伊東勤

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伊東 勤
基本情報
国籍 日本
出身地 熊本県熊本市
生年月日 1962年8月29日(46歳)
身長
体重
181cm
84kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 捕手
プロ入り 1981年 ドラフト1位
初出場 1982年4月11日 阪急戦(西武)
最終出場 2003年9月27日 近鉄戦(西武D)
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督歴
  • 西武ライオンズ (2004 - 2007)

伊東 勤(いとう つとむ、1962年8月29日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手捕手)・監督。現在はNHK野球解説者、サンケイスポーツ評論家。2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表総合コーチ。

現役時代は捕手として歴代2位となる2327試合に出場。西武ライオンズ黄金時代の司令塔として活躍した。引退後は2004年から2007年まで西武監督を務めた。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] 高校時代

熊本工業高校定時制課程に在籍。はじめ外野手だったが、同学年の藤村寿成九州学院)の足を封じるために捕手にコンバートされた。ちなみに藤村寿成の次男藤村大介巨人)は熊本工の後輩にあたる。

1980年、熊本県大会決勝で秋山幸二がエースだった八代高校を破り夏の甲子園に出場。当時西武の監督を務めていた根本陸夫にその才能を見出され、1981年に熊工から埼玉県埼玉県立所沢高等学校(定時制)へ転校。同時に西武球団職員として採用された。昼間は職員としての社務の傍ら練習生として活動し、夜は高校通学という生活を送った。これは根本が他球団に伊東を奪われまいとするための「囲い込み」であったと伝えられる。

[編集] 現役時代

1982年、ドラフト1位で西武に入団。前年に西武に入団していたライバル秋山と再会している。1年目の1982年は33試合、2年目の1983年には56試合出場と経験を積み、1983年の日本シリーズでは第4戦以降大石友好黒田正宏を差し置きスタメンに抜擢。翌1984年より正捕手となる。

当初は一部の主力投手がバックネット裏のスコアラーと投球のサインのやりとりをし、伊東の出すサイン通りに投げてもらえない状態であったが、抜群の守備力で信頼を掴み、以後西武のホームベースを死守し続けた。1992年の日本シリーズでは、野村克也の教え子古田敦也と、森祇晶の教え子伊東の対決となったが、野村をして「伊東のリードには傾向が出ない為、読みづらい」と言わしめたほどである。リードだけでなく、抜群のキャッチング技術を持っており、大きな音、つまり薄い部分で受け止める技術に長けていた。大きな音を聞くと審判は気分が高揚し、ストライクを出しやすくなり、打者も大きい音から「今日は調子がよさそうだ」と警戒するようになったという。

20年近くに渡り正捕手の座に君臨し、他球団で正捕手を務めた大宮龍男中尾孝義植田幸弘中嶋聡らや、アマチュア野球で活躍した仲田秀司垣内哲也高木大成和田一浩貝塚政秀らに競り勝った。

1994年の対近鉄開幕戦で、3点のビハインドからの逆転サヨナラ満塁ホームランで1000本安打を達成。当時プロ野球を代表するストッパーだった赤堀元之から放った劇的な一打である。この試合をテレビ朝日中継していたが、ちょうど伊東がこの一打を放った瞬間に放送時間終了で打ち切られてしまい、視聴者からは抗議の電話が殺到したという。

2001年オフ、フロントより監督要請を受けるも「(選手兼任監督だと)両方中途半端になる」として固辞する。しかしコーチ兼任は受諾し、2002年は総合コーチ兼捕手として現役を続行。2003年限りで現役を引退した。

実働22年のうち14度のリーグ優勝、8度の日本一を経験。選手として日本シリーズでセ・リーグ6球団全てと対戦した。そのうち、阪神1985年)と横浜1998年)を除く4球団から日本一を勝ち取っている。

捕手としての通算出場試合数2327は、歴代3位。ベストナイン受賞は10回、ゴールデングラブ賞受賞は11回を数えた。1996年9月7日から1998年5月27日にかけては、捕手としてプロ野球記録となる1263守備機会連続無失策を記録している。また通算犠打305はパ・リーグ歴代1位。捕手としては珍しい俊足選手で、通算134盗塁は捕手としての日本記録。1984年の20盗塁も捕手としてのパ・リーグ記録である。

[編集] 監督時代

2004年より西武監督に就任。伊東本人の引退、松井稼頭央のメジャー移籍、アレックス・カブレラの死球による長期離脱などで苦戦が予想されたが、伊東の穴を細川亨が、松井の穴を中島裕之が、カブレラの穴をロッテから移籍したホセ・フェルナンデスが埋めたことにより、チームはレギュラーシーズン2位からプレーオフ日本シリーズを勝ち進み、2年ぶりのリーグ優勝、12年ぶりの日本一を達成。

現役引退後即監督となったのは5人(藤田宗一稲尾和久長嶋茂雄広瀬叔功有藤道世)いるが、いずれも成績は5位か最下位(藤田、有藤が5位、稲尾、長嶋、広瀬が6位)しかなかったが、このジンクスを破っての快挙だった。この年の中日との日本シリーズは「レオ流」対落合の「オレ流」決戦と言われた。

2006年7月19日ソフトバンク戦(ヤフーD)でクロスプレーの判定を巡り審判に暴力を振るったとして、選手時代・監督時代通じて初の退場処分を受けた。同年は日本ハムと1ゲーム差の2位。プレーオフでは、3位ソフトバンクの前に1勝2敗と敗れた。

2007年は怪我人が相次ぎ、交流戦で10連敗を喫するなど低迷。西武は26年ぶりのBクラスに陥落し、結局5位でシーズンを終えた。このため成績不振の責任を取り監督を辞任した。

監督としては、当時不動のレギュラーといえる選手が少なかったこともあり、捕手投手の相性やプラトーン・システムにこだわった。例としては、涌井 - 銀仁朗の10代バッテリーや、松坂 - 細川のバッテリー等。右投手時のスタメンは石井義人福地寿樹栗山巧ジェフリー・リーファー。左投手時のスタメンは中村剛也佐藤友亮平尾博嗣江藤智等。渡辺2軍監督(現監督)の育成した若手野手、フロントが補強した中堅・ベテラン野手を使いきり、2008年の躍進につなげている。

伊東が正式に入団した1982年に西武は初優勝を飾り、その後は西武黄金時代の中心選手として、また西武黄金期のメンバーが去るなかでも最後まで西武を支えた選手である。監督就任1年目に日本一を達成し、伊東のプロ野球人生にとって初めてのBクラス転落となった2007年に退団。西武ライオンズの栄光と挫折を象徴する人物であると言える。

[編集] 監督退任後・現在

2007年オフ、2007年の日本シリーズNHK衛星第1テレビジョンのゲスト解説として解説者デビュー。2008年からはNHKなどでプロ野球・メジャーリーグの野球解説者。2009年からはサンケイスポーツの評論家も務める。

2008年11月15日2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表総合コーチに就任した。

既婚で、妻との間には1993年生まれの男児と女児の双子がいることを公表している(その子供は2007年度の文化放送ライオンズナイターのジングルも担当している)。

[編集] エピソード

  • 西武では20年近くに渡り正捕手を務めた伊東だが、漫画『ドカベン プロ野球編』では主人公山田太郎がいるため、指名打者や代打要員にとどまっている。
  • 試合後などのインタビューの際、たいてい返答の語尾に「ハイ」がつく。
  • 大の競輪好きで、監督として日本一を果たした2004年には中野浩一のラジオ番組「中野浩一のフリートーク」にもゲスト出演しており、ライオンズの選手にも競輪好きの輪が広がっているというエピソードを話した。KEIRINグランプリは毎年欠かさず現地観戦しているという。
  • 2008年開幕直前のサンデースポーツ内のパリーグの順位予想で、古巣西武を5位と予想していたが、西武は結果的には優勝を果たした。ちなみに伊東はロッテを優勝候補に挙げていた。

[編集] 年度別成績

[編集] 打撃成績
































O
P
S
1982 西武 33 36 33 3 8 3 0 0 11 1 0 0 0 0 1 0 2 3 0 .242 .306 .333 .639
1983 56 137 108 22 21 3 0 0 24 6 3 2 6 1 17 0 5 19 3 .194 .328 .222 .550
1984 113 408 345 44 98 15 1 10 145 44 20 16 12 2 38 0 11 46 4 .284 .371 .420 .791
1985 124 481 411 57 106 19 5 13 174 62 13 11 9 6 50 4 5 43 11 .258 .341 .423 .764
1986 129 485 418 59 98 20 3 11 157 40 18 11 24 2 39 1 2 70 11 .234 .302 .376 .678
1987 124 465 405 42 100 14 1 10 146 51 7 3 15 5 34 2 6 77 7 .247 .311 .360 .671
1988 129 506 429 51 108 16 5 11 167 56 2 4 24 2 50 5 1 68 11 .252 .330 .389 .719
1989 117 437 374 37 88 14 1 9 131 35 3 2 14 2 45 0 2 56 9 .235 .319 .350 .669
1990 119 421 366 47 103 20 3 11 162 43 4 2 16 4 30 3 5 56 2 .281 .341 .443 .784
1991 124 461 392 51 83 17 0 8 124 44 3 1 27 2 36 1 4 59 5 .212 .283 .316 .599
1992 124 443 365 52 96 14 3 4 128 49 10 2 23 4 45 3 6 59 3 .263 .350 .351 .701
1993 128 472 401 36 90 15 1 7 128 39 6 4 19 4 46 0 2 63 9 .224 .305 .319 .624
1994 113 403 338 44 86 12 3 8 128 53 17 5 22 3 38 1 2 48 7 .254 .331 .379 .710
1995 125 429 386 40 95 21 0 6 134 43 9 4 9 2 27 0 5 59 8 .246 .302 .347 .649
1996 92 289 248 24 64 10 0 6 92 26 2 2 11 5 23 1 2 25 6 .258 .320 .371 .691
1997 129 494 436 50 122 19 1 13 182 56 5 3 21 2 29 3 6 48 11 .280 .332 .417 .749
1998 114 370 325 34 79 11 2 8 118 38 4 1 9 2 31 0 3 42 10 .243 .313 .363 .676
1999 95 296 258 27 74 10 1 3 95 24 1 2 9 4 20 0 5 35 6 .287 .345 .368 .713
2000 94 277 245 21 52 9 0 5 76 19 3 2 7 1 22 0 2 48 3 .212 .281 .310 .591
2001 106 293 236 15 48 5 1 2 61 20 1 1 16 3 35 0 3 41 9 .203 .310 .258 .568
2002 118 383 341 29 87 12 1 8 125 50 3 2 9 4 24 0 5 48 9 .255 .310 .367 .677
2003 73 205 190 13 32 7 0 3 48 12 0 1 3 0 11 0 1 31 2 .168 .218 .253 .471
通算:22年 2379 8191 7050 798 1738 286 32 156 2556 811 134 81 305 60 691 24 85 1044 146 .247 .319 .363 .682
(10) (4)
  • 通算成績の下行の括弧内数字は、NPBにおける歴代通算順位(2008年度シーズン終了時)

[編集] 守備成績

年度 試合 刺殺 捕殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1982 17 - 6 6 0 .000
1983 53 - 34 22 12 .353
1984 113 - 122 79 43 .352
1985 124 - 97 59 38 .392
1986 129 - 87 57 30 .345
1987 123 - 77 62 15 .195
1988 129 - 84 60 24 .286
1989 115 - 114 80 34 .298
1990 119 - 84 58 26 .310
1991 124 - 86 54 32 .372
1992 123 855 49 6 9 2 .993 70 48 22 .314
1993 126 934 54 6 15 1 .994 85 54 31 .365
1994 111 750 45 5 12 3 .994 65 37 28 .431
1995 123 814 56 5 6 2 .994 83 50 33 .398
1996 85 568 48 3 7 2 .995 54 38 16 .296
1997 129 874 69 0 15 2 1.000 98 69 29 .296
1998 110 704 61 6 16 1 .992 85 57 28 .329
1999 92 593 42 4 6 2 .994 63 45 18 ,286
2000 88 522 36 3 7 4 .995 64 46 18 .281
2001 104 594 44 2 7 3 .997 56 41 15 .268
2002 117 847 48 1 3 5 .999 65 49 16 .246
2003 73 437 23 0 6 3 1.000 40 31 9 .225
通算 2244 - 1673 1102 571 .341

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] タイトル・表彰

[編集] 記録

  • 初出場/初打席 1982年4月11日阪急戦(西武) 7回より大石に代わり出場/8回今井の前に凡退
  • 初安打 1982年5月4日近鉄戦(西武) 8回村田から二塁打
  • 初打点 1982年9月29日南海戦(大阪) 5回藤田学から適時打
  • 初盗塁 1983年8月19日南海戦(大阪)
  • 初本塁打 1984年5月12日近鉄戦(西武) 8回村田からソロ
  • 開幕戦逆転サヨナラ満塁本塁打(1994年)

[編集] 監督としての年度別成績

[編集] レギュラーシーズン(リーグ戦)

年度 チーム 順位
リーグ戦順位)
試合 勝利 敗戦 引分 勝率 チーム本塁打 チーム打率 チーム防御率 年齢
2004年 平成16年 西武 1位(2位) 133 74 58 1 .561 183 .276 4.28 42歳
2005年 平成17年 3位(3位) 136 67 69 0 .493 131 .275 4.27 43歳
2006年 平成18年 2位(2位) 136 80 54 2 .597 162 .269 3.64 44歳
2007年 平成19年 5位 144 66 76 2 .465 126 .264 3.82 45歳

[編集] ポストシーズン

年度 大会名 対戦相手 勝敗
2004年 パ・リーグプレーオフ1stステージ 北海道日本ハムファイターズ 2勝1敗
パ・リーグプレーオフ2ndステージ 福岡ダイエーホークス 3勝2敗
日本シリーズ 中日ドラゴンズ 4勝3敗
2005年 パ・リーグプレーオフ1stステージ 千葉ロッテマリーンズ 0勝2敗
2006年 パ・リーグプレーオフ1stステージ 福岡ソフトバンクホークス 1勝2敗

[編集] 通算成績

  • 549試合 287勝257敗5分(2007年シーズン終了時点)

[編集] 背番号

練習生時代。
準欠番扱いだったが、細川亨を捕手として認め、2007年から譲ることを決めた。
本人は「巨人の原監督(ともにNHKで解説者を経験)にならって83にした」と話していたが、現役時代の27と監督時代の83を足すと110となることから「百獣の王(「ライオン」ズだから)」と「いとう(伊東)」をかけていると思われる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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