浅井良

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浅井 良
阪神タイガース #8
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市戸塚区
生年月日 1979年7月19日(32歳)
身長
体重
176cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手捕手
プロ入り 2001年 自由獲得枠
初出場 2002年5月1日
年俸 3,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

浅井 良(あさい りょう、1979年7月19日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手外野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

神奈川県横浜市戸塚区出身。桐蔭学園高校では2年の途中まで捕手を務め、秋季神奈川県大会準決勝で敗退して以降は投手に転向し、川岸強に替わってエースとなった。3年夏には第79回全国高等学校野球選手権大会に出場して1回戦で小町裕貴を擁する如水館高校に勝利し、2回戦で西京高校に延長10回の末敗れた。高校時代の同級生には川岸強や後に阪神でチームメイトとなる平野恵一がおり、平野とは3年間同じクラスだった。

高校卒業後は東京六大学野球連盟法政大学に進学して捕手に再転向し、持ち前の強肩盗塁阻止率8割超を記録したが、「盗塁阻止率記録無しが目標」とし、盗塁は不可能と思わせて盗塁企図自体をさせないことを目指していた。大学での初安打本塁打など思い切りのいい打撃でも頭角を現し、4年秋のリーグ戦では本塁打と打点の二冠王を獲得し、大学最後の打席でも本塁打を放った。リーグ戦通算69試合出場、197打数56安打、打率.284、3本塁打、36打点。ベストナイン2回。

2001年のプロ野球ドラフト会議阪神タイガース自由獲得枠で入団。大学の先輩でバッテリーを組んでいた安藤優也と同期入団となり、再びチームメイトとなった。

[編集] プロ入り後

大学時代に評判だった強肩は制球難で悪送球を繰り返し一軍に定着出来なかったが、パンチ力のある打撃は一軍レベルという声も多く聞かれた。

2005年から打撃を生かすために外野手にも挑戦。2006年は相性の良い江草仁貴が先発する試合を中心に捕手としてスタメン起用される機会も増え、矢野燿大に次ぐ第2捕手となった。

2007年狩野恵輔や新人の清水誉が開幕一軍に入り、二軍でのスタートになった。矢野の故障で交流戦中に一軍昇格し、外野手としてスタメン出場することもあったが捕手を務めることはなく、二軍でも外野手や一塁手としての出場がほとんどだった。同年オフ、本格的に野手転向することを宣言。新人の時から「矢野さんを一気に超えるのは無理」と公言していたが、数年経っても同じことを言っていることに気づき、プロで数年やっても40歳近くになった矢野に追いつけないようでは捕手として一生一人前になれないと悟り、野手に専念する決意をしたという。

2008年から正式に外野手登録となったが、緊急時の第3捕手としても期待され[1]、シーズン初出場となった4月6日の対読売ジャイアンツ戦では捕手として途中出場した。相手先発投手サウスポーの時に時折右翼手として、赤星憲広が首痛や不眠の影響でスタメン落ちした際には中堅手としてスタメン出場した。6月7日の対福岡ソフトバンクホークス戦ではチームが長年苦手としている杉内俊哉から同点適時打を放ち、初のお立ち台に上がった。

2009年は赤星の代わりに中堅手、桜井広大が負傷で離脱した際には右翼手を務め、9月16日の対巨人戦では4安打を放ち、二塁打が出ずサイクル安打を逃した。同年は自己最多の50試合に出場し、打撃面でも自己最高成績を記録した。

2010年には、金本や桜井の不調で中盤以降はスタメンや守備固めで出場することが多くなった。主に中堅手として出場したが、9月9日に野手を全て使いきった状態で、クレイグ・ブラゼルの退場により、一塁手として入った。クライマックスシリーズ第1ステージでは最後の打者となった。

[編集] プレースタイル

初球や早いカウントから仕掛ける思い切りの良いスイングが特徴で、センターから左への打球方向が多い。反面、四球を選ぶことは少なく、IsoDは極端に低い傾向にある。

安打数のうち二塁打・三塁打の割合が比較的多い中距離打者である。

外野守備について福本豊は、「足速いし落下点までも速い。肩も良い。広い甲子園のセンターを十分任せられる」と評し、同じく捕手から外野手に転向した飯田哲也のようになって欲しいと語ってる。

[編集] 人物

芸人陣内智則と親交があり、陣内が司会を務めていた「なるトモ!」において、よく話題にされた。また、無類のコンビニエンスストア好きでもある。

プロボクサー名城信男とも仲が良く、トレーニングを共にする仲である。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2002 阪神 32 63 59 3 12 2 0 0 14 4 0 0 1 0 2 0 1 17 1 .203 .242 .237 .479
2003 37 36 34 4 8 0 0 1 11 5 1 0 1 0 0 0 1 7 1 .235 .257 .324 .581
2005 35 49 48 8 12 3 0 1 18 3 1 0 1 0 0 0 0 6 1 .250 .250 .375 .625
2006 40 59 56 5 15 2 0 2 23 3 0 1 0 0 2 0 1 10 3 .268 .305 .411 .716
2007 5 9 8 1 2 0 0 0 2 1 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .250 .250 .250 .500
2008 31 52 48 3 12 3 1 0 17 4 1 1 3 0 1 0 0 8 0 .250 .265 .354 .619
2009 50 107 96 11 30 2 2 4 48 13 3 1 7 0 3 0 1 28 2 .313 .340 .500 .840
2010 85 166 148 19 44 8 0 3 61 14 4 3 4 1 11 3 2 42 1 .297 .352 .412 .764
2011 63 75 65 6 9 4 0 0 13 5 0 1 2 1 6 0 1 15 0 .138 .219 .200 .419
通算:9年 378 616 562 60 144 24 3 11 207 52 10 7 20 2 25 3 7 135 9 .256 .295 .368 .663
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 年度別守備成績


捕手 一塁手 外野手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2002 27 91 10 3 2 2 .971 12 6 6 .500 - -
2003 8 17 2 1 0 0 .950 4 3 1 .250 - -
2005 11 32 2 1 0 0 .971 2 1 1 .500 - 1 1 0 0 0 1.000
2006 22 93 4 2 1 2 .980 6 5 1 .167 - -
2007 - - 2 2 0 0 0 1.000
2008 2 1 0 0 0 0 1.000 - 16 15 1 0 1 1.000
2009 - - 34 41 0 0 0 1.000
2010 - 1 2 1 0 0 1.000 76 105 2 3 0 .973
2011 - - 58 33 2 0 1 1.000
通算 70 234 18 7 3 4 .973 1 2 1 0 0 1.000 186 201 5 3 2 .986
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 12 (2002年 - 2006年)
  • 8 (2007年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

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