伊東勤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
伊東 勤
千葉ロッテマリーンズ 監督 #83
Itoh tsutomu.jpg
2013年5月12日、QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県熊本市
生年月日 1962年8月29日(51歳)
身長
体重
181 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1981年 ドラフト1位
初出場 1982年4月11日
最終出場 2003年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

伊東 勤(いとう つとむ、1962年8月29日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手捕手)・監督野球解説者

現役時代は捕手として歴代3位となる2327試合に出場。西武ライオンズ黄金時代の司令塔として活躍した。引退後は2004年から2007年まで西武監督を務め、2011年まではNHK野球解説者、サンケイスポーツ評論家。2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表総合コーチ。2012年斗山ベアーズコーチ。2013年より千葉ロッテマリーンズ監督に就任。

経歴[編集]

高校時代[編集]

熊本工業高校定時制課程に在籍。当初は外野手だったが、同学年の藤村寿成(九州学院)の足を封じるために捕手に転向した。この藤村寿成の次男藤村大介は熊本工の後輩にあたる。

1980年全国高等学校野球選手権熊本大会決勝で秋山幸二をエースに擁した八代高校を破り第62回全国高等学校野球選手権大会に出場。当時西武の監督を務めていた根本陸夫にその才能を見出され、1981年に熊本工から埼玉県埼玉県立所沢高等学校(定時制)へ転校。同時に西武球団職員として採用された。昼間は職員としての社務の傍ら練習生として活動し、夜は高校通学という生活を送った。これは根本が他球団に伊東を奪われまいとするための「囲い込み」であったと伝えられる。

現役時代[編集]

1982年、ドラフト1位で正式に西武に入団。1年目の1982年は33試合、2年目の1983年には56試合出場と経験を積み、1983年の日本シリーズでは第4戦以降大石友好黒田正宏を差し置きスタメンに抜擢。翌1984年より正捕手となる。

当初は一部の主力投手がバックネット裏のスコアラーと投球のサインのやりとりをし、伊東の出すサイン通りに投げてもらえない状態であったが、抜群の守備力で信頼を掴み、以後西武のホームベースを死守し続けた。1992年の日本シリーズでは、野村克也の教え子古田敦也と、森祇晶の教え子伊東の対決となったが、野村をして「伊東のリードには傾向が出ない為、読みづらい」と言わしめた程である。リードだけでなく、抜群のキャッチング技術を持っており、大きな音、つまり薄い部分で受け止める技術に長けていた。大きな音を聞くと審判は気分が高揚し、ストライクを出しやすくなり、打者も大きい音から「今日は調子がよさそうだ」と警戒するようになったという。

20年近くに渡り正捕手の座に君臨し、他球団で正捕手を務めた大宮龍男中尾孝義植田幸弘中嶋聡らや、アマチュア野球で活躍した仲田秀司垣内哲也高木大成和田一浩貝塚政秀らに競り勝った。

1994年の対近鉄開幕戦で、3点のビハインドからの逆転サヨナラ満塁本塁打で1000本安打を達成。当時プロ野球を代表するストッパーだった赤堀元之から放った劇的な一打である。この試合をテレビ朝日中継していたが、ちょうど伊東がこの一打を放った瞬間に放送時間終了で打ち切られてしまい、視聴者からは抗議の電話が殺到したという。

2001年オフ、フロントより監督要請を受けるも「(選手兼任監督だと)両方中途半端になる」として固辞する。しかしコーチ兼任は受諾し、2002年は総合コーチ兼捕手として現役を続行。2003年限りで現役を引退した。

実働22年のうち14度のリーグ優勝、8度の日本一を経験。選手として日本シリーズでセ・リーグ全6球団と対戦した(現時点ではまだ伊東しかいない)。そのうち、阪神1985年)と横浜1998年)を除く4球団から日本一を勝ち取っている。

捕手としての通算出場試合数2327は、歴代3位。ベストナイン受賞は10回、ゴールデングラブ賞受賞は11回。1996年9月7日から1998年5月27日にかけては、捕手としてプロ野球記録となる1263守備機会連続無失策を記録している。また通算犠打305はパ・リーグ歴代1位。捕手としては珍しい俊足選手で、通算134盗塁は捕手としての日本記録。1984年の20盗塁も捕手としてのパ・リーグ記録である。

西武監督時代[編集]

2004年より西武監督に就任。伊東本人の引退、松井稼頭央のメジャー移籍、アレックス・カブレラの死球による長期離脱などで苦戦が予想されたが、伊東の穴を細川亨が、松井の穴を中島裕之が、カブレラの穴をロッテから移籍したホセ・フェルナンデスが埋めたことにより、チームはレギュラーシーズン2位からプレーオフ日本シリーズを勝ち進み、2年ぶりのリーグ優勝、12年ぶりの日本一を達成。現役引退後即監督となったのは5人(藤田宗一稲尾和久長嶋茂雄広瀬叔功有藤道世)いるが、いずれも成績は5位(藤田、有藤)か最下位(稲尾、長嶋、広瀬)しかなく、このジンクスを破っての快挙だった。この年の中日との日本シリーズは「レオ流」対落合の「オレ流」決戦と言われた。

2006年7月19日ソフトバンク戦(ヤフードーム)でクロスプレーの判定を巡り審判に暴力を振るったとして、選手時代・監督時代通じて初の退場処分を受けた。同年は日本ハムと1ゲーム差の2位。プレーオフでは、3位ソフトバンクの前に1勝2敗と敗れた。

2007年は怪我人が相次ぎ、交流戦で10連敗を喫するなど低迷。西武は26年ぶりのBクラスに陥落し、結局5位でシーズンを終えた。このため成績不振の責任を取り監督を辞任した。本人曰く実際は「解任」だったとのことで、西武の監督として最後の試合となった同年10月5日のソフトバンク戦では(敵地での試合ということもあるが)球団から花束一つ用意されていなかったため、結局自分で花束を買い、ソフトバンクの王貞治監督(当時)に頼み込んで花束を渡してもらうセレモニーを自作自演したという[1]

監督としては、当時不動のレギュラーといえる選手が少なかったこともあり、捕手投手の相性やプラトーン・システムにこだわった。例としては、涌井 - 銀仁朗の10代バッテリーや、松坂 - 細川のバッテリー等。右投手時のスタメンは石井義人福地寿樹栗山巧ジェフリー・リーファー。左投手時のスタメンは中村剛也佐藤友亮平尾博嗣江藤智等。二軍監督の渡辺久信が育成した若手野手、フロントが補強した中堅・ベテラン野手を使い切り、2008年の躍進につなげている。

解説者時代[編集]

2007年オフ、2007年の日本シリーズNHK衛星第1テレビジョンのゲスト解説として解説者デビュー。2008年からはNHKなどでプロ野球・メジャーリーグの野球解説者。また同年から4年間週刊ベースボールで公式戦中に「プロフェッショナル配球考」を連載していた。2009年からはサンケイスポーツの評論家も務める。2008年11月15日2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表総合コーチに就任した。2010年から2年間「ジョージア魂」賞の選考委員を務めた。

韓国球界時代[編集]

2011年、春季キャンプで韓国プロ野球LGツインズの臨時コーチを務め、翌2012年、斗山ベアーズヘッドコーチに就任した[2]。5月22日よりヘッドコーチと1軍打撃コーチの兼任となったが、6月に打撃コーチの職は解かれた。同年10月中旬、シーズン終了をもって退任した。なお、2012年1月から10月までの約9か月間に及ぶ斗山での指導者生活は、2012年12月2日、NHK衛星放送にて「伊東勤 韓国プロ野球に挑む」というタイトルのスポーツドキュメンタリー番組として放送された。

千葉ロッテ監督時代[編集]

2012年10月17日、千葉ロッテマリーンズ新監督就任が基本合意に達した[3]。10月18日午前に就任記者会見を行い、「日本一を勝ち取れるチームを作る。派手さは不要、守り勝つ野球をやりたい」と意気込みを語った[4]。背番号は西武監督、斗山コーチ在任時と同じ83[5]

人物[編集]

既婚で妻との間には1993年生まれの男児と女児の双子がいることを公表している。

大の競輪好きで、監督として日本一を果たした2004年には中野浩一のラジオ番組「中野浩一のフリートーク」にもゲスト出演しており、ライオンズの選手にも競輪好きの輪が広がっているというエピソードを話した。KEIRINグランプリは毎年欠かさず現地観戦しているという。西武監督辞任後は関東地区をはじめとする各地の競輪場でトークショーや予想会、テレビ中継のゲストとして招かれたり、競輪関係のイベントのゲストとして参加したりすることも多い。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1982 西武 33 36 33 3 8 3 0 0 11 1 0 0 0 0 1 0 2 3 0 .242 .306 .333 .639
1983 56 137 108 22 21 3 0 0 24 6 3 2 6 1 17 0 5 19 3 .194 .328 .222 .550
1984 113 408 345 44 98 15 1 10 145 44 20 16 12 2 38 0 11 46 4 .284 .371 .420 .791
1985 124 481 411 57 106 19 5 12 174 62 13 11 9 6 50 4 5 43 11 .258 .341 .423 .764
1986 129 485 418 59 98 20 3 11 157 40 18 11 24 2 39 1 2 70 11 .234 .302 .376 .678
1987 124 465 405 42 100 14 1 10 146 51 7 3 15 5 34 2 6 77 7 .247 .311 .360 .671
1988 129 506 429 51 108 16 5 11 167 56 2 4 24 2 50 5 1 68 11 .252 .330 .389 .719
1989 117 437 374 37 88 14 1 9 131 35 3 2 14 2 45 0 2 56 9 .235 .319 .350 .669
1990 119 421 366 47 103 20 3 11 162 43 4 2 16 4 30 3 5 56 2 .281 .341 .443 .784
1991 124 461 392 51 83 17 0 8 124 44 3 1 27 2 36 1 4 59 5 .212 .283 .316 .599
1992 124 443 365 52 96 14 3 4 128 49 10 2 23 4 45 3 6 59 3 .263 .350 .351 .701
1993 128 472 401 36 90 15 1 7 128 39 6 4 19 4 46 0 2 63 9 .224 .305 .319 .624
1994 113 403 338 44 86 12 3 8 128 53 17 5 22 3 38 1 2 48 7 .254 .331 .379 .710
1995 125 429 386 40 95 21 0 6 134 43 9 4 9 2 27 0 5 59 8 .246 .302 .347 .649
1996 92 289 248 24 64 10 0 6 92 26 2 2 11 5 23 1 2 25 6 .258 .320 .371 .691
1997 129 494 436 50 122 19 1 13 182 56 5 3 21 2 29 3 6 48 11 .280 .332 .417 .749
1998 114 370 325 34 79 11 2 8 118 38 4 1 9 2 31 0 3 42 10 .243 .313 .363 .676
1999 95 296 258 27 74 10 1 3 95 24 1 2 9 4 20 0 5 35 6 .287 .345 .368 .713
2000 94 277 245 21 52 9 0 5 76 19 3 2 7 1 22 0 2 48 3 .212 .281 .310 .591
2001 106 293 236 15 48 5 1 2 61 20 1 1 16 3 35 0 3 41 9 .203 .310 .258 .568
2002 118 383 341 29 87 12 1 8 125 50 3 2 9 4 24 0 5 48 9 .255 .310 .367 .677
2003 73 205 190 13 32 7 0 3 48 12 0 1 3 0 11 0 1 31 2 .168 .218 .253 .471
通算:22年 2379 8191 7050 798 1738 286 32 156 2556 811 134 81 305 60 691 24 85 1044 146 .247 .319 .363 .682

年度別守備成績[編集]

年度 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1982 17 - 6 6 0 .000
1983 53 - 34 22 12 .353
1984 113 - 122 79 43 .352
1985 124 - 97 59 38 .392
1986 129 - 87 57 30 .345
1987 123 - 77 62 15 .195
1988 129 - 84 60 24 .286
1989 115 - 114 80 34 .298
1990 119 - 84 58 26 .310
1991 124 - 86 54 32 .372
1992 123 855 49 6 9 2 .993 70 48 22 .314
1993 126 934 54 6 15 1 .994 85 54 31 .365
1994 111 750 45 5 12 3 .994 65 37 28 .431
1995 123 814 56 5 6 2 .994 83 50 33 .398
1996 85 568 48 3 7 2 .995 54 38 16 .296
1997 129 874 69 0 15 2 1.000 98 69 29 .296
1998 110 704 61 6 16 1 .992 85 57 28 .329
1999 92 593 42 4 6 2 .994 63 45 18 ,286
2000 88 522 36 3 7 4 .995 64 46 18 .281
2001 104 594 44 2 7 3 .997 56 41 15 .268
2002 117 847 48 1 3 5 .999 65 49 16 .246
2003 73 437 23 0 6 3 1.000 40 31 9 .225
通算 2244 - 1673 1102 571 .341

年度別監督成績[編集]

レギュラーシーズン
年度 チーム 順位
リーグ戦順位)
試合 勝利 敗戦 引分 勝率 チーム本塁打 チーム打率 チーム防御率 年齢
2004年 平成16年 西武 1位(2位) 133 74 58 1 .561 183 .276 4.28 42歳
2005年 平成17年 3位(3位) 136 67 69 0 .493 131 .275 4.27 43歳
2006年 平成18年 2位(2位) 136 80 54 2 .597 162 .269 3.64 44歳
2007年 平成19年 5位 144 66 76 2 .465 126 .264 3.82 45歳
2013年 平成25年 ロッテ 3位 144 74 68 2 .521 91 .262 3.77 51歳
通算 693 361 325 7 .526 Aクラス4回
ポストシーズン
年度 大会名 チーム 対戦相手 勝敗
2004年 パ・リーグプレーオフ1stステージ 西武 北海道日本ハムファイターズ 2勝1敗
パ・リーグプレーオフ2ndステージ 福岡ダイエーホークス 3勝2敗
日本シリーズ 中日ドラゴンズ 4勝3敗
2005年 パ・リーグプレーオフ1stステージ 千葉ロッテマリーンズ 0勝2敗
2006年 パ・リーグプレーオフ1stステージ 福岡ソフトバンクホークス 1勝2敗
2013年 クライマックスシリーズ・1stステージ ロッテ 埼玉西武ライオンズ 2勝1敗
クライマックスシリーズ・ファイナルステージ 東北楽天ゴールデンイーグルス 1勝4敗(※1)

※1 楽天にアドバンテージ1勝含む

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1991年6月26日、対日本ハムファイターズ12回戦(西武ライオンズ球場)、7番・捕手として先発出場 ※史上294人目
  • 1000本安打:1994年4月9日、対近鉄バファローズ1回戦(西武ライオンズ球場)、9回裏に赤堀元之から左越逆転サヨナラ満塁本塁打 ※史上173人目
  • 200犠打:1994年7月17日、対福岡ダイエーホークス16回戦(福岡ドーム)、2回表に若田部健一から ※史上14人目
  • 100本塁打:1994年8月27日、対日本ハムファイターズ20回戦(東京ドーム)、4回表に芝草宇宙から左越ソロ ※史上179人目
  • 1500試合出場:1995年7月9日、対近鉄バファローズ15回戦(藤井寺球場)、8回表に辻発彦の代打として出場 ※史上114人目
  • 250犠打:1997年9月6日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(千葉マリンスタジアム)、4回表に榎康弘から投手前犠打 ※史上6人目
  • 1500本安打:1999年9月3日、対大阪近鉄バファローズ22回戦(大阪ドーム)、2回表に小池秀郎から左前安打 ※史上78人目
  • 2000試合出場:2000年4月23日、対日本ハムファイターズ5回戦(東京ドーム)、8番・捕手として先発出場 ※史上30人目
  • 300犠打:2002年6月8日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(西武ドーム)、6回裏に田中充から捕手前犠打 ※史上4人目
  • 150本塁打:2002年7月6日、対大阪近鉄バファローズ12回戦(札幌ドーム)、6回裏にマイク・ジョンソン から左越3ラン ※史上121人目
  • 1000三振:2002年7月24日、対日本ハムファイターズ19回戦(東京ドーム)、7回表に芝草宇宙から ※史上28人目

背番号[編集]

  • 27 (1982年 - 2003年)
  • 83 (2004年 - 2007年、2012年 - )

出演番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 伊東ロッテ、憎き西武潰した!吠えた!古巣と永久決別宣言 - サンケイスポーツ・2013年10月15日
  2. ^ 前西武監督・伊東氏が韓国「斗山」のヘッドコーチに”. 日本経済新聞 (2011年11月30日). 2011年12月5日閲覧。
  3. ^ 伊東勤新監督就任 基本合意のお知らせ 2012年10月17日 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト
  4. ^ 伊東新監督「必ず日本一」 ロッテが就任を正式発表 スポーツニッポン 2012年10月18日閲覧
  5. ^ 83に決まったのは、83に現役時代の背番号27を足すと、110(伊東)となることから。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]