西本聖
| 千葉ロッテマリーンズ コーチ #71 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 愛媛県松山市 |
| 生年月日 | 1956年6月27日(55歳) |
| 身長 体重 |
176cm 81kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1974年 ドラフト外 |
| 初出場 | 1976年4月15日 |
| 最終出場 | 1993年10月1日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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西本 聖(にしもと たかし、1956年6月27日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(投手)・野球解説者。
江川卓とともにエースとして巨人の一時代を築き、巨人退団後は中日、オリックスでもプレーした。選手生活晩年に巨人へ復帰して引退。2011年現在、ドラフト外入団の投手では最多の165勝の記録を持つ。
引退後は野球解説者を務めていたが、2003年には阪神の一軍投手コーチを務めた。阪神のコーチ辞任後は再び野球解説者を務めていたが、2010年よりロッテのコーチとして現場に復帰。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 巨人時代
松山商から、1974年のドラフト外で長嶋茂雄監督率いる巨人に入団。同球団は当初は内野手として考えていたという報道も見られる。
打撃投手としての登板でも全力投球したり、電車に乗る時につま先立ちをして筋力を鍛えたりするなど、野球に対する真摯な姿勢と並外れた練習量が実を結び、2年目の1976年に敗戦処理ながら対阪神戦で一軍で初登板を果たす。8点ビハインドの8回裏に登板したこの試合では第1打者のマイク・ラインバックに本塁打を打たれ、その後も安打を打たれ3失点。同年の一軍登板はこの1試合だったが、イースタン・リーグでは最多勝を獲得した。翌年3年目の1977年には8勝を挙げて一軍に定着し、その後は江川卓と共にエースとして巨人の一時代を支えた。
1980年から1985年まで6年連続2桁勝利を記録した。特に1981年の活躍は秀逸で、18勝を挙げてリーグ優勝に貢献し沢村賞を受賞。この年は江川が投手五冠を成し遂げたが、西本の沢村賞の理由として、開幕ダッシュに貢献した西本と独走態勢に入ってから成績を残した江川との差が評価されたものであるとか、投球フォームが沢村に似ているから、などと説明された。この選考についてマスコミから嫌われている江川から西本に投票が流れたのではないかという疑問が投げかけられ、翌年よりマスコミによる投票からプロ野球OBによる投票へと変更された。
この年はキャンプ中に留守宅の夫人が自宅のガス爆発により重傷を負っていたため、キャンプの仕上がりは不十分であり、開幕投手予想の大勢は江川であったという。しかし、当時の藤田元司監督は西本が逆境に強い性格であることを見抜き、開幕投手に指名した。開幕戦を勝利した西本はウイニングボールを持って病院に向かい病床の夫人を見舞った[2]。
1981年の日本シリーズでは1完封を含む2完投勝利を挙げMVPを受賞した。第2戦では、日本シリーズ初の毎回奪三振の記録も作った。(日本シリーズでの毎回奪三振は、以降長きに渡って誰も達成できなかったが、2008年の日本シリーズ第4戦に西武の岸孝之が達成した)
1983年の日本シリーズでは第2戦、第5戦の完投勝利で敢闘賞を獲得した。日本シリーズでの成績はすばらしく、連続イニング無失点記録がある他、シュートを武器に内野ゴロの山を築いていった西本らしく、内野ゴロ補殺数など多数ある。
1987年4月10日に後楽園球場で行われた中日ドラゴンズとの開幕戦で開幕投手として先発し、この年にロッテオリオンズから移籍してきた中日の4番・落合博満との対戦で、西本は落合に対し全打席全球シュートを投げた。その結果、1本だけはセンター前にヒットを打たれたものの4打数1安打と封じ込め、自身も完封勝利を収めた。「パ・リーグで三冠王だといってもここはセ・リーグ、パ・リーグとは違う」というセ・リーグの投手としてのプライドがあったからだといわれている。また『全球シュート』は研究に研究を重ねてたどり着いたのではなく、当日のマウンドで落合と向かい合ったときにひらめいたという。なお、落合はこの年無冠に終わっている。これには西本は「もし江川投手が開幕投手だったら江川さんは僕みたいに偏ったピッチングはしないので、他チームの投手は江川さんの攻め方を参考にしたはず。僕の攻め方があったからこそ落合さんは無冠に終わったんだろう。」と語っている。また、この時に中日の監督だった星野仙一はこのピッチングを見ていつか西本を獲得しようと決意し、2年後にトレードを実現させた[3]。
同期入団でドラフト1位だった定岡正二をライバルとしていたが、後に江川がライバルとなった。藤田監督は、両者を競わせることで、好成績に繋げた。江川とは8年間開幕投手を争った。その後は皆川睦雄投手コーチとの確執もあり思うような成績を残すことが出来なかった。球団は二人を和解させようとしてオフに和解ゴルフをさせたがマスコミには「茶番劇」と書かれ、二人のギクシャクした関係はとても和解したとは言い難かった。
[編集] 中日・オリックス時代
1987年にライバル江川が引退し、翌年4勝に終わると、1989年に中尾孝義との交換トレードで加茂川重治と共に中日に移籍する。移籍1年目に20勝で最多勝のタイトルを斎藤雅樹と共に獲得。1991年に椎間板ヘルニアの手術を受け、1992年は1勝にとどまり自由契約となる。1993年に巨人時代の先輩でもあり西本の理解者だった土井正三が監督をしていたオリックス・ブルーウェーブに移籍し、先発で5勝を挙げるも契約交渉が決裂して再び自由契約となる。
[編集] 引退試合
1994年に巨人に復帰したものの、当時投手コーチの堀内恒夫が復帰に猛反発した事が影響し、一軍登板は無く、同年に引退した。当初はシーズン中の引退試合も検討されたが、チームが最終戦まで中日と優勝争いを繰り広げた(10.8決戦)ために見送られ、入団以来のライバルで親友でもある定岡正二の企画の下、多摩川グラウンドで引退試合を行った。
定岡は自分の仲間を集めてサダーズを結成し西本と対戦、西本チームには彼を師匠と慕う、桑田真澄、山本昌広、中村武志、立浪和義、平井正史といった彼が所属した球団にいた選手たちが集まった。試合には当時の監督の長嶋茂雄も始球式のために駆けつけたが、最終回に急遽代打として登場。引退試合最後のバッターボックスに立ったが、1975年の入団時と1994年の復帰時のいずれも監督を務めていた長嶋を打ち取り、20年にわたるプロ生活を終えた。引退試合に参加した選手は、西本の影響があるかどうかは不明であるが、その後も長く現役で活躍を続けている選手が多い[4]。
[編集] 引退後
引退後は文化放送・日刊スポーツの野球解説者(1995年 - 2002年および2004年 - 2009年)。2003年は阪神の投手コーチを務め、チームがリーグ優勝した後、星野仙一監督勇退の後を追うように自身もチームを去った。
2010年、千葉ロッテマリーンズの一軍投手兼バッテリーチーフコーチに就任。2011年からは若手育成のため二軍投手コーチに異動し、代わって成本年秀二軍投手コーチが一軍投手コーチに就任。2012年からは、再び一軍投手コーチに就任。
[編集] 西本のシュート
当時監督だった長嶋は西本のシュートを初めて見た時、「このシュートは天下一品のシュートだ。これだけで勝てる」と絶賛した。西本のシュートは球速より、変化量と切れ味を重視しており、カミソリシュートと呼ばれた平松政次とは対照的である。
好調時のシュートは、アウトコースからインコースぎりぎりに曲がるので、打者の大きな脅威となった。
他チームの指導者は右打者に対し、「西本が真ん中から中寄りに投げてきたら絶対に振るな(空振りに終わる)」と指導していた。
初期の頃は、シュートと直球と稀にカーブを投げる投球スタイルだったが、球威の衰えた後年は、シュートとシンカーを駆使して徹底的にゴロを打たせるというスタイルに変更している。
1983年の日本シリーズ第5戦で稀代のホームランバッターの田淵幸一は野球人生で初めてバットを短く持って本塁打を打った。試合後に田淵は「あのシュートを攻略するためにプライドを捨てた」と発言している。後に西本は野球評論家となった梨田昌孝のインタビューに、「忘れられない1球」としてこの田淵の本塁打を挙げている。このシリーズで西武は第1戦で江川の攻略に成功し、「このシリーズはもらった」と思った選手が多かったらしい。しかし、第2戦で西本のシュートに封じ込められた西武打線は、即座に西本マークに切り換え、宿舎でミーティングを重ねた。それが功を奏し、降雨で1日順延となった第7戦、中1日で先発(シーズン中、当時の巨人は中5日の先発ローテーションが確立されており、また本シリーズでは第6戦のリリーフ登板があった)・好投を続けていた7回裏、疲労からかシュートの切れが若干鈍った西本をとうとう攻略し、満塁からテリー・ウィットフィールドの走者一掃の二塁打で逆転に成功し、そのまま日本一に輝いた。しかし当時の西武主力打者陣は後に、「西本が中2日(の休養)で第7戦に先発してきていたら、危うかった」と振り返っている。このシリーズでの西本のシュートの切れが、後に語り継がれる日本シリーズの名勝負を産んだ、とも言える。
[編集] エピソード
- 江川とは犬猿の仲と言われたこともあったが、実際にはこの二人は仲が良く、オフには「伊東会」のメンバーとして共にゴルフに行ったり、引退後は二人並んでテレビ出演したりしている。
- 2003年、巨人のライバル球団である阪神のコーチを務めたときに、両球団のファン心理を「巨人ファンにとって巨人は趣味の一つ。阪神ファンにとって阪神は生活の一部」と表現した。
- 阪神コーチ退任後、2005年の阪神のことをインタビューされて「藤川球児を中継ぎで使っているから阪神はダメ。彼はポカをするからリリーフ向きではない」とTVで非難したが、その後の藤川はリリーフとして(2011年現在まで)活躍している。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 1.0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 27.00 | 4.00 |
| 1977 | 47 | 7 | 2 | 1 | 0 | 8 | 5 | 4 | -- | .615 | 486 | 118.0 | 115 | 10 | 31 | 5 | 5 | 54 | 1 | 0 | 44 | 35 | 2.67 | 1.24 | |
| 1978 | 56 | 12 | 2 | 0 | 0 | 4 | 3 | 2 | -- | .571 | 553 | 129.1 | 136 | 9 | 42 | 10 | 2 | 64 | 8 | 0 | 58 | 54 | 3.76 | 1.38 | |
| 1979 | 44 | 17 | 5 | 1 | 2 | 8 | 4 | 6 | -- | .667 | 631 | 153.0 | 143 | 13 | 38 | 5 | 6 | 85 | 4 | 0 | 54 | 47 | 2.76 | 1.18 | |
| 1980 | 36 | 30 | 15 | 2 | 2 | 14 | 14 | 2 | -- | .500 | 906 | 222.0 | 223 | 20 | 40 | 6 | 2 | 118 | 0 | 1 | 74 | 64 | 2.59 | 1.18 | |
| 1981 | 34 | 34 | 14 | 3 | 3 | 18 | 12 | 0 | -- | .600 | 1020 | 257.2 | 232 | 23 | 55 | 7 | 3 | 126 | 0 | 0 | 84 | 74 | 2.58 | 1.11 | |
| 1982 | 37 | 33 | 14 | 0 | 0 | 15 | 10 | 1 | -- | .600 | 1093 | 262.0 | 252 | 22 | 64 | 7 | 6 | 124 | 0 | 1 | 93 | 75 | 2.58 | 1.21 | |
| 1983 | 32 | 32 | 13 | 2 | 5 | 15 | 10 | 0 | -- | .600 | 1013 | 239.1 | 265 | 29 | 45 | 7 | 4 | 122 | 0 | 0 | 116 | 102 | 3.84 | 1.30 | |
| 1984 | 31 | 28 | 17 | 2 | 3 | 15 | 11 | 0 | -- | .577 | 923 | 224.2 | 218 | 24 | 55 | 10 | 2 | 91 | 0 | 0 | 91 | 78 | 3.12 | 1.22 | |
| 1985 | 33 | 26 | 8 | 2 | 1 | 10 | 8 | 2 | -- | .556 | 717 | 169.2 | 184 | 26 | 44 | 6 | 1 | 66 | 0 | 1 | 91 | 76 | 4.03 | 1.34 | |
| 1986 | 22 | 20 | 3 | 1 | 2 | 7 | 8 | 0 | -- | .467 | 445 | 104.0 | 114 | 9 | 24 | 5 | 2 | 33 | 1 | 0 | 50 | 45 | 3.89 | 1.33 | |
| 1987 | 26 | 20 | 3 | 2 | 0 | 8 | 8 | 0 | -- | .500 | 544 | 130.0 | 131 | 19 | 22 | 2 | 7 | 67 | 1 | 0 | 64 | 53 | 3.67 | 1.18 | |
| 1988 | 15 | 9 | 1 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | -- | .571 | 261 | 64.2 | 60 | 3 | 12 | 0 | 2 | 35 | 0 | 0 | 30 | 28 | 3.90 | 1.11 | |
| 1989 | 中日 | 30 | 30 | 15 | 5 | 2 | 20 | 6 | 0 | -- | .769 | 979 | 246.2 | 231 | 22 | 39 | 11 | 12 | 96 | 1 | 0 | 73 | 67 | 2.44 | 1.09 |
| 1990 | 25 | 25 | 6 | 2 | 2 | 11 | 9 | 0 | -- | .550 | 726 | 174.1 | 193 | 12 | 22 | 3 | 6 | 71 | 2 | 0 | 80 | 63 | 3.25 | 1.23 | |
| 1991 | 6 | 6 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 157 | 39.2 | 37 | 2 | 8 | 0 | 0 | 23 | 1 | 0 | 16 | 14 | 3.18 | 1.13 | |
| 1992 | 16 | 14 | 2 | 0 | 0 | 1 | 11 | 0 | -- | .083 | 336 | 75.2 | 104 | 15 | 13 | 2 | 2 | 25 | 0 | 1 | 45 | 41 | 4.88 | 1.55 | |
| 1993 | オリックス | 13 | 12 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | -- | .500 | 284 | 65.1 | 83 | 2 | 14 | 1 | 2 | 39 | 0 | 1 | 39 | 32 | 4.41 | 1.48 |
| 通算:18年 | 504 | 355 | 122 | 23 | 22 | 165 | 128 | 17 | -- | .563 | 11080 | 2677.0 | 2724 | 261 | 569 | 87 | 64 | 1239 | 19 | 5 | 1105 | 951 | 3.20 | 1.23 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
[編集] 表彰
- 沢村賞:1回 (1981年)
- ゴールデングラブ賞:8回 (1979年 - 1985年、1989年)
- 日本シリーズMVP:1回 (1981年)
- 日本シリーズ敢闘賞:1回 (1983年)
- 月間MVP:2回 (1989年7月、1989年9月)
- 最優秀JCB・MEP賞:1回 (1989年)
- カムバック賞 (1989年)
[編集] 記録
- オールスターゲーム出場:8回 (1980年 - 1984年、1986年、1989年、1990年)
[編集] 背番号
- 58 (1975年 - 1976年)
- 26 (1977年 - 1988年)
- 25 (1989年)
- 24 (1990年 - 1992年)
- 52 (1993年)
- 90 (1994年)
- 71 (2003年、2010年、2012年 - )
- 81 (2011年)
[編集] 関連情報
[編集] 出演番組
[編集] CM出演
1981年には小林脳行の看板商品の粉末クレンザー「キッチンタニック」「バスタニック」のCMに単独出演。はごろも缶詰のオレンジジュース「こつぶ」のCMにはマリアンと共演している。
[編集] 歌
- 愛あるかぎり
- 男
[編集] 出典・脚注
- ^ 1966年のドラフト1位であった。西本の野球に対するストイックな姿勢は、ドラフト1位でプロ入りしながら挫折した兄からのプロ意識に対する教えが影響しているといわれる。広島時代の同期である三村敏之は明和について「長年たくさんの野球選手を見て来たが、これほど熱心に練習に取り組んだ選手はいなかった」と評している。
- ^ 『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。 p.62~ 1981年のシーズン、江川とのライバル関係等他
- ^ 『日本プロ野球トレード大観』ベースボール・マガジン社、2001年、116頁
- ^ 【1月21日】1995年(平7) 雑草エース西本聖、万感の多摩川引退試合に「代打長嶋」 - スポニチ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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