高須洋介

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高須 洋介
東北楽天ゴールデンイーグルス #4
Takasu yousuke.jpg
2011年8月30日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県伊万里市
生年月日 1976年2月9日(35歳)
身長
体重
170cm
73kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手三塁手
プロ入り 1997年 ドラフト2位
初出場 1998年10月3日
年俸 6,800万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

高須 洋介(たかす ようすけ、1976年2月9日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手内野手)。

2007年2008年度の楽天選手会長。ニックネームは「必殺仕事人」(野村監督が命名[1]

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

佐賀県伊万里市で出生後、幼稚園からは名古屋市に移る。名古屋市立猪高小学校に進学し、部活で本格的に野球を始める。猪高中学校では中心選手として投手三塁手を兼任、県大会3位の好成績を収めた。中学3年途中で石川県金沢市に転居。

金沢高校に進学。1993年の3年時に春・夏連続で甲子園に出場(ともに初戦敗退)。夏の甲子園では後にチームメイトとなる山村宏樹甲府工)と対戦した(4打数無安打)。

その後青山学院大学に進学。1年時から二塁手でレギュラー。3年間、1学年上の井口資仁と不動の二遊間を組む。井口卒業後は遊撃手、三塁手も務める。井口の他、1学年上には、澤崎俊和清水将海倉野信次らがおり、各大会で優勝を収め黄金時代を築いた。

東都大学野球リーグ通算91試合出場、320打数94安打、打率.294、1本塁打、29打点。1995年秋季と1996年春季のリーグで2季連続首位打者を獲得した。ベストナイン3回受賞(二塁・遊撃・三塁の各ポジションで受賞する。内野3ポジションでベストナイン獲得はリーグ史上初の快挙)。

1997年第26回日米大学野球でMVP獲得。5試合中2試合で本塁打を放つなどの活躍でチームの優勝に貢献。敢闘賞は川上憲伸他。1997年IBAFインターコンチネンタルカップでベストナイン。

[編集] 近鉄時代

1997年、ドラフト2位で近鉄バファローズに指名を受け入団。背番号4をもらい、同番号の前任者で引退した大石大二郎の後継者として期待をかけられる。

1998年、入団1年目。開幕一軍を果たすが正二塁手水口栄二の壁は厚く3試合の出場にとどまる。2年目は守備と犠牲バントを認められ116試合に出場。しかしオフに右靱帯移植手術を受け、翌1年はリハビリに費やす。復帰後も後遺症に悩まされ入団3年目、4年目の出場は一桁台にまで落ち一時期プロをあきらめかける。入団5年目から楽天へ移籍するまでの3年間は、再びポジション争いに参戦したが定位置確保ならず。

2004年シーズンオフ、選手分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。オフに的山哲也と共に視力の矯正手術を受ける。また、楽天移籍を転機に、打撃に対する考え方を180度変え、バッティングフォーム他さまざまな部分を見直す[2]。これが後の見違えるほどの好成績に繋がったと思われる。

[編集] 楽天時代

笑顔の高須

2005年、移籍1年目。球団初試合となる3月26日千葉ロッテマリーンズ戦に2番セカンドとしてスタメン出場。1回に球団初安打、3回には球団初二塁打を打ち球団初得点を記録する。以後も田尾安志監督に指名され、酒井忠晴大島公一を抑えて二塁手のレギュラーを獲得する。しかし夏場に扁桃炎による発熱やアキレス腱痛などの故障で戦線離脱したため、出場数は82試合となる。

2006年、腰痛の影響で出遅れ開幕一軍ならず。4月4日西武戦で一軍登録後、4試合連続でタイムリーを放つ。以後、2番セカンドとして定着、離脱者が増えた8月からは3番にも座った。最終的に、リーグトップの得点圏打率(.378)、二塁手部門守備率1位(.992)、出塁率5位(.373)などの好成績を残し、自身初の規定打席到達となった。オフには野村克也監督率いるイオン日米野球2006に出場した。6月10日広島戦で小指骨折。取材で「今でも指が完全に曲がらない」と語った[3]

2007年、プロ入り10年目。礒部公一に代わる第2代楽天選手会長に就任。5月には「3試合連続お立ち台」を含む5試合でヒーロー。前半戦の得点圏打率は.470と驚異的な数字にまで上昇した。シーズン終盤は怪我が重なり若手にスタメンを譲る場面も見られたが、最終的にはプロ入り後最多の130試合に出場、2年連続となるリーグトップの得点圏打率(打率.386)を記録。野村監督から勝負強さを評価されて「必殺仕事人」と命名された。

2008年7月16日の日本ハム戦で球団記録を更新する16試合連続安打を打つなど、シーズン中盤までは好調を維持し、時には3番を任される時もあった。しかし守備では怪我の影響もあってやや精彩を欠き、2年連続二塁手としてのリーグ最多失策(11失策)。後半は怪我もありスタメン落ちや二軍落ちも経験する。しかし粘り強い打撃は健在で、三振は規定打席到達者中最少のわずか38個だった。自己最多の4本塁打・45打点を挙げ、32犠打でリーグ最多犠打。シーズン終了後、痛めていた左足首の手術を行った。

2009年、前年の手術の影響か開幕スタメンは新加入の小坂誠に譲ったが、3割を超える好調な打撃ですぐにレギュラーの座を取り返した。相変わらずの得点圏打率の高さを記録するなど打線を牽引していたが、5月6日の西武戦で片岡易之が放ったセンター前への飛球を捕球する際にセンターの鉄平と交錯、左足首を捻挫して登録選手を抹消された(後に靱帯損傷と発表)。3か月に及ぶリハビリの末、8月5日に一軍復帰。10月16日のソフトバンクとのクライマックスシリーズ第1ステージ第1戦では杉内俊哉から初回先頭打者本塁打を放った。

2010年、前半戦は好調で鉄平に代わって3番に座ることもあった。3月31日のロッテ戦にて球団新記録となる、高須自身の1号ソロホームランを含む1試合5安打をマーク。4月17日のソフトバンク戦で2打席連続2点タイムリーで計4打点、6月24日の西武戦では逆転2ランを含む3安打5打点と大暴れした。後半戦でも9月19日のロッテ戦で9回裏に小林宏から「逆転サヨナラ3ラン」を放つなど勝負強さは随所で見せたが徐々に下降し、最終的に打率は.268に終わった。2006年以来となる自身二度目の二塁手部門での守備率1位(.992)を達成。

2011年、新加入で正三塁手として期待された岩村明憲の極度の大不振や二塁手の内村賢介の成長により、シーズン途中から三塁手として起用されることになった[1]。試合の終盤には守備固めと交代するシーンが多かったが、時折ファインプレーを見せることもあり、三塁の守備は安定していた。3番や5番のクリーンナップを任されることが多かったが、3年ぶりに規定打席に到達し、安打数も100本を越すなど1年を通して安定した成績を残した。日本ハムのルーキー・斎藤佑樹に相性が良く、13打数8安打で打率.615を記録した。

[編集] プレースタイル

堅実な打撃・守備でナインの脇を固めるアベレージヒッター。パワーは乏しいものの三振が少なく、2011年シーズンの規定打席に達した打者のうち三振はリーグ最小の39[1]

打席で自分の間合いを作るのが上手い。星野監督には「あの間の取り方は天才的。若いやつも見習ってほしい[1]」と評される。

走塁は目を見張るほど速いわけではなく、守備範囲も特別広いわけではないのだが、犠打を得意とし、比較的盗塁術には優れ、2006・2010年に守備率1位を記録するほど悪送球やエラーも少なく、堅実なプレーが何よりの持ち味である。しかし、プロ入り後は何度も怪我を繰り返しているように体が強いとは言えない選手であり、2007・2008年シーズンのようにその慢性的な故障が、本来得意な守備に悪影響を与えてしまう年も多い。

とにかくチャンスに強い選手で[1]、2006年以降はいずれのシーズンもランナー得点圏におくと打率が跳ね上がり、時に5割近い得点圏打率を記録する年もあるなど、敵チームにとって非常に嫌らしいバッターである(野球中継において、解説者が高須の手堅いバッティングに言及することは多い)。決勝タイムリーやサヨナラヒットも多々記録している。

また、大概のバッターが手こずる相手チームのエース級ピッチャーを比較的得意としており、KスタスタジアムDJ古田優児氏の前節で「エース・キラー」と呼ばれ、定着するようになる。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1998 近鉄 3 8 6 1 2 0 0 0 2 1 0 0 1 1 0 0 0 2 0 .333 .286 .333 .619
1999 116 380 316 33 71 14 3 2 97 33 10 5 24 1 34 0 5 55 7 .225 .309 .307 .616
2000 5 5 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .200 .000 .200
2001 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2002 69 215 192 17 49 14 2 2 73 16 3 1 15 1 6 1 1 34 5 .255 .280 .380 .660
2003 17 29 24 3 3 2 0 0 5 3 0 0 2 0 3 0 0 4 0 .125 .222 .208 .430
2004 93 114 98 16 16 4 1 0 22 12 0 1 7 2 7 0 0 10 4 .163 .215 .224 .439
2005 楽天 82 346 317 38 88 13 2 1 108 27 14 2 9 1 17 0 2 48 9 .278 .318 .341 .659
2006 118 477 403 41 121 16 2 1 144 38 10 7 24 2 40 1 8 55 10 .300 .373 .357 .730
2007 130 551 481 54 136 26 1 1 167 44 15 6 30 2 32 0 6 51 11 .283 .334 .347 .681
2008 123 449 383 44 108 20 1 4 142 45 6 1 32 1 29 0 4 38 10 .282 .338 .371 .709
2009 67 236 204 18 62 13 0 1 78 22 1 1 9 3 18 1 2 18 5 .304 .361 .382 .743
2010 102 421 369 27 99 16 0 6 133 48 1 1 12 3 30 0 7 44 10 .268 .333 .360 .693
2011 128 472 429 28 119 10 1 1 134 30 5 3 8 1 29 0 5 39 10 .277 .330 .312 .642
通算:14年 1055 3703 3226 321 874 148 13 19 1105 319 65 28 173 18 246 3 40 398 81 .271 .329 .343 .672
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 記録

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:2011年7月29日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(QVCマリンフィールド)、5番・三塁手として先発出場 ※史上445人目
その他の記録

[編集] 背番号

  • 4 (1998年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e 2011年の年男 楽天ゴールデンイーグルス『週刊ベースボール』2012年1月9.16日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20443-1/9.16, 56頁。
  2. ^ 楽天野球団発行 ホームゲームプログラムvol.2高須洋介より
  3. ^ 楽天イーグルス公式サイト Featured Players vol.019 高須洋介 2006.9.29より

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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