サンフアン (プエルトリコ)

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サン・フアン市
San Juan
San Juan Seal.jpg
市章
愛称 : La Ciudad Amurallada
位置
の位置図
歴史
入植
建設
1508年
1521年
創設者 フアン・ポンセ・デ・レオン
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
 州
 (自治連邦区
プエルトリコ自治連邦区
 市 サン・フアン市
地理
面積  
  市域 199.25km2(76.93mi2
    陸上   123.9km2(47.82mi2
    水面   75.4km2(29.11mi2
      水面面積比率     37.8%
人口
人口 2000年現在)
  市域 434,374人
    市街地人口密度   3,507.5人/km2(9,084.4人/mi2
  都市圏 2,509,007人
その他
等時帯 大西洋標準時UTC-4
公式ウェブサイト : SANJUAN,CIUDAD CAPITAL
世界遺産 ラ・フォルタレサとプエルトリコのサンフアン歴史地区
アメリカ合衆国
サン・フェリペ・デル・モロ(デル・モロ要塞)
サン・フェリペ・デル・モロ(デル・モロ要塞)
英名 La Fortaleza and San Juan National Historic Site in Puerto Rico
仏名 La Fortaleza et le site historique national de San Juan à Porto Rico
登録区分 文化遺産
登録基準 (6)
登録年 1983年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
使用方法表示

サン・フアンSan Juan)は、アメリカ合衆国プエルトリコ島の北東部に位置する市。プエルトリコ自治連邦区の政庁所在地であり、最大の港湾都市。人口は433,733人(2004年推計)で全米42位である。郊外の諸都市を含めた都市圏では人口約130万人を数える。これは島の人口の約1/3にあたる。現サンフアン市長カルメン・ユーリン・クルス

貿易・観光両面において重要な港湾を持つサン・フアンは島の産業・経済の中心である。また、長い歴史とビーチを持ち、文化の中心・観光の拠点として担う役割も大きい。サン・フアンはスペイン語で「聖ヨハネ」を意味する。

歴史[編集]

プエルト・リコに最初のスペイン人、フアン・ポンセ・デ・レオンが入植したのは1508年である。当時は、島ではなく入植地を「豊かな港」を意味する「プエルト・リコ」と呼んでいた。

サン・フアンは1521年に建設された。当初はクリストファー・コロンブス聖ヨハネにちなんだSan Juanという名とスペイン人入植者があとからつけたPuerto Ricoを合わせて、サン・フアン・バウティスタ・デ・プエルト・リコ(San Juan Bautista de Puerto Rico プエルト・リコの洗礼者聖ヨハネ)という正式名称で呼ばれていた。

1746年頃、Puerto Ricoは島(プエルトリコ島)を、San Juan Bautistaは都市(サン・フアン市)をそれぞれ区別して指すようになった。

ビエホ・サン・フアン[編集]

スペイン植民地時代は、都市の住民の多くはビエホ・サン・フアン(西:Viejo San Juan, 古いサンフアン)と呼ばれる地域に住みついた。ビエホ・サン・フアンはサンフアン島(Isleta de San Juan)の西半分を占めている。サン・フアン島は122km²の小さな島で、本島とは橋で結ばれている。労働者階級の住宅地が広がり、州庁舎をはじめとするプエルト・リコの中央官庁が立ち並んでいる。

ビエホ・サン・フアンの建造物の多くは16世紀から17世紀にかけて建てられたものである。地区内の随所には、市壁や砦をはじめとする歴史的な建造物が現在も残っている。代表的な建造物には次のようなものがある。

  • サンフアン国定史跡San Juan National Historic Site
    • サン・フェリペ・デル・モッロ砦(Fuerte San Felipe del Morro1539年) - スペインの手によって建設された要塞。完成は1589年。400の大砲を備え、外壁の暑さは、5メートルにもなる。
    • サン・クリストバール砦(Fuerte San Cristóbal17世紀) - 新世界でスペインが建設した城塞では最大規模。完成は1783年、面積は27エーカー。
  • サンタ・カタリナ宮殿(El Palacio de Santa Catalina / La Fortaleza,1533年) - 現在は州知事官邸になっている
  • アユンタミエント(Ayuntamiento / Alcaldía) - 市庁舎
  • サン・ホセ教会(Iglesia San José、1523年
  • カサ・ブランカ(Casa Blanca) - ポンセ・デ・レオン一家が住んだ家
  • テアトロ・タピア(Teatro Tapia
  • バジャハ博物館(Museo de Ballajá) - 古いスペイン人入植者の家を博物館に改装
  • ラ・プリンセサ牢獄(La Princesa) - 市営牢獄を博物館に改装
  • サンタ・マリア・マドガレーナ・デ・パシス(Santa María Madgalena de Pazzis) - 市営墓地。市壁の外に位置する。
  • サン・フアン大聖堂(Catedral de San Juan Bautista1521年) - フアン・ポンセ・デ・レオンの墓がある。1521年に建設が開始されたサンフアンで最古の大聖堂。

今日では、ビエホ・サン・フアンは市の歴史地区として、観光名所になっている。また、世界遺産(文化遺産)にも登録されている。登録名は、「ラ・フォルタレサとプエルトリコのサン・フアン歴史地区」である。

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

攻撃の対象[編集]

植民地時代、サン・フアン港はスペインとスペイン領アメリカを結ぶ中継地の役割を果たし、スペインの航路システム上において重要な港であった。しかし、それ故に列強による攻撃を受けることも多かった。

イギリス1595年1598年の2回にわたってサン・フアンを攻撃した。最初の攻撃を受けた際には防衛に成功したが、2度目には占領された。しかし指揮官の疲弊と病気により、イギリスの占領は長くは続かなかった。次いで1625年、このサンフアンの町を攻撃したのはオランダであった。その時にはサン・フェリペ・デル・モーロ砦がオランダの軍勢の前に立ちはだかり、防衛に成功した。1797年にはイギリスが三たび攻撃を仕掛けてきたが、その時も防衛した。このような状況の中で、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、サン・フアンはスペインとの自由貿易を通じて成長を続けた。

1898年アメリカ合衆国米西戦争中にサン・フアンを爆撃し、占領した。アメリカ合衆国はこの戦争に勝利したことでプエルト・リコを領土にし、スペインの統治は終わりを告げた。

今日のサン・フアン[編集]

サン・フアン港沿いの遊歩道

20世紀に入ると、市はビエホ・サン・フアンの市壁の外側、さらにはプエルトリコ本島にまで広がった。ビエホ・サン・フアンの南側や東側に既に存在していた入植地をものみ込んで拡大を続けた結果、サンフアンは地域ごとの多様性に富む都市へと変貌した。

ビエホ・サン・フアンの東には大西洋ビーチに面し、ホテルコンドミニアムが集中するコンダド地区Condado)が位置している。コンダド地区の南は住宅街であり、コンベンションセンターを抱えるミラマール地区Miramar)である。

市の南側にはリオ・ピエドラス地区Río Piedras)の住宅街が広がる。1850年代にサンフアンとは別の町として建設されたが、1951年に合併され、現在では市の一部になっている。同地区は島内に11のキャンパスを抱えるプエルトリコ大学システム最古、かつ最大のキャンパスであるリオ・ピエドラス校の所在地である。

アメリカ合衆国本土の多くの都市圏同様、交通渋滞は大きな問題となっている。対策として、サン・フアンにはトレン・ウルバノ(Tren Urbano)という地下鉄が運行されている。

地理[編集]

サン・フアンは、北緯18度29分0秒西経66度8分0秒GR1に位置している。

アメリカ合衆国統計局によると、サン・フアン市は総面積199.28 km²である。このうち123.85 km²が陸地で75.39 km²が水域である。総面積の37.8%が水域となっている。

港湾と交通[編集]

プエルト・リコの州間高速道路網

市の玄関口となる空港はルイス・ムニョス・マリン国際空港である。アメリカ合衆国の各都市をはじめ、中南米諸都市、ロンドンマドリッドなどへの航空機の便がある。

サン・フアン港はプエルト・リコで最も重要な港である。同港は貿易港としてサンフアン、ひいてはプエルト・リコ全体の産業・経済を支えている。また、同港はクルーズ観光港としても重要である。ルイス・ムニョス・マリン国際空港に近いためクルーズ会社のビジネスに有利であり、フロリダ州メキシコベネズエラカリブ海の島々へ多数のクルーズ船が同港から出航している。

サン・フアンはプエルト・リコ島内の州間高速道路3本(PR 1, 2, 3)全てが集まるハブである。PR1号線は島の中央部を通り、山間部を縦断して南海岸の主要都市ポンセ市へと通ずる。PR2号線は北海岸・西海岸を大きく回りポンセ市に至る。PR3号線は東海岸をフマカオ市まで走っている。

出身人物[編集]

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]

メディア[編集]

公式サイト[編集]

観光・その他ガイド[編集]

大学・教育機関[編集]

ショッピングモール[編集]

地図[編集]