加藤伸一

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加藤 伸一
福岡ソフトバンクホークス コーチ #72
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鳥取県倉吉市
生年月日 1965年7月19日(49歳)
身長
体重
181 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 ドラフト1位
初出場 1984年4月30日
最終出場 2004年9月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

加藤 伸一(かとう しんいち、1965年7月19日 - )は、鳥取県倉吉市出身の元プロ野球選手投手)。

2011年から福岡ソフトバンクホークス二軍投手コーチを務める。

来歴[編集]

倉吉北高校1年次から速球派投手として期待される。練習試合ではあるが、鳥取西高校戦でノーヒットノーランも記録している。最上級生に進級した際は、チームの不祥事で対外試合禁止処分となってしまった。結局、加藤の公式戦登板は2年夏の1試合(3-8鳥取城北高校)のみだったが、この試合での登板がスカウトたちの目にとまった。1983年ドラフト1位で南海ホークスに入団する。鳥取県の高校生として史上初のドラフト1位指名でもあった。

シュートを武器として入団1年目から活躍し、同年代である藤本修二畠山準と共に『トリオ・ザ・10代』と呼ばれた。また南海ホークスが福岡市に移転し福岡ダイエーホークスが誕生した際に(1989年3月)、博多駅井筒屋の壁面に成長株の同僚である佐々木誠(同い年同期入団)と「福岡の、新しい顔です」というコピーとともに、新球団の真新しいユニフォームに身をつつんだ全身写真の垂幕が飾られた。移転1年目のこの年は、自身初のシーズン二桁勝利となる12勝を挙げる。

しかし1990年に右肩故障によりプロ入り後初めて一軍登板なしに終わると、その後も故障に悩まされ、1992年からの2年間は一軍での登板がなかった。1995年も右肩痛が原因で一軍登板できず、オフに戦力外通告を受ける。

1996年広島東洋カープに移籍し9勝を挙げカムバック賞を獲得するなど再び活躍を見せるが、1998年にチームの若返り策や高額年俸が原因として自由契約となる。

1999年オリックス・ブルーウェーブに移籍。自由契約の身ではあったが、前年より契約条件が良い契約であった。2001年に先発の一角として11勝を上げる。2002年にはFA宣言により大阪近鉄バファローズに移籍し、2004年に引退した。引退は戦力外や球団合併が関わっているが、引退を決める前は他球団での現役続行を希望していた。だが獲得球団はなかった。

引退後、2005年よりRKB毎日放送日刊スポーツで解説者を務める傍ら、プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに参加。また同年、郷土鳥取で社会人野球チーム・鳥取キタロウズの創設に関わり、以降監督を務める。

2011年シーズンから福岡ソフトバンクホークス二軍投手コーチに就任する。

人物[編集]

ダイエーを自由契約になり広島へ移籍した以降も福岡に居を構えている。オリックスからFA宣言時には当時の福岡ダイエーホークスも声をかけ、福岡に加藤の自宅があることを好材料に交渉を行ったが不首尾に終わった。引退後も福岡を拠点に野球解説者としての活動を行い、ホークスのOBとして野球教室に参加することもあった。

いわゆる昭和40年生まれの選手で構成された「40年会」一員(同会の会員は古田敦也山本昌佐々木誠八木裕水野雄仁吉井理人池山隆寛香田勲男紀藤真琴村上隆行長嶋一茂ら)。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1984 南海
ダイエー
33 3 0 0 0 5 4 4 -- .556 314 75.0 62 7 37 4 1 46 0 0 25 23 2.76 1.32
1985 34 21 9 1 0 9 11 1 -- .450 818 189.1 180 32 87 5 9 79 2 1 100 86 4.09 1.41
1986 22 15 6 0 0 3 10 2 -- .231 469 107.2 105 20 46 4 4 52 3 0 61 56 4.68 1.40
1987 14 12 2 1 1 4 5 0 -- .444 332 78.0 87 0 22 0 2 31 1 0 33 28 3.23 1.40
1988 27 22 2 0 1 8 10 3 -- .444 607 138.2 164 20 42 2 4 53 3 0 77 70 4.54 1.49
1989 26 25 8 2 0 12 8 1 -- .600 758 176.2 193 19 62 6 7 68 3 0 81 72 3.67 1.44
1991 14 14 1 0 0 2 7 0 -- .222 348 77.2 97 12 24 2 2 24 1 0 54 52 6.03 1.56
1994 17 16 1 0 0 3 5 0 -- .375 346 80.1 88 6 25 1 4 32 1 0 44 43 4.82 1.41
1996 広島 25 25 2 1 0 9 7 0 -- .563 644 152.1 159 12 35 1 3 55 1 2 71 64 3.78 1.27
1997 17 9 0 0 0 1 5 0 -- .167 231 49.1 72 13 14 1 4 18 3 1 42 41 7.48 1.74
1998 22 22 3 1 0 8 6 0 -- .571 608 141.2 157 15 27 1 5 62 5 2 64 47 2.99 1.30
1999 オリックス 19 17 4 3 3 6 5 1 -- .545 402 98.2 99 8 20 0 3 44 1 2 40 38 3.47 1.21
2000 24 14 4 0 0 3 6 0 -- .333 402 94.0 103 15 23 0 2 42 1 3 57 52 4.98 1.34
2001 27 26 2 0 0 11 7 0 -- .611 703 168.1 175 27 45 1 3 92 1 1 78 69 3.69 1.31
2002 近鉄 2 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 40 7.1 14 2 3 0 1 4 1 0 8 8 9.82 2.32
2003 16 16 0 0 0 6 6 0 -- .500 355 82.0 98 10 21 1 5 23 1 0 46 39 4.28 1.45
2004 11 10 0 0 0 2 3 0 -- .400 216 47.1 63 13 12 0 3 18 2 0 39 37 7.04 1.58
通算:17年 350 269 44 9 5 92 106 12 -- .465 7593 1764.1 1916 231 545 29 62 743 30 12 920 825 4.21 1.39
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
  • 初登板:1984年4月30日、対西武ライオンズ6回戦(大阪球場)、6回表1死に2番手で救援登板、2回2/3を1失点
  • 初奪三振:同上、6回表に秋山幸二から
  • 初勝利:1984年5月5日、対ロッテオリオンズ7回戦(大阪球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初先発:1984年5月11日、対阪急ブレーブス7回戦(阪急西宮球場)、7回1/3を3失点で敗戦投手
  • 初セーブ:1984年7月31日、対西武ライオンズ19回戦(大阪球場)、8回表に2番手で救援登板・完了、2回1失点(自責点0)
  • 初先発勝利・初完投勝利:1985年4月7日、対阪急ブレーブス2回戦(阪急西宮球場)、9回4失点
  • 初完封勝利:1985年6月17日、対近鉄バファローズ14回戦(大阪球場)
節目の記録

背番号[編集]

  • 17 (1984年 - 1995年)
  • 12 (1996年 - 1998年)
  • 1 (1999年 - 2001年)
  • 14 (2002年 - 2004年)
  • 72 (2011年 - )

関連情報[編集]

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出演番組[編集]

関連項目[編集]