館山昌平

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館山 昌平
東京ヤクルトスワローズ #25
YS-Shohei-Tateyama.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県厚木市
生年月日 1981年3月17日(30歳)
身長
体重
181cm
93kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト3巡目
初出場 2003年7月20日
年俸 1億9,000万円(2012年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)

館山 昌平(たてやま しょうへい、1981年3月17日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手投手)。

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

小学生の頃、当時同級生であった三橋直樹に誘われたことをきっかけに野球を始める。高校時代は日大藤沢高に在学し、横浜高松坂大輔と度々投げあいを演じた。1997年秋の神奈川県大会決勝では0-9で横浜高校相手に敗退。関東大会決勝で再び横浜高校の松坂と対戦し、延長10回まで投げ抜いて、0-1で敗戦投手となった。1998年春のセンバツに出場、準決勝で久保康友のいた関大一高と対戦し、6回から3回無失点の好リリーフを見せるも3-5で敗戦。同年春の関東大会決勝で三度横浜高の松坂と投げ合い、延長13回150球超を投げながらも、0-1で敗戦投手となった。夏の県大会はベスト4どまりで、夏の甲子園出場は叶わなかった。この試合を、後に松坂は「ベストゲーム」に選んでいる。

その後、東都日大に進学。2001年春季のリーグ戦はエースとして活躍しチーム17季ぶりの優勝に貢献。リーグ戦通算36試合に登板し8勝6敗、防御率2.24。同期に村田修一堤内健大野隆治がいる。2001年の3年時には、東都大学野球春季リーグの優勝に貢献。日本代表にも選ばれ、ワールドカップに出場。2002年ドラフト3巡目でヤクルトに指名され入団。

[編集] プロ入り後

2003年7月に初めて一軍に昇格すると、7月20日に7点差負けの9回に初登板。先発陣が手薄だった事もあり、8月から先発ローテーションに定着。以降9度先発して0勝3敗と、好投を続けたものの勝ち星に恵まれなかった。

2004年キャンプ中に右肘の靭帯を断裂。3月に手術を受け、以降リハビリのため二軍のマウンドにも立てずにシーズン終了。

2005年4月に一軍復帰すると、4月27日にプロ初勝利を挙げる。7月30日甲子園での阪神戦で完封勝利(被安打4・無四球)。一年間ローテーションを守り、10勝を挙げる。10月に2歳年上の女性と結婚。右手薬指と小指の感覚が鈍いという理由で11月に右肘の再手術を受けた[2]

2006年は手術の影響から開幕に間に合わず、5月の一軍復帰後に5度先発登板するものの、計23失点で1勝3敗と結果を残せなかった。しかし、中継ぎ転向後は徐々に安定感を取り戻し、6月27日にはプロ入り初セーブを記録。9月には抑えも任される。最終的には自己最多の44試合に登板。

2007年は開幕当初は中継ぎとして好投し、5月からは先発、7月末から抑えと度々配置転換が行われた。しかし、先発で好投しても援護に恵まれず、また抑え転向後も救援失敗も多く、最終的に防御率3.17でありながら12敗(3勝5S)を喫した。7月から翌年4月にかけて自身9連敗も記録。ただ、一度も二軍に降格することなくシーズンを通して一軍の戦力として貢献した。オフの契約更改では、母方の祖父が作成した、球団公式ホームページやスポーツ新聞の記事をパソコンで打ち直し、細かい試合経過や意見が添えられた、ルーズリーフ約200ページに及ぶ「07年館山昌平データ」を持参し、3時間半に及ぶ交渉を行った。その結果、球団取締役から「前例がなく評価が難しかったが、数字にはあらわれない部分が多かった」と評価され、当初の提示額より300万多い、1600万アップ(推定年俸6200万)となった[3]

2008年にシーズンを通して先発ローテーション入りを果たす。開幕直後こそ出遅れたが、リーグ第2位となる援護率5.60と打線の援護にも恵まれ、勝ち星を量産。約2ヶ月勝ち星に見放されている時期もあったが、最終的に12勝を挙げ、自身初のタイトルである最優秀勝率投手を獲得。防御率も2.99を記録。オールスターゲームにも初出場。オフの契約更改では年俸1億円の3年契約(総額3億円)を結んだ。

2009年千葉県館山市の「スポーツ大使」に就任[4]。館山市が同じ名前であることにちなんで館山にオファーを出し、それを快諾したもの。2009年1月24日に任命式があり、翌25日には館山若潮マラソンのスターターを務め、10キロの部に飛び入り参加している。4月28日の中日戦で4年ぶりの無四球完投勝利(被安打7、失点1)。5月28日のオリックス戦で2008年8月から続く連勝を12に伸ばし、57〜58年の金田正一による球団記録を51年ぶりに更新、記録は14まで伸ばしたものの6月26日の巨人戦で7失点を喫し記録は止まった。7月22日の阪神戦で4年ぶりの完封勝利。昨年に続けて2度目のオールスターに出場した。後半戦は8月にマメをつぶして1度登録抹消となったが、それ以外は年間通してローテーションを守り、10月8日の阪神戦(神宮)で完封勝利し、16勝目を挙げ、吉見一起と共にセ・リーグ最多勝のタイトルを初受賞。チームが借金1でシーズンを終えた中、館山1人で貯金10を稼ぎ、ヤクルト球団初のクライマックス・シリーズ出場に貢献した。

2010年は故障の影響から1年ローテーションを守ることができなかったものの、中盤以降は安定した投球を披露。最後の登板となった広島戦で完封勝利を果たすと同時に規定投球回にも到達した。最終的に12勝を挙げリーグ最多の4完封2無四球試合、防御率は2.93としリーグ3位を記録する。また阪神、中日、広島から各3勝ずつを挙げた。

2011年はヤクルトの右腕エースとして躍動。防御率は自己最高となる2.04を記録し完投・完封もリーグトップを記録。WHIPも1.00を切るなど投球内容ではキャリアハイを記録した。しかし、援護が少ないことや血行障害を発病するなど好成績の裏側で苦しんだ投球が続いた。

[編集] 選手としての特徴

プロ入り後にサイドスロースリークォーターと言われることもある)に転向。以前は最速153km/h、常時145km/h前後の速球シュートツーシーム)、スライダーを中心とした組み立てであったが[5]、2008年頃から2種類の大小のフォークボール(本人曰くフォークボールとスプリットらしい)、カットボールを習得し、成績が向上した[5]。他にナックルカーブチェンジアップシンカーも投げることが出来る。コントロールが良く、多彩な球種を同じ投球フォームで投げることが出来る[5]。また、先発、中継ぎの両方の役割を担うことができる器用さを持つため起用法の一定しない時期もあったが、自身は「便利屋さんが僕の生きる道」とも語っている[5]

毎試合前に、体の切れを把握するために50m走のタイムを計っている。タイムは6秒5を基準に判断しているようで、これを切れない場合は入念な調整を行う。自己ベストは6秒08[要出典]

近年の活躍から石川雅規が左のエース、館山が右のエースと呼ばれる事が多いが、館山本人は「本来エースは1人でいいわけで、エースは石川さんです[6]「エースというのは由規のように速い球を投げる投手のことを言うんです。僕は違います」[要出典]などと述べている。

投手でありながら打撃へのこだわりもあり、2010年の球団公式プロフィールでは「安打10本、長打3本」と宣言している[7]。実際に8月6日の横浜戦では大家友和から1回表に3ラン本塁打を放った。{{要出典範囲|先発投手が初回投球前に本塁打を打ったのは1988年の広島長冨浩志がヤクルト戦で3ランを打って以来である。|date=2012年1月2010年の安打数は5本と目標に届かなかったが、長打は3本打ちこちらはクリアした。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003 ヤクルト 10 9 0 0 0 0 3 0 -- .000 208 50.1 51 11 10 1 3 37 0 0 29 29 5.19 1.21
2005 25 25 1 1 1 10 6 0 0 .625 622 150.1 151 14 28 4 4 105 1 0 70 66 3.95 1.19
2006 44 6 0 0 0 2 5 5 16 .286 359 79.2 98 7 21 6 8 61 2 0 41 35 3.95 1.49
2007 45 15 2 0 0 3 12 5 5 .200 558 127.2 129 14 39 6 10 115 5 0 57 45 3.17 1.32
2008 24 24 0 0 0 12 3 0 0 .800 628 153.1 137 13 31 1 7 99 5 0 54 51 2.99 1.10
2009 27 27 5 2 2 16 6 0 0 .727 798 188.1 195 20 45 2 11 126 2 0 77 71 3.39 1.27
2010 21 21 4 4 2 12 7 0 0 .632 607 147.2 147 17 24 2 4 112 6 1 55 48 2.93 1.16
2011 26 25 7 3 2 11 5 0 1 .688 699 180.2 146 12 29 1 6 130 1 0 43 41 2.04 0.97
通算:8年 222 152 19 10 7 66 47 10 22 .584 4479 1078.0 1054 108 227 23 53 785 22 1 426 386 3.22 1.19
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] タイトル

  • 最多勝:1回 (2009年)
  • 最高勝率(当時連盟表彰なし):1回 (2008年) ※セントラル・リーグでは、1972年まで表彰

[編集] 表彰

[編集] 記録

投手記録
打撃記録
  • 初安打:2003年8月10日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、5回表に河本育之から右前安打
  • 初打点:2005年10月11日、対横浜ベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)、6回裏に門倉健から中前2点適時打
  • 初本塁打:2010年8月6日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)、1回表に大家友和からバックスクリーンへの3ラン本塁打
その他の記録

[編集] 背番号

  • 25 (2003年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ スポーツニッポン館山は1億9000万円で更改 新たに4年契約結ぶ
  2. ^ 館山投手、右ヒジを手術東京ヤクルトスワローズ 過去のニュース
  3. ^ 燕・館山が1600万円増でサイン サンスポ(Internet Archive)
  4. ^ 週刊ベースボール2009年2/21号増刊 54頁「同じ名前つながりで大使に」
  5. ^ a b c d テレビ朝日『GET Sports』「プロ野球は死なず 東京ヤクルトスワローズ 館山昌平」2009年6月28日
  6. ^ 週刊ベースボール 2009年12/14号 2009プロ野球記録集計号 ISBN 4910204421296
  7. ^ 25館山昌平 東京ヤクルトスワローズ公式サイト

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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