ホセ・オーティズ

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ホセ・オーティズ
Jose Ortiz
福岡ソフトバンクホークス #49
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 1977年6月13日(32歳)
身長
体重
177cm
77kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 内野手
プロ入り 1994年 ドラフト外
初出場 MLB / 2000年9月15日
NPB / 2003年3月28日
最終出場 MLB / 2002年9月27日
経歴(括弧内は在籍年)

ホセ・オーティズJosé Daniel Ortiz, 1977年6月13日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手内野手)。ドミニカ共和国出身。

目次

[編集] 経歴

1994年に17歳でオークランド・アスレチックスとメジャー契約を結び、高い身体能力は早くから注目されていた。2000年9月15日メジャーデビューを果たし、翌年は途中移籍したコロラド・ロッキーズで13本塁打をマークした。

2003年オリックス・ブルーウェーブに入団。1年目から33本塁打をマークし、長打の面では期待にこたえた。5月3日西武戦ではサイクル安打を達成している。しかしチャンスには弱く併殺打も多かった。また、二塁の守備では打球処理が雑で状況判断も悪く失策を連発し、24失策はリーグワーストであった。

2004年は、この年から監督に就任した伊原春樹によって一塁手コンバートされたが、打撃面ではまずまずの数字を残したものの、18失策と結局守備難は解消されなかった。1億円を超える高額な年俸、またこの年チームが近鉄と合併する等の事情も重なり、同年オフに解雇された。

オリックス退団後は、アメリカの独立リーグメキシカンリーグでプレーした。この間、投手としてのプレーも経験するなど、辛酸をなめた。

2007年6月25日フリオ・ズレータの故障で右打ちの内野手の補強を目指していた千葉ロッテマリーンズに入団。ロッテでは第1号を満塁ホームランで飾るなど勝負強さが向上しており、またオリックス時代は失格の烙印を押された二塁の守備も堅実で幾度もチームのピンチを救い、毒舌解説で知られる倉持明に絶賛されるほどであった。シーズンのおおよそ半分の出場ではあったが、この年の失策数はわずか2であった。

2008年は後述の「グラブ投げ付け事件」が話題になってしまったが、二塁の守備自体はこの年も安定していた。内野ならどこでも守れ、チーム事情から一塁や三塁を守ることも多かったが、不得手としていた(ちなみに、2007年9月16日のオリックス戦では、守備機会はなかったが9回裏に遊撃手を守った)。一塁や三塁よりも、二塁や遊撃手のように敏捷に動き回る守備の方が得手としていた。打撃の数字自体は外国人としてはやや物足りなく、夏場に約1か月戦線離脱したこともあって規定打席には達しなかったが、この年のロッテ外国人野手の中では一番良い数字を残した。また、この年は1番以外の全打順でスタメン出場したが、故障からの復帰後は2番で起用されることが多かった。他にも、二塁走者時に浅めのレフトフライがあがって、並みの選手ではタッチアップが困難だが、三塁へタッチアップ成功させるなど好走塁も見られた年だった。

12月2日に自由契約公示され、去就は保留となっていたが、2009年1月16日に退団が発表された。

その後、メキシコリーグでプレーしていたが、2009年4月17日、長打力のある打者の補強を目指していた福岡ソフトバンクホークスが獲得を発表。来日初打席となる4月28日の西武戦で来日初打席初本塁打を放った。ソフトバンクでは主に三塁と左翼手の守備に就いている。

[編集] エピソード

  • イチローメジャーデビュー戦で最初の打席に打ったセカンドゴロをとったのはこのオーティズである。
  • ファーストネームが「ホセ」であることから、千葉ロッテでの応援歌はかつてホセ・フェルナンデス(現・オリックス)の応援歌だったもの(原曲は『リパブリック讃歌』)が使用されていた。
  • 2008年5月4日千葉マリンスタジアムでの西武戦で二塁守備時に栗山巧が打った一二塁間を抜けようかという打球にグラブを投げて止めたため、野球規則により安全進塁権を3つ与え3塁打にしてしまった。西武の黒江透修ヘッドコーチはこのプレーについて「40年以上の野球人生で見たことがない」と発言している。このあと石井義人の犠牲フライにより失点につながっている。このプレーに関して本人は相当ショックを受けたらしく、首脳陣はカウンセリングを受けさせる事すら検討した。
  • オリックスを退団後、メジャーや日本で生き残るには守備を上達させないといけないと実感し猛練習したという。伊原春樹が守備の細かいことに口出しするのを当時は不快に感じたが、今では彼の言っていることは正しいと思い、指導者として尊敬しているという。
  • 前述のサイクルヒットを達成したときにもらった時計をとても大切にしている。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
2000 OAK 7 13 11 4 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 2 0 0 3 0 .182 .308 .182 .490
2001 11 46 42 4 7 0 0 0 7 3 1 0 0 1 3 0 0 5 4 .167 .217 .167 .384
COL 53 224 204 38 52 8 1 13 101 35 3 1 1 1 14 0 4 36 5 .255 .314 .495 .809
'01計 64 270 246 42 59 8 1 13 108 38 4 1 1 2 17 0 4 41 9 .240 .297 .439 .736
2002 65 215 192 22 48 7 1 1 60 12 2 0 2 2 16 0 3 30 3 .250 .315 .313 .628
2003 オリックス 127 517 470 70 120 29 2 33 252 86 4 4 2 5 36 2 4 84 13 .255 .311 .536 .847
2004 128 526 477 70 138 28 0 24 238 71 4 4 0 2 40 6 7 87 11 .289 .352 .499 .851
2007 ロッテ 67 272 250 33 71 18 0 7 110 39 2 3 0 3 19 1 0 51 3 .284 .331 .440 .771
2008 100 373 337 52 97 21 1 11 153 37 1 1 1 2 32 1 1 61 8 .288 .349 .454 .803
MLB:3年 136 498 449 68 109 15 2 14 170 51 6 1 3 4 35 0 7 74 12 .243 .305 .379 .684
NPB:4年 422 1688 1534 225 426 96 3 75 753 233 11 12 3 12 127 10 12 283 35 .278 .335 .491 .826

[編集] 年度別守備成績

年度 位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 二塁手 105 200 282 17 59 .966
三塁手 14 17 26 7 4 .860
2004 一塁手 127 1071 94 18 116 .985
2007 一塁手 6 28 2 0 3 1.000
二塁手 63 164 160 2 31 .994
遊撃手 1 0 0 0 0 -
2008 一塁手 35 201 12 3 17 .986
二塁手 40 84 100 5 20 .974
三塁手 19 8 29 5 3 .881

[編集] NPB個人記録

[編集] 背番号

  • 8(2003年 - 2004年)
  • 4(2007年途中 - 2008年)
  • 49(2009年途中 - )

[編集] 関連項目

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