西口文也

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西口 文也
埼玉西武ライオンズ #13
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県和歌山市
生年月日 1972年9月26日(39歳)
身長
体重
182cm
78kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 ドラフト3位
初出場 1995年8月16日
年俸 1億円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手投手)。

愛称は「オツ」で、「(体型が)ジョセフ・オツオリに似ている」とチームの先輩に言われた事から。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

1972年に和歌山県で生まれる。市立西和佐小学校から市立高積中学校までは遊撃手・外野手としてプレーしていたが、和歌山県立和歌山商業高等学校から投手を兼任し、立正大学入学後は投手に専念して活躍。1992年春季の東都2部リーグで最優秀投手賞を受賞している。

1994年のドラフト会議において、西武ライオンズに3巡目に指名され、入団。背番号は13

[編集] プロ入り後

1995年にアメリカの独立リーグ「ノーザンリーグ」のスーシティ・エクスプローラーズに野球留学し、後の決め球となるチェンジアップを習得。後半戦ではこのチェンジアップを武器に安定したピッチングを見せ、初完投・初完封勝利も記録した。

1996年は開幕から安定した投球を見せ、リーグ2位の16勝・173奪三振と最多完投を記録。オールスターにも監督推薦で初選出されるなど、チームの中心選手に成長していく。

1997年は自身初の開幕投手を務め、9月には連投から中4日のペースで登板するなど大車輪の活躍を見せ、最多勝・最多奪三振・最高勝率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・沢村賞などの投手主要タイトルの多くを獲得し、MVPを受賞した。日本シリーズでは9回1失点など好投するも2敗を喫した。翌年も開幕投手を務めたが結果が出せず、調整も兼ねて中継ぎ・抑えと様々な役回りを試された。しかし、後半戦から一気に巻き返して、終わってみれば2年連続の最多勝・最多奪三振・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得したほか、初の最多完封勝利を記録した。1999年には3年連続で開幕投手を務める。新人の松坂大輔にチーム最多勝を奪われたものの、2度目の最多完封勝利を記録。

2000年頃から、後に持病となる右足内転筋を痛めて離脱したものの、11勝を挙げて3年連続の最多完封勝利を記録。翌年は一転して91与四死球と制球難に苦しみ、防御率が初の4点台に悪化する。それでも松坂が離脱する中で、2002年にはリーグ2位となる15勝を挙げて、リーグ優勝に貢献。3度目のゴールデングラブ賞を受賞するなど、徐々に輝きを取り戻す。

2003年は以前からケガをしていた右足が悪化したほか、自身の不調も重なって規定投球回数に届かない6勝・防御率6.84と不本意な成績に終わり、連続2桁勝利・連続防御率10傑入りの記録が共に7年で途絶える。

2004年から禁煙・食事制限など節制に努めて復活を期し、3度右足内転筋を痛めて離脱するものの、10勝を挙げる。この年取得したFA権について、「これから西武で何勝できるかやってみたい」と、“生涯西武”ともとれる発言で残留を決めた。

2005年から始まったセ・パ交流戦では6勝を挙げ、交流戦の初代最多勝投手に輝く。レギュラーシーズンでも抜群の安定感で、自己最多の17勝を挙げた。毎年多めな被本塁打も13本に抑えたほか、防御率も初の2点台を記録した。年末には、スポーツうるぐすの企画で「今年ついてなかったスポーツ選手」として、普天王多村仁と釣り対決をしたが釣果なし(ボウズ)に終わった。

2006年は自身4度目となる開幕投手を務めるものの、序盤は調子が上がらず負けが先行、中盤以降に復調して9勝を挙げるが2桁勝利には届かなかった。シーズン終了後から契約更改前まで2回出場したゴルフコンペで2連勝し「これで(シーズンと)合わせて11勝だから減俸も少なくなるかもしれません」と冗談混じりにインタビューに答えていた。しかし、後日の契約更改日の交渉時間に、道路渋滞により遅刻して「10分遅れたんで10%減でした、5分だったら5%減だったかもね」というジョークも飛ばしていた。推定年俸2億7000万円はこの年パ・リーグ投手で1位。

2007年に松坂がボストン・レッドソックスに移籍し、層が薄くなった投手陣の中でリーダーとして期待され、5度目の開幕投手を務めて1999年以来の白星を記録。3・4月の月間MVPを初めて獲得したほか、8月17日の対オリックス戦に先発して、史上46人目の通算150勝を達成[1]。9月18日の対オリックス戦では史上83人目の2000投球回を達成した。しかし、6月以降の失速が響いて勝ち星は前年と同じ9勝(11敗)となり、プロ入り以来初めて負け越したシーズンとなってしまった。

2008年は試合前半に打ち込まれる姿が目立ち、7月までは防御率6.35と苦しんだ。しかし後半は持ち直し、7月27日の対日本ハム戦で好投して以降は4勝1敗・防御率2.74と活躍、終盤のケガもあって前年より勝ち星は減ったものの、レギュラーシーズンを勝ち越して終えた。日本シリーズ(対巨人戦)では最終戦に先発するものの、2回2失点で降板した。前日の救援投手として投げた岸孝之は「もし、第7戦に持ち込んだら西口さんが先発なので繋げたかった」と日本シリーズMVP受賞の会見で述べている。

2009年も前年同様前半戦はローテーションに入ったものの、打ち込まれる試合が続いたほか、チーム事情もあって中継ぎに回される。しかし中継ぎでも打たれる場面が多く、防御率は2年連続の5点台、勝ち星も4勝に終わった。この不調を払拭するためにウエイトトレーニングに取り組んだ結果、2010年には球速が145km/hまで回復し、終盤には好投も見せたが、3年連続の防御率5点台・3勝に終わった。

2011年は開幕当初6人目の先発要員となり、試合数の少ない週はしばしば登板機会を飛ばされた。前半戦は不安定な投球で負け越していたが8月以降は7勝1敗防御率2.00と不調の先発陣を牽引し、終盤には最終戦まで中5日での登板が続けられるように優先して先発ローテーションが組まれるほどになった。8月28日には2006年以来となる完投勝利を2005年以来の完封で飾り、自身の先発登板連続無完投記録(102試合で日本記録)に終止符を打った。その試合により、ジョージア魂賞も受賞。10月12日には2005年以来、実に6年ぶりの2桁勝利を挙げ、迎えた10月18日の最終戦に先発、8回2失点140球の熱投で勝利しチームを最下位からのクライマックス・シリーズ出場へと導いた。最終的に規定投球回には4イニング足らず僅かに届かなかったもののチームトップの11勝を挙げ、防御率も2.57と数年の不調から復活したシーズンとなった。日本ハムとのクライマックスシリーズ1stステージ第2戦では7回0/3を1失点に抑える快投を見せ、ポストシーズン通算10試合目にして念願の初勝利を挙げると共に、チームの2ndステージ進出を決めた。

[編集] プレースタイル

[編集] 投球スタイル

キレのよいスライダー代名詞とする。変化の大きいものから小さいもの、横変化の強いものや縦変化の強いものを投げ分け、特に2ストライクに打者を追い込んでからは、時にフォークボールと見間違えられる程に鋭く縦に変化し、打者にスライダーを空振りしたのではなく、フォークを空振りしたかのようなスイングをさせることがある。好調時には高い確率で打者の空振りを誘い、早いカウントの時は小さな変化でストライクを稼ぐというように使い分けている。直球は150km/h以上(最速152km/h)を計測することもあったが、近年は平均球速約138km/hに収まっている[2]

配球はストレートとスライダーが投球の多くの割合を占め、この2球種のキレがその日の結果を大きく左右する。基本的に変化球はスライダーが多いが、他にもフォークボール、チェンジアップなどを持っており、フォークボールとチェンジアップは左打者に対して多く使われる傾向がある。 1996年頃はストレート・スライダー・チェンジアップが主として投げられていたが、2000年からチェンジアップの比率が減り、フォークが増えた。

ストライクゾーンから逃げるスライダーを決め球にしているためか、与四球が多い。しかし177回1/3を投げて暴投が一度もない年もある(2006年)。

毎年20本前後の本塁打を打たれ、先発投手としては良い被安打率を誇る割には防御率が良くない。2011年現在、17年のプロ生活で10回の2桁勝利を達成している(9勝のシーズンも2回)が、規定投球回投げている年で防御率が2点台になったのは1度だけ(2005年)。

尻上がりに調子を上げていく傾向があり、序盤に本塁打などで失点しても後続は抑える場面が多く、波に乗ると後述の完全試合・ノーヒットノーラン未遂のように手がつけられない投球を見せる。本人曰く「僕はどうしても点差が開くと気が抜けて、投球が雑になってしまうタイプ」「投手戦の方が、気が張っていい結果が出る」という[3]。また、立ち上がりが比較的不安定なため、中継ぎで登板すると結果が良くない。

豊富な経験と実績に加え先発の駒不足という事情から、現在も先発機会は多く与えられているが、近年は球威の衰えもあり試合を作れないことが多い。また、2006年6月4日の対読売ジャイアンツ6回戦(東京ドーム)で8回2/3を2失点完投して(この試合は9回サヨナラ負け)以降、2011年8月28日北海道日本ハムファイターズ17回戦(西武ドーム)で後述する「幻の完全試合」となった2005年8月27日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦以来の完封勝利を挙げるまで、先発での登板時に102試合連続で完投がなかった。この数字は、従来ケビン・ホッジスが持っていた81を大幅に更新する日本記録である。
後日、この記録について西口本人は「おそらく、この記録は抜かれることはない」「どんなことでも記録として名前が残るのは、うれしいことです。」と振り返っている[4]

[編集] 投球フォーム

細身の体を柔らかく、かつ一杯に使い、半ば枕詞のように「マウンド上で踊っているよう」であると形容されることが多い。新人時代は評論家に「蛸踊りのようだ」と酷評されたが、実績を残すにつれて聞かれなくなった。

技術的にも、軸足である右足はプレートの右端に立てた上で左足をインステップすることでリリースポイントは通常より右側にずれ、腕は体幹に巻きつくように振られて遅れて出てくるため、ギリギリまで打者からは見にくくなっている。直球と変化球で腕の振り方が変わらないために球種の見極めが難しいこともよく指摘されるところで、見た目の華やかさだけでなく、実用的なフォームでもある。渡辺久信は文化放送解説者時代に「(西口とキャッチボールをするのは)慣れていないと危ない」と語ったことがある。

しかし、新人時代に習得したチェンジアップは腕の振りが違うため、打者に見破られ易くなっている他、投球時のステップ幅が広すぎるため、内転筋を痛めやすいことと、ストレートがシュート回転しやすくなることである。時にシュート回転気味のボールを武器にしている面もあるが、投げ終わった後に一塁側に倒れこむような体勢になり、打球への反応が一瞬遅れがちになる。しばしば語り草となるのは1998年の日本シリーズ第1戦で、石井琢朗に三塁側へのセーフティバントを決められたことである。石井は西口のフォームをビデオで見てこの作戦を思いついたといい、これを足掛かりに横浜に先取点を奪われた。シリーズ全体の流れを決定付けてしまったプレーとさえ言われることがある。

しかし、フィールディング技術は優れており、ゴールデングラブ賞を3度受賞している。チームメイトで同じくフィールディングの上手い松坂大輔と共に、97~06年までの10年間パ・リーグゴールデングラブ賞投手部門を西武勢で独占している。

入団当初は振りかぶって投げていたが、1998年前半の不調時期の前後にノーワインドアップモーションに変えていた。2005年からワインドアップモーションに戻している。

[編集] 奪三振

特徴の一つに奪三振の多さが挙げられる。1996年の近鉄戦に8者連続三振、2006年には通算1500奪三振を記録し、要した投球回数1729イニングは史上48人の達成者の中で石井一久江夏豊川口和久に次ぐ4番目のスピード記録であり、右投げでは歴代1位である。

1997年4月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)の2回裏に、史上4人目の1イニング4奪三振を記録している。

2006年6月18日の対横浜ベイスターズ戦では12個の三振を奪い、1996年から11年連続で2桁奪三振試合を達成するというパシフィック・リーグ新記録を樹立した。

[編集] 苦手の東京ドーム

本塁打が出やすいと言われている東京ドームが大の苦手で、1996年8月3日の対日本ハムファイターズ戦から2007年6月23日まで勝ち星から遠ざかっていた。近年は登板を回避することも多く登板数が少ないことも影響している。優勝を争っていた2001年には、東尾修がローテーションをずらしてでも西口の東京ドーム登板を避けた。2002年の日本シリーズで初戦の先発を回避したのもこれが一因とされる。

2002年まで、東京ドームのマウンドが黒土で穴が掘りやすいことに加えて、滑りやすく、西口の持病である内転筋を痛めやすいため、西口に合わないのが原因だといわれている。また、東京ドームが苦手ということで対日本ハムファイターズ戦の通算勝率も高くないが、他球場での対日本ハム戦では好投するため、日本ハムに対して相性が悪いわけではない。

2004年に日本ハムの本拠地が札幌ドームとなった後は、移転後も年10試合前後行われる東京ドームでの日本ハム主催試合が西武戦では行われていないため、西口の東京ドーム登板の可能性はセ・パ交流戦か、西武と巨人が日本選手権シリーズに進出した場合に限られるはずだったが、2007年のパ・リーグ公式戦において、対オリックス・バファローズ戦(主催試合)が2試合(5月19日・20日)組まれ、19日の予告先発に指定されたが、結局当日になって腰痛のため回避された。同年6月24日の対巨人戦に先発すると6回1失点に抑え、11年ぶりに東京ドームでの勝利を挙げた。2008年6月9日の対巨人戦でも先発し、5回3失点だったもののセス・グライシンガーの乱調もあって勝利投手となっている。

[編集] 得意の大阪ドーム

大阪ドームでの成績は非常に良く、1997年の大阪ドーム開場以来、先発登板した試合では1度も敗戦投手になっていなかったが、2003年5月20日にタフィ・ローズに2本塁打を浴びるなどし、大阪ドームで初めて敗戦投手となった。西武ドームになると大阪ドームより成績が落ちて五分五分程度になるため、単純に西口と対戦チームとの相性の問題ではないようである。

2000年以降、近鉄が消滅した2004年まで、近鉄と西武との対戦成績は五分か近鉄が勝ち越しており、チーム同士の相性も関係がなかった。

[編集] 人物

チーム内での人望も厚い。同い年で同期入団だった高木浩之は「こいつのために何とかしてやろうと言う気になる」、2008年日本シリーズMVPの岸孝之も入団時「目標は西口さん。いろいろ学びたい」と述べている。

飄々とした性格からか年俸にも拘らず、全盛期で2桁勝利しても900万しか年俸が上がらなかったこともある。

[編集] エピソード

  • 東尾修によると、結婚前にはファッションに無頓着で、新人時代は爪先が擦れて穴の空いた靴をパーティーに履いてきて、東尾を驚かせたことがあるという。
  • 謙虚な性格で知られ、立正大学が西口のサイン色紙を所望したとき、自分だけでは不十分だと考えて、なぜか松坂らチームメイトのサインも併せて送った逸話がある。
  • 1997年頃、上位を争っていた福岡ダイエーホークスの選手のほとんどが次シーズンの抱負として、「来年は西口さんから打ちます」と言っていた。
  • メジャーリーグについて聞かれると、「飯がマズイから行かない(新人時代教育リーグに参加していた)」とコメントした。
  • 元喫煙者であり、イニングの合間には必ずタバコを吸っていた。ただ2003年に6勝に終わってからは禁煙している。本人によると「禁煙はしていない。タバコを吸うのを止めただけ」とのことだったが、現在は卒煙している。

[編集] 「あと1人」(28人目)の悲劇

完全試合またはノーヒットノーラン達成まであと一歩”のところで安打を打たれて完封・完投どまりになった事が3度あり、ジンクスの一つと化している。

2002年8月26日、対千葉ロッテマリーンズ戦(西武ドーム
福浦和也の四球による出塁1つに抑えて9回2死までノーヒットノーランだったが、小坂誠に中前打されて逃した。次のサブローにも右前打されたが後続を抑えて2安打1四球、6-0の完封勝ち。
2005年5月13日、対読売ジャイアンツ戦(インボイスSEIBUドーム)
清原和博の死球による出塁1つに抑えて9回2死までノーヒットノーランだったが、清水隆行にスライダーを右翼席に本塁打されて快挙を逃した。1安打1死球、6-1の完投勝ち。清水を抑えて達成していたら交流戦初、西武ドーム初の達成者だった(のちにリック・ガトームソンが交流戦初の達成者となった)。
2005年8月27日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(インボイスSEIBUドーム)
9回終了まで完全に抑えていたものの、その試合で投げ合った一場靖弘の178球の力投の前に打線が沈黙し、延長戦に突入した。延長10回表、沖原佳典に安打を打たれて快挙を逃した。このような形で延長戦で完全試合を逃したのは史上初、ノーヒットノーランでは9人目。
その後、後続の打者を抑えて、石井義人の適時打で勝利をおさめたため、結果は10回1安打1四球、1-0の完封勝ちとなった。仮にパーフェクトピッチングを続け、西武の打線の援護でサヨナラゲームを決めれば、1973年8月30日に江夏豊中日ドラゴンズ戦で達成して以来の2度目の延長戦ノーヒットノーラン、延長戦完全試合は史上初の達成となるところだった。このピッチングは完全試合の参考記録とされている。

上記3名の打者の小坂、清水、沖原の全員が、西口がその日に対戦した28人目の打者であった

1996年9月23日の対近鉄バファローズ戦(西武球場)で、初回に水口栄二に安打を打たれたものの後続を全て抑え、途中8連続奪三振の活躍(日本記録は梶本隆夫、土橋正幸の9連続)で1安打、6-0の完封勝ちをあげた。このとき一度目の「準」完全試合を達成していた。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1995 西武 9 4 1 1 0 2 0 0 -- 1.000 183 45.1 43 2 10 1 0 34 0 0 15 10 1.99 1.18
1996 31 27 13 2 2 16 10 1 -- .615 849 210.1 172 21 74 1 2 173 4 0 77 74 3.17 1.18
1997 32 26 10 0 2 15 5 1 -- .750 871 207.2 187 20 68 3 5 192 1 0 85 72 3.12 1.25
1998 33 25 8 5 1 13 12 4 -- .520 757 181.0 160 16 73 0 4 148 1 1 80 68 3.38 1.31
1999 29 27 7 3 0 14 10 0 -- .583 732 179.1 141 20 55 2 3 141 3 0 72 68 3.41 1.11
2000 24 20 4 2 1 11 5 0 -- .688 618 145.2 136 22 59 0 3 131 2 0 62 61 3.77 1.36
2001 28 28 1 0 0 14 9 0 -- .609 730 165.1 156 18 85 0 6 143 6 0 85 80 4.35 1.50
2002 29 29 3 2 0 15 10 0 -- .600 753 182.0 166 25 51 1 5 180 3 1 76 71 3.51 1.22
2003 14 14 0 0 0 6 3 0 -- .667 349 76.1 85 19 31 1 3 69 1 0 60 58 6.84 1.56
2004 21 21 0 0 0 10 5 0 -- .667 506 117.1 97 19 56 1 4 112 4 0 50 42 3.22 1.34
2005 25 25 3 1 0 17 5 0 0 .773 701 172.0 157 13 34 0 9 137 5 0 55 53 2.77 1.16
2006 26 26 2 0 0 9 9 0 0 .500 767 177.1 175 22 65 2 9 154 0 0 76 70 3.55 1.41
2007 25 25 0 0 0 9 11 0 0 .450 648 153.2 149 18 44 1 6 103 2 0 78 73 4.28 1.30
2008 22 21 0 0 0 8 6 0 0 .571 517 116.1 125 18 48 2 4 92 5 0 69 65 5.03 1.52
2009 25 16 0 0 0 4 4 0 3 .500 423 93.1 110 14 38 2 4 60 3 0 55 53 5.11 1.59
2010 13 12 0 0 0 3 2 0 0 .600 261 57.1 65 8 27 0 2 43 0 0 36 35 5.49 1.61
2011 22 22 2 1 0 11 7 0 0 .611 566 140.0 104 5 41 1 8 104 2 1 44 40 2.57 1.04
通算:17年 408 368 54 17 6 177 113 6 3 .610 10231 2420.1 2228 280 859 18 77 2016 42 3 1075 993 3.69 1.28
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] タイトル

[編集] 表彰

※3回は投手の最多記録。捕手は全て伊東勤であり、同一バッテリーでは史上最多・史上最長の3年連続受賞
  • 月間MVP:5回 (1996年5月、1998年8月、2002年8月、2005年7月、2007年3月・4月)
  • ジョージア魂賞:1回 (2011年第10回)

[編集] 記録

初記録
節目の記録
  • 1000投球回:2001年4月28日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(西武ドーム) ※史上289人目
  • 1000奪三振:2002年5月4日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に初芝清から ※史上107人目
  • 100勝:2002年10月9日、対オリックスブルーウェーブ27回戦(グリーンスタジアム神戸) ※史上118人目
  • 1500投球回:2004年8月13日、対北海道日本ハムファイターズ21回戦(西武ドーム) ※史上153人目
  • 1500奪三振:2006年5月6日、対福岡ソフトバンクホークス7回戦(インボイスSEIBUドーム)、6回表にフリオ・ズレータから ※史上46人目
  • 150勝:2007年8月17日、対オリックス・バファローズ17回戦(グッドウィルドーム) ※史上46人目
  • 2000投球回:2007年9月18日、対オリックス・バファローズ20回戦(京セラドーム大阪) ※史上83人目
  • 2000奪三振:2011年10月6日、対オリックス・バファローズ24回戦(西武ドーム)、1回表にT-岡田から ※史上21人目
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:4回 (1996年、1997年、1999年、2005年)
  • 開幕投手:5回(1997年、1998年、1999年、2006年、2007年)
  • 完全試合(2005年8月27日・対東北楽天ゴールデンイーグルス戦 ※参考記録)
  • 7年連続2桁勝利(1996年~2002年)
  • 7年連続防御率10傑入り(1996年~2002年 ※史上8人目)
  • イニング4奪三振(1997年4月12日・千葉ロッテ戦 ※日本記録)
  • 8者連続奪三振(1996年9月22日・対近鉄バファローズ戦)
  • 11年連続2桁奪三振試合達成(1996年~2006年 ※パ・リーグ記録)
  • 日本シリーズ5連敗 未勝利(※日本記録)
  • 西武ライオンズ史上最多勝:177勝(※2011年シーズン終了時点)
  • 先発登板し102試合連続完投なし(2006年6月11日~2011年8月21日 ※日本記録)

[編集] 背番号

  • 13 (1995年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ 歴代6位の319試合での達成で、2リーグ制後に入団した投手では最速。大卒投手の150勝は94年の佐藤義則以来13年ぶり。
  2. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、38頁。ISBN 978-4-905411-04-8
  3. ^ 第10回「ジョージア魂」賞受賞 西口文也選手インタビュー”. 2012年1月10日閲覧。
  4. ^ 第10回「ジョージア魂」賞受賞 西口文也選手インタビュー”. 2012年1月10日閲覧。

[編集] 関連項目

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