ホセ・オーティズ

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ホセ・オーティズ
Jose Ortiz
José Ortiz 2011.jpg
ソフトバンク時代(2011年4月16日 福岡 Yahoo! JAPAN ドーム)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 1977年6月13日(34歳)
身長
体重
177cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手一塁手三塁手左翼手
プロ入り 1994年 ドラフト外
初出場 MLB / 2000年9月15日
NPB / 2003年3月28日
最終出場 MLB / 2002年9月27日
年俸 8,000万円(2010年)
経歴(括弧内は在籍年)

ホセ・オーティズJosé Daniel Ortiz , 1977年6月13日 - )は、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 経歴

1994年に17歳でオークランド・アスレチックスとメジャー契約を結び、高い身体能力は早くから注目されていた。2000年9月15日メジャーデビューを果たし、翌年は途中移籍したコロラド・ロッキーズで13本塁打を記録した。

2001年、MLB開幕戦、シアトル・マリナーズのメジャー初打席イチローのセカンドゴロを捕った。

2003年オリックス・ブルーウェーブに入団。1年目から33本塁打を記録し、長打の面では期待に応えた。5月3日の対西武戦ではサイクル安打を達成している。しかしチャンスには弱く併殺打も多かった。また、二塁の守備では打球処理が雑で状況判断も悪く失策を連発し、24失策はリーグワーストであった。

2004年は、この年から監督に就任した伊原春樹によって一塁手転向された。打撃面ではまずまずの数字を残したものの、18失策と結局守備難は解消されなかった。1億円を超える高額な年俸、またこの年チームが近鉄と合併するなどの事情も重なり、同年オフに解雇された。

オリックス退団後は、アメリカの独立リーグメキシカンリーグでプレーした。この間、投手としてのプレーも経験するなど、辛酸をなめた。

2007年6月25日フリオ・ズレータの故障で右打ちの内野手の補強を目指していた千葉ロッテマリーンズに入団。ロッテでは第1号を満塁本塁打で飾るなど勝負強さが向上しており、またオリックス時代は失格の烙印を押された二塁の守備も堅実で幾度もチームのピンチを救い、毒舌解説で知られる倉持明に絶賛される程であった。シーズンのおおよそ半分の出場ではあったが、この年の失策数はわずか2であった。

2008年は後述の「グラブ投げ付け事件」が話題になってしまったが、二塁の守備自体はこの年も安定していた。内野ならどこでも守れ、チーム事情から一塁や三塁を守ることも多かったが、それらのポジションを不得手としていた(ちなみに、2007年9月16日のオリックス戦では、守備機会はなかったが9回裏に遊撃手を守った)。一塁や三塁よりも、二塁や遊撃手のように敏捷に動き回る守備の方が得手としていた。打撃の数字自体は外国人としてはやや物足りなく、夏場に約1ヶ月戦線離脱したこともあって規定打席には達しなかったが、この年のロッテ外国人野手の中では一番良い数字を残した。また、この年は1番以外の全打順でスタメン出場したが、故障からの復帰後は2番で起用されることが多かった。他にも、二塁走者時に浅めのレフトフライが上がって、並みの選手ではタッチアップが困難だが、三塁へタッチアップを成功させるなど好走塁も見られた年だった。

12月2日に自由契約公示され、去就は保留となっていたが、2009年1月16日に退団が発表された。

その後、メキシコリーグでプレーしていたが、2009年4月17日福岡ソフトバンクホークスへの入団が決まった。松田宣浩が開幕戦で右手中指を骨折し全治2カ月と診断され、チーム編成を再考することを余儀なくされた。「開幕ロースター漏れの選手よりも、日本球界が分かっている外国人選手のほうがいい」という王貞治会長の進言で、メキシコリーグでプレーしていたオーティズの獲得が決まった[1]。日本球界復帰後初出場となる4月28日の対西武戦で岸孝之から初打席初本塁打、5月8日の対西武戦でアレックス・グラマンから逆転サヨナラ2ラン本塁打を放った。8月21日の対日本ハム戦ではダルビッシュ有から2本塁打を放った。ダルビッシュが同じ打者に1試合2本塁打を打たれたのは入団以来初めての事だった。ソフトバンクでは主に三塁と左翼手の守備に就いている。ロッテ時代は打順を固定されず、本来の長打力も発揮できていなかったが、ホークスにおいてはクリーンナップに固定されたこともあって、2009年と2010年には20本塁打以上を打ち、持ち味の長打力を発揮している。

2011年は、ケガに苦しみ7本塁打に終わった。同年オフ自由契約となり退団となった。

[編集] プレースタイル

打撃ではロッテ時代までは内角への対応に課題を残すプルヒッターだったが、ソフトバンク移籍後からコンパクトなスイングに変え、右方向への安打も増えるようになった[2]。2010年には3番時に21本塁打、6番時にはボールコンタクトを意識したバッティングで打率.318を残すなど打順によってバッティングを変えている[3]

走塁では一塁到達まで4.25秒をマークするなど平均以上のスピードは備えている[4]。守備では内野の全ポジションを守ることのできるユーティリティプレーヤー。本来の守備位置は二塁手だが、ソフトバンクでは三塁手、外野手、指名打者での出場が主となり、2011年からは外野手登録となった。

[編集] 人物・エピソード

  • 非常に明るい性格で、ファンからも人気が高い。
  • 両腕を上げ天を見上げるパフォーマンスが一時期チーム内で流行し、多村仁志本多雄一などが真似していた。
  • イチローメジャーデビュー戦で最初の打席に打ったセカンドゴロをとったのはこのオーティズである。
  • ファーストネームが「ホセ」であることから、千葉ロッテでの応援歌はかつてホセ・フェルナンデスの応援歌だったもの(原曲は『リパブリック讃歌』)が使用されていた。
  • 2008年5月4日千葉マリンスタジアムでの西武戦で二塁守備時に栗山巧が打った一二塁間を抜けようかという打球にグラブを投げて止めたため、野球規則により安全進塁権を3つ与え3塁打にしてしまった。西武の黒江透修ヘッドコーチ(当時)はこのプレーについて「40年以上の野球人生で見たことがない」と発言している。このあと石井義人の犠牲フライにより失点につながっている。このプレーに関して本人は相当ショックを受けたらしく、首脳陣はカウンセリングを受けさせる事すら検討した。
  • オリックス退団後、メジャーや日本で生き残るには守備を上達させないといけないと実感し猛練習したという。伊原春樹が守備の細かいことに口出しするのを当時は不快に感じたが、今では彼の言っていることは正しいと思い、指導者として尊敬しているという。
  • 前述のサイクルヒットを達成したときにもらった時計をとても大切にしている。
  • 2009年9月15日京セラドーム大阪でのオリックス戦にてホームチームスタジアムDJが「ホセ・オーティズ」とコールするところを当時オリックスに所属していたホセ・フェルナンデスと誤ってコールしたことがある(ホークスの攻撃の前のオリックスのラストバッターがホセ・フェルナンデスであった為)。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 OAK 7 13 11 4 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 2 0 0 3 0 .182 .308 .182 .490
2001 11 46 42 4 7 0 0 0 7 3 1 0 0 1 3 0 0 5 4 .167 .217 .167 .384
COL 53 224 204 38 52 8 1 13 101 35 3 1 1 1 14 0 4 36 5 .255 .314 .495 .809
'01計 64 270 246 42 59 8 1 13 108 38 4 1 1 2 17 0 4 41 9 .240 .297 .439 .736
2002 65 215 192 22 48 7 1 1 60 12 2 0 2 2 16 0 3 30 3 .250 .315 .313 .627
2003 オリックス 127 517 470 70 120 29 2 33 252 86 4 4 2 5 36 2 4 84 13 .255 .311 .536 .847
2004 128 526 477 70 138 28 0 24 238 71 4 4 0 2 40 6 7 87 11 .289 .352 .499 .851
2007 ロッテ 67 272 250 33 71 18 0 7 110 39 2 3 0 3 19 1 0 51 3 .284 .331 .440 .771
2008 100 373 337 52 97 21 1 11 153 37 1 1 1 2 32 1 1 61 8 .288 .349 .454 .803
2009 ソフトバンク 109 458 411 54 116 24 2 20 204 74 2 1 0 8 36 1 3 81 8 .282 .338 .496 .835
2010 117 457 415 63 112 19 0 24 203 81 1 0 1 3 31 1 7 91 8 .270 .329 .489 .818
2011 80 205 186 11 40 9 0 7 70 15 0 1 0 2 16 1 1 44 8 .215 .278 .376 .654
MLB:3年 136 498 449 68 109 15 2 14 170 51 6 1 3 4 35 0 7 74 12 .243 .305 .379 .684
NPB:7年 728 2808 2546 353 694 148 5 126 1230 403 14 14 4 25 210 13 23 499 59 .273 .331 .483 .814

[編集] 年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 - 105 200 282 17 59 .966 14 17 26 7 4 .860 - -
2004 127 1071 94 18 116 .985 - - - -
2007 6 28 2 0 3 1.000 63 164 160 2 31 .994 - 1 0 0 0 0 ---- -
2008 35 201 12 3 17 .986 40 84 100 5 20 .974 19 8 29 5 3 .881 - -
2009 - - 39 21 54 8 4 .904 - 65 96 4 5 0 .952
2010 1 2 0 0 0 1.000 - 19 7 28 2 4 .946 - 76 84 3 5 0 .946
2011 13 91 7 1 5 .990 - - - 14 20 0 1 0 .952
通算 182 1393 115 22 141 .986 208 448 542 24 110 .976 91 53 137 22 15 .896 1 0 0 0 0 ---- 155 200 7 11 0 .950

[編集] 記録

NPB

[編集] 背番号

  • 2 (2000年 - 2001年途中、2002年)
  • 12 (2001年 - 同年終了)
  • 8 (2003年 - 2004年)
  • 4 (2007年 - 2008年)
  • 49 (2009年 -2011年)

[編集] 脚注

  1. ^ 再来日の覚悟が見えたオーティズの箸使い。
  2. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、350頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  3. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、25頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  4. ^ 『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、179頁。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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