平野恵一
| 阪神タイガース #5 | |
|---|---|
2008年7月4日、阪神甲子園球場にて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県川崎市多摩区 |
| 生年月日 | 1979年4月7日(32歳) |
| 身長 体重 |
169cm 66kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 二塁手、外野手、遊撃手 |
| プロ入り | 2001年 自由獲得枠 |
| 初出場 | 2002年7月19日 |
| 年俸 | 1億9,000万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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平野 恵一(ひらの けいいち、1979年4月7日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
神奈川県川崎市多摩区出身。川崎市立稲田中学校時代はリトルシニアの野球チームに所属する一方でサッカー部のレギュラーだった。桐蔭学園高校では遊撃手を務め、3年時には主将として第79回全国高等学校野球選手権大会に出場し、1回戦で小町裕貴を擁する如水館高校を破るも、2回戦の西京高校戦では延長10回の末に敗退。当時から守備は天才とも評された[誰によって?]。川岸強とは同級生でチームメイト、また当時同校のエースで後にプロでもチームメイトとなる浅井良とは高校3年間同じクラスだった。
高校卒業後は首都大学野球連盟所属の東海大学に進学し、遊撃手のレギュラーとして4年時に第50回全日本大学野球選手権で優勝した。リーグ戦通算82試合出場、305打数98安打、打率.321, 34打点。ベストナイン6回。2001年のドラフト自由枠でオリックス・ブルーウェーブに入団。
[編集] プロ入り後
1年目の2002年から好守の遊撃手として即戦力になることを期待されていたが応えられなかった。2003年からは二塁手にコンバートされた。同年は開幕スタメンに抜擢されたが不安定な送球による失策が多く、二塁から三塁手にコンバートされたホセ・オーティズと共にチームの守備を破綻させる一因となった。
2004年は打撃好調でシーズン通してレギュラー起用された。規定打席に到達し、10盗塁と三塁打7本を記録した。守備でも硬さが取れ、堅実なグラブ捌きを見せるようになった。
2005年は大阪近鉄バファローズとの球団合併に伴う選手分配ドラフトで同じ二塁手の水口栄二が加わったが、二塁手と外野手の併用で再三ファインプレーを見せた。開幕戦では8回表に松坂大輔からチーム初打点となる適時打を放ち、オリックス・バファローズとしての初打点を記録した。前半戦は3割を超える打率をキープし、規定打席に到達してチームトップの打率.285を記録。オールスターゲームにも出場し、新人賞を受賞した。東北楽天ゴールデンイーグルスとのカードでは、サヨナラ安打とセカンドライナーの好捕で2日連続のお立ち台も経験。同年オフの契約更改において一般女性と結婚し、第一子が誕生していたことを明かした。
2006年は中村勝広監督の方針で中堅手に専念する構想があったが、前年と同じく二塁手と外野手の掛け持ち状態となった。二塁手として出場した5月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦で風速10 m以上の強風が吹く中、ファウルフライを深追いし一塁フェンスに激突。打球は捕ったが胸部軟骨損傷、右腰の肉離れ、手首と右股関節の捻挫など選手生命を脅かしかねない大怪我を負いシーズンのその後を棒に振った。オフの契約更改で当初球団は公傷扱いにせず交渉が難航したものの、最終的には「公傷」という表現こそ使わなかったものの球団側が折れる形になった。同年10月21日にスカイマークスタジアムで行われた練習見学会では練習終了後の挨拶で「こんな小さな身体のボクを見て、頑張れば自分もプロ野球の選手になれるんじゃないか、と思ってくれているチビッコたちにひとこと言いたいと思います……そんなに甘かねぇぞ!」と発言、観客の爆笑を呼んだ。
2007年は主に中堅手として出場。テリー・コリンズ新監督に「1番バッターは彼しかいない」と絶賛されたが、故障と打撃不振で二軍との往復に終始。シーズン終了後、阿部健太と共に濱中治・吉野誠との2対2の交換トレードにより阪神に移籍した。この際、阪神の岡田彰布監督は「濱中を出すのはわかった。ただし、交換要員は平野でお願いする」とフロントに頼み込み、後に自身の著書『頑固力』(角川SSC新書、2008年)でも平野の重要性を説いた。
移籍初年度の2008年は外野手登録となったが関本賢太郎・藤本敦士・坂克彦らとの二塁手レギュラー争いにも参戦。オープン戦で結果を残したこともあって、2番・二塁手で開幕スタメン出場。1番・赤星憲広とのコンビは話題を呼び内外野両方でたびたび好守を見せるなど、チームのスタートダッシュに貢献した。同年は3年ぶりに規定打席に到達し、リーグ最多の47犠打を記録。オリックス時代の重傷からの復活を称えられ、セントラル・リーグのカムバック賞を受賞した。
2009年はクレイグ・ブラゼルの加入に伴い一時はスタメン落ちするも、赤星の怪我による離脱もあり、金本知憲・新井貴浩・鳥谷敬らクリーンナップに次ぐ自己最多の132試合に出場した。
2010年は真弓明信監督の指示で再び内野手登録となる。オールスターゲームに監督推薦で選出され、6年ぶりに遊撃手を務めた。シーズンでは二塁を中心に外野3ポジションも守る活躍を見せ、前年の自己最多を更新する139試合に出場して、青木宣親に次ぐリーグ2位の打率.350, 左打者ながら対左投手の打率は.399を記録した。球団新記録となる59犠打も挙げて二度目の最多犠打を記録。また、いずれも自身初となるベストナインとゴールデングラブ賞を二塁手部門で受賞した。
2011年は真弓監督から開幕前に二塁手固定で出場を明言されたものの、中堅手が固定できないチーム事情で中堅手と二塁手と兼任で守ることになってしまった。打撃ではリーグ5位の打率.295を記録し、昨年に続きベストナインとゴールデングラブ賞を二塁手部門で受賞した。
[編集] プレースタイル
主に二塁手や外野手として起用され、ダイビングキャッチや走塁時のヘッドスライディングなど思い切りの良いプレーを持ち味とする[1]。これらのようなプレーについて本人は「ケガを恐れていたらいいプレーは見せられないし、そもそもケガを恐れていたらそんなプレーはしていない」と語っている[要出典]。
野球選手としては小柄ながら、打撃では速球に力負けしないパンチ力を備える[2]。左打者ながら左投手に強く、阪神移籍後は2010年まで対右打率.276に対して左投手には打率.347を残している。2008年に両リーグ最多の47犠打を記録し、2010年には球団記録となる59犠打を記録したが、成功率の低さを指摘されることもあり、本人は「サインの関係もあるが、どうせなら自分もセーフになってやろうとした結果」と語っている。事実、犠打でバントをする際は、自分もセーフになろうとセーフティバントの構えでバントをする機会が殆どである[要出典]。
一塁到達3.77秒を記録する俊足を備えるが[3]、盗塁数は少なく成功率も2010年までの通算で59パーセントと高くない。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | オリックス | 7 | 24 | 22 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .227 | .261 | .227 | .488 |
| 2003 | 53 | 176 | 155 | 17 | 39 | 8 | 2 | 1 | 54 | 9 | 3 | 4 | 9 | 0 | 11 | 0 | 1 | 43 | 3 | .252 | .305 | .348 | .654 | |
| 2004 | 124 | 424 | 377 | 50 | 105 | 18 | 7 | 6 | 155 | 39 | 10 | 8 | 9 | 2 | 30 | 0 | 6 | 69 | 2 | .279 | .340 | .411 | .751 | |
| 2005 | 118 | 457 | 397 | 44 | 113 | 5 | 4 | 3 | 135 | 33 | 6 | 3 | 16 | 4 | 34 | 0 | 6 | 66 | 5 | .285 | .347 | .340 | .687 | |
| 2006 | 33 | 111 | 98 | 14 | 23 | 5 | 0 | 2 | 34 | 6 | 0 | 1 | 6 | 1 | 6 | 0 | 0 | 16 | 1 | .235 | .276 | .347 | .623 | |
| 2007 | 58 | 176 | 153 | 16 | 33 | 4 | 1 | 1 | 42 | 11 | 5 | 2 | 5 | 2 | 13 | 0 | 3 | 36 | 0 | .216 | .287 | .275 | .561 | |
| 2008 | 阪神 | 115 | 452 | 365 | 46 | 96 | 7 | 3 | 1 | 112 | 21 | 7 | 3 | 47 | 1 | 35 | 1 | 4 | 62 | 9 | .263 | .333 | .307 | .640 |
| 2009 | 132 | 462 | 404 | 56 | 109 | 15 | 5 | 0 | 134 | 18 | 3 | 0 | 28 | 1 | 22 | 1 | 7 | 53 | 5 | .270 | .318 | .332 | .650 | |
| 2010 | 139 | 593 | 492 | 77 | 172 | 22 | 5 | 1 | 207 | 24 | 6 | 7 | 59 | 1 | 34 | 0 | 7 | 55 | 2 | .350 | .399 | .421 | .820 | |
| 2011 | 142 | 615 | 542 | 62 | 160 | 13 | 5 | 1 | 186 | 29 | 6 | 7 | 34 | 1 | 33 | 1 | 5 | 67 | 6 | .295 | .341 | .343 | .684 | |
| 通算:10年 | 921 | 3490 | 3005 | 383 | 855 | 97 | 32 | 16 | 1064 | 192 | 47 | 35 | 214 | 13 | 219 | 3 | 39 | 469 | 33 | .285 | .340 | .354 | .694 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | ||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2003 | 16 | 44 | 50 | 6 | 7 | .940 | - | 37 | 54 | 101 | 6 | 19 | .963 | - | ||||||||||
| 2004 | 74 | 137 | 209 | 2 | 37 | .994 | 3 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 3 | 0 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | 44 | 82 | 4 | 1 | 2 | .989 |
| 2005 | 115 | 221 | 350 | 10 | 84 | .983 | - | - | 11 | 9 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | ||||||||||
| 2006 | 7 | 7 | 10 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | 30 | 58 | 6 | 0 | 2 | 1.000 | ||||||||||
| 2007 | - | - | - | 56 | 94 | 1 | 2 | 0 | .979 | |||||||||||||||
| 2008 | 95 | 204 | 275 | 5 | 57 | .990 | - | - | 44 | 57 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 2009 | 79 | 148 | 198 | 5 | 25 | .986 | - | - | 79 | 93 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 2010 | 125 | 305 | 351 | 9 | 82 | .986 | - | - | 44 | 31 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 2011 | 110 | 225 | 270 | 5 | 48 | .990 | - | - | 67 | 96 | 1 | 3 | 0 | .970 | ||||||||||
| 通算 | 621 | 1291 | 1713 | 42 | 341 | .986 | 3 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 40 | 54 | 107 | 6 | 19 | .964 | 375 | 520 | 20 | 6 | 5 | .989 |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 表彰
[編集] 記録
- 初出場:2002年7月19日、対福岡ダイエーホークス12回戦(福岡ドーム)、6回裏に二塁手として出場
- 初打席:同上、7回表に渡辺正和の前に一ゴロ
- 初先発出場:2002年7月22日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(千葉マリンスタジアム)、2番・二塁手として出場
- 初安打:2002年9月21日、対大阪近鉄バファローズ25回戦(グリーンスタジアム神戸)、1回裏に高村祐から二塁内野安打
- 初打点:2002年9月22日、対大阪近鉄バファローズ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回裏にマイク・ジョンソンから右前適時打
- 初盗塁:2002年10月13日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回裏に二盗(投手:岩隈久志、捕手:藤井彰人)
- 初犠打:2002年10月14日、対日本ハムファイターズ28回戦(グリーンスタジアム神戸)、3回裏に正田樹から
- 初本塁打:2003年7月4日、対日本ハムファイターズ13回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に金村曉から右越ソロ
- 200犠打:2011年6月15日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(阪神甲子園球場)、3回裏にダルビッシュ有から ※史上31人目
- オールスターゲーム出場:3回(2005年、2010年、2011年)
[編集] 背番号
- 9 (2002年 - 2007年)
- 5 (2008年 - )
[編集] 登場曲
- GOT TO BE REAL - C+C MUSIC FACTORY
[編集] 脚注
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、308頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2005』 白夜書房、2005年、60頁。ISBN 4-86191-015-3。
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、307頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
[編集] 関連項目
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