石井一久

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石井 一久
埼玉西武ライオンズ #16
Ishii kazuhisa.jpg
ベンチに戻る石井
2011年8月30日(こまちスタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県千葉市若葉区
生年月日 1973年9月9日(38歳)
身長
体重
185cm
100kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1992年6月9日
MLB / 2002年4月6日
最終出場 MLB / 2005年9月28日
年俸 1億7,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

石井 一久(いしい かずひさ、1973年9月9日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手投手)。千葉県千葉市若葉区出身。マネージメントは吉本興業スポーツ部。

妻はフリーアナウンサー木佐彩子

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

1989年に千葉市立みつわ台中学校を卒業し、東京学館浦安高等学校に入学。1991年ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団した。

[編集] ヤクルト時代

1992年の日本シリーズ第3戦で、前代未聞となる「レギュラーシーズンで未勝利の高卒新人ながら先発登板」。高卒新人投手の先発登板自体、1956年の稲尾和久、1966年の堀内恒夫、2007年の吉川光夫含めて4人だけ。全守備位置を通じて高卒新人のシリーズ先発出場は1988年の立浪和義以来4年ぶり、1990年代では唯一の事例。1993年8月3日の対阪神タイガース戦でプロ初勝利を達成するが、この試合は雨天コールドゲームでの勝利だった。

1997年9月2日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で、史上65人目となるノーヒットノーランを達成。これは4与四球を含むものだったため、横浜の投手コーチだった権藤博は「そんな記録に意味はない」と発言したが、鈴木尚典は「早くメジャー(リーグ)へ行ってほしい」とコメントした[1]

1998年4月3日の対読売ジャイアンツ戦(明治神宮野球場)で初の開幕投手を務めるも敗戦投手となる(相手先発は桑田真澄)。しかし、この年は最多奪三振を獲得したほか、シーズン三振奪取率11.047の日本新記録を達成する。オールスターゲームにも第3戦に登板し、イチロー中村紀洋と対戦した。

2000年3月31日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、2度目の開幕投手を務める。リー・ジョンボム・立浪・福留孝介レオ・ゴメスデーブ・ニルソン山崎武司から6者連続奪三振を記録して勝利投手となる。9月8日の対巨人戦から、10月5日の対阪神戦まで34回1/3連続無失点を記録[2]するなど、セ・リーグの最優秀防御率と最多奪三振の二冠に輝いた。

2001年オフにはジョー・アーボンを代理人とし、前年から球団に訴えていたポスティングシステムでのメジャーリーグ移籍を目指したが、9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件の影響を受け、ヤクルトと再契約を結んでメジャーリーグへの移籍を断念する。しかし、2002年1月7日に石井が移籍希望球団として挙げていたロサンゼルス・ドジャースが入札したことを受け、ドジャースと3年1230万ドルで契約を結んだ。入団会見では彩子夫人が小学2年から中学2年までロサンゼルス在住だったことを受けて「僕の妻はカリフォルニア人」とジョークを交え、会場の笑いを誘った。

[編集] ドジャース時代

2002年はオープン戦で3本塁打を浴び、防御率は10.00を越えるなど報道陣から不安を持たれる。しかし、初先発となった4月6日の対コロラド・ロッキーズ戦で6回を2安打に抑える好投で初勝利を挙げ、ジム・トレーシーは「これが君たちが色々と言っていた(石井)投手の実力だよ。公式戦を見ろと言っただろ?」とコメントした。球速も96mph(約154km/h)を記録し、デビュー戦10奪三振はペドロ・アスタシオと並ぶチーム最多タイ記録だった。2度目の登板となった4月12日の対サンディエゴ・パドレス戦では「三振しか取れない投手だと思われるのもしゃくなので、打たせて取る投球も出来ることを見せたい」と語り、オープン戦で習得したツーシーム・ファストボールを用いて言葉通りに凡打を築いた。その後、4月28日の対シカゴ・カブス戦と5月15日の対ニューヨーク・メッツ戦では自己最速となる97mph(約156km/h)を計時し、開幕から6連勝と好調なスタートを切り、4月は5勝0敗でリーグ月間最優秀投手を受賞した。前半戦で11勝を挙げ、5月終了時点でオールスター選出はほぼ確実と見られていたが、6月から調子を落としてオールスター選出を逃す。その後も不安定な投球を続け、後半戦は防御率5.57、WHIP1.63と不調に陥った。9月8日の対ヒューストン・アストロズ戦では頭部に打球を受けて病院に搬送、頭蓋骨の亀裂骨折と診断され、「当たった場所が球1個分ずれていたら本当に危なかった」という程の大怪我でシーズンを終えた。

2003年は前半戦最後の登板で日米通算100勝を達成し、8勝3敗・防御率2.94の好成績で前半戦を終える。7月29日の対フィラデルフィア・フィリーズ戦で、ヤクルト時代からの古傷だった左膝の痛みが悪化する。その試合では早期降板も検討されたが、6回を3安打2失点に抑えた。その後「野球をしてきた蓄積で、投げようと思えば投げられないこともないが、メジャーは万全の調子でなければ簡単に成績を残せるところではないし、休む勇気もプロには必要」とコメントして故障者リスト入りし、靱帯損傷と診断された。故障者リスト入り中もチームには帯同し、8月30日の対ロッキーズ戦で復帰し、6四球を与えるも5回を3安打無失点に抑えた。9月10日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦では6回を内野安打1本に抑え、打者としてもシーズン唯一となる安打を、日米通算でも初だった右中間への三塁打で記録する活躍を見せた。

2004年からは投球にカット・ファストボールチェンジアップを交えるようになり、例年に続き開幕3連勝の好調なスタートを切り、前半で10勝を記録。2002年からの前半戦勝利数29はメジャー全体でトップとなったが[3]、後半は調子を崩して中継ぎ降格を告げられ、ポストシーズンのロースターからも外れた。

2005年の開幕直前、ジェイソン・フィリップスとの交換トレードでニューヨーク・メッツへ移籍。

[編集] メッツ時代

ドジャース時代に悪化した左膝が再発して故障者リスト入りしたり、調整登板以外では初となるマイナー降格も経験。9月のロースター拡大で再昇格するも3勝にとどまり、「こういう苦労をしたくなかったらメジャーに来ていない。貴重な経験だと思って今後の野球人生につなげたい」とコメントした。

[編集] ヤクルト復帰

2006年1月20日古田敦也が選手兼任監督に就任したヤクルトに2億4千万円プラス出来高6千万円(推定)の2年契約で復帰した[4]。シーズン通して外れることなく先発ローテーションを守って11勝を挙げた。2007年5月17日の対中日戦(ナゴヤドーム)で、史上48人目となる日本通算1500奪三振を達成[5]。2007年9月23日の対阪神戦で、2000年9月15日の対中日戦以来2564日ぶりの完封勝利を挙げる(通算7回目)。

2007年11月12日、前年途中に取得していたFA権を行使する。ヤクルトから慰留を受けるが、新たな環境を求めて移籍を決意。11月22日に埼玉西武ライオンズへの移籍が発表された。

[編集] 埼玉西武時代

2008年3月29日の対福岡ソフトバンクホークス戦で日本通算100勝を達成。同シーズンでは序盤は最多勝争いに名を連ねるなど好調だったが徐々に調子を落とし、最終的には11勝10敗・防御率4点台に終わった。日本シリーズ(対巨人戦)でも第3戦・第7戦に登板し、合計8イニングで5失点。

2009年は前年に比べて被打率が下がる代わりに四球が増え、9勝止まりで規定投球回も達しなかったが、投球回数を上回る奪三振数を記録。2010年5月19日の対ヤクルト戦(西武ドーム)で9回完投勝利(サヨナラ勝ち)を挙げ、12球団勝利を達成した[6](レギュラーシーズンで近鉄との対戦はなかったが、2001年の日本シリーズで近鉄に勝利している)。

2010年はヒーローインタビューにてファンへの一言を求められた際に、犬のペロを飼い始めたことを明かし、以来ヒーローインタビューではペットの近況を報告するようになる。

2011年8月7日の対ソフトバンク戦で通算2000奪三振を達成(プロ野球20人目)。記録達成に要した投球回数は1967回2/3であり、これまでの最速記録保持者であった江夏豊を超えるプロ野球最速記録となった。が、シーズン6勝、防御率4.31と先発ではあまり結果を残すことができず、シーズン終盤にはリリーフに回った。しかしリリーフでは安定感を見せ、特にクライマックスシリーズファーストステージ第2戦では、8回無死一、三塁から西口文也をリリーフして、糸井嘉男小谷野栄一稲葉篤紀をパーフェクトに抑え、1997年日本シリーズ第1戦の石井一久との投げ合いからこれまでポストシーズンで勝ち星のなかった西口のポストシーズン初勝利とチームのクライマックスシリーズファイナルステージ進出に貢献した。

[編集] プレースタイル

石井の投球フォーム

投球時、上げた右足のひざが胸の前で構えた右肘に当たるという特徴がある。好不調の波が激しく、ストレートやスラーブを武器に奪三振を大量に奪う試合も多い反面、四球や被本塁打も多く、序盤に試合を壊してしまうことも多い。暴投も多く、1998年にはセ・リーグのシーズン最多記録(達成当時はNPB最多記録)である20暴投を記録している。

プロ入り後は最速97mph(約156km/h)の速球と左腕独特の大きなスライダー(スラーブ)で三振の山を築いてきたが、2004年・2005年頃から変化球や投球術に長けた技巧派に変わった。2006年のヤクルト復帰時はこれまでの持ち球であるスライダーとカーブフォークボールに加え、2種類のカット・ファスト・ボールチェンジアップ、さらにメジャーリーグで習得したツーシームを身に付けていた。その反面、直球のスピードは平均140km/h程度に落ちているが奪三振率は未だに高く、本人も「三振の取り方は分かっている」と発言している[要出典]

決め球であるスライダーはメジャーでも高く評され、2002年に対戦したトッド・ヘルトンは「(バッターボックスの)直前まで球種の判別が出来なかった」と語った[7]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1992 ヤクルト 12 5 0 0 0 0 0 0 -- ---- 123 28.0 23 4 17 0 2 22 2 0 13 13 4.18 1.43
1993 19 7 1 0 0 3 1 0 -- .750 266 59.1 48 8 38 1 2 66 5 0 32 31 4.70 1.45
1994 54 10 2 2 0 7 5 0 -- .583 493 108.0 92 11 77 4 6 98 4 0 56 49 4.08 1.56
1995 26 21 3 0 0 13 4 1 -- .765 633 153.0 112 14 77 3 8 159 8 0 49 47 2.76 1.24
1996 8 5 0 0 0 1 5 0 -- .167 142 31.0 28 6 22 0 2 26 1 0 19 18 5.23 1.61
1997 18 17 2 2 0 10 4 0 -- .714 466 117.2 73 5 50 2 4 120 6 1 28 25 1.91 1.05
1998 28 27 6 0 1 14 6 0 -- .700 834 196.1 149 12 105 4 8 241 20 0 78 72 3.30 1.29
1999 23 21 2 1 0 8 6 0 -- .571 589 133.0 123 16 71 1 6 162 9 0 75 71 4.80 1.46
2000 29 27 3 1 0 10 9 0 -- .526 744 183.0 137 15 73 1 6 210 11 2 54 53 2.61 1.15
2001 27 27 0 0 0 12 6 0 -- .667 732 175.0 135 18 82 0 5 173 14 0 74 66 3.39 1.24
2002 LAD 28 28 0 0 0 14 10 0 0 .583 692 154.0 137 20 106 3 4 143 7 0 82 73 4.27 1.58
2003 27 27 0 0 0 9 7 0 0 .563 656 147.0 129 16 101 4 6 140 10 2 72 63 3.86 1.56
2004 31 31 2 2 0 13 8 0 0 .619 749 172.0 155 21 98 2 4 99 3 0 97 90 4.71 1.47
2005 NYM 19 16 0 0 0 3 9 0 0 .250 399 91.0 87 13 49 3 3 53 2 0 59 52 5.14 1.49
2006 ヤクルト 28 28 0 0 0 11 7 0 0 .611 773 177.2 177 16 59 4 5 170 6 0 82 68 3.44 1.33
2007 28 27 2 1 0 9 10 0 0 .474 714 166.2 156 21 49 5 13 163 8 0 90 77 4.16 1.23
2008 西武 25 25 1 0 0 11 10 0 0 .524 593 135.1 150 16 40 1 11 108 1 0 78 65 4.32 1.40
2009 22 22 0 0 0 9 9 0 0 .500 564 130.0 113 18 67 0 6 131 6 0 71 62 4.29 1.38
2010 18 18 1 0 0 9 6 0 0 .600 453 104.2 105 10 34 0 2 93 9 0 50 43 3.70 1.33
2011 23 21 0 0 0 6 9 0 1 .400 507 117.0 122 7 32 0 10 94 1 0 61 56 4.31 1.32
NPB:16年 388 308 23 7 1 133 97 1 1 .578 8626 2015.2 1743 197 893 26 96 2036 111 3 910 816 3.64 1.31
MLB:4年 105 102 2 2 0 39 34 0 0 .534 2496 564.0 508 70 354 12 17 435 22 2 310 278 4.44 1.53
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] タイトル

NPB

[編集] 表彰

NPB
MLB

[編集] 記録

NPB初記録
NPB節目の記録
  • 1000奪三振:2000年7月5日、対読売ジャイアンツ13回戦(明治神宮野球場)、6回表にダレル・メイから ※史上103人目(達成速度歴代2位、1位は野茂英雄
  • 1000投球回:2000年9月28日、対読売ジャイアンツ26回戦(明治神宮野球場)、7回表に加藤健を三振に打ち取って達成 ※史上287人目
  • 1500奪三振:2007年5月17日、対中日ドラゴンズ9回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に小笠原孝から ※史上48人目(達成速度歴代1位:NPB記録のみ)
  • 1500投球回:2007年9月5日、対広島東洋カープ19回戦(明治神宮野球場)、5回表に倉義和を一邪飛で2アウト目を取って達成 ※史上159人目
  • 100勝:2008年3月29日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(西武ドーム)、7回2失点 ※史上125人目(日米通算139勝目)
  • 2000奪三振:2011年8月7日、対福岡ソフトバンクホークス14回戦(西武ドーム)、4回表に多村仁志から ※史上20人目(史上最速:NPB記録のみ)
NPBその他の記録
  • ノーヒットノーラン:1回 (1997年9月2日、対横浜ベイスターズ23回戦、横浜スタジアム) ※史上65人目
  • セ・リーグシーズン最多暴投20個:1998年
  • シーズン奪三振率(規定投球回以上)歴代1位 11.05:1998年
  • 12球団勝利:2010年5月19日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(西武ドーム) ※史上9人目
  • オールスターゲーム出場:1回 (1999年)

[編集] 背番号

  • 16 (1992年 - 2001年、2006年 - 2007年、2009年 - )
  • 17 (2002年 - 2004年)
  • 23 (2005年)
  • 61 (2008年)

[編集] 関連情報

[編集] 出演

移籍した後も、ヤクルト球団とつながりのあるフジサンケイグループへの出演が多い。

フジテレビジョン
ニッポン放送

など

映画

[編集] 著書

[編集] 脚注

  1. ^ ベースボールマガジン2000年夏季号 31頁「68人のノーヒッター 現役選手篇 石井一久(ヤクルト)が語る『あの時』」より。
  2. ^ 2001 ベースボール・レコード・ブック 113頁 2000年度主要記録集「ストップした連続無失点」より。
  3. ^ 日本人メジャーリーガー・ウォッチング RISING SUN 『月刊スラッガー』2004年10月号、60頁。雑誌15509-10。
  4. ^ 2006年1月21日 日刊スポーツ関西版 11版 5面
  5. ^ 1413投球回での達成は、江夏豊の1423投球回を抜く日本プロ野球最速。
  6. ^ サンケイスポーツ 2010年5月19日
  7. ^ UNBEATABLE 石井一久『月刊スラッガー』2002年7月号、10頁。雑誌15509-7。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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