モンテビデオ

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モンテビデオ
Montevideo
Plaza Independencia Montevideo.JPG
独立広場
Montevideo Department Coa.png
市章
愛称 : モンテビデオ、汝の館(Montevideo,tu casa)
位置
の位置図
座標 : 南緯34度53分0秒 西経56度10分0秒 / 南緯34.88333度 西経56.16667度 / -34.88333; -56.16667
歴史
建設 1726年
行政
ウルグアイの旗 ウルグアイ
  モンテビデオ県
 市 モンテビデオ
Municipal Intendent Ricardo Ehrlich
地理
面積  
  市域 525.54km2
標高 43m
人口
人口 (2004年現在)
  市域 1,325,968人
    人口密度   2,523人/km2
その他
等時帯 UTC-3 (UTC-3
夏時間 UTC-2 (UTC-2
郵便番号 10000
市外局番 +02
公式ウェブサイト : www.montevideo.gub.uy

モンテビデオ(Montevideo)は、ウルグアイ首都でありモンテビデオ県の県都である。メルコスールの事務局が置かれている。ウルグアイの南部、ラ・プラタ川の左岸河口に位置し、ウルグアイ最大の都市であり、2004年における人口は約132万人である。ウルグアイ最大の貿易港を兼ね温暖な気候で知られる。

美しい砂浜を備え、ポシートス、ブセオ、マルビン、プラシャ・デ・ロス・イングレス(イギリス人の砂浜)、プラシャ・ベルデ(緑の砂浜)、プンタ・ゴルダ(太い岬)、カラスコなどがあり、他にも観光地として多くの記念碑や博物館、歴史的建造物や通りがある。マーサー・ヒューマンリソースコンサルティングによると、モンテビデオはラテン・アメリカで最も生活の質が高い都市である[1]。(ブエノスアイレスサンティアゴ・デ・チレが続く) 世界でも安全な都市の30位に入る。

目次

[編集] 人口

現在モンテビデオの市街地に住んでいる人口は約1,349,000人であるが、大モンテビデオ都市圏を加えると1,814,400人が住んでいることになる。 モンテビデオ市民はヨーロッパ人の影響を特に強く受けており、イタリア系、スペイン系の家系が最も一般的だが、その一方でアフリカ系ウルグアイ人の家系やユダヤ人の共同体の存在も重要である。 モンテビデオにはおおまかに言って国民の約44%が居住しており、モンテビデオの郊外と言っても良いカネロネス県は約12%を占めている。

[編集] 歴史

[編集] 語源

モンテビデオ(Montevideo)の語源として最も有力な説は、現在のセロの丘に対して、聖オヴィディオ山(Monte Ovidio)と命名し、それが変化して都市の名前になったというものであり、市の観光案内でもそのように教えている。

しかし、他にも二つの説がある。第一の説はフェルディナンド・マゼランの艦隊がこの土地を見つけた時にポルトガル語で言った、「Monte vide eu」(我、山を見たり)が語源という説である。第二の説はスペイン人がこの土地を地図に記す際に「Monte VI De Este a Oeste」(東から西に向けて六番目の山だ)と言って記したからだという説である。

[編集] 初期の歴史

モンビデオの丘からみた市街地。1865年
モンテビデオの歴史的地図

1516年にフアン・ディアス・デ・ソリスがここを訪れたがその後チャルーア族に殺害されてしまう。1624年に現在のモンテビデオの地にグアラニー族へのイエズス会伝道所が建設された。

その後1680年ポルトガル人が今のモンテビデオの西にコロニア・デル・サクラメントを建設する。その後、スペイン人はトルデシリャス条約を持ち出してポルトガル人と戦い、1720年にサンホセ要塞が建設された。1726年にブエノスアイレス総督のブルーノ・マウリシオ・デ・サバーラがサンホセ要塞を拡大して都市サン・フェリペ・イ・サンティアゴ・デ・モンテビデオを建設する。これが現在のモンテビデオ市の基礎となった。

1828年に独立したウルグアイの首都となった。19世紀から20世紀のはじめまでアルゼンチンとブラジルの影響を回避するためにイギリスの強力な影響下で発展し、1869年 には内陸に向かう鉄道が開通した。

[編集] 20世紀以降

1860年に57913人だった人口は多くの移民を迎えて、1884年には104472人になった。移民の大半はスペインおよびイタリアからであるが、中欧からも多くの移民を受け入れた。1930年にはFIFAワールドカップが開催され、初代優勝国の栄冠を勝ち取った。

独立広場, c. 1900

1939年12月13日プンタ・デル・エステ沖に現れたドイツ海軍ポケット戦艦グラーフ・シュペーイギリス海軍が追撃し、ラ・プラタ沖海戦が起きた。海戦の後、艦長のハンス・ラングスドルフ大佐はモンテビデオに退避した。この間にウルグアイの中立を巡るドイツ・イギリス・ウルグアイの外交戦が繰り広げられ、この町は一躍世界的に有名になった。ウルグアイは親英的な立場で中立を貫き、シュペー号は72時間の停泊の後、12月17日にモンテビデオ港外で自沈した。

1950年代には90万人近い人口に達したが、その頃から経済停滞に苦しみ、さらに軍事政権(1973-85年)下の混乱の影響もあって街は衰退し、その後遺症は現在まで続いている。多くの貧しい地方出身者が都市に溢れ、特に旧市街に集中した。2002年にはブラジル、アルゼンチンから波及した経済危機により貨幣価値が下落、物価が高騰した。

2004年には135万人近い人口を数え、大モンテビデオ都市圏を含めると180万人になる。近年の経済回復とウルグアイの隣国の強力な貿易の結びつきは農業の発展を導き、将来の繁栄が望まれている。

[編集] 地理

ラ・プラタ川左岸にあり、南半球の遠心力により右岸のアルゼンチン側よりも海岸が綺麗になっている。気候は亜熱帯に属し、一年を通して降水がある。

テレコムニカシオネス塔から見たモンテビデオ

[編集] 区域

モンテビデオの地区

市街は下記の地区に分かれる。

  1. 旧市街
  2. セントロ
  3. バリオ・スール(南地区)
  4. ラ・アグアダ
  5. Villa Muñoz, Goes
  6. コルドン
  7. パレルモ
  8. ロドー公園
  9. トレス・クルーセス
  10. La Comercial
  11. ララニャーガ
  12. La Blanqueada
  13. Parque Batlle, Villa Dolores
  14. ポシートス
  15. Punta Carretas
  16. Unión
  17. ブセオ
  18. マルビン
  19. マルビン・ノルテ
  20. Las Canteras
  21. プンタ・ゴルダ
  1. カラスコ
  2. カラスコ・ノルテ
  3. Bañados de Carrasco
  4. Flor de Maroñas
  5. Maroñas, Parque Guaraní
  6. Villa Española
  7. Ituzaingó
  8. Castro Castellanos (Pérez Castellanos)
  9. Mercado Modelo, Bolívar
  10. Brazo Oriental
  11. Jacinto Vera
  12. La Figurita
  13. Reducto
  14. Capurro, Bella Vista, Arroyo Seco
  15. (El) Prado, Nueva Savona
  16. Atahualpa
  17. Aires Puros
  18. Paso de las Duranas
  19. Belvedere
  20. La Teja
  21. Tres Ombúes, Pueblo Victoria
  1. セッロ
  2. Casabó, Pajas Blancas
  3. La Paloma, Tomkinson
  4. Paso de la Arena
  5. Nuevo París
  6. Conciliación
  7. サシャゴ
  8. ペニャロール, Lavalleja, 40 Semanas
  9. (Villa) Colón Centro y Noroeste
  10. Lezica, Melilla
  11. (Villa) Colón Sudeste, Abayubá
  12. Manga, Toledo Chico
  13. Casavalle
  14. Cerrito de la Victoria
  15. Las Acacias
  16. Jardines del Hipódromo
  17. Piedras Blancas
  18. Manga
  19. Punta de Rieles, Bella Italia
  20. Villa García, Manga Rural

[編集] 教育

共和国大学などのウルグアイの主要教育機関が集中する。

[編集] スポーツ

エスタディオ・センテナリオ

モンテビデオ市民にとって最も親しいスポーツはサッカーである。1930年にはエスタディオ・センテナリオで世界初のFIFAワールドカップが開催された。この1930 FIFAワールドカップロス・チャルーアズ(ウルグアイ代表チームの愛称)は勝利を飾り、ウルグアイは初代優勝国となった。国内リーグにおいては、ペニャロールナシオナル・モンテビデオなどのクラブチームが熱い戦いを繰り広げている。

その他、バスケットボールや競馬なども盛んである。

[編集] 交通

市民の足としては、もっぱらバスとタクシーが使われている。

近隣諸国や国内各地への主な交通手段は、長距離バスや、ブケブス社によるラ・プラタ川を運航する船舶の他に、航空機が利用されており、近郊にあるカラスコ国際空港が使用されている。だが、同空港には長距離国際線がそれほど就航していないため、欧米など遠くに行く場合には隣国ブラジル・サンパウロにあるグアルーリョス国際空港アルゼンチンブエノスアイレス郊外にあるエセイサ国際空港が利用されることも多い。

モンテビデオ港

[編集] 観光

主にアルゼンチンとブラジルから観光客がやって来る。ポシトスや旧市街が観光地として有名である。

ポシトス

1月から2月にかけては、約1ヶ月にわたりカーニバルの期間となる。特に2月上旬(年により変動)の2日間に行なわれるジャマーダス(Llamadas)は、数十組の打楽器奏者やダンサーからなるパレードからなる祭りで賑わいを見せる。

[編集] 関連項目

[編集] 姉妹都市


[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

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