米野智人

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米野 智人
埼玉西武ライオンズ #36
Yoneno tomohito.jpg
2011年8月30日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道札幌市
生年月日 1982年1月21日(32歳)
身長
体重
183 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手外野手
プロ入り 1999年 ドラフト3位
初出場 2001年9月7日
年俸 1,200万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手捕手外野手) 。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

北海道札幌市出身。札幌新琴似シニアリーグ、小樽市北照高等学校を経て、1999年ドラフト会議で、ヤクルトスワローズから3位指名を受けて入団。

ヤクルト時代[編集]

ルーキーイヤーの2000年は一軍出場なしに終わり、翌2001年に一軍に初昇格。9月7日の対巨人戦で途中起用され、プロ入り初出場を記録。

2002年は、初安打を放ち、8月11日の対横浜ベイスターズ戦で初の先発出場。その試合で吉見祐治からプロ初本塁打を放ち、初打点を記録する。8月19日の阪神戦では11回裏2死満塁からプロ初サヨナラ打を放つ。

2003年は一軍出場なしに終わる。翌2004年は15試合に出場。2005年は34試合出場と出場機会を増やした。シーズン末に、退任する若松勉監督から指導を受け、それまで打率0 - 1割台後半と低迷した打撃面での成長を評価された。

2006年は自己最多の116試合に出場。打撃面においては前述の指導もあり、自身初の打率2割台に到達、7本塁打を記録している。

2007年は前年度の実績から正捕手候補の筆頭とされたものの、オープン戦で16打数1安打と打撃面で結果を残せず、開幕後はスタメンマスクを打撃面で勝る福川将和に譲る機会が増え、自身は2番手捕手に甘んじた。その後福川の打撃が低迷したことから、4月末から5月一杯にかけて再びスタメン起用が続いた。もっとも米野自身も1割台の打率に終始し、正捕手への定着は果たせなかった。守備面では前年までのような送球の失策などは減少したが、当時選手兼任監督であった古田敦也よりリード面に対して苦言を呈されることもあった。7月中旬には実戦で経験を積む目的から約2年半ぶりに二軍へ降格すると、川本良平の台頭もあってそのままシーズンを終えた。

2008年は前半戦までは控え捕手として一軍登録されていたが、衣川篤史の台頭や川本が怪我から復帰したことによって6月24日に一軍登録を抹消された。同年7月12日、二軍の試合においてファウルチップを右手親指に当てて脱臼骨折し戦線離脱。同年中の復帰は絶望視されたものの驚異的な回復を見せ、9月13日に二軍戦で実戦復帰。その1週間後、福川の怪我により約3ヶ月ぶりに一軍へ復帰した。

2010年は二軍で開幕を迎え、シーズン中の6月18日、山岸穣との交換トレードにて埼玉西武ライオンズへ移籍。背番号は山岸が着けていた36

西武時代[編集]

移籍後は結局一軍に昇格することなくシーズンを終えた。2011年は、細川亨の移籍によって正捕手争いに加わる機会を得たものの、怪我で出遅れたことから3試合の一軍出場に留まった。2011年オフの秋季キャンプでは右打の外野手が不足気味であるチーム事情から外野手としての守備練習を開始し[1]、翌2012年シーズンより選手登録が捕手から外野手へ変更された[2]

2012年4月26日のソフトバンク戦(福岡ドーム)にて、9回表二死にブライアン・ファルケンボーグから5年ぶりの本塁打となる逆転満塁本塁打をレフトスタンドに放ってチームの勝利に貢献した[3]。この試合をラジオで実況していたライオンズナイターのアナウンサーの斉藤一美は、感動のあまり途中から泣いていると思われるような声で実況していたと言われ[4]、また、その後作成された応援歌に「レフトスタンド狙え 奇跡を起こせ」というフレーズが使われるようになる。

2013年はわずか3試合4打席で終わる。二軍では三塁手としても出場した。

2014年は主に代打で出場した。

プレースタイル・人物[編集]

入団直後から古田敦也の後継捕手として注目された。肩の強さと長打力が注目されていた反面、リードの不安定さと変化球を苦にする傾向はプロ入り以前から指摘されていた。[要出典]プロ入り後もキャッチングやリード面において課題を抱え、2006年シーズンには1人の打者に対して前の打席と同じ配球を行い痛打を浴びる場面も見られた。[要出典]

打撃面では確実性の低さが指摘され、ヤクルト在籍当時においては一軍出場を記録した計8年間で打率2割以上を記録したのは2006年(340打数80安打、打率.235)と2009年(18打数5安打、打率.278)の2シーズンのみに留まる。

また実家は、喫茶店を営んでおり北海道で試合があった際には訪れるファンも多い。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2001 ヤクルト 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2002 22 55 51 4 10 0 0 1 13 2 0 0 1 0 3 1 0 15 0 .196 .241 .255 .496
2004 15 18 16 3 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 1 0 1 3 0 .063 .167 .063 .229
2005 34 70 62 6 9 0 0 1 12 4 2 0 5 1 1 0 1 18 0 .145 .169 .194 .363
2006 116 382 340 32 80 14 1 7 117 37 0 0 12 3 25 6 2 75 2 .235 .289 .344 .633
2007 32 85 78 8 14 3 0 3 26 9 0 0 2 0 4 0 1 25 1 .179 .229 .333 .562
2008 16 13 10 1 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 1 0 1 1 0 .100 .250 .100 .350
2009 11 19 18 2 5 0 0 0 5 0 0 0 1 0 0 0 0 4 1 .278 .278 .278 .556
2011 西武 3 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- .--- .--- .---
2012 32 64 58 3 12 1 0 1 16 6 0 0 1 0 4 0 1 17 1 .207 .270 .276 .546
2013 3 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
2014 12 21 19 1 4 0 0 0 4 5 0 0 0 2 0 0 0 4 1 .211 .190 .211 .401
通算:12年 297 732 657 61 136 18 1 13 195 64 3 0 23 6 39 7 7 165 6 .207 .257 .297 .556
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


捕手 外野 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2001 1 0 0 0 - - -
2002 21 6 4 2 .333 - -
2004 9 0 0 0 - - -
2005 30 134 5 1 2 3 .993 9 5 4 .444 - -
2006 115 740 52 11 12 5 .986 68 51 17 .250 - -
2007 31 166 10 1 0 2 .994 14 11 3 .214 - -
2008 16 25 2 2 0 0 .931 4 3 1 .250 - -
2009 8 31 1 0 0 0 1.000 4 3 1 .250 - -
2011 1 1 0 0 0 0 1.000 0 0 0 .000 - -
2012 - 15 22 0 0 0 1.000 2 10 0 0 1 1.000
2013 - - 1 4 1 0 0 1.000
2014 - 2 13 1 0 1 1.000 3 5 0 0 0 1.000
通算 402 105 77 28 .267 17 35 1 0 1 1.000 6 19 1 0 1 1.000

記録[編集]

背番号[編集]

  • 51 (2000年 - 2010年途中)
  • 36 (2010年途中 - )

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 西武米野捕手が外野特訓 二刀流挑戦”. 日刊スポーツ (2011年11月16日). 2012年1月18日閲覧。
  2. ^ 【西武】捕手2人を「外野手」に変更”. 日刊スポーツ (2012年1月17日). 2012年1月18日閲覧。
  3. ^ 捕手経験生きた!読みズバリで米野逆転満塁弾 スポニチ Sponichi Annex 2012年4月27日掲載
  4. ^ 「泣いてんのかこれ」、“熱すぎる”アナウンサーが劇的結末に大興奮 サーチナ 社会ニュース 2012年4月28日掲載

外部リンク[編集]