銀次
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| 東北楽天ゴールデンイーグルス #33 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岩手県下閉伊郡普代村 |
| 生年月日 | 1988年2月24日(23歳) |
| 身長 体重 |
174cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 2005年 高校生ドラフト3巡目 |
| 初出場 | 2010年6月29日 |
| 年俸 | 720万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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銀次(ぎんじ、本名:赤見内 銀次(あかみない ぎんじ)、1988年2月24日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
普代小学2年生時に祖父の影響で野球を始め、3年時に「普代村野球スポーツ少年団」に入団する。5年生時に捕手となり、6年生時に東北大会で準優勝。5・6年生時は祖父が同チームの監督を務めた。普代中学3年生時にKボール全国大会へ岩手選抜の一員として出場。
盛岡中央高等学校では1年生時から左翼手としてレギュラー出場。その後三塁手を経て、2年夏から捕手に転向する。2年の秋季東北大会において8打席連続安打、12打席連続出塁を記録、チームはベスト8まで進出した。3年夏の岩手県大会では、打率.750(24打数18安打)を記録。県決勝戦では4打数4安打を記録するも敗退し、甲子園出場はならなかった。高校通算24本塁打。2005年の高校生ドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから3巡目指名を受け、入団。背番号は67。
[編集] プロ時代
- 2006年 - 2009年
- ルーキーイヤーの2006年は二軍戦に主に代打で出場した。フェニックスリーグでは打率.433(30打数13安打)を記録し、松井優典二軍監督から「フェニックスリーグでの一番の収穫は銀次の才能を発掘できたこと」とのコメントをもらう。
- 2009年は初めて春季キャンプで一軍スタートし、オープン戦の序盤まで一軍に帯同していた。しかし、リードに厳しい野村克也監督からの評価を得られず、二軍落ちとなった。二軍戦では53試合出場、打率.281(146打数41安打)。
- 同年の秋季キャンプで内野手へコンバートされた。
- 2010年
- 2年連続で春季キャンプ一軍スタートを切ったが、またしても開幕一軍入りはならなかった。二軍では打撃好調で高須洋介の離脱もあり6月29日に初の一軍登録と、その日の試合で初の先発出場を果たす。7月1日のオリックス戦でプロ初安打を放つが、高須の復帰と共に二軍落ち。フレッシュオールスターに選出されるも怪我の影響で辞退した。離脱期間が長く規定打席不足ながら、打率.367と一時はイースタン首位打者の座に立ち、飛躍の一年となった。
- 2011年
- 初の開幕一軍入りを果たすも、4月後半に二軍降格。二軍では高打率を維持し打率.345を記録したが、一軍に呼ばれる機会が前年より増えたために規定打席には到達しなかった。しかし例外規定を適用しても、規定打席を満たした打率1位の雄平の.330を上回るため、初のイースタン首位打者に輝いた[注釈 1]。
- 一軍では9月から不振に陥った山崎武司に代わる形で一塁手としてスタメンで出場する機会が増加。主に6・7番を打ち、22試合に出場して打率.222の成績を残した。シーズンオフ、背番号が33に変更された。
[編集] 人物・プレースタイル
俊足強肩に加えて、巧みなバットコントロールから広角に強打を放てる打撃が売りの捕手。その打撃を生かす為のコンバート案も度々挙がっていた折、2009年の秋季キャンプから内野手に転向した。
野球を始めたきっかけは、野球好きの祖父の影響。野球を始めた当時は右打ちであったが、左打ちに変更したのも祖父の指導による。
指名当時の本名は宇部 銀次(うべ ぎんじ)であったが、母親の再婚により名字が赤見内(あかみない)に変更になった。
チームメイトの枡田慎太郎と親交が深く、二人でカラオケに通う、家に遊びに行く等プライベートでも付き合いが多い[1]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2010 | 楽天 | 2 | 6 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .167 | .167 | .167 | .333 |
| 2011 | 22 | 59 | 54 | 4 | 12 | 0 | 0 | 0 | 12 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 7 | 0 | .222 | .263 | .222 | .485 | |
| 通算:2年 | 24 | 65 | 60 | 5 | 13 | 0 | 0 | 0 | 13 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 7 | 0 | .217 | .254 | .217 | .471 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] タイトル
- イースタンリーグ首位打者(2011年)
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2010年6月29日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、9番・二塁手として先発出場
- 初安打:2010年7月1日、対オリックス・バファローズ12回戦(京セラドーム大阪)、8回表に金子千尋から左前安打
- 初打点:2011年10月5日、対北海道日本ハムファイターズ22回戦(札幌ドーム)、4回表にダルビッシュ有から中前適時打
[編集] 背番号
- 67 (2006年 - 2011年)
- 33 (2012年 - )
[編集] 登場曲
- 「純情 〜スンジョン〜」 DJ OZMA (2007年)
- 「EVOLUTION」 EXILE (2008年)
- 「道」 EXILE (2009年)
- 「Half-Truism」 THE OFFSPRING (2010年 - )
[編集] 脚注
[編集] 注釈
[編集] 出典
- ^ 「心一番!!枡田慎太郎ブログ」2007年12月09日掲載、楽天スポーツ動画「若手3人衆爆笑インタビュー」2007年10月18日
[編集] 関連項目
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