マイク・グリーンウェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マイク・グリーンウェル
Mike Greenwell
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州
生年月日 1963年7月18日(45歳)
身長
体重
6' 00" =約182.9cm
200 lb =約90.7kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1982年 ドラフト3位
初出場 MLB / 1985年9月5日
NPB / 1997年5月3日
最終出場 MLB / 1996年9月28日
NPB / 1997年5月11日
経歴(括弧内は在籍年)

マイク・グリーンウェルMichael Lewis "Mike" Greenwell, 1963年7月18日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロ野球選手、カーレーサー。愛称は「ザ・ゲーター」。

目次

[編集] 来歴・人物

1982年ドラフト3位でボストン・レッドソックスに入団。1985年にメジャー昇格を果たし、12年間レッドソックス一筋でプレーする。右投左打、ポジションはレッドソックス伝統のレフト

メジャー2年目の1986年にはまだレギュラーではなかったが、ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズにも出場、1988年には打率打点で3位、勝利打点(当時は表彰タイトル)はメジャー新記録の23をあげて1位、出塁率2位、長打率5位、敬遠四球1位という成績を挙げシルバースラッガー賞を受賞。MVP投票でも2位に食い込んでいる(受賞者はホセ・カンセコ)。その後も1989年に打率9位、1993年には打率5位を記録するなど、メジャー通算打率.303という記録を残した好打者で、オールスターゲームにも2度出場している。勿論、4番も務めている。

[編集] 阪神時代

1997年に阪神史上最高額の年俸3億円超という条件で阪神へ入団、超大物助っ人として阪神ファンの期待も高かった。背番号39。)当時の甲子園球場電光掲示板には7文字も入らなかったため、グリーンウェル入団にあたり電光掲示板を変えた。ところがシーズン前の春季キャンプ途中で背中の痛みを訴え一時帰国してしまい、再度来日したのは4月下旬のことだった。その頃チームは4番候補が不在でどうにもならない状態だった。5月3日広島戦にようやく公式戦初出場し、満足なトレーニングも積まない状態でのデビューながら、決勝打を含む2安打2打点と活躍する。

しかし、それからわずか8日しかたっていない5月11日巨人戦で自打球を右足甲に当て骨折すると、「野球を辞めろという神のお告げ」と、突然引退を宣言し5月16日には帰国してしまう。これを受けて当時の吉田義男監督は「嵐のように来て嵐のように去っていった、つむじ風のような男だった」とコメント。試合に出た時期が時期だっただけに「GreenWellじゃなくてGoldenWeekだ」等と揶揄された。チームメイトの久慈照嘉は「外野からの返球がチェンジアップだった」と言っていた。

阪神球団はグリーンウェルを迎えるにあたり家賃は月150万とも200万とも言われる超高級マンションを用意した。しかし球団が用意したこのマンションに対し、彼は狭いとクレームをつけた。そのため球団は隣の部屋をもう1部屋借り、壁を取り払って2倍の広さにすることで対応した。結局、球団は居住期間1ヶ月にも満たない選手のために、拡張と原状回復の2度のマンション工事の費用を支払うハメになった。

上記の理由から阪神ファンだけではなく他球団のファンからも「(歴代の12球団に来た外国人選手の中で)史上最悪の詐欺師」と揶揄されていた、また退団して年月が経っているのにも関わらず未だに彼の事を許さないと思っている阪神ファンは多い。

引退後しばらくしてから、契約不履行を理由に損害賠償請求を阪神から求められる。この損害賠償問題は古巣のレッドソックスをも巻き込み大リーグでも騒動として扱われ、マスコミに大きく報じられた。

なお、星野仙一が阪神監督時代の2002年に、サンケイスポーツなどのスポーツ紙記者との雑談(俗に「星野語録」などとして記事化)で、グリーンウェルに関して次のような回想をしている。「グリーンウェルは、当初は中日と契約するはずだった。しかし自分と親しい大リーグ事情に詳しい人物に『彼(グリーンウェル)を獲るのか?やめておけ。彼は日本でゴルフがしたいだけだ』と止められたので結局獲らなかった、そうしたらしばらくして阪神が契約した」と早くからグリーンウェルの人格を見抜いていた事を明らかにした。

[編集] 引退後

引退宣言の後で「引退して農場を経営する」「これからは家族のために頑張る」等と話していた。現在はフロリダ甲子園の20倍もの広大な“マイク・グリーンウェルズ・ファミリー・ファン・パーク”という遊園地を建設し、そのオーナーとなっている。

また2005年には、ステロイド剤の使用を告白したカンセコに対して「彼のせいで1988年に自分がMVPになれなかった」と非難し「ステロイド使用の選手はMVPから除外すべきだ」等と主張した記事で久々に日本のメディアに登場した。

2006年NASCARのレーサーとなり、クラフツマントラックシリーズにグリーンライツレーシングの一員として2戦に参戦した。

2008年2月25日ボストン・レッドソックスのチーム殿堂入りが発表された。

[編集] 通算打撃成績

[編集] NPB

(1997年阪神)

  • 7試合 26打数6安打 0本塁打 5打点 0盗塁 四球3 三振0 打率.231

[編集] MLB

(1985~96年レッドソックス)

  • 1269試合 4623打数 1400安打 130本塁打 726打点 80盗塁 打率.303
    • 特筆すべきは三振(364)よりも四死球(460)の方が多い事。12.70打数に1三振で、現在のメジャーで三振が少ない事で知られるイチローでも、2008年までに10.38(5460打数526三振)である。また、イチローは四死球は420で、グリーンウェルの選球眼の良さ、三振の少なさが伺える。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

他の言語