の女子選手から40名を選抜して、まずハイパフォーマンスの部と普及の部に20人ずつ分けて、それぞれ10人で2チーム合計4チームを作り、それぞれの部で同じく開会式終了後に第1グラウンドで行われている。 そして大会終了の1週間後には「高校東西対抗試合」と題して、この大会で特に活躍した選手を選抜した上で東西に分かれて行う高校ラグビー版オールスターゲームが秩父宮ラグビー場(2008年までは国立霞ヶ丘陸上競技場)で開かれる。

2010年度の第90回記念大会は北海道の南北2校・東京都の2地区・大阪府の3地区に加えて、埼玉県・神奈川県・愛知県・福岡県の4県から2代表が加わって過去最多の55校で開催された。しかし、今後5で割り切れる数字(90、95、100…)を記念大会にするかどうかは未定である。

大会の日程[編集]

原則として1日おきの開催。これはラグビーの場合は連日の連戦にすると選手の疲労がたまるためである。元日1月1日)も開催される。

歴代優勝校[編集]

年度 優勝校 スコア 準優勝校 ベスト4 備考
日本フートボール大会ラグビー式の部
1 1917年 全同志社(1) 京都 31-0 京都一商 京都 三高(京都)、全慶應(東京) 豊中グラウンドにて開催(-第5回)
日本フットボール大会ラグビー式の部
2 1918年 三高 京都 24-0 同志社中 京都 京大(京都)、慶應(東京)
3 1919年 同志社中(1) 京都 3-0 京都一商 京都
4 1920年 同志社中(2) 京都 6-0 京都一商 京都 慶應義塾普通部(東京)
5 1921年 同志社中(3) 京都 6-0 京都一商 京都
6 1922年 同志社中(4) 京都 14-0 立命館中 京都 京都一商(京都) 宝塚球場にて開催(-第7回)
7 1923年 同志社中(5) 京都 6-0 京都一商 京都 立命館中(京都)、京都中(京都)
8 1924年 京都一商 京都 12-0 天王寺中 大阪 同志社中(京都)、京都三中(京都) 阪神甲子園球場にて開催(-第10回)
全国中等学校蹴球大会
9 1925年 同志社中(6) 京都 6-3 南満工業 満州 京都一中(京都)、天王寺中(大阪)
1926年 中止
10 1927年 同志社中(7) 京都 11-0 天王寺中 大阪 福岡中(福岡)、慶應義塾普通部(東京)
11 1928年 同志社中(8) 京都 41-0 早稲田実業 東京 天王寺中(大阪)、神戸一中(兵庫) 甲子園南運動場にて開催(-第23回)
12 1929年 慶應義塾普通部(1) 東京 8-6 同志社中 京都 京城師範(朝鮮)、奉天中(満州)
13 1930年 京城師範(1) 朝鮮 34-3 天理中 奈良 同志社中(京都)、福岡中(福岡)
14 1931年 京城師範(2) 朝鮮 30-5 同志社中 京都 秋田工(秋田)、慶應義塾普通部(東京)
15 1932年 京城師範(3) 朝鮮 32-5 天理中 奈良 神戸二中(兵庫)、福岡中(福岡)
16 1933年 秋田工(1) 秋田 8-5 京城師範 朝鮮 神戸二中(兵庫)、鞍山中(朝鮮)
17 1934年 鞍山中 満州 3-3 (両校優勝) 京城師範(朝鮮)、天理中(奈良)
台北一中 台湾
18 1935年 天理中(1) 奈良 14-5 神戸一中 兵庫 鞍山中(満州)、京都一商(京都)
19 1936年 培材高普 朝鮮 9-8 台北一中 台湾 崇徳中(広島)、京都一商(京都)
20 1937年 秋田工(2) 秋田 3-0 養正普 朝鮮 崇徳中(広島)、神戸二中(兵庫)
21 1938年 撫順中(1) 満州 14-11 秋田工 秋田 函館中(北海道)、神戸一中(兵庫)
22 1939年 撫順中(2) 満州 11-3 秋田工 秋田 養正中(朝鮮)、北野中(大阪)
23 1940年 台北一中 台湾 3-0 福岡中 福岡 鞍山中(朝鮮)、養正中(朝鮮)
24 1941年
関西大会
北野中 大阪 12-3 天王寺中 大阪 神戸二中(兵庫)、天理中(奈良) 甲子園南運動場にて開催
1941年
九州大会
福岡中(1) 福岡 9-8 鞍山中 朝鮮 福岡商(福岡)、修猷館中(福岡) 福岡春日原球場にて開催
25 1942年 天王寺中(1) 大阪 6-0 福岡中 福岡 神戸二中(兵庫)、崇徳中(広島) 甲子園南運動場にて開催
1943年
- 1945年
中止
26 1946年 福岡中(2) 福岡 6-0 神戸二中 兵庫 天王寺中(大阪)、函館市中(北海道) 西宮球技場にて開催(第26回-第27回、第29回-第41回)
27 1947年 秋田工(3) 秋田 6-6 (両校優勝) 山口中(山口)、四条畷中(大阪)
函館市中 北海道
全国高等学校ラグビーフットボール大会
28 1948年 秋田工(4) 秋田 13-3 四條畷 大阪 北見(北海道)、脇町(徳島) 東京ラグビー場にて開催
29 1949年 秋田工(5) 秋田 14-3 福岡 福岡 天王寺(大阪)、村野工(兵庫)
30 1950年 天王寺(2) 大阪 8-0 秋田工 秋田 北見(北海道)、嘉穂(福岡)
31 1951年 秋田工(6) 秋田 13-3 北見北斗 北海道 修猷館(福岡)、県尼崎(兵庫)
32 1952年 秋田工(7) 秋田 8-0 北見北斗 北海道 福岡(福岡)、熊本工(熊本)
33 1953年 福岡(3) 福岡 5-0 保善 東京 金足農(秋田)、慶應義塾(神奈川)
34 1954年 慶應義塾(2) 神奈川 6-5 秋田工 秋田 盛岡工(岩手)、福岡(福岡)
35 1955年 秋田工(8) 秋田 14-0 保善 東京 北見北斗(北海道)、高崎(群馬)
36 1956年 秋田工(9) 秋田 14-3 盛岡工 岩手 仙台工(宮城)、福岡工(福岡)
37 1957年 保善(1) 東京 14-3 日大二 東京 大嶺(山口)、四条畷(大阪)
38 1958年 秋田工(10) 秋田 6-0 盛岡工 岩手 京王(東京)、水戸農(茨城)
39 1959年 保善(2) 東京 9-0 北見北斗 北海道 秋田工(秋田)、四条畷(大阪)
40 1960年 秋田工(11) 秋田 13-6 保善 東京 慶應義塾(神奈川)、新田(愛媛) 「飛球の旗」を新調
41 1961年 保善(3) 東京 9-5 京王 東京 秋田工(秋田)、熊本工(熊本)
42 1962年 天理(2) 奈良 8-3 北見北斗 北海道 興國商(大阪)、慶應義塾(神奈川) 近鉄花園ラグビー場にて開催(-現在)
43 1963年 保善(4) 東京 6-3 京王 東京 盛岡工(岩手)、慶應義塾(神奈川)
44 1964年 秋田工(12) 秋田 6-3 天理 奈良 花園(京都)、黒沢尻工(岩手)
45 1965年 盛岡工(1) 岩手 6-5 天理 奈良 淀川工(大阪)、大阪工大高(大阪)
46 1966年 天理(3) 奈良 14-10 京王 東京 秋田(秋田)、山口農(山口)
47 1967年 福岡電波 福岡 11-5 目黒 東京 新田(愛媛)、新潟工(新潟)
48 1968年 秋田工(13) 秋田 26-6 目黒 東京 天理(奈良)、諫早農(長崎)
49 1969年 目黒(1) 東京 20-16 諫早農 長崎 天理(奈良)、慶應義塾(神奈川)
50 1970年 盛岡工(2) 岩手 20-9 天理 奈良 秋田(秋田)、日川(山梨)
51 1971年 天理(4) 奈良 17-13 目黒 東京 日川(山梨)、福岡(福岡)
52 1972年 目黒(2) 東京 27-0 花園 京都 黒沢尻工(岩手)、国学院久我山(東京)
53 1973年 目黒(3) 東京 19-8 大分舞鶴 大分 近大付(大阪)、関商工(岐阜)
54 1974年 大分舞鶴 大分 14-8 花園 京都 秋田工(秋田)、新潟工(新潟)
55 1975年 国学院久我山(1) 東京 25-9 目黒 東京 大阪工大高(大阪)、黒沢尻工(岩手)
56 1976年 目黒(4) 東京 29-9 花園 京都 大分舞鶴(大分)、国学院久我山(東京)
57 1977年 大阪工大高(1) 大阪 20-12 秋田工 秋田 黒沢尻工(岩手)、浪商(大阪)
58 1978年 国学院久我山(2) 東京 40-6 黒沢尻工 岩手 目黒(東京)、大分舞鶴(大分)
59 1979年 目黒(5) 東京 16-14 国学院久我山 東京 大分舞鶴(大分)、大阪工大高(大阪)
60 1980年 伏見工(1) 京都 7-3 大阪工大高 大阪 黒沢尻工(岩手)、大分舞鶴(大分)
61 1981年 大阪工大高(2) 大阪 13-4 秋田工 秋田 高鍋(宮崎)、熊谷工(埼玉)
62 1982年 国学院久我山(3) 東京 31-0 目黒 東京 秋田工(秋田)、伏見工(京都)
63 1983年 天理(5) 奈良 18-16 大分舞鶴 大分 日川(山梨)、大津(山口)
64 1984年 秋田工(14) 秋田 9-4 相模台工 神奈川 熊谷工(埼玉)、日川(山梨)
65 1985年 大東大一 東京 8-0 本郷 東京 熊谷工(埼玉)、相模台工(神奈川)
66 1986年 国学院久我山(4) 東京 22-6 熊谷工 埼玉 天理(奈良)、大阪工大高(大阪)
67 1987年 秋田工(15) 秋田 9-4 相模台工 神奈川 都城(宮崎)、日川(山梨)
68 1988年 茗溪学園 茨城 中止 (両校優勝) 淀川工(大阪)、相模台工(神奈川) 備考2参照
大阪工大高(3) 大阪
69 1989年 天理(6) 奈良 14-4 啓光学園 大阪 花園(京都)、茗渓学園(茨城)
70 1990年 熊谷工 埼玉 19-9 天理 奈良 大阪工大高(大阪)、日川(山梨)
71 1991年 啓光学園(1) 大阪 28-8 国学院久我山 東京 相模台工(神奈川)、大阪工大高(大阪)
72 1992年 伏見工(2) 京都 15-10 啓光学園 大阪 日川(山梨)、東農大二(群馬)
73 1993年 相模台工(1) 神奈川 19-6 東農大二 群馬 国学院久我山(東京)、長崎北(長崎)
74 1994年 相模台工(2) 神奈川 27-12 長崎北陽台 長崎 国学院久我山(東京)、同志社香里(大阪)
75 1995年 大阪工大高(4) 大阪 50-10 秋田工 秋田 日川(山梨)、相模台工(神奈川)
76 1996年 西陵商 愛知 26-25 啓光学園 大阪 大阪工大高(大阪)、東福岡(福岡)
77 1997年 国学院久我山(5) 東京 33-29 伏見工 京都 報徳学園(兵庫)、啓光学園(大阪)
78 1998年 啓光学園(2) 大阪 15-12 大阪工大高 大阪 天理(奈良)、桐蔭学園(神奈川)
79 1999年 東海大仰星(1) 大阪 31-7 埼工大深谷 埼玉 佐賀工(佐賀)、国学院久我山(東京)
80 2000年 伏見工(3) 京都 21-3 佐賀工 佐賀 埼工大深谷(埼玉)、仙台育英(宮城)
81 2001年 啓光学園(3) 大阪 50-17 東福岡 福岡 大阪工大高(大阪)、仙台育英(宮城)
82 2002年 啓光学園(4) 大阪 26-20 東福岡 福岡 大阪工大高(大阪)、伏見工(京都)
83 2003年 啓光学園(5) 大阪 15-0 大分舞鶴 大分 東海大仰星(大阪)、正智深谷(埼玉)
84 2004年 啓光学園(6) 大阪 31-14 天理 奈良 正智深谷(埼玉)、大阪工大高(大阪)
85 2005年 伏見工(4) 京都 36-12 桐蔭学園 神奈川 東海大仰星(大阪)、大阪工大高(大阪)
86 2006年 東海大仰星(2) 大阪 19-5 東福岡 福岡 桐蔭学園(神奈川)、大阪工大高(大阪)
87 2007年 東福岡(1) 福岡 12-7 伏見工 京都 桐蔭学園(神奈川)、長崎北陽台(長崎)
88 2008年 常翔啓光学園(7) 大阪 24-15 御所工・実 奈良 東福岡(福岡)、京都成章(京都) 備考3参照
89 2009年 東福岡(2) 福岡 31-5 桐蔭学園 神奈川 京都成章(京都)、大阪朝鮮(大阪)
90 2010年 東福岡(3) 福岡 31-31 (両校優勝) 関西学院(兵庫)、大阪朝鮮(大阪)
桐蔭学園 神奈川
91 2011年 東福岡(4) 福岡 36-24 東海大仰星 大阪 御所実(奈良)、常翔学園(大阪)
92 2012年 常翔学園(5) 大阪 17-14 御所実 奈良 茗渓学園(茨城)、国学院久我山(東京)
93 2013年 東海大仰星(3) 大阪 19-14 桐蔭学園 神奈川 東福岡(福岡)、大阪桐蔭(大阪)
  1. 第1回(1917年度)優勝の全同志社は大学と普通部の合同チーム。
  2. 第68回(1988年度)は決勝戦当日の1月7日昭和天皇が崩御したことによる華美なイベントの自粛、また高校の3学期の日程が迫っていることなどから代替開催を行わずに両校優勝とし、試合開始予定時刻にファン・両校関係者を集めての表彰式のみが行われた。後に当時のメンバーが集まり、幻の決勝戦を再現する試合を開催したという。
  3. 第88回(2008年度)の御所工・実は、改組中につき新旧高校の合同チームとして出場(3年生が御所工、1・2年生が御所実)。

テレビ中継[編集]

1976年度(第56回)以前
NHK総合テレビジョンにより決勝戦が生中継された(解説は長年同志社大学ラグビー部監督→部長であった岡仁詩が担当)。後には準決勝も一部中継していた。下記の民放テレビによる中継開始後も1982年度(第62回)大会まで並行して放送していた。その後NHKがニュース映像で高校ラグビーを取り上げる時は中継映像を使うことが多かったが、2000年代はふたたび独自の映像を使用している。また毎日放送(MBS)による中継(全国ネットではない)も1971年度(第51回)大会から連続的に実施されていた。[7]
さらにMBSラジオでも開局から数年間全国高等学校サッカー選手権大会(当時は毎日新聞社主催、関西で開催)とともに中継していた。
1977年度(第57回)-2001年度(第81回)
1977年度(第57回)大会以降、毎日放送(MBS)が全国ネットによるテレビ中継を実施。TBS系(JNN)28局と独立UHF放送局12局(MX除く)、日本テレビ系列の秋田放送福井放送四国放送による共同制作機構が制作していた(製作著作はMBSTBS。なお広域放送に当たるTBS、CBC、MBSの3局も原則として本社所在都府県=TBSは茨城と1998年度までの栃木含む=のみの担当だった)[8]。中継スポンサーとして、初期は複数提供、後に単独提供住友グループ各社が協賛した。また、毎年12月30日のハイライトは1992年は「39時間テレビ」・1993年 - 1995年は「報道30時間テレビ」といった長時間特別番組枠の枠内で放送されたが、後期に夕方に移行された。2000年度 - 2005年度は事前番組として深夜時間帯に5 - 10分程度の「花園伝説〜ここがすべての出発点〜」が放送されていた。ハイライト・中継番組の製作著作クレジットは「毎日放送・TBS」ではなく「MBS・TBS」となっていた年度もある(1985年度等)。
実況を担当するアナウンサーはJNNのスポーツ・アナウンサーを中心に約20名選抜され、大体4つにグループが分けられ2001年度(第81回)大会を参考にすると①最終日まで滞在(主にMBS・TBSアナ+決勝進出校担当アナ)②1月3日まで滞在(塩見啓一佐藤修)③元日まで滞在(茅野正昌一柳信行宮本英樹)④12月30日まで滞在(卓田和広星野一弘吉田幸真笹原忠義村山仁志本田史郎田中正訓谷口英明[9])となっていた。また、ラジオでもMBSや当該地域(こちらは任意)に向けて実況中継を行い、サンテレビ所属の谷口を除くメンバーで担当していたため、人によっては1日2試合担当していた。1990年代以降はMBSラジオで第一グラウンドの試合を中心にほぼ完全中継を行っていた。決勝はTBSラジオにも中継していた。なお、全体で70分程度の深夜ハイライト番組構成は試合のある地域はオープニング・挨拶(スタジオ)と当日の概略→CM→試合前半→CM→試合後半→CM→10分程度その日の結果(スタジオ)→CM→エンディング、試合のない地域は挨拶のあとハイライト①→CM→ハイライト②→CM→その日の結果→CM→エンディングとなる(2番目CMは同時ネット)。スタジオはMBS・TBS双方のアナウンサー1名ずつとラグビー関係者1名(大八木淳史林敏之など)が出演していた。MBS・TBS・HBC・RSK・BSS・RKBは放送エリア[10]の関係上1日に2試合(MBS・TBSは3試合の場合あり)放送する場合はダイジェストの形で放送した。
試合本編中はCMを入れず、中盤に1度だけ当初はテロップのみ、後年は画面下4分の一にオリジナルアニメーションによりスポンサーを表示した(同じ協賛スポンサーだった朝日放送全国高校野球選手権大会中継と同様)。
そのスポンサーの住友グループは場内に看板広告(大学や社会人で掲示される広告は出さない)を、場外にアドバルーンを揚げていた。また、入場者向けに高校ラグビーのみどころやルール解説、そしてファンやプレイヤーからのおたよりを載せた小冊子「RUGBY」を無料配布していた。
1回戦から3回戦までは得点と解説・実況のテロップのみ表示しスタメン紹介などは各局からの送出で行った。
1回戦から3回戦までは中継終了の際に実況が「コマーシャルの後は今日行われました○回戦○試合の結果をスタジオからお伝えします」というコメントが有名だったが、優勝候補校が敗れた場合は冒頭のスタジオや試合実況中にコメントすることもあった。
開始当初は結果の映像は各グラウンド2 - 3試合程度のみ放映し、ほかはキャスターのコメントにあわせ縦に時間、横に陣地を記した黒板様のアニメーションで経過を記すなどしていた。1990年代からは全試合ダイジェスト映像を流すようになる(つまり試合のある地域では2度映像を見ることになる)。
後年は準々決勝を除く試合のハーフタイムでは当該校関係者による応援メッセージを放送(ベンチ入りできなかった選手や女子マネージャー)。
準々決勝は全国共通で4試合全てのハイライトを放送。(要は地元校が進出してもフルに見ることが出来ない)
準決勝・決勝は両校にリポーターを置く(原則的には地元放送局のアナウンサー)
決勝の副音声ではMBSのアナウンサー(後年は解説者も設置)による「わかりやすいラグビー」が流れていた(主として井上光央が担当)。
準決勝の実況はMBS・TBSのアナウンサー、決勝はMBS・TBSのアナウンサーが隔年交代で行っており、インタビュアーはMBSアナウンサーが担当した(末期は赤木誠馬野雅行)。
試合が引き分けで次回戦進出が抽選で決まる場合、中継パートの最後にテロップでその旨を出していた。
JNNの都合で番組が臨時に繰り下がった場合、独立U局や他系列局向けに機構の(実質MBS)フィラー映像が流されたこともあった。代表例が1985年の第2次中曽根内閣 (第2次改造)発足に伴う「JNNニュースデスク」の10分拡大延長で、このときは南極映像が使われた。映像は共通であったが告知テロップが各局出しで表示される事態となった。
2002年度(第82回)- 2004年度(第84回)
2001年度(第81回)大会までの主広告主であった住友グループが提供を辞したため、2002年度(第82回)大会からは地上波テレビの中継が準決勝以降となり、準々決勝までは30分のダイジェスト放送へと縮小された。そのため、取り上げられる試合数は全国共通で試合内容よりも選手たちの人間ドラマに焦点を当てた3 - 4試合と激減し、初戦敗退の場合は字幕のみとなった学校もあった。準決勝・決勝のみネットセールスで、地区大会決勝 - 全国大会準々決勝までローカルセールスに。全国ネットはMBSの単独制作となった。この他CSのJ SPORTSによる生中継が開始された。地区大会に関しては北海道・茨城・奈良・佐賀大会(その後広島大会も同)の放送がなくなった。また、東京大会は2002年度 - 2003年度までは隣県のtvk、2004年度以降はMXが放送している。さらに2003年度(第83回)大会から準決勝・決勝の地上波放送がJNN系列28局、及び秋田放送・京都放送、サンテレビジョンに縮小された。2002年度(第82回)大会から大会中継のメインキャスターに兄弟漫才師・中川家(2人ともラグビー経験者)が担当するようになる。スポンサーはNECを中心とした複数社提供だった[11]。2002年度(第82回)大会の準決勝が放送時間枠に入れ切れずに終了したため製作の毎日放送に多くの苦情が殺到した。
2005年度(第85回)
本大会から神戸製鋼グループが特別協賛社となり、「KOBELCOスポーツスペシャル」として再スタートするが、放送体制は2002年度(第82回)大会からとほとんど変更されないまま。ただし従来から行っていた準決勝当日の地上波テレビ中継放送は廃止(決勝前日の1月6日深夜に大会ハイライトをJNN系列向けのネットセールス枠で放送)され、決勝戦のみが生放送(ネットセールス枠)される。インターネットでは準々決勝と準決勝を動画生中継配信する。またサンテレビジョンの中継が中止された。この大会以後、神戸製鋼所ラグビー部(神戸製鋼コベルコスティーラーズ)・大畑大介選手がシーズン中にもかかわらず出演。ハイライトでは中川剛と共に注目の1試合のプレー解説を行い、決勝戦では副音声のゲスト解説を担当。
決勝のスポンサーは、特別協賛社の神戸製鋼グループのほか、ダンロップ関塾ボラギノールの提供である。なお「KOBELCOスポーツスペシャル」とアナウンサーがコメントしているにも関らず京都放送ではノンスポンサーであった(オープニング、エンディングも差し替え)。また準決勝までのハイライト・中継においても神戸製鋼がメイン協賛しているが、住友グループの事例とは異なり、複数協賛である。
2006年度(第86回)
本大会も前年に続いて神戸製鋼グループの特別協賛と放送体系とほぼ変わらないが、前年度は決勝前夜に行った大会ハイライト「「ノーサイド」永遠の瞬間 - 第86回全国高等学校ラグビー大会 - 」の放送が準決勝当日の1月5日深夜(日付上は6日未明)にJNN系列向けのネットセールス枠で放映される。
2007年度(第87回)
本大会は1回戦から準々決勝(12月27日から1月3日)までに加え、準決勝日(1月5日)にもハイライト(1回につき30分)が放映される(ローカルセールス)他、1月6日の決勝前日深夜(実際の日付は決勝日の7日未明)に「ハイライトスペシャル」(大会全体の総集編)が90分放映される。決勝戦(1月7日)は生中継(ハイライトスペシャルと決勝生中継はJNNネットセールス)。またこの年以降MBSラジオでの中継が一切行わなくなり、正月三が日は特番中心の編成、それ以外の日は通常番組の編成であった。
2008年度(第88回)
中川家がハイライトに出演せず、決勝戦副音声ゲストとしてのみ出演。大畑大介はハイライトに2回だけ出演。そのほか吉田明(神戸製鋼OB、京都産業大学ラグビー部ヘッドコーチ - 大会後監督就任)による特定の試合のワンプレーに焦点を絞った解説コーナーがあった。また京都放送での中継が中止された。
準決勝(1月5日)は23:59 - 1:23に録画中継。決勝前夜のハイライトスペシャルはなし。決勝戦(1月7日)は生中継(準決勝と決勝生中継はJNNネットセールス)。
2009年度(第89回)
開幕前日の12月26日深夜(日付上は27日未明)に今大会の注目選手やチームをとりあげた1時間の事前番組を放送。決勝戦で地上デジタル放送、ワンセグ放送向けの連動データ放送を開始。ただし音声多重放送がなくなり、中川家が完全に降板。その代わりハイライトはMBSアナウンサーの3名体制&大畑大介、元木由記雄など神戸製鋼現役ラグビー選手1名、プレー解説に吉田明、村田亙(7人制ラグビー男子日本代表監督)が日替わりで出演。大会キャラクターの小林さりも準々決勝ハイライトまでの出演。また中継テーマ曲として使われたAqua TimezOne」は同年の第81回選抜高校野球中継エンディング曲だったりと、経費削減ぶりが目立った。準決勝(1月5日)は23:59 - 1:23に録画中継。決勝戦(1月7日)は生中継(準決勝と決勝生中継はJNNネットセールス)。
2010年度(第90回)以降
準決勝(1月5日)はMBSローカルで13:55 - 15:45(録画中継)、24:00 - 24:30にハイライト。決勝(1月8日)は生中継(準決勝ハイライトと決勝生中継はJNNネットセールス)。この回から準決勝の放送時間が前年の90分から30分に縮小。
2011年度(2012年 第91回)の全国ネットでの放送は前年と同様に、準決勝ハイライト(1月5日)を24:05 - 24:35(一部地域は24:00から)、決勝(1月7日)14:00 - 15:24に放送。ハイライトでは高校時代、ラグビー部に所属していたジャルジャルがスポーツキャスターに初挑戦。
2012年度(2013年 第92回)のハイライトでは、ジャルジャルがメインキャスターに起用された(前年まで出演していたMBS河田直也アナは降板)ほか、アシスタントとして「応援サポーター」に就任したNMB48から毎開催日ごとに2名程度が日替わり参加する。また同年度のハイライトは、1回戦から準々決勝まで一部のJNN系列局[12]、秋田放送、独立局のテレ玉tvkチバテレでも同時ないし時差ネット。
2013年度(2014年 第93回)のハイライトでは、大畑大介(既に現役は引退)と、週末深夜に放送されているTBS制作のスポーツニュース番組「S☆1」レギュラーの小島瑠璃子がメインキャスターに起用された。なお小島は体調不良のため2013年内のハイライト出演を見合わせ、初日はMBS仙田和吉アナ(同年度の決勝テレビ実況を担当)、2日目・3日目は元木由記雄(同年度より京都産業大学ラグビー部BKコーチ)が代役を務めた。また準決勝が日曜日に開催されたことから、同日深夜放送の準決勝ハイライトは大畑がTBSに出向き「S☆1」のスタジオセットにて生放送が行われた[13]
2014年度(2014年 第94回)のハイライトも、大畑大介と小島瑠璃子がメインキャスターを務める。

地上波放送共同制作機構加盟各放送局[編集]

都道府県 担当民放 系列 備考   都道府県 担当民放 系列 備考
大阪府 毎日放送 JNN 幹事社   福岡県 RKB毎日放送 JNN
東京都 TBSテレビ[14] 以前は共同幹事社だった 佐賀県
茨城県 長崎県 長崎放送
北海道 北海道放送 熊本県 熊本放送
青森県 青森テレビ 大分県 大分放送
岩手県 IBC岩手放送 宮崎県 宮崎放送
宮城県 東北放送 鹿児島県 南日本放送
山形県 テレビユー山形 1989年10月開局 沖縄県 琉球放送
福島県 テレビユー福島 1983年12月開局 秋田県 秋田放送 NNS
新潟県 新潟放送 福井県 福井放送 NNS/ANN
長野県 信越放送 徳島県 四国放送 NNS
山梨県 テレビ山梨 栃木県 とちぎテレビ JAITS[15] 1999年4月開局
静岡県 静岡放送 群馬県 群馬テレビ
愛知県 CBCテレビ[16] 埼玉県 テレビ埼玉
富山県 チューリップテレビ 1990年10月開局 千葉県 千葉テレビ放送
石川県 北陸放送 神奈川県 テレビ神奈川
鳥取県 山陰放送   岐阜県 岐阜放送
島根県 三重県 三重テレビ放送
広島県 中国放送 滋賀県 びわ湖放送
岡山県 山陽放送   京都府 京都放送
香川県 奈良県 奈良テレビ放送
愛媛県 あいテレビ 1992年10月開局 和歌山県 テレビ和歌山
高知県 テレビ高知 兵庫県 サンテレビジョン
山口県 テレビ山口  
過去の参加放送局
都道府県 担当民放 中継終了年次 引き継いだ社名 理由
山形県 山形放送 1989年 テレビユー山形 系列局開局による移行
福島県 福島テレビ 1983年 テレビユー福島 系列局開局による移行
栃木県 東京放送 1999年 とちぎテレビ 地元局開局による移行
富山県 北日本放送 1990年 チューリップテレビ 系列局開局による移行
滋賀県 京都放送 1998年頃 びわ湖放送 地元局への一本化
愛媛県 南海放送 1992年 あいテレビ 系列局開局による移行
佐賀県 熊本放送 不明 RKB毎日放送 有明海沿岸の電波特殊事情による。熊本放送#佐賀県とのつながりを参照

BS・CS[編集]

BS・CSではJ SPORTSが全試合生中継を行っている。

実況はJ SPORTSのラグビー中継レギュラーである谷口広明大前一樹土居壮矢野武佐藤哲也に加えて、坂信一郎住田洋熊谷龍一西達彦フリーアナウンサーが担当。2009年度大会までは関西テレビのアナウンサーである山田恭弘若田部克彦林弘典も担当していた。

特徴として坂は埼玉代表試合を担当。関西テレビの3名は大阪代表試合を担当していたが、2010年度から同時期に開催される春の高校バレー中継を優先するため同大会の担当から退いた。一部の地域ではMBS製作のハイライトとは別でJ SPORTS製作の中継をネットしている局もある(準々決勝まで、準決勝からはMBS製作)。1回戦 - 3回戦は1日2試合実況するアナウンサーもいる(特に谷口、大前)。準々決勝・準決勝の組み合わせ抽選会の模様は第1グランド第4試合(最終試合)の実況、解説が進行を進める。準々決勝(第4試合はなし)の後続試合ハーフタイムに谷口が勝利監督とキャプテンにインタビューを行うため第1試合の実況を務める(決勝はMBSと共同)。

大会テーマソング(テレビ放送)[編集]

初期
  • 第57回(1977年度)- 第66回(1986年度):『コバルトの空』(当時のTBS系共通スポーツテーマ) 作曲・レイモンド服部
    • 放送では使用されなくなった現在も、開会式の入場行進では、行進曲の最初に演奏されている。
  • 第67回(1987年度)-:『COSMIC RUGBY』(コズミックラグビー) 作曲・入間次朗
    • 第73回(1993年度)以降はオープニングのみ使用。
    • 近年は使用頻度が減っており、2005年度・2007年度の決勝では全く使われなかった。
    • なお一部地方局の県予選決勝では引き続き使用されているケースが多い(例:三重テレビ制作の三重県大会など)。
第73回 - 第84回、第89 - 第92回エンディングテーマ
「ノーサイド」

第85回(2005年度)から第88回(2008年度)までは松任谷由実の「ノーサイド」が大会テーマソングに定められ、毎年若手アーティストがカバーする。

大学やトップリーグの会場では「ジャパンラグビー応援ソング」の『威風堂々』(ゆず)が流されることが多いが、高校ラグビー本大会ではこれらの曲が流れることが多い。なお、「COSMIC RUGBY」が使用されるようになって以来、CM前のアイキャッチとして使われるようになった曲は、かつて「プロ野球ニュース」内「クイズまとめてホームラン」の正解音楽としても使われたことがある。

大会キャラクター[編集]

第85回大会(2005年度)より大会キャラクターとしてミスマガジンから1人起用されているが、必ずしもグランプリ受賞者が起用されるとは限らない。「全国高校サッカー」の応援マネージャー(2007年度はミスマガ2005 グランプリの北乃きい)のように現役高校生の学齢のみという限定はないが(2006年度の入船、2007年度の鹿谷が全日制高校卒業済みの学齢)、2008年度以降は現役高校生の学齢の受賞者が続いている。キャラクターは森喜朗日本ラグビーフットボール協会会長より直々に任命され、ツーショットを披露することが慣例。

  • 第85回(2005年度):中村優(ミスマガ2005 審査員特別賞)
  • 第86回(2006年度):入船加澄実(ミスマガ2006 審査員特別賞)
  • 第87回(2007年度):鹿谷弥生(ミスマガ2007 グランプリ)
  • 第88回(2008年度):桜庭ななみ(ミスマガ2008 グランプリ)
  • 第89回(2009年度):小林さり(ミスマガ2009 グランプリ)
  • 第90回(2010年度):清水富美加(ミスマガ2010 ミス週刊少年マガジン
  • 第91回(2011年度):秋月三佳(ミスマガ2011 ミス週刊少年マガジン)

ミスマガジンは2012年度に休止が発表されたため、同年度はMBSの中継テーマソング(上述)を歌うNMB48が「応援サポーター」として起用された。2013年度には、グラビアアイドルとしても活動するハイライト番組キャスターの小島瑠璃子が、単独でポスターなどに登場し、2014年度も同様に小島がポスターなどに登場している。

マスコット[編集]

「毎日ラグビー坊や」という高校ラガーマンをモチーフとしたマスコットキャラクターが存在する。「青春にトライ!」のキャッチフレーズとともに第66回(1986年度)大会よりテレビ中継のオープニング、エンディング、アイキャッチで使用されている。デザインとしてはパスを受けランニングする絵とインゴールにグラウンディングする絵があるが、「横向きしかない」。かつて場外に上げられていたアドバルーンや現在場内に表示される看板も横向き。

その後、1996年より東大阪市マスコットとして、プレイヤーを模した「トライくん」、ラグビーボールを模した「ラボちゃん」が制定され、ラグビー場周辺のマンホール蓋や街路灯にあしらわれるようになった。こちらは正面向きの着ぐるみも作られ、大会期間中ラグビー場に出没する。

さらに2009年、全国高校体育連盟・ラグビー専門部のマスコットとして、プレイヤーを模した「ダイラ」、相棒の熊型ロボット「タックルリン」が制定された。

これら3種類ともキャラクターグッズは存在し、花園ラグビー場内外でバラバラに販売されている。

ブロック割り[編集]

出場校は各都道府県につき1校が原則(1990年度(第70回)以降)であるが、北海道・東京・大阪の3都道府については分割している。

北海道
北北海道ブロックと南北海道ブロックに分かれる。
東京都
組み合わせ抽選により、東京都第1地区と東京都第2地区に分かれる。
大阪府
組み合わせ抽選により、大阪府第1地区と大阪府第2地区、大阪府第3地区に分かれる。本大会は、高校総体を兼ねるため、開催地枠1校が割り当てられている。

このほか、福岡県も2校出場していた時期がある(1957年度・第36回大会~1975年度・第54回大会)。また、1982年度(第62回大会)まで、優勝校には次回大会への出場権が与えられていた。


関連項目[編集]

開催会場 [編集]

出場経験者[編集]

監督として出場[編集]

日本代表選手[編集]

現役引退した選手

現役選手

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 全国高等学校総合体育大会開催基準要項 『10 大会の内容』に冬季大会(4競技)の一つとしてラグビーフットボールと記載。[1]
  2. ^ 例:佐賀県の近年の予選参加は4チーム前後であり、佐賀工が1982年度から連続出場を続けている。島根県は単独チームを毎年組める学校が石見智翠館=旧・江の川しかなく、出雲が単独チームを組めない年は合同チームを組んで県大会に一応参加するものの、規定により全国大会へは進めないため、県大会が実質石見智翠館の壮行試合となってしまっている。大分県は予選参加が12チーム前後だが、大分舞鶴が1986年度から連続出場を続けている(2013年度現在、連続出場年数では佐賀工に次いで第2位。第3位は石見智翠館)。それから石見智翠館、日本航空石川石川県)、尾道広島県)のように、大阪の中学生ラガーを国内留学で集めて絶対的強豪校ができあがった地域もある。
  3. ^ 高校ラグビー、人気低迷 学校・親「危ない」朝日新聞 2007年12月22日
  4. ^ 2010年度からはU18合同チーム東西対抗戦~もうひとつの花園~に名称変更されている
  5. ^ 2010年度は名称が女子ラグビーユース7人制エキシビジョンマッチ
  6. ^ なお2010年度の決勝戦は2011年1月8日が土曜日であるため7日ではなく8日に行われた。
  7. ^ 中継が開始されたのは1960年度(第40回)でこの頃は年度によって放送されない時期があった。
  8. ^ 1985年のハイライト番組では、HBC・IBC・TBC・ABS・UTY・TVK・SBS・CBC・RSK・RCC・RKB・OBS・SUN・KBSが制作協力局としてクレジットされていた。
  9. ^ 正月明け以後は全国高校サッカー選手権の兵庫県代表の試合中継に出演するため、東京に出張していた。
  10. ^ MBSとTBS、HBCは大阪と東京、北海道の各都道府が複数代表制であるためと、TBSの場合は茨城・栃木(1998年度まで)をもカバーしていたこともあった。他の3局は複数県にまたぐ準広域放送であるため。
  11. ^ 他にQBBチーズ茜丸本舗大納言など地元関西企業のスポンサーも入った。
  12. ^ 東北放送、テレビユー福島、中国放送、琉球放送は1回戦のみ。青森テレビ、チューリップテレビは2回戦まで。RKB毎日放送は準々決勝のみ。北海道放送、テレビユー山形、TBSテレビ、新潟放送、中部日本放送、山陽放送、山陰放送、熊本放送はネットせず。
  13. ^ そのため、同日のエンドロールでは「制作協力 TBS」とクレジットされた。なお大畑は「S☆1」には出演せず。
  14. ^ 2009年4月1日より東京放送(現・東京放送ホールディングス)から放送免許を移譲。
  15. ^ 旧称・全国独立UHF放送協議会(独立U協)。地上デジタル化完了に伴い改称。
  16. ^ 2014年4月1日より中部日本放送(社名は変更せず放送持株会社へ移行)から放送免許を移譲。
  17. ^ 7人制ラグビーの元日本代表
  18. ^ 在学中はサッカー部と掛け持ち。

外部リンク[編集]