フィル・クラーク (内野手)

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フィル・クラーク
Phil Clark
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州クロケット郡
生年月日 1968年5月6日(46歳)
身長
体重
182 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手 指名打者
プロ入り 1986年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1992年5月27日
NPB / 1997年4月8日
最終出場 MLB / 1996年4月30日
NPB / 2000年7月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

フィリップ・ベンジャミン・クラークPhillip Benjamin Clark, 1968年5月6日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州クロケット郡出身の元プロ野球選手内野手)。

ヤクルトスワローズでプレーしたジェラルド・クラークは実兄。

来歴[編集]

クロケット高校を経て、1986年のMLBドラフト1巡目(全体の18番目)でデトロイト・タイガースに指名され契約。1992年メジャーデビューを果たすが、翌1993年サンディエゴ・パドレスに移籍。同年は102試合に出場し、メジャー自己最高となる打率.313、9本塁打を記録。1996年ボストン・レッドソックスに移籍するが、メジャーでは4月に3試合出場しただけに終わった。

1997年C・Dに変わる助っ人として近鉄バファローズに入団。独特の低く構えた打法で広角に打ち分け、リーグ2位の打率.331、本塁打23本、打点93と好成績を残し、それに加え安打数は174と日本球界1年目の外国人選手としては当時の最多記録であった。さらに守備では一塁手としてベストナインを獲得。

1998年は全135試合に出場して打率.320、本塁打31本、打点114と前年よりさらに成績を伸ばし、また48二塁打の日本プロ野球新記録(当時)およびシーズン81長打のパ・リーグ新記録(当時)を達成し、2年連続で一塁手としてベストナインを獲得。

1999年はチームは最下位ながら、打率は.287となり3年連続3割とはならなかったが、指名打者としてベストナインを獲得。なお、中村紀洋三塁手タフィ・ローズ外野手で獲得しているが、最下位チームからのベストナイン3人選出は史上初。この3人で計100本の本塁打をこの年に放っている。

2000年は序盤から不調で2割3分台前後にとどまっていた。7月9日の対オリックス戦(グリーンスタジアム神戸)で、戎信行から死球を受けて右前腕尺骨を全治6週間の骨折、精密検査のために帰米した。最終的には規定打席に到達せず66試合に出場して、打率.258、本塁打10本、打点33と来日以降最低の成績におわる。ただ球団は貴重な戦力として、故障の経過次第では残留の方針を表明していたものの、2か月経っても手首の可動域が広がらず選手生命そのものが危うかったことや、たとえ復帰できても同年の不振などから、全盛期の活躍が見込めないと判断され、シーズン終了後に解雇となり、現役引退。クラークが退団した翌年はローズが55本塁打、MVP、中村が46本塁打、若手の吉岡雄二に加え大村、水口、磯部といったベテランの活躍によってチームは12年ぶりのリーグ優勝を果たし、クラーク在籍時はチームが思うような結果が出なかっただけに、クラーク欠けての優勝はクラークにとって皮肉な結果になってしまった。

2007年からはクリーブランド・インディアンス傘下のマイナーリーグで打撃コーチを務めており、2013年には日本時代対戦した松坂大輔がインディアンスに加入したことにより、コーチと選手の立場であるが再開している。

プレースタイル・人物[編集]

独特の低く構えて打つのが特徴だが、打席によっては姿勢を低くしないこともあり、2000年は完全に低く構えるうち方はしていない。打率が高い一方で、併殺打が多かった。

性格は真面目で死球や審判の判定に激昂することは少なかった。しかし1998年4月の西武ライオンズ戦でローズがホーム突入時に捕手伊東勤に無茶なタックルをし、それに怒ったデニーとローズが殴り合いなり乱闘に発展した際には、ローズに向かって暴言を連発していたデニーに対しクラークも激昂しローズと共にデニーに食ってかかった。この乱闘はプロ野球珍プレー・好プレー大賞でも流されたが、乱闘の際に激怒していたクラークが後ろに振り向いた際に、後ろで共に激怒していたローズの顔に肘が当たってしまったシーンが面白おかしく取り上げらた。他にも1999年6月10日のロッテ戦の6回裏では、ロッテ先発の小宮山悟が投じた初球のストライク判定に抗議し、その際球審の川口亘太に暴言を吐いたとして、退場処分を受け、2000年6月3日の対オリックス戦ではオリックス先発の 小林宏から頭部に死球を受け小林に詰め寄った。(退場にはなっていない)。ちなみにその直後に小林と交代で出場した岩下修一が6番の礒部公一に顔面死球を与え、岩下が退場処分を受けている。また、この試合は五十嵐章人の全ポジション出場の記録が作られた試合である。 97年から00年まで同僚で、助っ人として共にチームを引っ張ったローズとは「最強助っ人コンビ」と呼ばれ、脅威だった。そのローズとは同じ年ということもあり、兄弟のように非常に仲がよく、入団1年目にはローズから積極的にアドバイスをもらっていたという。ただ当時近鉄の打撃コーチを務めていた、伊勢孝夫いわく、「最初はお互いに口をきかず、ローズはちゃらんぽらんな性格で、真面目に練習しているクラークを見ると、どうしても茶化してしまい、それにクラークが怒ってしまった。その後、藤井寺球場のライトにあるブルペンにローズ、クラークを連れて行って、握手をさせ仲直りをさせた」と明かしている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1992 DET 23 61 54 3 22 4 0 1 29 5 1 0 1 0 6 1 0 9 2 .407 .467 .537 1.004
1993 SD 102 256 240 33 75 17 0 9 119 33 2 0 1 2 8 2 5 31 2 .313 .345 .496 .841
1994 61 160 149 14 32 6 0 5 53 20 1 2 0 3 5 1 3 17 1 .215 .250 .356 .606
1995 75 108 97 12 21 3 0 2 30 7 0 2 0 2 8 1 1 18 3 .216 .278 .309 .587
1996 BOS 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
1997 近鉄 135 569 526 61 174 27 0 23 270 93 1 3 0 5 29 6 9 67 23 .331 .373 .513 .886
1998 135 587 531 68 170 48 2 31 315 114 0 1 0 4 45 10 7 75 19 .320 .378 .593 .971
1999 134 573 509 79 146 32 0 29 265 84 4 3 0 7 52 6 5 64 20 .287 .354 .521 .875
2000 66 274 252 31 65 9 2 10 108 33 0 1 0 1 14 1 7 27 13 .258 .314 .429 .742
MLB:5年 264 588 543 62 150 30 0 17 231 65 4 4 2 7 27 5 9 76 9 .276 .317 .425 .743
NPB:4年 470 2003 1818 239 555 116 4 93 958 324 5 8 0 17 140 23 28 233 75 .305 .361 .527 .888
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

NPB

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 40 (1992年)
  • 30 (1993年 - 1995年)
  • 23 (1996年)
  • 25 (1997年 - 2000年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]