岩舘学
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| 読売ジャイアンツ #52 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 千葉県成田市 |
| 生年月日 | 1981年4月14日(28歳) |
| 身長 体重 |
177cm 76kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手 |
| プロ入り | 2003年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2004年10月9日広島戦(広島) |
| 年俸 | 1,000万円 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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岩舘 学(いわだて まなぶ、1981年4月14日 - )は千葉県成田市出身のプロ野球選手(現役期間2004年 - )。読売ジャイアンツ所属の内野手。
目次 |
[編集] 経歴
成田高等学校から東洋大学に進学。東都大学リーグ通算101試合出場、375打数92安打、打率.245、6本塁打、42打点。2003年のドラフト5巡目で読売ジャイアンツに入団。
ルーキーながらシーズン終盤に一軍に昇格し、10月9日の広島東洋カープ戦で初安打を記録した。
守備・代走要員として14試合に出場。二軍では二塁手・遊撃手・三塁手をそれぞれ10試合以上守ったが、合計で15失策と守備で精彩を欠いた。
小久保裕紀が親指の故障で長期離脱すると、(敗れはしたものの)来期の1番打者候補を一軍昇格した脇谷亮太と争った。代走・守備要員などもつとめ、三塁手を中心に内野の4ポジション全てを守り、自己最多の出場機会を得た。二軍では打率.282、4盗塁を記録した。
初の開幕一軍入りを果たした(脇谷と二岡が開幕後数試合登録されなかったため、この年巨人の生え抜きの内野手で開幕一軍だったのは岩舘のみである)。開幕2戦目に遊撃手としてスタメン出場、二塁打も放ったものの、正遊撃手二岡智宏の登録に伴い数日で二軍落ち(8月にも一度、ローテ投手登録ののち抹消されている)。二軍では初めて遊撃手ではなく二塁手を中心に起用されて計5失策と守備面で向上し、打率.251、4本塁打を記録した。
脇谷とベテラン木村拓也が一軍の二塁を埋め、二軍でも同タイプだが身体能力・守備力に優れた寺内崇幸、成長著しい高卒ルーキー坂本勇人の存在のためか、同年オフの育成目的の秋季キャンプのメンバーから外れている。オフにはフロリダでの二岡の自主トレに志願して同行したが、春季キャンプの紅白戦で自打球を足に受け、大部分の試合を負傷欠場してしまい、実力を発揮できないまま二軍落ちした。ファームでの出番も大幅に減っていたが、故障者続出により1軍昇格すると数少ないチャンスをものにし、7月11日にはお立ち台にも上がり、1軍で選んだ四球を原監督にも評価された。2軍再降格後は打率.305、出塁率.424と後半戦の主軸として活躍した。
[編集] プレースタイル・エピソード
- 飛びぬけた走力などは無いがバントや右打ちを器用にこなし、粘り強い打撃が持ち味。
- 内野全ポジションを守ることができる、カタログの上では扱いやすい選手ではあるが、視野が狭く捕球時にアマチェアレベルのイージーミスをする癖があるなど、課題は守備である。2008年、2軍再降格後は2軍で主軸級の活躍をみせたが、一塁手としての出場も多かった。
- かつての正遊撃手で2番打者川相昌弘を目標としているが、前述の守備難、2007年シーズン序盤にはイースタンリーグでも上田和明(イースタンリーグ査定担当)に連続バント失敗をコラムで叱責されており、際立ったセールスポイントが無いことから2軍での出番も年々減っていた選手である。しかしその後は中日井端弘和などのスタイルを参考に、1年かけて独力でバントの精度を上げ、打率.251に対し出塁率.342、四死球23に対して三振19など、粘り強いスタイルを確立し、翌年少ないチャンスをものにした。
[編集] 年度別成績
[編集] 打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | 巨人 | 2 | 2 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | 1.000 | 1.500 |
| 2005 | 14 | 20 | 18 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | .111 | .200 | .111 | .311 | |
| 2006 | 20 | 19 | 17 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 7 | 0 | .118 | .211 | .118 | .329 | |
| 2007 | 5 | 5 | 4 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .250 | .250 | .500 | .750 | |
| 2008 | 17 | 36 | 31 | 3 | 8 | 3 | 0 | 0 | 11 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 7 | 1 | .258 | .343 | .355 | .698 | |
| 通算:5年 | 58 | 82 | 72 | 8 | 14 | 5 | 0 | 0 | 19 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | 7 | 1 | 1 | 22 | 2 | .194 | .275 | .264 | .539 | |
- 2008年度シーズン終了時
[編集] 守備成績
| 年度 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2004 | - | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | |||||||||||||||
| 2005 | - | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2006 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 13 | 0 | 14 | 0 | 1 | 1.000 | 3 | 2 | 4 | 0 | 2 | 1.000 |
| 2007 | - | - | - | 3 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
| 2008 | 4 | 5 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 9 | 16 | 10 | 2 | 1 | .929 | 7 | 6 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
| 通算 | 5 | 7 | 2 | 0 | 2 | 1.000 | 13 | 20 | 14 | 2 | 1 | .944 | 23 | 6 | 19 | 0 | 2 | 1.000 | 8 | 3 | 10 | 0 | 2 | 1.000 |
[編集] 個人記録
- 初出場・初安打:2004年10月9日対広島東洋カープ28回戦(広島市民球場) 9回南和彰の代打、大竹寛から二塁打
- 初打点:2005年9月23日対中日ドラゴンズ20回戦(ナゴヤドーム) 8回鈴木義広から左前適時打
[編集] 背番号
- 36 (2004年 - 2007年)
- 52 (2008年 - )
[編集] 関連項目
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