平野佳寿

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平野 佳寿
オリックス・バファローズ #16
Hirano yoshihisa.jpg
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府宇治市
生年月日 1984年3月8日(30歳)
身長
体重
186 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 希望入団枠
初出場 2006年3月26日
年俸 1億9,000万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

平野 佳寿(ひらの よしひさ、1984年3月8日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

京都府宇治市出身。小学3年時に軟式少年野球チームの「小倉リトルズ」で野球を始め、捕手内野手としてプレー。宇治市立北宇治中学校時代は軟式野球部に所属して投手に転向。鳥羽高校在学中に同校は第72回選抜高等学校野球大会第82回全国高等学校野球選手権大会第73回選抜高等学校野球大会と3季連続で甲子園に出場するが、腰痛もあって2番手投手に甘んじ選手権大会ではベンチ入りメンバーからも外れた。

関西六大学野球連盟所属の京都産業大学に進学後は2年時からエースとして活躍し、大学ナンバーワン右腕と評された。大学通算56試合登板、36勝11敗、防御率1.33、404奪三振。最優秀選手2回、最優秀投手4回、ベストナイン4回受賞。36勝、404奪三振のリーグ新記録を樹立し、関西運動記者クラブによる第49回(平成17年度)関西スポーツ賞(個人の部)に選出された。

2005年大学・社会人ドラフトにおいて希望枠でオリックスに入団。入団会見では「10勝以上勝って新人王を獲得したい」と語った。

プロ入り後[編集]

2006年はプロ初先発となった3月30日の楽天戦で初勝利を挙げ、4月6日の千葉ロッテマリーンズ戦では新人で一番乗りとなる完封勝利を挙げた。前日まで完封勝利を挙げた投手がおらず、新人でシーズン一番乗りとなる完封勝利の可能性があったが、平野が完封勝利を挙げる約9分前にダルビッシュが完封勝利を挙げシーズン一番乗りの完封勝利は逃した。その後も長谷川滋利以来の新人3完封勝利を序盤戦で達成するなどの活躍を見せ、北海道日本ハムファイターズ八木智哉とハイレベルな新人王争いを繰り広げ、共にオールスターに監督推薦で選ばれた。しかし、監督の中村勝広が「平野は新人王のために完投させる」と公言し完投を強いて、セ・パ交流戦では先発ローテーションをずらしてまで読売ジャイアンツ戦、阪神タイガース戦に登板させた結果、課題の立ち上がりの悪さが露呈し、序盤で試合を壊すなど成績が急激に悪化してオールスター後は僅か1勝しか挙げられなかった。最終的に松坂大輔に次ぐリーグ2位の10完投、4完封を記録したものの、7勝11敗と2桁勝利を逃し、被安打はリーグ2位を記録。新人王争いも八木に軍配が上がった。

2007年はスライダー中心の投球から、カーブ、フォークを多めに使う投球に変化した。特にフォークで三振を奪うシーンが目立ち、奪三振数は前年より増えリーグ10位を記録する等、多くの面で改善が見られた。一方で新監督のテリー・コリンズの方針により、100球前後の球数制限が設けられたため、完投は98球で無四球完封勝利した7月24日の日本ハム戦と8月7日のロッテ戦の2試合だけに終わった。なお、前者の試合では同姓の平野恵一が先制本塁打に追加点となる犠牲フライを放ち、2人が試合後のお立ち台に上がる「ダブル平野」でのお立ち台が実現した。また、球数制限を意識するあまりストライクゾーンに球を集め過ぎたのが災いしたのか、シーズン序盤は被本塁打が多く、中盤以降は減ったものの通年では川越英隆に次いでリーグ2位の18被本塁打。前年を上回る8勝を挙げて防御率も良化したが、援護がなかったり、中盤に炎上するなど点の取られ方が悪く、前年同様シーズン後半になると失速していく傾向も変わらず、リーグワーストの13敗を記録した。9月24日の対ロッテ戦では抑えとして登板。「今後も抑えで起用したい」と監督のコリンズは発言したが、同年最終登板となった9月30日の対埼玉西武ライオンズ戦では先発した。秋季キャンプではコリンズにチェンジアップの習得と直球の制球力向上を命じられた。

2008年は「チームにとっても、自分にとってもおめでたい年になれば」という意味を込めて、自身のグラブに“寿”の一文字を縫い込み、「自身の成績がチームの勝敗を左右する」と発言するなど、「次期エース」ではなく、「エース」としての自覚をもって臨む決意を示していたが、シーズンイン直前に肘痛で離脱。検査の結果、骨の断片が肘に入っている状態(遊離軟骨)であることが判明し、3月27日に神戸市内の病院で遊離軟骨の除去手術を受けた。8月8日、一軍の練習に参加し、状態は完全ではないとしながらもフリー打撃に登板した。また、フォームを従来の常時セットアップからワインドアップに修正したが一軍登板はなかった。

2009年は開幕ローテーション入りを果たすも、4月11日逆流性食道炎でわずか先発1度のみで登録抹消。なお、これにより体重が大幅減、復帰後もその影響により本来の調子が取り戻せず、この年は不振に苦しむこととなる。再昇格した5月24日の対巨人戦に先発し、6回1失点で2007年9月30日以来602日ぶりに勝利投手となった。その後、5月31日の横浜ベイスターズ戦では9回を6安打無失点に抑え、2007年8月7日以来662日ぶりの完封勝利を挙げた。しかし、6月になると不安定な投球が目立ち、そこから全く勝てなくなってしまう。7月からは好投する時こそ増えたものの、今度は打線の援護に恵まれないケースばかりが先行し、3勝目をあげたのは、9月12日の西武戦になってからだった。最終的には3勝12敗、防御率4.72と大幅に負けが先行する成績に終わった。

2010年は新監督の岡田彰布がリリーフ転向を明言。2月27日の阪神とのオープン戦こそ先発するも3回7失点で、以降中継ぎとして起用。しかしこれがはまり、シーズンを通してセットアッパーとして定着した。特にストレートが常時140キロ後半を超えるほど球威が復活し、ピンチの場面でもストレートで三振を奪う場面が多く見受けられた。またこの年、ルーキーイヤー以来となるオールスターにも出場するなど、最終的に63試合に登板し、防御率1.67、39ホールドポイント、奪三振はリリーフでリーグ最多の101奪三振を記録した。

2011年も開幕からセットアッパーとして活躍。リーグ最多の72試合に登板し、前年とほぼ同じ投球回数である83.2回を投げて99奪三振を記録。2年連続でオールスターに監督推薦で選ばれた。セットアッパーとして43ホールド・49ホールドポイントをあげて、何れもリーグ新記録を樹立して最優秀中継ぎ投手のタイトル獲得とパ・リーグ特別表彰を受賞した。オフの契約更改で1億2000万円(推定)でサインし、1億円プレイヤーの仲間入りを果たした。防御率こそ前年の1.67より少し悪化して1.94となったが、WHIPは1.18から0.78と良化している。一方で、クライマックス・シリーズ進出を争った西武とは、11試合で防御率5.68、全18失点中の8失点を喫し、直接対決の最終戦となった10月6日の対戦では、同点での9回裏に登板するも制球を乱してサヨナラ負けを喫する等、やや相性が悪かった。

2012年も開幕からセットアッパーとして君臨。またシーズン前に行われた3月10日の東日本大震災復興支援ベースボールマッチで日本代表に選出され、8回に登板し1回を無失点に抑える。しかし、前半戦は過去2年の疲労からか失点するケースがやや目立ち、特に6月は12試合の登板で被打率.327、防御率4.50と不安定な投球が目立った。それでも8月以降は23試合の登板でわずか2失点に抑える等、夏場からは本来の調子を取り戻した。結局、リーグ3位の70試合に登板して、チーム2位の7勝、防御率2.15の成績を収め、投球回数79.2回で80奪三振を記録し、3年連続で奪三振数が投球回数を上回り、終盤には抑えの岸田の離脱もあり抑えを任せられ、9セーブを上げた。また、故障や不振で入れ替わりの激しい投手陣というチーム事情にあって、投手・日本人選手として唯一年間通して一軍登録された。

2013年は開幕より抑えとして登板して絶対的守護神として君臨し、佐藤達也比嘉幹貴とともに強力リリーフを形成。リーグ2位の31セーブをあげる。

選手としての特徴[編集]

平野の投球フォーム

平均球速約148km/h[1]、最速156km/hのストレートに、フォークボールスライダーカーブを投げる。 非常に強力な球威とスピードをもつストレートが最大の武器であり、投球の7~8割をストレートが占める。 変化球で特筆すべきはフォークボールで、鋭い変化と大きな落差で空振りを奪う決め球に使われることが多い。 先発時代は大学時代からの決め球であるスライダー、カーブも織り交ぜていたが、リリーフ転向後はほぼ全てストレートとフォークボールで配球を組み立てている。 この2球種の完成度が極めて高いので、多数の三振を奪うことができる。

球種以外の特徴として挙げなければならないのは、制球力である。 2012年シーズン、平野は79回2/3を投げて、四球はわずかに5しか与えていない。 現在、投手の能力を測る有力な指標の一つとしてK/BBが注目されることが多いが、この指標の平野の値は、 リリーフに転向して以降、2010年3.60、2011年5.82、2012年16.00、2013年5.07と突出した数字を記録している。 一般にK/BBは3.50以上で優れた投手とされるので、平野の値は飛び抜けたものであることが分かる。 速球派でありながら、優れたコマンドとコントロールを持ち合わせる。

連投やイニング跨ぎなどの過酷な登板にも耐えるスタミナに加え、怪我が少ないのも優れた特徴といえる。

先発時代は9回まで145km/hを超えることができるスタミナがありながらも序盤の立ち上がりの悪さと集中力を切らす悪癖があり、序盤や中盤で失点してしまうことが多く先発投手としては大成しきれなかった。

人物[編集]

高校時代に同じ京都府出身の今江敏晃(現・千葉ロッテマリーンズ)に本塁打を打たれたというが、「今江は覚えていないかも」と週刊ベースボール誌上で話した。

2007年シーズン前には完投数を増やすことを目標の一つに挙げた。

座右の銘は「一所懸命」。これはアマチュア時代の監督の教えからの影響である。

プライドの高い性格でもあり、実家の母親への電話は自身が打たれて負けた試合の言い訳が殆どだという[2]。また、自身が打たれた翌日の新聞には目を通さない主義であると語っている[3]

2011年12月、結婚した[4]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 オリックス 26 24 10 4 0 7 11 0 0 .389 730 172.1 182 12 39 2 6 105 3 2 82 73 3.81 1.28
2007 27 26 2 2 1 8 13 0 0 .381 710 171.2 172 18 28 0 5 124 1 0 75 71 3.72 1.17
2009 20 18 2 1 0 3 12 0 0 .200 495 114.1 129 14 38 0 0 91 2 0 60 60 4.72 1.46
2010 63 0 0 0 0 7 2 2 32 .778 334 80.2 67 4 28 1 1 101 3 0 19 15 1.67 1.18
2011 72 0 0 0 0 6 2 2 43 .750 317 83.2 48 4 17 2 2 99 5 0 18 18 1.94 0.78
2012 70 0 0 0 0 7 4 9 21 .636 307 79.2 65 4 5 1 2 80 6 0 21 19 2.15 0.88
2013 60 0 0 0 0 2 5 31 9 .286 258 62.2 57 2 14 0 1 71 1 0 16 13 1.87 1.13
通算:7年 338 68 14 7 1 40 49 44 105 .449 3151 765.0 720 58 169 6 17 671 21 2 291 269 3.16 1.16
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

  • パ・リーグ特別表彰:1回(リーグ新の43ホールド、49ホールドポイント:2011年)

記録[編集]

投手記録
打撃記録
その他記録
  • オールスターゲーム出場:5回(2006年、2010年 - 2013年)
  • 月間セーブ:11(2014年3.4月) ※パリーグタイ記録

背番号[編集]

  • 16 (2006年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]