西口文也
| 埼玉西武ライオンズ #13 | |
|---|---|
2012年 西武ドーム
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 和歌山県和歌山市 |
| 生年月日 | 1972年9月26日(40歳) |
| 身長 体重 |
182 cm 78 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1994年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1995年8月16日 |
| 年俸 | 7,000万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)。
愛称は「オツ」で、「(体型が)ジョセフ・オツオリに似ている」とチームの先輩に言われた事から。
目次 |
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
1972年に和歌山県で生まれる。市立西和佐小学校から市立高積中学校までは遊撃手・外野手としてプレーしていたが、和歌山県立和歌山商業高等学校から投手を兼任し、立正大学入学後は投手に専念して活躍。1992年春季の東都2部リーグで最優秀投手賞を受賞している。
1994年のドラフト会議において、西武ライオンズに3巡目に指名され、入団。背番号は13。
プロ入り後[編集]
1995年にアメリカの独立リーグ「ノーザンリーグ」のスーシティ・エクスプローラーズに野球留学し、後の決め球となるチェンジアップを習得。後半戦で初完投・初完封勝利を記録。
1996年にはリーグ2位の16勝・173奪三振と最多完投を記録。オールスターにも監督推薦で初選出された。
1997年は初の開幕投手。9月には連投から中4日で登板するなど大車輪の活躍を見せ、最多勝・最多奪三振・最高勝率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・沢村賞・MVPを受賞した。ただし、日本シリーズでは好投するも2敗を喫した。翌年も開幕投手を務めるが不調、前半は中継ぎ・抑えも経験する。しかし、後半戦から復調し、最終的に2年連続の最多勝・最多奪三振・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。1999年には3年連続で開幕投手を務める。チーム最多勝は新人の松坂大輔に奪われたものの、2年連続で最多完封勝利を記録した。
2000年に右足内転筋を痛めて離脱、これが後に持病となる。翌年は91与四死球と制球難に苦しみ、防御率が初の4点台に悪化。2002年は松坂離脱を支え、リーグ2位となる15勝を挙げてリーグ優勝に貢献。3度目のゴールデングラブ賞を受賞している。
2003年は右足のケガの悪化に不調も重なり、規定投球回数に届かない6勝・防御率6.84と不本意な成績に終わり、連続2桁勝利・連続防御率10傑入りが共に7年で途切れた。
2004年から禁煙・食事制限など節制に努めて復活を期し、3度右足内転筋を痛めて離脱するものの10勝を挙げる。この年FA権を取得するが「これから西武で何勝できるかやってみたい」と発言し残留を決めた。
2005年から始まったセ・パ交流戦では6勝を挙げ、交流戦の初代最多勝投手に輝く。レギュラーシーズンでも抜群の安定感で、自己最多の17勝を挙げた。毎年多めな被本塁打も13本に抑えたほか、防御率も初の2点台を記録した。
2006年は自身4度目となる開幕投手を務めるものの、序盤は調子が上がらず負けが先行、中盤以降に復調して9勝を挙げるが2桁勝利には届かなかった。
2007年に松坂がボストン・レッドソックスへ移籍し、層が薄くなった投手陣の中でリーダーとして期待され、5度目の開幕投手を務めて1999年以来の白星を記録。3・4月の月間MVPを初めて獲得したほか、8月17日の対オリックス・バファローズ戦(グッドウィルドーム)に先発して、史上46人目の通算150勝を達成[1]。9月18日の対オリックス戦では史上83人目の2000投球回を達成した。しかし、6月以降の失速が響いて勝ち星は前年と同じ9勝(11敗)となり、プロ入り以来初めて負け越したシーズンとなった。
2008年は試合前半に打ち込まれる姿が目立ち、7月までは防御率6.35と苦しんだ。しかし後半は持ち直し、7月27日の対日本ハム戦で好投して以降は4勝1敗・防御率2.74と活躍、終盤のケガもあって前年より勝ち星は減ったものの、レギュラーシーズンを勝ち越して終えた。日本シリーズ(対読売ジャイアンツ戦)では最終戦に先発するものの、2回2失点で降板した。
2009年も前年同様前半戦はローテーションに入ったものの、打ち込まれる試合が続いたほか、チーム事情もあって中継ぎに回される。しかし中継ぎでも打たれる場面が多く、防御率は2年連続の5点台、勝ち星も4勝に終わった。この不調を払拭するためにウエイトトレーニングに取り組んだ結果、2010年には球速が145km/hまで回復し、終盤には好投も見せたが、3年連続の防御率5点台・3勝に終わった。
2011年は開幕当初6人目の先発要員となり、試合数の少ない週はしばしば登板機会を飛ばされた。前半戦は不安定な投球で負け越していたが8月以降は7勝1敗防御率2.00と不調の先発陣を牽引し、終盤には最終戦まで中5日での登板が続けられるように優先して先発ローテーションが組まれるほどになった。8月28日には2006年以来となる完投勝利を2005年以来の完封で飾り、自身の先発登板連続無完投記録(102試合で当時の日本記録)に終止符を打った。この試合により、ジョージア魂賞も受賞。10月12日には2005年以来、実に6年ぶりの2桁勝利を挙げ、迎えた10月18日の最終戦に先発、8回2失点140球の熱投で勝利しチームを最下位からのクライマックスシリーズ進出へと導いた。最終的に規定投球回には4イニング足らず僅かに届かなかったもののチームトップの11勝を挙げ、防御率も2.57と数年の不調から復活したシーズンとなった。日本ハムとのクライマックスシリーズ1stステージ第2戦では7回0/3を1失点に抑える快投を見せ、ポストシーズン通算10試合目にして念願の初勝利を挙げると共に、チームの2ndステージ進出を決めた。
2012年は援護には恵まれるものの短いイニングでマウンドを降りるケースが目立ち、前半戦において不安定だったリリーフ陣に勝ちを消されることが多かった。シーズン中盤には右肩痛に悩まされるようになり、投球内容が悪化して二軍落ちする。シーズン最後まで再調整を行うものの一軍昇格は見送られた。
選手としての特徴[編集]
投球スタイル[編集]
キレのよいスライダーを代名詞とする。変化の大きいものから小さいもの、横変化の強いものや縦変化の強いものを投げ分け、特に2ストライクに打者を追い込んでからは、時にフォークボールと見間違えられる程に鋭く縦に変化し、打者にスライダーを空振りしたのではなく、フォークを空振りしたかのようなスイングをさせることがある。好調時には高い確率で打者の空振りを誘い、早いカウントの時は小さな変化でストライクを稼ぐというように使い分けている。直球は150km/h以上(最速152km/h)を計測することもあったが、近年は平均球速約138km/hに収まっている[2]。
配球はストレートとスライダーが投球の多くの割合を占め、この2球種のキレがその日の結果を大きく左右する。基本的に変化球はスライダーが多いが、他にもフォークボール、チェンジアップなどを持っており、フォークボールとチェンジアップは左打者に対して多く使われる傾向がある。 1996年頃はストレート・スライダー・チェンジアップを主として投げていたが、2000年からチェンジアップの比率が減り、フォークが増えた。
ストライクゾーンから逃げるスライダーを決め球にしているためか、与四球が多い。しかし、177回1/3を投げて暴投が一度もない年もある(2006年)。
毎年20本前後の本塁打を打たれ、先発投手としては良い被安打率を誇る割には防御率が良くない。2012年現在、18年のプロ生活で10回の2桁勝利を達成している(9勝のシーズンも2回)が、規定投球回投げている年で防御率が2点台になったのは1度だけ(2005年)。
尻上がりに調子を上げていく傾向があり、序盤に本塁打などで失点しても後続は抑える場面が多く、波に乗ると後述の完全試合・ノーヒットノーラン寸前のように手がつけられない投球を見せる。本人曰く「僕はどうしても点差が開くと気が抜けて、投球が雑になってしまうタイプ」「投手戦の方が、気が張っていい結果が出る」という[3]。また、立ち上がりが比較的不安定なため、中継ぎで登板すると結果が良くない。
2006年6月4日の対読売ジャイアンツ6回戦(東京ドーム)で8回2/3を2失点完投して(この試合は9回サヨナラ負け)以降、2011年8月28日の北海道日本ハムファイターズ17回戦(西武ドーム)で後述する「幻の完全試合」となった2005年8月27日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦以来の完封勝利を挙げるまで、先発での登板時に102試合連続で完投がなかった。この数字は、従来ケビン・ホッジスが持っていた81を大幅に更新する日本記録(当時)であった。
後日、この記録について西口本人は「おそらく、この記録は抜かれることはないと思いますから。どんなことでも記録として名前が残るのは、うれしいことです」と振り返っていたが[4]、翌2012年には藤井秀悟が先発登板時に103試合連続完投なしとなり、西口の記録は1年あまりで更新された。
投球フォーム[編集]
細身の体を柔らかく、かつ一杯に使うため「マウンド上で踊っているよう」だと言われる。新人時代は評論家に「蛸踊りのようだ」と酷評されたが、実績を残すにつれて聞かれなくなった。
技術的にも、軸足である右足はプレートの右端に立てた上で左足をインステップすることでリリースポイントは通常より右側にずれ、腕は体幹に巻きつくように振られて遅れて出てくるため、ギリギリまで打者からは見にくくなっている。直球と変化球で腕の振り方が変わらないために球種の見極めが難しいこともよく指摘される。渡辺久信は文化放送解説者時代に「(西口とキャッチボールをするのは)慣れていないと危ない」と語ったことがある。
しかし、新人時代に習得したチェンジアップは腕の振りが違うため、打者に見破られやすい。また、投球時のステップ幅が広すぎるため、内転筋を痛めやすいことと、ストレートがシュート回転しやすくなる。さらに投げ終わった後に一塁側に倒れこむような体勢になり、打球への反応が一瞬遅れがちになる。1998年の日本シリーズ第1戦では石井琢朗に三塁側へのセーフティバントを決められるが、石井は西口のフォームをビデオで見てこの作戦を思いついたという。これを足掛かりに横浜に先取点を奪われ、シリーズ全体の流れを決めたプレーと言われることもある。
もっともフィールディング技術自体は優れており、ゴールデングラブ賞を3度受賞している。チームメイトで同じく守備の上手い松坂大輔と共に、97~06年までの10年間パ・リーグゴールデングラブ賞投手部門を西武勢で独占している。
入団当初は振りかぶって投げていたが、1998年前半の不調時期の前後にノーワインドアップモーションに変えていた。2005年からワインドアップモーションに戻している。
奪三振[編集]
特徴の一つに奪三振の多さが挙げられる。1996年の近鉄戦に8者連続三振、2006年には通算1500奪三振を記録し、要した投球回数1729イニングは史上48人の達成者の中で石井一久、江夏豊、川口和久に次ぐ4番目のスピード記録であり、右投げでは歴代1位である。
1997年4月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)の2回裏に、史上4人目の1イニング4奪三振を記録している。
2006年6月18日の対横浜ベイスターズ戦では12個の三振を奪い、1996年から11年連続で2桁奪三振試合を達成するというパシフィック・リーグ新記録を樹立した。
苦手の東京ドーム[編集]
本塁打が出やすいと言われている東京ドームが大の苦手で、1996年8月3日の対日本ハムファイターズ戦から2007年6月23日まで勝ち星から遠ざかっていた。近年は登板を回避することも多く登板数が少ないことも影響している。優勝を争っていた2001年には、東尾修がローテーションをずらしてでも西口の東京ドーム先発登板を避けたという。
2002年まで、東京ドームのマウンドが黒土で穴が掘りやすいことに加えて、滑りやすく、西口の持病である内転筋を痛めやすいため、西口に合わないのが原因だといわれている。また、東京ドームが苦手ということで対日本ハム戦の通算勝率も高くないが、他球場での対日本ハム戦では好投するため、日本ハムに対して相性が悪いわけではない。
2004年に日本ハムの本拠地が札幌ドームとなった後は、移転後も年10試合前後行われる東京ドームでの日本ハム主催試合が西武戦では行われていないため、西口の東京ドーム登板の可能性はセ・パ交流戦か、西武と巨人が日本選手権シリーズに進出した場合に限られるはずだったが、2007年のパ・リーグ公式戦において、対オリックス・バファローズ戦(主催試合)が2試合(5月19日・20日)組まれ、19日の予告先発に指定されたが、結局当日になって腰痛のため回避された。同年6月24日の対巨人戦に先発すると6回1失点に抑え、11年ぶりに東京ドームでの勝利を挙げた。2008年6月9日の対巨人戦でも先発し、5回3失点だったもののセス・グライシンガーの乱調もあって勝利投手となっている。
得意の大阪ドーム[編集]
大阪ドームでの成績は非常に良く、1997年の大阪ドーム開場以来、先発登板した試合では1度も敗戦投手になっていなかったが、2003年5月20日にタフィ・ローズに2本塁打を浴びるなどし、大阪ドームで自身初の敗戦投手となった。西武ドームになると大阪ドームより成績が落ちて五分五分程度になるため、単純に西口と対戦チームとの相性の問題ではないようである。
2000年以降、近鉄が消滅した2004年まで、近鉄と西武との対戦成績は五分か近鉄が勝ち越しており、チーム同士の相性も関係がなかった。
ノーヒットノーラン未遂[編集]
「完全試合またはノーヒットノーラン達成まであと一歩」のところで安打を打たれて完封・完投どまりになった事が3度ある。
- 2002年8月26日、対千葉ロッテマリーンズ戦(西武ドーム)
- 福浦和也の四球による出塁1つに抑えて9回2死までノーヒットノーランだったが、小坂誠に中前打されて逃した。次のサブローにも右前打されたが後続を抑えて2安打1四球、6-0の完封勝ち。
- 2005年5月13日、対読売ジャイアンツ戦(インボイスSEIBUドーム)
- 清原和博の死球による出塁1つに抑えて9回2死までノーヒットノーランだったが、清水隆行にスライダーを右翼席に本塁打されて快挙を逃した。1安打1死球、6-1の完投勝ち。清水を抑えて達成していたら交流戦初、西武ドーム初の達成者だった(のちにリック・ガトームソンが、日本人では杉内俊哉が交流戦初の達成者となった。ちなみに、清水とは2009年の1年間だけチームメイトになっている)。
- 2005年8月27日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(インボイスSEIBUドーム)
- 9回終了まで完全に抑えていたものの、この試合で投げ合った一場靖弘の178球の力投の前に打線が沈黙し、延長戦に突入した。延長10回表、沖原佳典に安打を打たれて快挙を逃した。このような形で延長戦で完全試合を逃したのは史上初、ノーヒットノーランでは9人目。
- その後は後続を抑えて、石井義人の適時打で勝利したため、結果は10回1安打1四球、1-0の完封勝ちとなった。仮にパーフェクトピッチングを続け、西武の打線の援護でサヨナラゲームを決めれば、1973年8月30日に江夏豊が中日ドラゴンズ戦で達成して以来の2度目の延長戦ノーヒットノーラン、延長戦完全試合は史上初の達成となるところだった。この試合は完全試合の参考記録とされている。
1996年9月23日の対近鉄バファローズ戦(西武球場)で、初回に水口栄二に安打を打たれたものの後続を全て抑え、途中8連続奪三振の活躍(日本記録は梶本隆夫、土橋正幸の9連続)で1安打、6-0の完封勝ちをあげた。このとき一度目の「準」完全試合を達成していた。
2012年5月17日の「マツコ&有吉の怒り新党」の「新・3大○○調査会」では上記の「あと1人の悲劇」の3試合をまとめて「新・3大『西武・西口投手の哀しい勝利』」として放送した。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | 西武 | 9 | 4 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 183 | 45.1 | 43 | 2 | 10 | 1 | 0 | 34 | 0 | 0 | 15 | 10 | 1.99 | 1.18 |
| 1996 | 31 | 27 | 13 | 2 | 2 | 16 | 10 | 1 | -- | .615 | 849 | 210.1 | 172 | 21 | 74 | 1 | 2 | 173 | 4 | 0 | 77 | 74 | 3.17 | 1.18 | |
| 1997 | 32 | 26 | 10 | 0 | 2 | 15 | 5 | 1 | -- | .750 | 871 | 207.2 | 187 | 20 | 68 | 3 | 5 | 192 | 1 | 0 | 85 | 72 | 3.12 | 1.25 | |
| 1998 | 33 | 25 | 8 | 5 | 1 | 13 | 12 | 4 | -- | .520 | 757 | 181.0 | 160 | 16 | 73 | 0 | 4 | 148 | 1 | 1 | 80 | 68 | 3.38 | 1.31 | |
| 1999 | 29 | 27 | 7 | 3 | 0 | 14 | 10 | 0 | -- | .583 | 732 | 179.1 | 141 | 20 | 55 | 2 | 3 | 141 | 3 | 0 | 72 | 68 | 3.41 | 1.11 | |
| 2000 | 24 | 20 | 4 | 2 | 1 | 11 | 5 | 0 | -- | .688 | 618 | 145.2 | 136 | 22 | 59 | 0 | 3 | 131 | 2 | 0 | 62 | 61 | 3.77 | 1.36 | |
| 2001 | 28 | 28 | 1 | 0 | 0 | 14 | 9 | 0 | -- | .609 | 730 | 165.1 | 156 | 18 | 85 | 0 | 6 | 143 | 6 | 0 | 85 | 80 | 4.35 | 1.50 | |
| 2002 | 29 | 29 | 3 | 2 | 0 | 15 | 10 | 0 | -- | .600 | 753 | 182.0 | 166 | 25 | 51 | 1 | 5 | 180 | 3 | 1 | 76 | 71 | 3.51 | 1.22 | |
| 2003 | 14 | 14 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | -- | .667 | 349 | 76.1 | 85 | 19 | 31 | 1 | 3 | 69 | 1 | 0 | 60 | 58 | 6.84 | 1.56 | |
| 2004 | 21 | 21 | 0 | 0 | 0 | 10 | 5 | 0 | -- | .667 | 506 | 117.1 | 97 | 19 | 56 | 1 | 4 | 112 | 4 | 0 | 50 | 42 | 3.22 | 1.34 | |
| 2005 | 25 | 25 | 3 | 1 | 0 | 17 | 5 | 0 | 0 | .773 | 701 | 172.0 | 157 | 13 | 34 | 0 | 9 | 137 | 5 | 0 | 55 | 53 | 2.77 | 1.16 | |
| 2006 | 26 | 26 | 2 | 0 | 0 | 9 | 9 | 0 | 0 | .500 | 767 | 177.1 | 175 | 22 | 65 | 2 | 9 | 154 | 0 | 0 | 76 | 70 | 3.55 | 1.41 | |
| 2007 | 25 | 25 | 0 | 0 | 0 | 9 | 11 | 0 | 0 | .450 | 648 | 153.2 | 149 | 18 | 44 | 1 | 6 | 103 | 2 | 0 | 78 | 73 | 4.28 | 1.30 | |
| 2008 | 22 | 21 | 0 | 0 | 0 | 8 | 6 | 0 | 0 | .571 | 517 | 116.1 | 125 | 18 | 48 | 2 | 4 | 92 | 5 | 0 | 69 | 65 | 5.03 | 1.52 | |
| 2009 | 25 | 16 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 3 | .500 | 423 | 93.1 | 110 | 14 | 38 | 2 | 4 | 60 | 3 | 0 | 55 | 53 | 5.11 | 1.59 | |
| 2010 | 13 | 12 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 261 | 57.1 | 65 | 8 | 27 | 0 | 2 | 43 | 0 | 0 | 36 | 35 | 5.49 | 1.61 | |
| 2011 | 22 | 22 | 2 | 1 | 0 | 11 | 7 | 0 | 0 | .611 | 566 | 140.0 | 104 | 5 | 41 | 1 | 8 | 104 | 2 | 1 | 44 | 40 | 2.57 | 1.04 | |
| 2012 | 14 | 14 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | .714 | 347 | 81.2 | 77 | 4 | 29 | 0 | 1 | 44 | 2 | 0 | 35 | 34 | 3.75 | 1.30 | |
| 通算:18年 | 422 | 382 | 54 | 17 | 6 | 182 | 115 | 6 | 3 | .613 | 10578 | 2502.0 | 2305 | 284 | 888 | 18 | 78 | 2060 | 44 | 3 | 1100 | 1027 | 3.69 | 1.28 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル[編集]
表彰[編集]
- MVP:1回 (1997年)
- ベストナイン:2回 (1997年、1998年)
- ゴールデングラブ賞:3回 (1997年、1998年、2002年)
- 沢村賞:1回 (1997年)
- IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回 (1997年)
- 最優秀バッテリー賞:3回 (1996年 - 1998年、いずれも捕手は伊東勤) ※3回は投手の最多記録。同一バッテリーでは史上最多・史上最長の3年連続受賞
- 月間MVP:5回 (1996年5月、1998年8月、2002年8月、2005年7月、2007年4月)
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2011年度第10回)
記録[編集]
- 初記録
- 初登板:1995年8月16日、対福岡ダイエーホークス18回戦(福岡ドーム)、5回裏に2番手として救援登板、3回0/3を2失点
- 初奪三振:同上、5回裏に秋山幸二から
- 初先発・初勝利:1995年9月10日、対千葉ロッテマリーンズ25回戦(千葉マリンスタジアム)、8回0/3を3失点
- 初完投勝利・初完封勝利:1995年9月23日、対福岡ダイエーホークス22回戦(福岡ドーム)
- 初セーブ:1996年4月23日、対オリックス・ブルーウェーブ4回戦(西武ライオンズ球場)、9回表2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初ホールド:2009年5月28日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に3番手として救援登板、1回無失点
- 初安打・初打点:2005年5月6日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、3回表にトム・デイビーから中前2点適時打
- 節目の記録
- 1000投球回数:2001年4月28日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(西武ドーム)、4回表1死目に小坂誠を三振で達成 ※史上289人目
- 1000奪三振:2002年5月4日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に初芝清から ※史上107人目
- 100勝:2002年10月9日、対オリックス・ブルーウェーブ27回戦(グリーンスタジアム神戸)、先発で7回1失点 ※史上118人目
- 1500投球回数:2004年8月13日、対北海道日本ハムファイターズ21回戦(西武ドーム)、5回表3死目に坪井智哉を一塁ゴロで達成 ※史上153人目
- 1500奪三振:2006年5月6日、対福岡ソフトバンクホークス7回戦(インボイスSEIBUドーム)、6回表にフリオ・ズレータから ※史上46人目
- 150勝:2007年8月17日、対オリックス・バファローズ17回戦(グッドウィルドーム)、先発登板で8回無失点 ※史上46人目
- 2000投球回数:2007年9月18日、対オリックス・バファローズ20回戦(京セラドーム大阪)、3回裏3死目に平下晃司を一塁ゴロで達成 ※史上83人目
- 2000奪三振:2011年10月6日、対オリックス・バファローズ24回戦(西武ドーム)、1回表にT-岡田から空振り三振 ※史上21人目
- 2500投球回数:2012年7月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(西武ドーム)、1回表3死目にホセ・フェルナンデスを三塁ゴロで達成 ※史上45人目
- その他の記録
- 1イニング4奪三振:1997年4月12日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に山下徳人・大村巌(振り逃げ)・ジェイソン・トンプソン・吉鶴憲治から ※史上4人目(5度目)
- オールスターゲーム出場:4回 (1996年、1997年、1999年、2005年)
- 開幕投手:5回(1997年、1998年、1999年、2006年、2007年)
- 完全試合:2005年8月27日、対東北楽天ゴールデンイーグルス18回戦(インボイスSEIBUドーム) ※参考記録
- 7年連続2桁勝利:1996年~2002年
- 7年連続防御率10傑入り:1996年 - 2002年 ※史上8人目
- 8者連続奪三振:1996年9月22日、対近鉄バファローズ24回戦(西武ライオンズ球場)
- 11年連続2桁奪三振試合達成(1996年~2006年) ※パ・リーグ記録
- 日本シリーズ5連敗:未勝利 ※日本記録
- 先発登板し102試合連続完投なし:2006年6月11日 - 2011年8月21日
背番号[編集]
- 13 (1995年 - )
脚注[編集]
- ^ 歴代6位の319試合での達成で、2リーグ制後に入団した投手では最速。大卒投手の150勝は94年の佐藤義則以来13年ぶり。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、38頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ “第10回「ジョージア魂」賞受賞 西口文也選手インタビュー”. 2012年1月10日閲覧。
- ^ “第10回「ジョージア魂」賞受賞 西口文也選手インタビュー”. 2012年1月10日閲覧。
関連項目[編集]
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