島田善介

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島田 善介
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県氏家町(現・さくら市
生年月日 (1888-10-07) 1888年10月7日
没年月日 (1955-01-29) 1955年1月29日(66歳没)
選手情報
ポジション 捕手遊撃手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 1969年
選出方法 特別表彰

島田 善介(しまだ ぜんすけ、旧名:福田 子之助1888年10月7日 - 1955年1月29日)は、栃木県氏家町(現・さくら市)出身[1]野球選手

経歴[編集]

慶應義塾普通部では1年生からレギュラー遊撃手であった[1]

慶應義塾大学へ進学すると捕手にコンバートし[1]1906年秋に中止となった早慶戦にも出場していた[2]。また、ハワイ遠征やアメリカ遠征に参加した[1]。強肩で有名であり、二塁送球が鮮やかと評され名物であったた[1]

大学卒業後は「島田善介」と改名し、引き続き三田倶楽部でプレー[1][2]

1922年11月に来日した米大リーグ選抜チームとの試合では小野三千麿とバッテリーを組み9対3で勝利し、自身も1回にホームランを打っている[1][2]

晩年は日本学生野球協会審査委員、副会長を歴任した[1][2]

1955年1月29日慶應病院で死去[1]1969年野球殿堂入り。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i オフィシャル・ベースボール・ガイド : プロ野球年鑑 1970』共同通信社開発局、1970年4月、126-127頁。doi:10.11501/2527337https://doi.org/10.11501/25273372023年1月16日閲覧 
  2. ^ a b c d 『野球殿堂 2012 The Baseball Hall of Fame』(2012年、ベースボール・マガジン社)、P.30

外部リンク[編集]