香川伸行

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香川 伸行
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県阿波郡阿波町(現:阿波市
生年月日 1961年12月19日(52歳)
身長
体重
172 cm
98 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手三塁手
プロ入り 1979年 ドラフト2位
初出場 1980年7月8日
最終出場 1989年10月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

香川 伸行(かがわ のぶゆき、 1961年12月19日[1] - )は、大阪府大阪市西成区出身(徳島県生まれ[1])の元プロ野球選手捕手内野手)、野球監督、野球解説者

野球選手としては非常に横幅の大きな体格で、水島新司野球漫画ドカベン』の主人公・山田太郎に体型が似ていたことから、ドカベンの愛称で呼ばれた。マスターズリーグでは、その「ドカベン」を登録名にしていた。

経歴[編集]

高校時代[編集]

浪商高校牛島和彦とバッテリーを組み、高校3年の1979年に第51回選抜高等学校野球大会で準優勝。同年の第61回全国高等学校野球選手権大会にも出場し、3試合連続本塁打を放つなどの活躍を見せたが惜しくも準決勝で敗退。当時の体格は身長172cm、体重95kgであった。

プロ時代[編集]

鈍足で肩も強肩とは言えず、捕手としての評価は賛否両論がありながらも、ドラフト2位で南海ホークスに指名され入団。1980年の対近鉄戦(投手・井本隆)ではボールカウント0-3から日生球場レフト場外への特大の初打席初本塁打を放った。

1983年には規定打席に達しなかったものの打率.313、15本塁打でベストナインに選出された[1]。しかし、その後は太り過ぎにより成績が下降。これは、人柄の良い香川が、関係者からの食事の誘いを断れなかったからだとされる。体重が130kgを超えたと報じられたこともあり、球団も減量のための様々な策を採り、毎シーズン野球がオフの時期になると、きまって減量に取り組む香川の姿が報じられた。1986年には三塁手へのコンバートも経験している[1]

捕手への評価の厳しい野村克也が高くその捕手能力を評価していた一人である。野村は「捕手に体型は関係ない」とした上で、香川の洞察力の鋭さ、インサイドワークの優秀さを認めている。「自分はドカベン香川のファンだ」という発言もあった。これに対し、同じく捕手評価を厳しくすることで知られる森祇晶は香川の捕手としての能力を認めず、「指名打者向き」と評していた。

1987年に最初の夫人と離婚。1988年には再婚している。

1989年、球団名が南海からダイエーに変わったシーズンを最後に、27歳で現役を引退。太りすぎによる膝の故障も伝えられたが、太っても打撃技術には影響が無かったことから「さすがドカベン」と言われた。ちなみに現役時代、三塁打を1本、またセーフティバントも成功させている。また通算8盗塁もマークしている。

プロ野球時代は公称体重が96kgであり、その信憑性がよくネタにされていた。

引退後[編集]

引退後はRKB毎日放送の野球解説者(1990年から2002年まで)、日刊スポーツの野球評論家を務めたほか、水島新司がパッケージをデザインした讃岐うどんの通信販売も手がけた。プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズには「ドカベン」の登録名で参加。長男の在学していた中学校の野球部コーチをしていたこともある。

しかし、讃岐うどんの通信販売は1998年で手放し、さらに1999年に2度目の離婚。しかし、2001年に高校時代の同級生と結婚する。家族を養うべく、2002年に福岡市博多区中洲で居酒屋を経営する傍ら、福岡県粕屋町で野球学校を開校。佐渡ヶ嶽部屋力士からロッテオリオンズで活躍した市場孝之ら元プロ野球選手もコーチとして参加している。居酒屋は香川見たさの客が多く、経営も順調だった。

しかし、急性腎不全により緊急入院。その後3年間療養生活を余儀なくされ、居酒屋を手放し、RKBの野球解説者の契約を解除される。現在も週3回人工透析を行っているという。

また、2005年11月30日福岡県に拠点を置き、自身が監督を務める社会人野球チーム「福岡ミサキブラッサムズ」(現・福岡オーシャンズ9)を結成した。総監督には福岡出身の歌手である森口博子が就任、コーチは元ロッテの市場孝之が務めていた。生花装飾業「美咲」(本社・福岡市)が資金援助していたが、2006年をもって撤退、香川も森口、市場と共に退団した。

現在[編集]

現在ではすべての肩書きを離れ、少年野球のコーチを行い後進の育成に努めているほか、講演活動で全国を飛び回る日々を送っている。名刺には「ドカベン 香川伸行」とだけ書かれており、水島新司による南海のユニフォームを着た似顔絵が描かれているという。他にも、医療機器を販売する会社に入社し、営業で全国を回る他、イメージキャラクターを務めた。

2009年12月30日に放送されたTBSのドキュメント番組、『壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった』では香川の現役時代のエピソードや引退後の波乱万丈の人生と現状が関係者(牛島和彦、門田博光など)の証言や再現VTRを交えて紹介された。

また、2010年10月29日に開催された「プロ野球OBオールスターアスリートカップ」にも出場し、吉永幸一郎藤本博史などとともにパシフィックリーグチーム選手の1人として打席に立った。

2011年の統一地方選挙で福岡県の太宰府市議会議員選挙に出馬を検討していたが、結局取り止めた。

エピソード[編集]

  • 当時から強打とその体形、ユニークなキャラクターで抜群の人気があり、有名な逸話として本塁打を放った試合後のインタビューで「打った球はどんな球(球種)でしたか?」と聞かれ、(指でボールの形を示しながら)「こーんなくらいの大きさの小さい白い球です」と言ったという話がある(このことは現在でも明石家さんまがネタにしている)。
  • 入団時インタビューで語った抱負は「長くプレイできる選手になりたい」であった。牛島和彦は「いずれは球界を代表する選手になるだろうと思っていた。急激に太りだしたことで選手寿命を縮めてしまった」と後に述べている。
  • 新人時代の1980年カシオの時計付き電卓「カシオメロディ」のテレビCMに出演した(藤原満が共演)。当時、南海の選手が全国ネットのテレビCMに出演することは珍しく、その頃の香川の知名度を示している。
  • 『ドカベン 浪花の若大将』の中で、「高校時代には絶対に自信のあった肩のほうが、二年目のキャンプのときから右肩にシコリができて、いい球を二塁へ投げることができなくなっていた」と述べている。
  • 1986年には打撃を生かすために三塁手に転向[1]。守備面では無難にこなしたが、逆に打撃面が低下して二軍落ちした。その際に、ある雑誌が取材・記事掲載を球団に依頼し、球団は「二軍で汗を流すドカベン香川」ぐらいの記事になると思って許可したところ、実際に誌面に掲載されたのは「二人前のトンカツをペロリ 大食漢ドカベン」であった。
  • そのシーズンは、唯一のレギュラークラスの捕手であった吉田博之が次打者席でファウルボールを受けて骨折したため、香川が捕手として起用されることとなった。
  • 1987年シーズン終了後、離婚などの原因もあり精神的に不安定になっていた為過食に陥り、体重は130kgにまで増加してしまった。当時の杉浦忠監督は「選手生命以前に、人間として命にかかわる」と判断し、球団命令でダイエット入院をすることになった。2ヶ月の入院で100kg近くにまで絞り込む事に成功したが、1988年シーズン終了後には元に戻っていたという。
  • 1989年テレビの珍プレー番組で、ベンチで股間を掻いているところを流された。
  • RKB解説者時代は、キー局であるTBSが番組改編期に放送する「オールスター感謝祭」に、TBS専属ではない系列局解説者としては唯一出演していた。番組中「赤坂5丁目ミニマラソン」のコーナーになると、司会の島田紳助から「ドカベン、久々に走ってみんか?」などとおちょくられていた。
  • 1997年に「さんまのまんま」に出演した福本豊が、「現役時代に球場で聞いた観客の野次の最高傑作」として、「オーイ香川!来年は日本ハムにトレードやで!選手としてちゃうで、商品としてやで!」と語っていた。
  • 元プロスポーツ選手でありながら、テレビのバラエティ番組の企画「運動神経の悪い芸能人決定戦」に一般のタレントと一緒に出場したことがある。
  • 長男は福岡工大城東高校野球部に所属し、2006年第88回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
  • 小学校時代のクラスメートに西岡良洋がいた。
  • 独身時代自転車で大阪球場へ通勤していた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1980 南海
ダイエー
50 143 131 14 37 4 0 8 65 25 0 0 1 0 11 0 0 12 4 .282 .338 .496 .834
1981 59 156 142 9 35 3 0 6 56 17 1 1 2 0 10 0 2 18 6 .246 .305 .394 .700
1982 85 261 242 24 58 10 0 8 92 31 0 2 5 3 9 0 2 38 5 .240 .273 .380 .653
1983 105 358 339 34 106 19 1 15 172 61 5 1 2 2 13 1 2 30 10 .313 .342 .507 .849
1984 82 221 200 18 43 2 0 5 60 20 0 3 6 2 10 0 3 32 8 .215 .263 .300 .563
1985 69 139 134 14 35 4 0 8 63 27 0 0 0 0 5 0 0 29 2 .261 .288 .470 .758
1986 91 307 282 27 72 9 0 13 120 36 2 3 1 2 21 0 1 56 11 .255 .307 .426 .733
1987 88 229 204 24 51 4 0 11 88 32 0 0 7 2 15 2 1 43 8 .250 .302 .431 .733
1988 40 86 74 7 10 2 0 2 18 9 0 1 2 0 10 1 0 21 4 .135 .238 .243 .481
1989 45 66 59 2 13 0 0 2 19 12 0 0 2 1 4 0 0 13 1 .220 .266 .322 .588
通算:10年 714 1966 1807 173 460 57 1 78 753 270 8 11 28 12 108 4 11 292 59 .255 .299 .417 .715
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1980 46 53 36 17 .321
1981 58 63 39 24 .381
1982 68 71 56 15 .211
1983 89 95 72 23 .242
1984 67 90 64 26 .289
1985 30 24 15 9 .333
1986 62 71 52 19 .268
1987 64 62 42 20 .323
1988 23 17 12 5 .294
1989 21 10 6 4 .400
通算 528 556 394 162 .291

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 2 (1980年 - 1989年)


関連情報[編集]

著書[編集]

  • 『ドカベン浪花の若大将 ― 熱球悲願』、恒文社、香川伸行著、 1983年発行、ISBN 4770405413
  • 『ドカベン香川のプロ野球ここまで書いたらアカンやろか!?:マスク越しに見たスター選手たちの球界おもしろエピソード』香川伸行著、 日本文芸社、1991年発行 ISBN 4537022256


[編集]

出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P125。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]